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【3】君に会いたくて転校しちゃった♥

 薫は、朝からイヤな予感がしていた。

 信号は次々赤になるし、普段懐いてる近所の犬には吠えられるし、電車では思いっきり足を踏まれるし、定期は家に忘れてくるし、なぜか生徒手帳までも見つからない……。

 あ〜、マジ最悪、と思ってた。更なる災厄がやって来る、その時までは。



                  ☆



 中間試験の休み明けの今日は、とびきり気怠い気分。

 連休明けのサラリーマンってこんな気持ちなのかな? なんて思いながら、薫は自分の席で朝からぐったりと机と一体化する。

 前の席に座る親友の香坂美季こうさかみきが、薫の背中越しに小声で

「月のモノ?」

 なんて聞いてくる始末だったりするわけで。

 そうこうしているうちに朝のHRが始まった。

 いつも通り、担任の若い数学教師がHRを淡々と進める。

 今日の連絡が終わると、担任は教室のドアを開け、そのまま退室するでもなく、誰かを招き入れた。


(なんか転校生みたいだけど、こんな時期に来るなんてめずらしいわね)

 美季のヒソヒソ話に薫はうなづく。


 気弱そうな、少し背の低い華奢な男子生徒が遠慮がちに入ってくる。

 雑に後で束ねた長いぼさぼさ頭に色白の顔。三年生と言うには無理があるほど幼く、どう見ても一年生か中学生。まるで女の子のような整った顔。


 ……ん? どこかで見たような……。


 彼は黒板に名前を書き、


「は、初めまして、雪宮李斗です。……皆さんよろしくお願いします」


 と小声で挨拶すると、ペコリと頭を下げた。

 教室内がにわかにざわめく。主に女子が、口々に「かわいい」とか「色白ーい」とか、嬉々として騒いでいる。


 ――え? ええええええぇぇぇっ! な、なんで? なんで奴が?


 理由は分からないが、あの兎神が目の前にいる。

 あの自称婚約者のネギ頭が。

 ……と思ったら、髪やら目やらに若干色が入っている。

 どおりですぐに分からなかったわけだ。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。あいつがうちの学校にまで乗り込んで来たってことは、やはり無理矢理にでも自分を嫁にする気なんだろうか?


 結局、一時限目からこちら、授業は「コイツ」のおかげで全く頭に入らず。まるでお約束のように空き席だった隣席に、鎮座まします白兎の土地神様は、大福ほっぺを桃まんじゅうにして、終始もじもじ、ちらちら、薫の顔色を伺っている。


