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第2話 豪快ハバネロくんピザLサイズ

 昨日の今日で、美貴はまたピザの注文をしてしまった。母親がこの店の激辛メニューを気に入ってしまったからだ。

 で、よりによって今日も和也が配達に来ているわけで……。


 美貴はこそっとドアを開ける。

 約五センチほど。


「毎度ー、ピザキャットでーす」

 和也がドアの隙間から、抑揚のない声でダルそうに棒読みした。


 ――バタン!

 思わず、反射的に閉めてしまった。


「コラ、開けろ! 美貴! 無銭飲食で通報されたくなければ今すぐ開けろ!」

 和也がドアをバンバン叩いている。


(まぁ、ごもっともなんですが。でも別にイタズラで注文したわけじゃないし)


「俺が憎い気持ちは分かる! だが、今は仕事で来ているんだ! 俺じゃなく、ただのピザ屋のバイトだと思って、ここを開けてくれ!」


「ヤダ!」


「ヤダじゃねぇ! 分かってて電話したんだろうが! 確信犯に情状酌量の余地はねぇ! 通報される前に、速やかにここを開けろ!」


「通報はヤダ! でも開けない!」


「いいから落ち着け! どうせこんな激辛ピザ頼んだの、おばさんだろ? 自分の母親を犯罪者にしてもいいのか?」


「でもぉ……」


「俺はいくら憎まれても構わん! だが、店に損害を与えたら、お前でも容赦しねぇぞ!」


 なに騒いでんのよ! と奥から声がする。

 いよいよ開けないとマズイ……。美貴は渋々ドアを開けた。


「おい、チェーン。これじゃピザ縦んなって、ぐちゃぐちゃだろうが。……いいから速やかにドア全開にしろ、美貴」


「う……」

「はーやーく! 休日で忙しいんだから!」


 ガチャガチャ。


「開けた」


「ったく、手間かけさせやがって……。ホレ、コッチが豪快ハバネロくんピザLのハバネロ増量だ。はっきり言ってコイツは普通の人間にとっても劇物だ。お前は絶対に死んでも食うなよ。特に付属のソースはアウトだ。床のたうち回って悶死するレベルだ!」


「げ……」

「で、おそらくお前のはこっちの激甘だろ」


 和也は、脳天パラダイスカクテルスイートピザを差し出した。

(まぁ、そうなんだけど。ったく、好みを覚えてるってのが、非常にムカつく)


「はい、ジャストね」


「丁度っすね、ありあとっしたー」

 代金を渡すと、和也は定型文を棒読みし、腰のポーチに詰め込んだ。


「き、昨日は……」

「あ? 気にしてねぇよ。お前には嫌われて当然だろ。仕事に支障はない」

「そんな……」


「あ、忘れるところだった。これ、昨日の釣り銭だ」

 和也はポーチから茶封筒を引っ張り出した。


「お釣りいらないって言ったでしょ、そんなはした金、チップにでも何でもすればいいじゃない」

 イライラしていた美貴は、和也に強い語気で返した。


「……はした金、だと?」

「え?」

「この金、誰が稼いだものだ」

「えと……、母親、だけど……」


「こン中にゃなぁ、俺の四時間分の時給が入ってる。てめぇで稼いだこともないヤツが、はした金なんて言葉、使うんじゃねぇ!」

 そう叫ぶと、彼は茶封筒を床に叩きつけた。


「ひっ」

 美貴は思わず、声を上げてしまった。


 和也は乱暴にドアを閉めると、無言で出て行った。

 何をそんなに怒る必要があるんだろう?


