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【17】李斗の原罪

「いってきまーす」

 いつもの朝。

 薫は自宅マンションの部屋を出て、いつものようにエレベーターホールに行く。

 通勤通学時間帯のわりに、あまり他の住人と顔を合わせることがないのは、空き部屋が多いせいだろう。都会でもないのだから、いまどき分譲マンションなんて、なかなか売れるものではないのかもしれない。

 殺風景なホールに掲示板。

 なんとなく待ち時間に見てしまう。

 大したことが書いてあるわけでも、面白いことが書いてあるわけでもない。

 だけど、待っている時間がもったいない気がして、つい見てしまう。


『ピンポーン……』


 エレベーターが到着し、ドアが開く。

 上の階から来たのに、中は空っぽだった。

 あと数階層しかないとはいえ、相変わらず閑散としている。でも、もしかしたら、他の住人は遠く都心まで通っているから、自分よりもずっと早く家を出ているのかもしれない、と薫はいまさらになって気付いた。

 ゴンドラに乗り込み、一階のボタンを押す。

(今日のお弁当はなんだろう?) 

 李斗の愛妻弁当の中身を想像していたとき、薫は背後に気配を感じた。


 ……誰もいないはず、なのに。


 こわごわ振り返ると、そこには――


「ぎゃああッ!」

 薫は絶叫して、ドアに背中から張り付いた。

「ぎゃあ、とは失礼ね。迎えに来てあげたのに」

 見覚えのある、長い黒髪の女子学生が自分に声をかけてきた。

「あ、あんたは」

 どうして! 李斗はもう出ないって言ってたのに!


『ピンポーン』


 エレベーターが一階に到着した。

 ドアが開いた瞬間、薫は背中から倒れそうになりながらも、必死に体勢を立て直してエントランスホールを一目散に駆け抜けた。

 正面玄関の自動ドアに体当たりしつつ、開くまでの数瞬、すぐ外にいるはずの李斗を探す。

「李斗ぉ! え……?」

 転がるように外に出た薫は、いるべき者の姿を見つけることが出来なかった。

 はっ、と振り返ると、黒髪の少女がすぐ後ろに立っていた。

「こ、来ないでよ」

 以前街中で彼女と遭遇したときの威勢はなく、薫の声は震えていた。

 今朝は、不意打ちを食らった格好のせいなのか。

「来ないわよ、彼」

「な、なんであんたが知ってるのよ!」

 じりり、と後ずさる薫。

「いいじゃない。私と一緒に学校に行きましょうよ。私、誰かと登校ってやってみたかったのよ。李斗も楽しそうだったし」 

 幽霊は髪をさらりと掻き上げながら、ふふふ、と笑う。

「李斗、李斗……」

 薫が慌ててスマホを見ると、彼からメッセージが来ている。

「うそでしょ……休むなんて……」

 一気に薫の血の気が引いていく。

 SOSを……と思っていると、

「何をしているの?」

 幽霊の険のある声が背中に刺さる。

 うかつなことをして何をされるか分からないし、相手は幽霊だから逃げ切れる自信もない。神サマのいない今、自分はあまりにも無防備だった。

「遅刻するわよ。行きましょ」

「い、言われなくたって行くわよ……」

 気丈に振る舞っていても、腰が引けるのはしょうがない。

 だって相手は幽霊なんだから。

 仕方なく、幽霊こと李斗の元カノと一緒に、登校するハメになってしまった。

 嫌がらせなのは間違いないのだけど、これって一体どういう……。



                  ☆



 薫と幽霊は連れだって、いつもの電車に乗り込んだ。車両のあちこちに、同じ学校の生徒が乗っているけれど、クラスメートの姿は見えなかった。もしいたら、李斗が一緒にいないことを問い正されていたところだった。


「今はこんな風になってるのね。昔は何もなかったのに……」

 つり革に掴まり、規則的に揺られながら車窓の外を眺め幽霊は感慨深げに言った。

 幽霊は実体がないはずなのに、物に掴まったり、電車の振動で揺れたりしてるのが、薫にはとても不思議に思えた。

「私もこの時代に生まれたかった」

 ひとりごちる幽霊少女。だけど、薫は言葉を返すことはなかった。

 そんなこと、李斗にでも言えばいいのに。

 無視する薫を気にせず、黒髪の少女は語りかける。

「知ってるのよ、あたし。あなたが子供の頃のこと」

「え?」


 ……あ、そうか。

 この人は神社にいたんだから、おかしくないのか。


「目障りだったわ。李斗に色目使ってて。

 気持ち悪いったらなかった。

 だけど、あなたが来なくなって清々したわ」

「……おぼえて、ない」

「だったら、そのまま何もかも忘れていればよかったのに。

 ――どうして、戻ってきたの? 私と李斗の庭に。

 去りなさい。

 李斗の前から去りなさい」


 射貫くような目。

 心臓が凍り付きそう……。

 幽霊に睨まれているだけでも怖いのに、今にも祟りそうな目で自分を見ている。

 どうしてこんな時に限ってあいつはいないの?