 ……もうマジかんべん。うっとおしい。

 猛烈に疲れる。

 イライラするし、ドキドキするし、モヤモヤするし。

 面と向かってあんなことを言われたせいか、イヤでもこいつを意識してしまう。

 自分にガチで気のある男子が、至近距離にいるなんて緊急事態今まで経験ないし。がさつな性格のせいで、男子が皆怖がって近づいて来なかっただけなんだけど。

 既成事実のある以上、婚約者かどうかはともかく、貴様を幼馴染み的には認めてやる。でもそれ以上は期待されても困るし。

 っていうか、ここでコイツに惚れたら、なんか負けな気がするし。


 薫の人知れない戦いを、兎神が知る由もなかった。



                  ☆



 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、薫は李斗の手首を掴んで屋上に強制連行した。

 途中李斗は、痛いだとか、どこいくのとか言ってたような気もしたけど、華麗にスルーして屋上直行。


 ――優先事項は、あくまでもヤツの尋問だ。


「で! あんたどういうつもりなのよ!」

 屋上に着くなり、薫は李斗を怒鳴りつけた。

 薫の剣幕に驚いたのか、先に屋上にいた生徒数名が、あわてて階下へと逃げ出していった。

 彼はひっ、と体を小さく縮ませながら、

「ごめん薫ちゃん……」と小声で謝った。

「何がよ?」

 腕組みをし、睨みをきかせながら訊いた。

「……こないだ僕、薫ちゃんに言い過ぎた」

「え? ……そっちの話?」

「薫ちゃんにもきっと事情があったはずなのに、感情的に責めてしまって……」

 李斗はひどく申し訳なさそうな表情で、

「きっと、いろいろ大変だったんだよね。僕のことを忘れるほど。なのに……」

 とそこまで言うと、唇を噛んでうつむいてしまった。

 本当に本気で申し訳なさそうにしているもんだから、可愛そうになってくる。

「別に気にしてないよ。……こっちにも、非がないわけじゃないし」

 その件なら、確かに薫は何とも思ってない。

 あくまでその件は。

「ありがと……許してくれて……」

 コンクリートの床にぽたぽたと涙の粒が落ちる。


 なにも泣かなくても……。

 ……おっと。


 彼に同情して、大事なことをうっかり忘れるとこだった。

「で、私に謝るためにわざわざ転校してきた、ってわけじゃないんでしょ?」

 パッと李斗の顔が明るくなった。

「まさか〜。愛しの薫ちゃんのそばにいたいから、に決まってるじゃないの」

 お許しをもらえてすっかり安心したのか、語尾に大量のハートマークを貼り付けながら兎神様はにこやかに問題発言をした。

(やっぱこいつ、全く諦めてない!)

 薫は彼の鼻先に指を突きつけて言い放った。

「つ……つきまとって油断したところを拉致って、無理矢理結婚させるつもりなんでしょ!」

「バ、バカなこと言わないでよ! いみじくも神たるこの僕が、嫌がる薫ちゃんにそんなことするわけないでしょ!」

 李斗は真っ赤な顔でマジギレした。

「……ち、違うの?」

 李斗のあまりの剣幕に、薫の怒りは急激に失速した。

「ちっがいますっ! 一日も早く一緒になりたいのはやまやまだけど、僕は薫ちゃんと愛し合って、幸せな結婚をしたいの!

 どーしたらボクがそんな極悪人に見えるわけぇ? こんなに薫ちゃんのこと愛してるのにっ! 心外だっ! マジで意味わかんないよっ」

 彼は口をとがらせ、こちらを睨んで、む〜〜〜〜、っと唸っている。

「な、なぁんだ。心配して損した」

 ホっと胸をなで下ろし、ポツリと言った。

 いやいや、そこ安心するところじゃないし。だいたいコイツは――。

 李斗は渋い顔をして

「損ってなんだよ……」

 と呟くと、大きくため息をついた。

「薫ちゃんひどいよ……。あんまりだ……」

 李斗は独り言のように、まだぶつぶつと文句を言っている。

 どうやら誘拐犯に誤解されたことが、彼のプライドを傷付けたらしい。

「で、あんたはこれからも毎日学校に来るつもり?」

 彼は、えっ、と驚くと、

「来ちゃ……ダメ?」と不安そうに尋ねた。

 子ウサギのように小首を傾げ、潤んだ瞳でじっと見つめてくる。


 ……う、ううう、うぁぁ、わ、私をそんな目で見るなっ! かわいすぎて、何でも許してしまうじゃないかぁぁっ!


 ――数瞬後、薫はあっけなく陥落した。

「ダメ、じゃないけど……」

 ぼそりと呟くと、ふわっと李斗の顔が明るくなる。

「み、みんなの前でヘンなこと言ったら、マジ殺すからね!」

「ありがとっ薫ちゃん!」

 そう言うなり、李斗が飛びついてきた。

「きゃっ」

 ぎゅっ、と李斗にきつく抱き締められ、思わず声が漏れる。


 ……完全に不意打ちだ。

 無邪気さを装ってはいるけど、やっぱこれって確信犯だよね。


「僕のこと、李斗って呼んでよぉ……」

 妙に艶のある声で囁く兎神。

(急にキャラ変わってない?)