                  ☆


「毎度、ピザキャットでーす」

 翌日、美貴はまたピザの注文をした。


「豪快ハバネロくんピザLハバネロ増量お待たせしましたー」

 和也は極めてダウナーなテンションで棒読みする。あからさまに不機嫌な顔で、保温袋からピザの箱を取り出した。


「はい、ジャスト二千八百六十円ね」

 美貴は即代金を手渡す。今回もきっちり釣り銭ナシだ。


「丁度っすね、ありあとっしたー」

 とこれまた棒読みで金を受け取り、集金用ポーチに押し込む和也。美貴は下駄箱の上にピザの箱を置いた。


「……で。どういうつもりだ?」

 和也は呆れ半分不愉快半分に言うと、目深に被った帽子のつばの隙間から覗き込むように美貴を睨んだ。


「指名までしやがって、恥ずかしいだろっ」

「ご、ごめん……。あのさ……」

「週末で忙しいんだ。早く言え」

「……こないだ、ぶってごめん」

「もう気にしてない。それだけか?」

「お金の……こととか」

「俺も気が立ってただけだ。もう気にするな」

「えと…………。和也、あんまり幸せそうじゃないね……。疲れてるっていうか……」

 奴はふぅ、とため息をつくと、かもな、とまるで独り言のように呟いた。

「お前はどうなんだ?」

「微妙」


「微妙……、ってホント微妙な返事だな。で、いま男はいるのか?」

 和也は自分で尋ねておきながら、聞きたくなさそうに顔を背けた。


「いるわけないでしょ。……ったく、誰のせいだと思ってんのよ」


「……え?」

 和也は意外そうな顔で美貴を見た。


「誰かのせいでトラウマになって、男が作れなくなったっつってんのよ! このバカ!」


 和也は肩を落とし、すまないとポツリと言うと、

「それじゃ……お前、幸せになれないじゃんか……」とまた独り言のように呟いた。


 ――幸せ……?


 その意味を美貴が尋ねようとしたとき、彼のスマホが鳴った。


「ごめん、帰ってこいって。もう指名すんなよ。用がある時は俺のスマホに……、ってとっくに番号消してるか」


 と言いながら、和也は下駄箱のピザの箱に何かを書き込むと、じゃぁなと言ってそそくさと出て行った。


 ……ヨリ戻したがってるのかな……。でも、その前にやる事があるんじゃないの?


 美貴は憮然としながら、遠ざかる和也の足音を聞いていた。


                  ☆


  ――非常にゆゆしき事態だ。これじゃ俺が何のためにアイツと別れたのか分からなくなっちまう。とにかく、何か手を打たないと……。


 その夜は熱帯夜で、やけに草の匂いが鼻につく。

 和也は、氷ノ山神社にやって来た。


「また夜中になっちまったな……」


 店の先輩曰く、氷ノ山神社は縁結びに絶大な御利益があって、地元のナンパ師の間で密かに語り継がれているそうな。そんな話丸々信用するわけじゃないが、今の自分に出来るのは神頼みくらいだ。


 和也は疲れた体を引き摺って、だらだらと石段を上がり、夜中の神社でちょっとばかり薄気味悪い思いをしながら、古びた賽銭箱に小銭を投げ込み柏手かしわでを二つ打つ。願い事をしようとしたその時。


「ひっ」

 背後から気配がして振り返ると、夜中にも拘わらず、神主の格好をした中学生くらいの少年が立っていた。


 深夜なせいか、実体があいまいなその少年は、どこかしら怒っているようだ。


(どこかで見たような……?)


「……誰だ」

 振り返ると奴が玉砂利を踏みながら近づいてきた。


「やっぱ覚えてないかぁ、昔一緒に遊んだのになぁ。ねぇ、十年前、キミそこでプロポーズしたろ? ボクその時立ち会ってたんだけどさ、彼女とはもう結婚したの?」


「立ち会い……?」

 子供の頃の記憶はあいまいで、誰かが立ち会ったという覚えがない……。しかし、こんなこと、自分たち以外に知っているとは思いづらい。

 この少年は一体何者なのだろう?


