美貴の家のインターホンが鳴った。
「ちょっとあんた出てよ」と母。
「はいはい、今開けますよ……と」
美貴がドアを開けると、信じられない人物た目の前に立っていた。
「……は?」
「え?」
美貴と配達員、二人同時に目が点になった。
「な……なんで、お前ここにいるんだ?」と配達員の男が言う。
「そんなのこっちが聞きたいわよっ!」
美貴は引っ越し早々、遭遇してしまった。
よりにもよって最悪な奴。
この世で美貴が一番会いたくない男――、
同い年の、かつての恋人だ。
「お、俺は配達に来ただけだよ。ほら」
そう言って、ピザ屋の制服に身を包んだ和也は、手にした保温バッグを美貴に突き出した。保温性の高そうな銀色の生地で作られたバッグには、店名の入ったワッペンが縫い付けられている。
「あ……ピザ、か」
「そう、ピザだよ」
確かに、さっき母親がピザを注文したと言っていた。
ただでさえ狭いマンションの玄関先は、散乱した梱包資材で足の踏み場もない。
七月半ばの蒸し暑いその場所には、梱包資材のケミカル臭とピザの香りと、和也の汗の匂いが立ちこめていた。
和也はその僅かな隙間に突っ立って、三年前に一方的に捨てた『元カノ兼幼馴染み』をひどく切なげな顔で、伺うように見ている。
「あ、あんたがその店にいるって知ってたら、注文なんかしなかったわよ!」
「俺がいて悪かったな。……で美貴、何でお前、茅ヶ崎にいるんだ?」
「あんたバカ? 見りゃ分かるでしょ!」
「段ボール……、そっか。引越か」
「今朝方、浜松から戻って来たのよ」
四年前、美貴は親の都合で一家揃って浜松に引っ越した。
その後一年足らずで、五年も付き合ってた和也と別れる羽目になったのだが……。
「……って、またおじさんの仕事の都合か?」
美貴はフン、と鼻を鳴らし、
「先月別れたのよ、うちの親。だから戻って来たんじゃない」
この茅ヶ崎は美貴の母親の地元だ。戻る、と言っても差支えはなかった。
「そうか……」
残念そうな顔で和也が言った。
「じゃ、さっさとソレ置いて帰って」
美貴は和也の持っている保温バッグを指差して、吐き捨てるように言った。
「あ、ああ、悪い。えっと、こっちが爆盛りチーズピザLサイズで――」
和也は銀色のバッグから、おもむろに平たい箱を取り出した。
「で、この豪快ハバネロくんピザMサイズについてるソースな、お前、絶対にかけるなよ」
「……なんで?」
美貴はピザの箱を受け取りながら、冷たく言う。
「美貴は辛いの、超苦手だろ? こんなんかけたら、床のたうち回って
「ふーん、……覚えてたんだ」
彼は少し照れながら、
「ん? そりゃ長い付き合いだったからな。これでも結構気遣ってたんだぜ?」と少し嬉しそうに言った。
――なに? 昔の女との再会を素直に喜んじゃってるってワケ? 冗談じゃない。
「あんたにはもう意味のないことでしょ? そんな下らない事、さっさと忘れたら?」
「そ、そんな言いぐさないだろ? お前のことを思って俺は――」
『パンッ!』
美貴はピザの箱を床に投げ出し、和也の顔を力いっぱい平手打ちした。
「…………ッ」
自分を振ったクズ野郎は、叩かれた頬を手で押さえている。
被害者面した
美貴は怒りに震えていた。
「いいかげんにしてよ! いつまで彼氏面してるつもり? 自分のしたこと、忘れたの?」
「……ごめん。調子に乗って……」
「仕事終わったんなら、出てってよ!」
「…………あの、」
「何よ!」
「お、お代が、まだ……」
猛烈に恥ずかしくて、美貴は耳まで赤くなりそうだった。彼女は母親の財布から一万円札を引っ張り出すと、和也の胸に押しつけた。
「お釣りはいらないから、さっさと帰って!」
「ちょ、待ってくれよ美貴、」
「出てけっ!」
玄関先で崩れる梱包資材を蹴散らしながら、美貴は無理矢理和也をドアの外に追い立てた。
彼は微妙に抵抗しつつ、
「男手がいるときは声かけろよ、今も同じ所に住んでるから」
と未練がましい事を言いながら、廊下にぐいぐいと押し出されていった。
(コイツに心配されるなんて……)
ムカついたので、美貴はドアを思いっきり蹴り飛ばした。
案の定、ひっ、と向こう側で和也の小さい悲鳴がして、廊下を走り去る足音が聞こえた。
――この男は昔から、帰りたくないときドアに寄りかかるクセがある。
私だって覚えてるじゃん……。
ひどく苦々しい気持ちになって、美貴は財布を床の上に叩きつけた。
そして――
「やっちゃった……」
数瞬後、美貴は我に返って、足元に散乱したピザの箱を拾い上げた。
いくらなんでもやり過ぎだった。
予想外の出現で、美貴はつい頭に血が上ってしまったのだ。
「大人っぽくなってたな……あいつ」
久しぶりに見た和也は、背は少し伸び、体つきはたくましくなっていた。
――顔は……あの凛々しい顔は少し大人びていたけれど……。でも。
前は生真面目な好青年といった雰囲気だったのに、今では随分とくたびれた男になってしまっていた。
それが、美貴はとても残念だった。和也のことが嫌いなはずなのに。
――それにしてもあの態度、一体何なんだろ。ムカつくけど、いや、今でも好きだからこそ、まだ超ムカついてるんだけど。
でも、あんな切ない顔見せられたら、むちゃくちゃ気になるじゃん……。
「わかんないよ……」