「わ、わかったから放してよっ。苦しい……」

「ヤダ。八年も放置プレイされたんだよ、僕。このくらい、いいでしょ……」

 ぎゅーっと李斗の胸に顔を押しつけられる。

 イヤでも彼の早い鼓動が聞こえてきて、少し荒い吐息が首筋にかかる。

 自分の方までなんだか心臓がドキドキして、息が苦しくなってきた。


 ……かわいいからってつい油断してた。


 男の子に抱き締められるなんて初めてで、薫は頭の中が真っ白になってきた。


 息苦しい、けどあったかくて、何か気持ちイイ……。

 このままじゃ、李斗の思うつぼになってしまう……。

 なのにだんだん……。


「ゃぁ……っ、ちょ、っと……」

 口をきこうとすると更に強い力で頭を押しつけられる。


 ……動けない。あんな女の子みたいな可愛い顔してても、やっぱり男の子なんだ。華奢に見えて力は思いの外強い。どうしよう……。


「ね……薫ちゃん……、僕に、ぎゅっとされるの、……いや?」

 耳元で、李斗が吐息混じりの声で切れ切れに囁く。

 それがひどく切なげに聞こえた。

「や……、じゃ、ないけど……」

 彼に抱かれていると、なんとなく、不思議と懐かしい感じがする。

 きっと昔どこかで嗅いだ、このほのかな香りのせいかもしれない。

「じゃ、いい、よね……」

 一層妖艶に囁く兎神。

 薫は彼の腕の中で、こくり、と小さく頷いた。

「薫ちゃん、お帰り……」

 彼は満足そうに吐息を漏らしながら、優しく彼女の髪を撫でた。


 ……この神サマは私のこと、心底好きなんだ……。


 薫は理屈抜きに、そう思えた。

「ただ……いま……」

 髪を撫で付ける感触にうっすらとしたデジャブを覚え、さらに胸が苦しくなる。

 それがどこかで眠っていた感情なのか、それとも今生まれたものなのか、分からないまま。



                  ☆



 ひとしきりハグをして満足したのか、李斗は五分ほどして婚約者を解放した。

 さきほどの溢れるエロスはどこへやら、屋上を吹き渡る春の風にすっかり払われてしまったようだ。

「ごめんごめん、お昼の時間なくなっちゃうね〜。

 薫ちゃん、学食に連れてってよ~」

 李斗は浮ついた顔で言うと、今度は薫の手を引っ張って階下へと降りていった。


(にしても李斗のヤツ、屋上で抱き合った時、あんな切ない声を出しておきながら、しれっと学食に行こうだなんて、はっきり言って調子が狂うよ!

 こっちはまだ心臓がドキドキしてるっていうのに。バカ! 責任取ってよ!)


(……って、アレ? そういや向こうは、責任取る気マンマンなんだっけ……。

 ったくもう、その手には乗らないんだから!)


 なんとか滑り込みで日替わりB定食にありつけた薫たちは、知り合いに捕まると面倒なので、極力すみっこの席で食事を始めた。

 食べながらふと気になって、薫は横に座る李斗に尋ねた。

「やっぱうちらって、幼馴染みってことになんのかな?」

 当時の年齢を考えると、李斗はおよそ五〜六歳差のお兄ちゃんってカンジだったが、今じゃ見た目上は逆転してしまった。

「薫ちゃんは、婚約者じゃイヤなんでしょ。じゃ、そういうことなんじゃない?」

 彼は肉野菜炒めを機械的に口に詰め込みながら、不愉快そうに返事をした。

「べ、別に怒らなくたっていいじゃん……。

 周りに色々聞かれると面倒だから、先に設定作っとくっていうか……」

「そういうの、口裏を合わせるって言うんだよ、薫ちゃん」

「そうそう、それそれ。……とにかく、周りには絶対変なこと言わないでよ」

「分かった。でも……、もしかして薫ちゃん、他に好きな人でもいるとか?」

 いぶかしげな顔で李斗が横から覗き込み、

「いたら即その男殺すけど」などと不穏当な発言をしている。


 これが神サマの言うことだから、あまり冗談にも聞こえにくい。


「いないわよっ。……いても……付き合ってもらえないわよ。私なんか……」

「え~~~~っ」

「な、なによ」

「おかしいよ、何でモテないの? なんでなんで? ねえなんで?」

「しらない!」

「よくわかんない。薫ちゃんこんなにかわいいのに……ブツブツ」

 と不服そう。一体どっちなんだ。

「な、なんでそんな赤面するようなことサラっと言うのよっ、バカっ」

「はいはい」

 と気の抜けた返事をすると、幼馴染みの少年は味噌汁を一気に飲み干した。


 しばし黙々と食事をしていると、彼が急に文句を言い出した。

「あ〜、薫ちゃん、おっきくなったのにまだピーマン食べられないの?」

「はぁ? よ、余計なお世話ですっ」

(あんたは私のママですか)

「ピーマンはお肌にいいんだから、ちゃんと食べないとだめだよっ。

 あっもしかして、今でも、セロリもしいたけもれんこんもさといもも、食べられなかったりする?」

「ど、どうしてそれを……」

 嫌いな食べ物をいきなり列挙されて、薫はうろたえた。

 やっぱりコイツは、とんでもなく自分をよく知っている……。

 ぐ、ぐぬぬ……。

「しょうがないなぁ。じゃ、明日っから僕がお弁当持って来るから。ね」

「どういう展開よっ」


 ――なんなんだ、このラブコメ展開は。いやいや普通逆だから。

 男の子が手作り弁当なんか持って来ないから。

 料理出来る男子はポイント高いけどもっ!

 くそっ、油断してなるもんか! あたしはまけない!