「どうなのさっ」

「う…………」

「む、まさか。美貴ちゃんと別れたの?」

「好きで別れたわけじゃねぇよ!」


「ちょっと待ってよぉ。それじゃボクの査定に響くじゃんかぁ。ちゃんとくっついてもらわないと困るんだけど?」


「ワケわからん事言うな。一方的に捨てたんだ。今さら結婚なんて出来るワケないだろ!」


「まだフリーなら、謝って許してもらえばいいじゃんかぁ」


「未だフリーかどうか分からん。それに貯金残高ゼロの、しがない非正規雇用労働者だ。こんな甲斐性無しが求婚出来るかっつーの」


「でもキミは、未練たらたらなんでしょ?」

「そりゃ……、まぁ…………」

「じゃぁ――」


「ダメ! ダメダメダメ! 事情はどうあれ、あいつを裏切ったんだ。俺にゃ資格はねぇよ」


「ふむぅ、和也ってめんどくさいな、もぅ~」

「んじゃ、ほっとけよ!」

「それじゃボクの査定がぁ~」

「だから何なんだ、その査定って!」


「まーそんなのどうだっていい。ホラ、これ持ってけ」

 少年は白ウサギのマスコットを差し出した。

「和也、自分の気持ちに正直になれたら、あの子にこれを渡すんだ。いいな?」


「はぁ、なんだコレ」

 和也は半信半疑で少年からウサギを受け取り、まじまじと見た。裏返すと赤いちゃんちゃんこの背中に『恋愛成就祈願 氷ノ山神社』と金文字が織り込んである。


「これ、お守りなのかよッ」

 と突っ込むと、いつのまにか怪しい少年はいなくなっていた。


 ――もしかして、幽霊か、それとも神様……?


 和也は薄気味悪い気分のまま、ムダにラブリーなお守りを上着のポケットにねじ込んで、長い階段を駆け降りた。


                  ☆


「で……。今日は何の用だ? あんまりカジュアルに呼び出されるのも困るんだが」


 ぐったりした様子の和也が、下駄箱にひじをついてなげやりに尋ねる。また次の夜、美貴の自宅に電話で呼び出されたのだった。今度は勤務時間外である。


「聞きたいことがあって……」


「何でも聞いてくれ。で、さっさと家に帰してくれよ。……朝から働きづめで疲れてんだ。眠い」

 かなりのハードワークだったようで、彼の疲労感が空気感染しそうだった。


「手短に言うと……。別れた理由ってナニ?」


 急に和也の顔が険しくなった。

「ごめん……。それだけはかんべんしてくれ」


「何でもって言ったじゃん!」

「少なくとも、お前が原因じゃない。だから、心置きなく男を作れ」


「はぁああ?」

 予想外の回答に、美貴は頭のどこかでブチっと何かが切れる音がして、気付いたら和也の胸ぐらを掴み、襟首を締め上げていた。


「何か隠してるでしょ! 正直に言いなさい」

「ぐ……、い、いや……だ」

「もっと絞める?」

「殺されても……言わねぇよ」


 仕方なく手を放すと和也はその場に崩れるようにへたりこんだ。昔から内に溜め込む質だったけど、こうなると絶対に口を割らない。


「あんたさ……。私とヨリ、戻したいんじゃないの……?」


「あ……? そうだったのか……」

 彼はよろよろと立ち上がると、

「勘違いさせちまって悪かったな……すまん」と力なく言いながら、後ろ手にドアノブに手をかけた。


「ちょっと、待ちなさいよ!」


「もう呼び出すな。早く男作れよ……」

 捨て台詞を残し、和也は出て行った。足早に立ち去る彼の靴音が夜中の廊下に響く。


 ……ホントに帰っちゃった。どうやら私の見当違いだったみたい。なら、なんであんな思わせぶりなことするんだろう……。


「ん? なんだろ」


 玄関のタタキに、見慣れないウサギのマスコットが落ちていた。どうやらさっき和也が落としていったらしい。


(似合わないなぁ)


「ちょっっっっ! こ、これはっっ!」

 ……な、なんてお宝を持ってたのよ!


