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第1-1話 再会の茅ヶ崎

 美貴の家のインターホンが鳴った。


「ちょっとあんた出てよ」と母。

「はいはい、今開けますよ……と」


 美貴がドアを開けると、信じられない人物た目の前に立っていた。


「……は?」

「え?」


 美貴と配達員、二人同時に目が点になった。


「な……なんで、お前ここにいるんだ?」と配達員の男が言う。

「そんなのこっちが聞きたいわよっ!」


 美貴は引っ越し早々、遭遇してしまった。

 よりにもよって最悪な奴。

 この世で美貴が一番会いたくない男――、

 杉本和也すぎもとかずや、二十才。

 同い年の、かつての恋人だ。


「お、俺は配達に来ただけだよ。ほら」


 そう言って、ピザ屋の制服に身を包んだ和也は、手にした保温バッグを美貴に突き出した。保温性の高そうな銀色の生地で作られたバッグには、店名の入ったワッペンが縫い付けられている。


「あ……ピザ、か」

「そう、ピザだよ」


 確かに、さっき母親がピザを注文したと言っていた。


 ただでさえ狭いマンションの玄関先は、散乱した梱包資材で足の踏み場もない。

 七月半ばの蒸し暑いその場所には、梱包資材のケミカル臭とピザの香りと、和也の汗の匂いが立ちこめていた。

 和也はその僅かな隙間に突っ立って、三年前に一方的に捨てた『元カノ兼幼馴染み』をひどく切なげな顔で、伺うように見ている。


「あ、あんたがその店にいるって知ってたら、注文なんかしなかったわよ!」

「俺がいて悪かったな。……で美貴、何でお前、茅ヶ崎にいるんだ?」

「あんたバカ? 見りゃ分かるでしょ!」

「段ボール……、そっか。引越か」

「今朝方、浜松から戻って来たのよ」


 四年前、美貴は親の都合で一家揃って浜松に引っ越した。

 その後一年足らずで、五年も付き合ってた和也と別れる羽目になったのだが……。


「……って、またおじさんの仕事の都合か?」


 美貴はフン、と鼻を鳴らし、

「先月別れたのよ、うちの親。だから戻って来たんじゃない」


 この茅ヶ崎は美貴の母親の地元だ。戻る、と言っても差支えはなかった。


「そうか……」

 残念そうな顔で和也が言った。


「じゃ、さっさとソレ置いて帰って」

 美貴は和也の持っている保温バッグを指差して、吐き捨てるように言った。


「あ、ああ、悪い。えっと、こっちが爆盛りチーズピザLサイズで――」

 和也は銀色のバッグから、おもむろに平たい箱を取り出した。


「で、この豪快ハバネロくんピザMサイズについてるソースな、お前、絶対にかけるなよ」


「……なんで?」

 美貴はピザの箱を受け取りながら、冷たく言う。


「美貴は辛いの、超苦手だろ? こんなんかけたら、床のたうち回って悶死もんしだぞ」


「ふーん、……覚えてたんだ」


 彼は少し照れながら、

「ん? そりゃ長い付き合いだったからな。これでも結構気遣ってたんだぜ?」と少し嬉しそうに言った。


 ――なに? 昔の女との再会を素直に喜んじゃってるってワケ? 冗談じゃない。


「あんたにはもう意味のないことでしょ? そんな下らない事、さっさと忘れたら?」


「そ、そんな言いぐさないだろ? お前のことを思って俺は――」


 『パンッ!』


 美貴はピザの箱を床に投げ出し、和也の顔を力いっぱい平手打ちした。


「…………ッ」


 自分を振ったクズ野郎は、叩かれた頬を手で押さえている。

 被害者面したさまが、なんとも腹立たしい。

 美貴は怒りに震えていた。


「いいかげんにしてよ! いつまで彼氏面してるつもり? 自分のしたこと、忘れたの?」


「……ごめん。調子に乗って……」

「仕事終わったんなら、出てってよ!」

「…………あの、」

「何よ!」

「お、お代が、まだ……」


 猛烈に恥ずかしくて、美貴は耳まで赤くなりそうだった。彼女は母親の財布から一万円札を引っ張り出すと、和也の胸に押しつけた。


「お釣りはいらないから、さっさと帰って!」

「ちょ、待ってくれよ美貴、」

「出てけっ!」


 玄関先で崩れる梱包資材を蹴散らしながら、美貴は無理矢理和也をドアの外に追い立てた。


 彼は微妙に抵抗しつつ、

「男手がいるときは声かけろよ、今も同じ所に住んでるから」

 と未練がましい事を言いながら、廊下にぐいぐいと押し出されていった。


(コイツに心配されるなんて……)


 ムカついたので、美貴はドアを思いっきり蹴り飛ばした。

 案の定、ひっ、と向こう側で和也の小さい悲鳴がして、廊下を走り去る足音が聞こえた。


 ――この男は昔から、帰りたくないときドアに寄りかかるクセがある。

   私だって覚えてるじゃん……。


 ひどく苦々しい気持ちになって、美貴は財布を床の上に叩きつけた。

 そして――


「やっちゃった……」

 数瞬後、美貴は我に返って、足元に散乱したピザの箱を拾い上げた。


 いくらなんでもやり過ぎだった。

 予想外の出現で、美貴はつい頭に血が上ってしまったのだ。


「大人っぽくなってたな……あいつ」


 久しぶりに見た和也は、背は少し伸び、体つきはたくましくなっていた。


 ――顔は……あの凛々しい顔は少し大人びていたけれど……。でも。


 前は生真面目な好青年といった雰囲気だったのに、今では随分とくたびれた男になってしまっていた。

 それが、美貴はとても残念だった。和也のことが嫌いなはずなのに。


 ――それにしてもあの態度、一体何なんだろ。ムカつくけど、いや、今でも好きだからこそ、まだ超ムカついてるんだけど。

 でも、あんな切ない顔見せられたら、むちゃくちゃ気になるじゃん……。


「わかんないよ……」

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