翌日の夕方。
勝也は由希乃の出勤時間を見計らって、店先の掃除を始めた。
(あ、由希乃ちゃん)
目が合って、手を振ってみるが、由希乃は固い表情のまま会釈だけをして、店にそそくさと入っていってしまった。
(……どうすりゃよかったんだろ、俺)
とぼとぼと店に戻ると、店長が声を掛けてきた。
「おう、昨日はデートだったんだろ。ダメだったのかい?」
「まあ、ちょっと」
「結構脈あると思ってたんだけどな」
「あったよ。大あり。だけど……」
「なんだよ、何かあったのか?」
「弱ってるのに付け込むのも悪い気がして……遠慮したら、彼女を怒らせちゃったみたいでさ」
「ふーむ、そこまで落ち込んでるとも思えないんだがなあ。だって、彼女のお兄さんが亡くなったのは、もう二年も前だぞ」
「え!? そんなに?」
「あー、言ってなかったけぇ?」
「言ってないよ。わりと最近かと思ってた」
「わりいわりい、じゃ、俺仕込みしてっから」
「んだよそれ……」
バツが悪くなった店長は、厨房へと引っ込んでしまった。
◇
「なんなのあの人。自分で誘っといて付き合わないとか」
客のいない本屋のレジで、由希乃が毒づいていた。
昨日の今日でも怒りは収まらず――。
「かといって遊び半分でもないし……。だいたいお兄ちゃんのこととか全然関係ないじゃん」
ひとしきり毒を吐いた由希乃がため息をついた。
「……やっぱ私、多島さんと付き合いたいのかな。っていうか、彼氏が欲しくない女子高生なんかいないと思うんだけど。しかも同年代じゃなくて年上だし。女子高生なめんなっつーの。――あ」
気付くと勝也が店に入ってきた。何かを手に、まっすぐレジに向かってきた。
「この本、二巻が欲しいんだけど」
「い、いらっしゃいませ。……あ、お取り寄せになります」
「じゃあ、それで」
由希乃はレジの下から伝票を取り出した。
「ここにご記入お願いします」
「あい」
勝也は差し出されたボールペンで書き始めた。
「こないだは、気ぃ悪くさせちまったみたいで、ごめん」
「ええ、悪くしました」
「ストレートだな。怒ってる?」
「当たり前でしょ。女子高生なんだと思ってるんですか」
「尊い」
「は? なんですかソレ」
「はい、書けた。じゃ、よろしく」
勝也は逃げるように本屋を後にした。
「あ……行っちゃった。ん? 家、けっこう近くじゃん……」
◇
翌日の放課後。
「あたし、なにやってんだろ」
由希乃は勝也の住むアパートの前にいた。
「あれ? ここ……もしかして」
アパートと隣の敷地を隔てる塀の向こう側を見ようと、由希乃はアパートの階段を登った。そのまま廊下を進み、一番奥まで来た由希乃は、手すりから身を乗り出し、塀の向こう側を覗き込んだ。どこかの会社の裏手のようだ。
「お兄ちゃん……こんなとこで働いてたんだ」
由希乃の瞳から涙が溢れ出した。
「うう……お兄ちゃん」
「あれ、由希乃ちゃん……なんでいるの」
「――え?」
背後から勝也の声がした。
振り向いた由希乃の泣き顔を見て、勝也は。
「うわ! ど、どどど、どうしたの、なんで泣いてるんだ」
「きゃあ! いや、あの、あ、あそこ、お兄ちゃんのいた会社で、その……」
「そうか……。思い出して泣いてたのか。ジャマして悪かったな。じゃあな」
「あ、待って」
「ん?」
「多島さんのお店って、配達とかします?」
「ああ仕出しとか? やってるよ。そこもお客さんだけど」
「そっか。だから、お兄ちゃんのこと、店長さんは知ってたんだ……」
「みたいだな」
「あの、」
「ん?」
「注文の本、多分今日届いてると思うんでお店、来てください」
「分かった。じゃ」
由希乃は、階段を降りていく勝也を見送った。
「なんでそんな……素っ気ないの」
◇
アパートを後にした勝也は、一度も振り向かず、ひたすら歩いていた。
「うわあ……なんで、なんであんなとこで泣いてんだよ! 抱き締めたくなるじゃんか! なんとか必死に逃げてきたけど……。もしかして、注文書の住所を見て……いやいや、それはないな。彼女はお兄さんのいた会社を見に来たんだからな。でも、あんな調子じゃあ、お兄さん、成仏出来ねえよな。俺が兄貴だったら、死んでも死に切れねえよ……」
「待って!!」
「うわ! どうして」
追って来た由希乃が息を切らしながら勝也を睨み付けていた。
「あの!」
「お、おう」
「あの、あの、……あのぉおお」
由希乃の目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「うん、落ち着け。大丈夫、俺、逃げないから、落ち着け」
「あの、多島さん、彼氏に、なって、くれ、ないん、ですか?」
勝也は絶句した。
「どうして、ダメなんですか?」
「罪悪感もあるし、それに、別れるのがつらいから」
「どうして別れるの前提なんですか」
「俺、付き合って上手くいく絵が描けないんだよ。食い扶持も稼げない男が女子高生と付き合うなんて、無責任じゃないか」
「別に私だって働くかもしれないし、それ、今考えることじゃないですよね?」
「いや、考えることなの。だから困ってんの」
「ううう~~っ、兄は関係ないです!」
由希乃が怖い目で勝也を睨み付けている。
「いや、違うな。いろんな意味で、キミを受け止められる自信がなかった。だから逃げた。多分、それが正解。そんで、ピュアなキミを騙すみたいで気が咎めて逃げた。俺は、そういう卑怯者なんだ。――それでもいいの?」
「正直者なら、それでいいです。だから、彼女になっても、いいですか?」
ふと勝也の頭の中で、人の声が聞こえた気がした。
――妹を頼む、と。
多分、自分には覚悟が足りなかったんだろう。なのにこの子は、あんなに内気なのに、勇気を振り絞って俺に……。
勝也は腹を決めた。
「付き合おう」
「――ホントに?」
勝也は由希乃の目を見つめて、大きく頷いた。
「なんかこのままじゃ、お兄さんが成仏出来なさそうだから」
「成仏出来ないって、ヒドイ」
「だから、俺がお兄さんの後を継いで、キミを見守る。そういうことで。OK?」
由希乃はにっこり笑った。
「はい。よろしくお願いします!」
二人は、仲良く手を繋いで、一緒に商店街への道を歩いていった。