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【19】兎神の絶望

 薫を保健室に預けた李斗は、廊下に出るとすぐ、昼休み中に届いていたメールを確認した。差出人は件の探偵、内容は追加の調査情報だった。


「そんな……あんまりじゃないか……」

 李斗は絶句した。

 調査内容は、彼を十回絶望させるに足るものだ。


 前回の調査で判明した事実。薫の両親は離婚などしていない。死別だった。

 そして追加の情報で判明した、父親の死因は、事故死。

 それも、氷ノ山神社のすぐそばで。


 だから薫は記憶を――。


 ――そんな事実があっていいものか。

 あれを、事故の一語で言い訳出来るのは、人間だけだ。

 人ならぬ身であるこの僕に、それは許されない。

 たとえ、人の命運を動かす力が最早尽きていたとしても。

 この調査結果が全て事実なら、僕は僕が許せない。

 あの時、僕が近くにいさえすれば、薫の父を救うことが出来たのに――。

 薫の側にいる資格は、最初からなかったのだ。

 なぜなら、僕が、薫の家庭を壊し、薫の記憶も幸せも奪ったのだから。


 ああ……。どう償えばいいのか、分からない。

 許してもらおうなど、毛程も思ってはいない。

 しかし、この命を賭したとしても、失ったものを取り戻すことは叶わないだろう。

 ならば、僕に出来ることは一体何なのだろうか?


 薫の何もかもが、今はとても遠くに感じる。

 ついさっきまで、手の届く場所に、焦がれ死んでしまう程欲しくてたまらなかった君がいたのに……。

 薫を自ら手放すことの苦しみは、待ち焦がれていた今までとは、比ぶべくも無いほどの痛みと絶望に満ちている。

 今の僕に、それを選ぶことなど出来るのだろうか。

 こんなにも心の弱い僕に。


『薫を不幸にしてでも、自分だけのものにしたい――』

 そう願わずにはいられなかった。


 彼女への長年の渇望が、彼女を失うことへの激しい恐怖が、彼女を独占したいというどす黒い欲望が、僕の理性を粉砕せんと牙を剥いて襲いかかってくる。

 いっそこいつらに飲まれてしまえば、どんなに楽になれるだろう、と思わずにいられない。


 ――薫を殺して、自分も……?

 そんな絶望的な妄想が脳をよぎった時、僕は気付いた。

 神はそう簡単には死ぬことが出来ない。

 だからこそ、人は神を弱らせて封じるのだから。


 ……これだったのか?

 共に死んでやれば、お前は満足だったのか? 鏡華よ。

 では、誰がお前を弔うことが出来たというのだ。

 許嫁ではなく僕の子を宿したために、一族になぶり殺しにされたお前を。

 それとも、僕があの一族を村ごと血祭りに上げただけでは、満足出来なかったというのか。先方の村も焼き払えばよかったのか?


 氏子の一切を失った僕を、未だに呪うのか。

 僕を苦しめてそんなに楽しいか? 鏡華よ。

 僕だけ幸せになることは許さない、と。


 ……済まない、薫。

 僕はこのまま、嘘に嘘を塗り重ねてまで側にいる資格はない。

 君の父は死んでいる、彼を救えなかったのは僕のせい、この二つの事実を隠して共に生きるなんて――。


 やはり僕は、君とお別れするよ。


 薫が記憶を取り戻したら、きっと全てが壊れてしまう。記憶を失ったのは、彼女自身を守るためだから。しかし、僕が近くにいれば、いずれ全てを思い出すだろう。

 その前に、彼女の前から消えてしまおう。


 でも……、せめてもう少しだけ。

 あと少しだけ。

 どうか、今日だけ、待ってくれないか。

 彼女の顔をこの目に焼き付けるから。


 僕が神頼みなんて、きっと笑われるだろう。

 でも、もしも誰か聞いてくれるのなら、お願いだ。

 どうか、薫の記憶が戻りませんように……。

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