 なにか、なにか言わないと。

 でも、呼吸が苦しくて声が出ない。

 お前なんかに、五百年もほったらかしていたお前なんかに、李斗は渡さない。

 そう言いたかった。

 でも――


「お、お……」

 やっとの思いで声を絞り出したのに、言葉にならなかった。

 彼女はまだ、自分を睨み付けている。

 電車が駅に停車した。

 ブレーキで体が大きく揺れたその瞬間、呪縛から解き放たれた薫は、

「お、おまえなんかに!」

 そう、叫んだ時には、もう彼女は電車を降りていった。

 追いかけようとしたが、ホームを歩く彼女の体はすう、と消えてしまった。


 幽霊の降りた駅。

 そこは、李斗の神社の最寄り駅だった。



                  ☆



「なーんだ、電灯の工事に立ち会ってただけえ? 心配して損しちゃったあ」


 学校を休んだ李斗を心配して、放課後氷ノ山神社を訪れた薫は、欠席した理由を聞いて肩すかしを食らっていた。

 境内では、電灯の施工を終えた電気工事の業者が帰り支度をしているところだった。そのそばで李斗が責任者と話をしていた最中に、薫がやってきた。


「ごめん、業者さんの都合で急に決まっちゃって……。ほら、ここ僕しかいないでしょ。立ち会わないと……」

「しってるけど……。メッセージに工事のこと書いてないのがいけないんだぞ」

「ごめんってばあ。だってメッセージ打ってたら、予定より早く工事の人来ちゃったんだもん……」

「なんでよりによって今日なのよ。今朝、あの幽霊が出たんだよ?」

「え! だ、だだだ、大丈夫だったの!?」

「一応、ね……。すぐ消えたし」


 李斗は業者を見送って、薫を家に招き入れた。

 あの桜の見える場所で話すのが憚られたからだという。

 薫をリビングに通すと、李斗はキッチンからジュースとお茶菓子を持ってきた。


「それで……薫ちゃんは怖くなかったの?」

「さすがに怖かったわよ。でも、はっきり分かったことがある」

「なに?」

「あいつは、李斗とあたしの、敵だって」

「てき……」


 李斗は腕組みをすると、うーんと天井を仰いだ。

 薫が不安そうに李斗をうかがう。


「最寄り駅で彼女、降りたんだよね。でも、ここには来ていない」

「わかるの?」

「ああ……」

「り、李斗?」

 彼の様子がおかしい。

 拳を握りしめ、肩をふるわせている。

「んああああぁッ――! なんでだようッ!」

 急に大きくうめき声を上げながら、髪をかきむしる李斗。その顔はひどい苦悩にゆがんでいる。

 大声に驚き、薫の体がびくっ、とはねた。

「李斗、しっかりしてよ!」

 薫は李斗の両肩をつかんで、二三度ゆすった。

「ご、ごめん……取り乱して……。彼女こないだ自分で地面を掘り返して、ここから出てっちゃったんだ。だから、近所に出たって聞いてすごい驚いたんだ……」

 真っ青な顔をしながら、李斗が声を震わせて言った。

「ほ、掘り返してって……」

「うん……。おもての桜の木の下からさ。こないだ骨壺が土の中から掘り出されててさ、でも中身からっぽで。多分僕のこと怒って出てったんだとばっかり。まさか薫ちゃんにインネンつけに行ったなんて思わなかったよ……」

「なにそれ……」


 薫は、しばらくの間、李斗が落ち着くまで彼の背中をさすってやった。

 神サマのくせに、こんなにショックだったり怯えたりするんだ、と意外に思いつつ、彼女はどこかへ行った、という李斗の言葉の意味をぼんやり考えていた。


 しばらくして落ち着くと、李斗は、すぅっと息を吸い込んで、ゆっくりと話しはじめた。

「氏子だったんだ。地元の村の女の子で、キミのように物怖じしない子だった。当時の僕は身分を隠して、ただの神職としてこの神社に住んでいた。不安定な時代だったし、身バレしてたらすごく面倒なことになってたから。

