学校からの帰り、ホームで電車を待っているときに、薫は何気なく李斗に尋ねてみた。
「ね、独りのとき、すごく落ち込んでるよね。
原因ってやっぱ私? それとも幽霊?」
「え? ……独りのときって、僕そんな風に見えるの?」
彼は顔を上げて、意外そうに薫を見た。
「あ、あの……幽霊じゃあ……ないけど……」
「やっぱり私だ」
「……ちがうって」
「記憶なかなか戻らないのがつらいんじゃないの? それとも、つきあってみたらこんな性格だからイヤになったとか?」
「ちがうってば」
「もう誤魔化さないで、ホントのこと教えてよ」
薫は李斗の目を真っ直ぐ見て言った。
もう逃げは許さない、そう二つの瞳で訴えながら。
李斗はしばし口ごもると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……忘れたって聞いたとき、正直ショックだった。でもね、記憶があろうとなかろうと薫ちゃんを愛する気持ちは変わらない。だから、そのままでいいよ。無理に思い出さなくていいの。
……お願いだから、思い出せないことを気に病まないでよ。ね?」
「ホントに……、それでいいの?」
「僕は、今の薫と恋をしてる。それだけで、十分」
李斗の言葉は重く、やるせなかった。
過去の自分は、きっと彼のことを心底好きだったのだろう。子供とはいえ十歳にもなれば、恋心くらい抱いてもおかしくはない。
年から考えれば、きっと彼は自分にとって初恋の男性だったのだと思う。
成長した自分が、いま彼に「愛してる」と言ってやれればよかった。でも……。
「ごめん、いま僕、いろいろ余裕なくて、薫ちゃんの気持ち、考えられなくて……。心配させちゃったこと、謝るから……ごめん」
線路の上を彼の視線が右往左往している。フォローしたくて李斗の白い手に指を伸ばすと、すっと避けられてしまった。
斜めに差すチリチリとした夕日がまぶしくて、薫は足元に視線を落とした。
「あ、いや、その、べつに怒ってないし……ほら、私も心の準備とか、いろいろ、まあ……。でも、大丈夫、もうじき思い出すから。ね?」
チラと伺うと、李斗の顔が曇っていく。
「ありがとう……。同情でも……嬉しい。でもね、後から後から欲が出てきて、止められないんだ。薫ちゃんが欲しくて欲しくて、独り占めしたくてたまらないって」
李斗の声がだんだん震えてきて、彼の足元にひとつ、またひとつと、涙の滴が落ちる。
「君の心が変わるのが待ちきれなくて、手の届く場所にいるのが逆に苦しくて、こんな調子じゃ、僕はきっと……」
彼はぎゅっと拳を握りしめた。
「いつか君を壊してしまうかもしれない。壊して、失うかもしれない、そう思うと、怖いんだ。好きな人を失うのが怖い――」
「怖い……?」
「これって業、なんだろうね。……僕、五百年前、恋愛で失敗してるの」
そうか。
あの幽霊は、きっと。
そう思っていると、李斗が震える声で言った。
「僕のせいで、恋人とお腹の子供、死なせてしまった。……お察しの通りだよ、薫ちゃん。それが、彼女だ」
「やっぱり。……やっと話してくれたね。ありがと」
ううん、と頭を振る李斗。
一言では語れないほどの、深い痛みと哀しみが、李斗の全身から滲んでいる。自分には、かける言葉が見つからない。そんなことがあったなんて。
でも……昔、恋人も子供もいたんだ……。
……だよね。李斗はもう大人、だもん……。
「僕さ、ずっと彼女のこと弔ってたんだよ。いつだって忘れたことなんてなかった。でも、もうとっくに別の体に生まれ変わってると。――もう、時効だと思ってた。
なのに、今になって僕を呪うような真似を……。新しい女が出来たからって、怒ってるのかな」
薫の背中に冷たいものが流れた。
李斗はさらっと語ったけれど、実際には相当怖い話だ。現にああしてかつての恋人が化けて現れたのだから。――自分たちを呪って。
「ああ……、でももう大丈夫だと思うよ。彼女はどっか行っちゃったから。もう僕なんか嫌いになって、そばにいるのもイヤになったんだろう」
「そう、なんだ」
薫は少しほっとした。
「文句があるなら、もっと早く言ってくれればいいのに。あんな嫌みったらしい方法で化けて出てくるなんて。
――化けて出てくれるなら、僕だってそんなにさみしくなかったのに……。ひどい女だな。でも、悪いのは僕だし……」
李斗って、お化けでもいいのか。
「あの時李斗、やたら怯えてたよね。神様なのに」
「だって……まさか五百年越しに祟られるなんて思わなかったし、まだ怒ってるのかと思ったら恐くて……」
「ああ……」
「とにかく、その時は、もう恋は二度としないって決めたの。あんな可愛そうなことになるぐらいならって。……でも、ダメだった」
はは、と力なく笑う李斗の笑顔が、死ぬほど痛々しい。
「薫ちゃんが好きすぎて、止められなかった……」
……やめてよ。もう、見てられない。
結局、自分のことで李斗が苦しんでいるのは、最早疑いようがなかった。でもそれは薫が心配していたようなことではなかった。
薫がもう一度彼の手に触れると、李斗はためらいがちに彼女の手を握った。
彼女は、強く握り返した。
「ありがと。……二度も私に恋をしてくれて」
もう迷うことはなかった。ヒトだとか違うとか、覚えてるとか覚えてないとか、そんなことは最初からどうでも良かったのだ。
同情からだって構わない。李斗だって、さみしいから自分を必要としたんじゃないか。八年経っても自分を待っていたんじゃないか。
過去に誰かと付き合っていたと聞いて、嫉妬した。
これはもう、そういうことだろう。
薫は一歩、李斗へと踏み出した。
幼馴染みから、恋人未満へ。
どちらともなく抱き合うと、李斗は人目もはばからず大声で泣き出した。