薫は、気が付くと病院のベッドの上にいた。
母親が李斗をメッタ刺しにしてから、数日が経っている。
李斗の大量の血がリビングを真っ赤に染めていたものの、肝心のけが人はどこにもおらず、母親が救急隊員への説明に苦慮していたという。
李斗の血を見た薫は、フラッシュバックというものを起こしたのだと、医師から説明されて、自分の状況が理解出来た。それと同時に、自分の父の死と、李斗との記憶の一切を思い出した。
――私はなんてことを。パパを殺したのは私だったなんて。
李斗に逆恨みしていたなんて。
なのに、彼のこともパパのことも、綺麗さっぱり忘れていたなんて。
それなのに、彼は私のことを、何年も待っていたなんて――
母はなぜ李斗を包丁で刺したのか。薫は一部始終を吐かせた。
……なんと、母も逆恨みだった。
なんだ、私と同じじゃないの。親子だな、と思った。
最悪だ……。
もう李斗に会わせる顔がない……。
きっと李斗は知っていたのだ。父親がとうに死亡していたことを。それなのに、悟らせまいとあんな嘘をついて。
私は李斗を苦しめ、たくさん傷つけてしまった。
私なんか、鏡華に殺されてしまえばよかったんだ。
パパと一緒に、死んでいればよかったんだ。
パパと。
薫は、病室の窓から飛び降りた。
☆
発作的に飛び降りたものの、薫は死ねなかった。
元々病室の階層は低く、窓の下には大きな木、そして地上には低木の植え込みがあり、死ぬにはアクロバティックな落ち方をしなければならなかった。
これも李斗の加護なのか――と、薫は思った。
さすがに今度は母親も逆恨みすることはなかった。
『そんなの、私が許さない。誰にも李斗を恨んだりさせない――』
その晩、夢を見た。そこには、子供の頃の自分がいた。
『どうして李斗に会いに行かないの?
会いに行けるのに何故?』
少女は、そう自分に言う。
『会えるのに会わないなんて、許せない。
私のくせに、許せない』
少女は、そう自分に言う。
『あんたが忘れちゃったから私は李斗に会えなくなった。
だから責任取ってよ』
少女は、そう自分に言った。
☆
「……夢、か」
薫はうなされて、夜中の病室で目を覚ました。
不思議と夢の内容をひどくはっきり覚えている。
ショックで過去の記憶は戻っても、やっぱりあの頃の気持ちまでは戻らなかった。
だから、夢の中の自分の気持ちを分かってあげることは出来なかった。
「だけど……やっぱり、会いに行かなくちゃ」
――そういえば、あの幽霊、出て来ないな。
会いに行ったら出てくるのかな。幽霊上等。出たら出たときよ。
ジャマはさせない。塩でも撒いてやる。
五百年も放置してたくせに、私の男に今さらなによ。
取られたくないなら、さっさと主張すればよかっただけじゃない。
ホント、バカみたい。
結局、そのまま眠れずに薫は朝を迎えた。
今朝も李斗が電話に出ない。どうしても、自分に会いたくないのだろうか。
ケガのことも気になる。いくら神サマだからといっても、あんなに出血していたのだから、無事で済むはずないのに。
自分もまだ入院してるから、彼の様子を見に行くことも出来ない。
夕方、美季が見舞いにやってきた。
二人揃って学校に出て来なくなったから、心中でもしたのかと話題になっているという。全く失礼な連中め。
「雪宮君、あれからずっと学校来てないのよね。……というか、退学したって」
美季が言った。
「たい……がく? なんで」
「私が薫に聞きたいぐらいなんだけど」
「あれから李斗と連絡が取れないの。私も居場所が分からない……」
「そっか……何かあったの?」
「私もよくわかんないんだ。急にこんなことになったから」
美季や学校には、マンションでガス漏れがあってしばらく入院している、ということになっている。
「だいたい薫が入院してるのに、見舞いに来ない、雲隠れしてるってどういう」
「きっと何か事情があるんだよ、きっと」
……そうとしか言えないじゃない。こんなこと。
美季を見送って、また李斗に連絡する。
今夜も李斗は電話にも出ないし、メッセージの返事も寄越さない。
着信拒否をされてるわけじゃないし、アドレスも変えた形跡はない。本格的に自分を拒絶してるわけでもないのにどうして。
――どうして、私を捨てるの?
翌日、母が、隠していたアルバムを持ってきた。
薫と父と、李斗が一緒に写っている写真がいくつも貼ってあった。
八年ぶりに再会した李斗が、自分に見せた写真も。
母のしたことが、父の死を自分に隠したことが、間違いだったとは思わない。
だけど、李斗への仕打ちはやはり許せない。
でも、おかげで全てを思い出すことが出来た。
明日は退院出来ると先生に言われた。
行こう。あの場所へ。
李斗と出会った、氷ノ山神社へ。
☆
結論から言えば、ダメだった。
薫は、神社に近づいただけで、足がすくんでしまった。
あそこでお父さんは……、と父親が亡くなった事故現場から先に進めなくなってしまったのだ。その場所を通り抜けないと神社へは、とても遠回りになってしまう。
……あの場所を越えることが、今は出来そうにない。
今日は……帰ろう。
言いようのない敗北感に叩きのめされながら、薫は自宅に戻った。
薫は自室のベッドに体を投げ出したまま、ずっと自分を責めていた。
――どうして行かなかったんだろう。
私の意気地無し。
こんなんじゃ……鏡華に勝てない。
負けっぱなしじゃない。こんなの、いやだ。
夕食後、いつものように李斗に連絡してみた。
やっぱり電話にも出ないし、メールの返事もない。
きっと李斗は、責任を感じて姿を隠しているのかもしれない。もしかして、自分と会えば、子供の頃みたいに壊れてしまうとでも思ってるのだろうか。
――そんなの、責任の取り方が間違ってる。おにいちゃんのバカ。
明日こそ、がんばる。