 僕らは皆には黙ってこっそり付き合っていた。まあ、当時はいろいろあって、ちょっと言えるような雰囲気でもなかったから。……で、そのうち僕らは子を設けた。いいかげん隠せそうになくなったんで、カミングアウトしようと思った。でも……」

 李斗は口ごもった。

「でも、結局僕は、彼女を不幸にした。僕らの知らない所で、彼女は別の村との縁談をまとめられてしまっていたんだ。

 ただの普通の縁談なら、破談になるだけで済んだ。でも彼女はなかば貢ぎ物として差し出されたんだ。――貧しい村のために」

「で、でも子供が……」

「そう。よほど見かえりの大きい縁談だったのだろう。

 数日姿が見えないので、不安になって家に行ったら……」

「い、いったら?」

 薫は息をのんだ。

 李斗の前身からどす黒い気が湧き出し、彼の全身を包んでいった。

「――変わり果てた彼女の亡骸があった。彼女は広場で村人たちに惨殺され、腹の子も引きずり出されていた……」

「ッ……」

 薫は心臓が止まりそうになった。


 まさか、身近な人の口から、そんな残酷な話が出てくるなんて夢にも思わなかった。戦国時代の話だから、今の感覚で考えてはいけないのだろうけども……。


「そして僕は、村人を皆殺しにした。バラバラにして、広場にうずたかく積み上げ、鴉と野犬の餌にしてやった」

「みな……ごろし」

「そうだ。村は周辺地域と比較して、貧しくても飢え死にする程ひどくはなかったんだ。だって僕がいたのだから。なのに、奴らは彼女を人身御供にしようとした。

 ――僕の妻子をあんな惨たらしく殺したんだ。報いは受けて当然でしょう?」


 薫はもう何も言えなかった。

 愛する妻子を殺された男のことも、報復のためにジェノサイドを行ったことも、最早、現代の高校生である薫の理解を超えることだった。

 ただ、神の怒りに触れた村人が全滅したことは、しょうがないな、と思っただけで、李斗への嫌悪感には繋がらなかった。だって神サマなんだから。


 そこまで語ると、急に李斗の黒いオーラは消えた。


「でね……。氏子さん、いなくなっちゃった。あは。

 そのあと、僕は彼女と子供を境内にある桜の木の根元に埋めたの。

 そして、ずっとそばで彼女と子供を弔ってきた。……でも」


 李斗は薫の方を向くと、涙をいっぱいに溜めた瞳で彼女を見た。


「五百年も経つとさ、さみしくて、僕死にそうになっちゃった。

 もう、いいかなって思い始めた。ここ畳んで鳥取の実家帰ろうかなとか。

 そこに、キミが来た。

 いつもお父さんと一緒で、境内で遊ぶキミは、いっぱい写真を撮ってもらってた。

 僕に懐いてじゃれつくキミを見て、愛しく思うようになった。

 そしてある日、キミは僕のさみしさを見透かしたように、こう言った。

『お兄ちゃんぼっちで寂しそうだから、私がお嫁さんになって一緒にいてあげるよ』ってね。死ぬほど嬉しかった。

 だから、僕は五百年の喪をおしまいにして、キミと生きるって決めたの」


 ――自分はなんてことしたんだろう。

 こんな大事なこと、忘れたなんて。

 八年間、李斗を苦しめ続けていたなんて……。


 薫は激しい自責の念に囚われた。


「でも……鏡華は、あの子は僕を許してなんかいなかったんだ」

「それが、彼女の名前……」

 李斗は小さく頷いた。

「村人に復讐しても、五百年喪に服しても、まだ僕を許してくれないなんて……、正直怖かったんだ。まさか、悪霊になってしまうなんて……」

「悪霊……」

「うん。学校裏に出てきたとき、僕は見間違いだと自分に言い聞かせた。でも、その後に出てきたときは、やっぱり間違いなんかじゃないと、分かってしまった。

 店の中で腰を抜かしたのは、心底怖かったから……。

 でも、怖がってる場合じゃないよね。出てったと思ったら、また君の前に現れたりして。このままじゃ薫ちゃんに実害が及ぶかもしれないし。なんとかしないと……」


 李斗は思った。

 このまま薫と別れた方がいいのだろうか。

 自分が薫の前から消えれば、きっと鏡華は許してくれるかもしれない。

 だけど、そんなこと許容出来るはずもなく。

 ああ……自分は一体どうしたらいいんだ、と。


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