「はぁ……? 何、してんだよお前」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で和也が言った。
ここは和也の働く「ピザキャット茅ヶ崎店」の事務所の中。
美貴がゴツいオカマの店長とすっかり意気投合して談笑しているところに、寝癖頭の和也が出勤してきたのだ。
「何って、バイトの面接に決まってんでしょ」と美貴。
「だから何でウチの店の面接に来てんだよ。他にもバイト募集してるとこあんだろ」
「カズちゃん、いま面接中だから、おしゃべりは終わった後にしてくれる?」
「あ……はい、店長」
店長に事務所から追い出された和也は、渋々更衣室へと去っていった。
◇
和也にキスされてからの一週間、美貴はいろいろ考えたけれど、結局、彼のことがまったく分からなくってしまった。
しかし、このままにしておくのは非常に気分が悪い。
というわけで、とりあえず彼の近くにいてみようと思って、彼の働く店の面接を受けてみた。すると苦も無く合格。人手不足で困っていたので助かる、今日からでも働いて欲しい、と店長に言われた。
面接が終わり、事務所から出たら目の前に制服姿の和也がムっとしながら立っていた。
「なによ」
「おま、ちょっとこっち来い」
「え、いたい。放してよ」
「いいから」
美貴はいきなり和也に腕を掴まれて、店の倉庫に連れて行かれた。
「どういうつもりなんだ? 女医の娘がバイトする必要なんかないだろ」
腕組みをした和也が睨む。
「私が何しようと勝手でしょ? 他人のあんたに文句言われる筋合いないし!」
「お前なあ」
「ま、彼氏の言うことなら耳を貸さないでもないですけどー」
はー…………と長いため息をつく和也。
そして、彼が怒り出した。
「ふざけるな! 俺の前をちょろついてヨリ戻そうって魂胆だろうが、そうは行かねぇぞ! だいたい何の為に俺が」
美貴はそんな和也を華麗にスルーして、
「それはそうと、なんで私があんたの親戚になってんの?」
「そ、それは……」
和也が急にバツの悪そうな顔で口ごもった。
「ちゃんと説明してもらおうじゃないのよ」
今度は美貴が腕組みをして和也を睨み付けた。
「えっと……実は……」
原因は注文の時に美貴が和也を指名した事だった。仲間に冷やかされた和也は、彼女の事を
「呆れた」
「お願いだ美貴、黙っててくれぇ……頼むよぉ」
目の前の幼馴染みは、情けない姿で美貴を拝んでいる。
彼女は大きくため息をついた。
「分かったわ」
二人で倉庫を出ると、丁度だれかが出勤してきたところだった。
「っす、先輩」
「おはようカズくん! そちらは今日面接に来た親戚の子?」
先輩と呼ばれた男性が自分の方を見る。
美貴はひとまず頭を下げておく。
「あ、はい。よろしくお願いします」
派手で遊んでいそうな若い男性。顔の良さは、和也とどっこい……いや、今のくたびれた和也では、勝てないかもしれない。でも磨き直せば、あるいは。
「よろしくね。分からないことは何でも僕に聞いてね! カズくんを仕込んだのも僕だから」
「先輩、余計なこと言わなくていいっス」
「はいはい、じゃあまたね」
そう言って、先輩は更衣室に入っていった。
先輩は、イケメンだけど遊んでいそうなカンジで、堅物の和也とは対極だ。
更衣室のドアが閉まってから、和也が美貴に耳打ちをする。
「先輩には注意しろよ。ここらで有名なナンパ師なんだ」とクギを刺してきた。
そんなに心配なら自分の手元に置いておけばいいのに、と思った。
「ふうん。じゃ、私帰るから。明日からよろしく、杉本先輩」
「……チッ」
不愉快そうな和也を置いて、美貴は裏口に通じるドアを開けた。
◇
美貴が仕事を始めて一週間。
なるべく和也と顔を合わせたくて、美貴は毎日朝から夕方までシフトを入れてみた。しかし、やってみるとこれが案外大変だった。
こんなことを和也は、朝から晩まで毎日休みナシでやっている。しかも高校を卒業してからずっと。
――だからあんな風にくたびれてしまったんだ……
でもなんで? もう高校は卒業してるのに。
その理由を店長に聞いてみると、意外な事実が判明した。
「カズちゃんが仕事しまくる理由ぅ? イトコだから知ってると思ってたけどぉ……」
三年前、和也の唯一の肉親である母親が重い病気で倒れ、入院した。
当時、高校を中退してこの店で働くと言ってきかなかった彼に、援助をして卒業させたのは誰あろう、この店長だった。
日系米国人として横須賀の在日米軍基地に赴任。のち満期で退役した彼は、そのまま海辺の街で働きながら金を貯め、自分の店を持つ夢を叶えた。
地元の少年が、生活苦で将来を棒に振ることを、若くして苦労を重ねた店長は看過出来なかったのだ。
ここまでは、高校の担任が言っていたことと合致する。
店長はさらにその先の話をした。
それ以降、和也は家計と治療費のためこの店で働いているが、母親は治療の甲斐なく昨年亡くなったという。結果和也は天涯孤独となってしまった。今ではこの店のクルーたちが彼の家族のようなものだ、と店長は言っていた。
母親が亡くなった後、和也は店長に援助してもらった学費を、給料の中から少しづつ返している。その必要はない、と何度言っても彼は聞かなかったので、店長は彼のために黙って積み立てているらしい。
美貴はしばらく何も言えなかった。
和也は自分の知らない所でたった一人、孤立無援で追い詰められていた。なのに自分は、アイツを恨んで、のうのうと親の金で大学に通って――。
それに引き換え、この人は、なんて優しい人なのだろう。自分は和也のために何ひとつしてあげられなかったというのに、彼のために手を差し伸べてくれた……。
――和也の前で、私どんな顔すればいいの?