 さらに李斗は満面の笑みで続けた。

「大人になってもそんなに偏食が多かったら困るでしょ? だ・か・ら、将来の夫たる僕が、愛しい薫ちゃんの好き嫌いを治してあげるの〜」

「冗談じゃないわよ、嫌いなもの食べさせられるなんてっ」

「薫ちゃんのためなんだよ? わがままも治ってないの? しょうがないなぁ……」

 ニヤニヤしながら言う李斗。

「わ、わかったわよ。食べてあげるわよ。ったく……」


 結局、薫は次の日から李斗の愛妻 (?)弁当を毎日頂くことになるわけで。



                  ☆



 明けて翌朝。

 薫が玄関で靴を履いていると、仕事で帰宅の遅い母親が、寝ぼけ眼まなこで玄関先まで見送りにやってきた。

 そのまま寝ててもいいのにと思うものの、彼女なりの愛情表現なんだろう、と。


「いってきまー…………」

 ガチャ。

「ん……?」


 マンションの金属ドアを開けると、目の前に思いも寄らぬ人物が立っていた。

 薫は冷ややかな視線を投げつつ、ドスの効いた声で言い放った。


「……なにしてんの?」

「おっはよ。迎えにきたよ、薫ちゃん」


 一方の李斗は少しも怯むことなく、語尾にハートをくっつけて満面の笑み。

 手にはスクールバッグの他に、あじさい柄の風呂敷包みをぶら下げている。

 愛くるしさを全身から放っているが、もうそんなものには騙されない。


「あらあら、薫にボーイフレンド? あはは、物好きな男の子ねぇ」

 背後から母親の声。薫の肩越しに廊下の李斗をのぞき込んでいる。

「自分の娘捕まえて、何失礼なこと言ってくれてんですか!」

 李斗はぺこりと会釈をして、

「おはようございまーす。薫さんと仲良くさせてもらってる雪宮です〜」

「ちょっとあんたねえ!」一人キレ気味な薫。

「あらまぁご丁寧に。がさつな娘だけど、薫をよろしくね」

「はーい、よく存じてま〜す。薫さんを、一生大事にしま〜す」

「ちょ、何勝手に「娘さんを下さい」的な挨拶してんのよ、ったく!」

「え〜、挨拶したらいけないの?」

「ねえ」と母。

「あーもうっ、行くよ! いってきまーす」


 強引に李斗の腕を掴み、薫は足早にエレベーターホールへ向かった。

 このまま放っておいたら、李斗が何を言い出すかわかったものではない。

「ちょっと~~薫ちゃん~~~」

「だまんなさいッ」

 情けない悲鳴を上げながら強制連行される李斗。

 薫はそれを容赦なくエレベーターの中に詰め込んだ。

 しかし油断など出来ない。そこは密室だ。

 予想どおり、李斗がハグをしようと薫に襲いかかってきた。

「させるか!!」

「うぎゃあッ」

 薫は思いっきり李斗の頭をグーで数発殴ってやった。

 そうそうお手軽に抱きつかれてたまるものか。



「今度は家まで押しかけて。何なのよ、アンタは! まったく、朝っぱらから迷惑この上ないじゃない」

 薫はマンションの外に出るなり李斗を詰問した。

「何って……、見ての通り、薫ちゃんを迎えに来ただけだよ?」

 自称婚約者はグーで殴られた頭をさすりながら、いじけ顔で申し開きをしている。

「だからって玄関先で待ち伏せすることないでしょうが」

「ごめん……。だって、ちょっとでも早く会いたかったんだもん……」

 李斗は子供のように口を尖らせて、ぐずぐずとむくれている。


 ……ふう。まったく。これじゃ婚約者じゃなくて弟じゃないのよ。

 李斗は子犬のように、薫の顔色をじいっ、と伺っている。

 いや、ここでは子ウサギが正しいのか。

(う……うう……そ、そんな目で見たってだめ……だめなんだから……)


 薫は大きくため息をついた。

「しょうがないなぁ。……何かと面倒だから、来るならマンションの前にしてよ」

「はぁーい」

 急に笑顔に戻ると、李斗は華奢な腕をからませてきた。

 うっとうしいので振り払うと、李斗はまたむくれ顔に戻った。

「もう、暑いからくっつくなってばっ」

「ハグはいいって言ってたのにぃ。いつ薫ちゃんとくっつけばいいのさぁ?」

「知らない。っていうか、ずっとくっつかなくていいから」

「ひーどいよおおおおお!」


 ――これ、いつまで続くの? もううんざりだよぉ!

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