 ――地元茅ヶ崎で都市伝説的に語られる幻の逸品、『兎の護符ごふ』。とある神社で売られているが、滅多に社務所に人がおらず購入自体が不可能に近い。その入手難易度の高さから御利益も伝説級で、ひとたびオークションに出回れば、数十万で取引されるという。


「あっ……」

(恋愛成就祈願……?)


 どうしてアイツが? もしかして、自分とヨリを戻したいから? それとも、誰か好きな人が出来たから?


(誰か………………?)


 美貴がそう思ったとき、寒気と怖気の混ざったような、ひどい嫌悪感が彼女の体を駆け回った。


 ……どうして? もう終わったハズでしょ? あいつは私を裏切ったんだ。裏切って、さんざん傷付けたはずなのに……。憎いはずなのに、誰かに取られるのはイヤなの? わからない、わからない、わからない……。


 よくよくウサギを見てみると、以前住んでいた家の近所にある神社で売っているものだった。たぶん、あの夢の場所だ。


――そうか、縁結びの神社だったんだ。だから和也は、あそこで……。

 そうだ、明日あの神社に行ってみよう。


                  ☆


「あ……、やべ。落としたか?」


 和也はポケットにマスコットの感触がない事に気付いた。恐らく美貴に締め上げられた時にでも落としたのだろう。


 確かに目的の相手には届きはしたが、いかんせん己の気持ちは準備中のままだ。

 さて、どうしたものか……。


 気付いたら、和也は例の神社の前に来ていた。

 疲れた体にはクソ長い階段を上がる気力は既に無く、彼は最下段に座り込み煙草に火を付けた。

ふー、と疲れと共に煙を吐き出す。


「ねーねー、美貴ちゃんとヨリ戻ったぁ?」

 目の前にあの和服の怪しいガキがいきなり立っていた。コンビニ袋をぶら下げてアイスをかじっている。


 ……呑気な奴だ。


「昨日の今日で戻るかボケ! つーか、戻すつもりもねぇよ」

「それじゃぁ困るんだってばぁ。僕にも立場ってもんがあ」


 ただでさえ、美貴に八つ当たりしたばかりで気が立っているってのに、このガキは神経をガリガリと逆なでしやがる。

 確かに八つ当たりだった。……貧乏人の。


「そんなに言うなら、俺の収入でも増やしてみせろよ!」

「それ、専門外だもん」

「たく、さっさとどけ。休憩の邪魔すんな」


 和也は鬱陶しそうに怪しいガキを追い散らした。


「たのむから、美貴ちゃんと復縁してよぉ~」

「出来るか、ボケ!」

「そうそう、アレ渡した?」


 もう一度ふーっと煙を吐き出すと、和也は、

「踏ん切りつかねぇうちに、向こうの手に渡っちまったよ……」と半ば独り言のように言った。


「じゃ、今から素直になればいいじゃん。ホラ、これ食えよ、和也」


 奴は袋の中からアイスを取り出した。いらねぇよと手を上げたが、奴がアイスを「んっ」と押しつけてくる。どうやら拒否権はないらしい。

 奴が何者かなんて疲れた頭で考えるだけでもうっとおしい。妖怪なのか幽霊なのか神なのか……。


「んなこと言ったってよ……」

 ……物理的にムリなんだよ……、俺の願いは。


 和也は仕方無く煙草を御影石の階段で消すと、ラムネ味のアイスを受け取って、渋々食べ始めた。


「当たり棒だったら、賽銭箱に入れといてよ」

「ん。当たったらな」


 ふと顔を上げるともう奴はおらず、いつのまにか階段のかなり上の方を猫と一緒に歩いていた。

 半ばかじられたアイスの中から『当たり』の文字が覗く。


「ち、めんどくせぇな……」

 和也はよっこらしょ、と年寄りみたいに腰を上げた。

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