◇
美貴は、配達から戻った和也を店のガレージで捕まえた。
「ねえ、どうして黙ってたの?」
「何の話だ」
デリバリーバイクのトランクを片付けながら、和也は投げやりに答える。
「お母さんが入院して……そのあと亡くなったこと」
和也の動きがピタリと止まった。
「店長か……。口止めしとけばよかった」
「どうして教えてくれなかったの? 別れた理由ってそれなんでしょ?」
「言えば金が降ってくるのかよ!」
和也は怒鳴ってトランクを乱暴に閉めた。
「母親がいつ死んでしまうかと不安だった。親戚は誰も手を貸してくれなかった。お前に会いに行く交通費さえ惜しかった……」
彼は肩を震わせ、嗚咽を漏らした。
「俺は親を取って、お前を捨てた。そのことに何らかわりはない。今さら事の真相が明らかになったところで、俺の罪は消えない」
「罪なんかないよ!」
そして和也は絞り出すように言った。
「お袋は俺が殺した。それは罪じゃないのか」
美貴は彼の言葉にうろたえた。
しかし、ここで引いては先に進めない。
「だって病気でじゃ……」
「それは結果だ。俺のせいで不幸になって、俺のせいでロクな治療も出来ずに死んだ。俺が殺したも同然だろ」
「和也……、言ってくれれば……」
美貴は彼をそっと抱き締めてやると、彼は美貴の肩に頭を押しつけ、腰に手を回した。――それはひどく悲しい三年ぶりの抱擁だった。
和也は震える声で、心の内を吐き出した。
「言えば、お前は進学を諦めて一緒に働くとか言い出すに決まってた。俺のせいでお前を不幸にしたくなかった。だから……言えなかった」
「そんなの勝手だよ!」
「今だって、状況は何ら変わっちゃいない。将来も見通せない非正規雇用者だ」
「和也が苦しんでるのに、私、自分だけ幸せになりたくない。大学出たら働くから。それで、一緒に暮らそうよ。ね?」
「俺なんかじゃ、いくら愛してたって、お前を幸せに出来る訳ないんだ。口では大丈夫だと言ったって、貧乏暮らしにお前が耐えられるわけない。頼むから、もう俺のことは諦めてくれ」
そっと美貴から離れ、乱暴に袖で涙を拭うと、和也は足早に店の奥に消えていった。
……どうして自分だけ犠牲になればいいって思ってるの? 私だってもう子供じゃない。好きな人を支えたいと思って何が悪いのよ。
◇
それから数日後。
あれ以来、和也は美貴と口をきかなくなった。そのくせいつもチラチラ厨房の美貴を見ては、目が合うとすぐに顔を背けて露骨に避ける。
――毎日こんなんの繰り返しじゃ、いい加減私も精神的に疲れてくるよ……。
「カズくんとミーちゃんって、親戚同士なんだよね。じゃ、僕がもらってもいいよね?」
そんな折、美貴は例の先輩から、仕事中に告られた。
おもいっきり和也の見ている前で。
「えええ~? ちょ、ちょっと……」
「いいじゃん、俺じゃ何か不満? なんならお試しでもいいよ☆」
雑な理屈でイージーかつライトに交際を迫られる美貴。
(た、たすけて、和也……)
和也に目でSOSを発するが何故かスルーされる。先輩は断っても何度も何度もアタックしてくる始末だった。
……やっぱこれって兎の護符の効果なんだろか。でも肝心の和也がちっとも食いつかず、これじゃぁ本末転倒……
◇
数日後、先輩の十何度目かのアタックで、とうとう美貴はOKを出した。
折れたのではなく、ある作戦のために――。
「じゃ、先輩とお付き合いします」
「やった! よろしくね、美貴ちゃん!」
『ガチャン!』
そのとき、店内に大きな金属音が響いた。
和也が思いっきり床に金属トレーの束をぶち撒けたのだ。
「す、済みません……」
「カズくん大丈夫? 手伝おうか」
「い、いやいいです。だ、だだ大丈夫っす……」
和也は慌てて、床に散乱したトレーを拾い集めている。
動揺するくらいなら止めればいいのに、と美貴が思うのも無理はなかった。
和也はあれから仕事でミスが増えた。
でも美貴は容赦なく先輩との仲を和也に見せつける。
無論これは作戦なわけだが。
……あのバカ、さっさと先輩から奪い返しにくればいいのに。