「どうしたんだろ、あの子」
弁当屋でアルバイトをする青年、
本屋から弁当屋までの数メートルの距離を、右に左に首を傾げながら戻っていく。
不可解というか意味不明というか。
とにかくこのモヤモヤをどうにかしたい、そう思っていた。
普段は、開店前に店長がマンガ雑誌を購入しているのだが、今日はたまたま多島が代りに買いに来た。夕方から働いている彼女は、そのことを知らなかったようだ。
「お帰り。いやあ、母さんが腰やっちゃって病院送ってたら、マンガ買うの忘れちまったんだよな」
店に戻るなり、店長=叔父さんが言った。
「叔母さん大丈夫なの?」
「ああ。それより、傘預かってるぞ」
店長が、向かいのバイトJKから渡された傘を、勝也に差し出した。
「ありがとう」
勝也はズボンのポケットに折りたたみ傘をねじ込んだ。
店長は仕込み作業が残っているからと、厨房に引っ込んでいった。
勝也は向かいの本屋を眺めた。
あの子は、本屋でバイトするぐらいだから、本が好きなのかな。
だからって、どうして自分がクッソガッカリされないといけないのかな。
そもそも何故、縁もゆかりもない自分が、彼女に期待をされるような存在なのか。
「わかんねえ……」
勝也は渋い顔をしながら、ガラス戸越しに彼女をじっと見た。
「ん?」
なぜか、彼女とときどき目が合う気がする。
向こうもこちらをチラチラ見ている。
「気のせい……じゃあ、ねえよな」
「あの子が気になるのか? 勝也」
「わっ! ……なんだ、叔父さんか。気配消すなよ。忍者かよ」
「あの子さ。結構苦労してるようだな」
「え、どういうこと?」
「こないだお兄さんが亡くなったんだよ。事故でな。彼女の家は母子家庭でな。大黒柱として、お兄さんが母親と彼女の生活支えてたんだが……可愛そうにな」
――好きで本屋に勤めてるんじゃなかったのか……。
いや、違う。あの子は本が好きなはずなんだ。だって自分にあれほど失望してたんだ。
確かめたい……。
◇
「こんにちは。いま出勤?」
「あ、お向かいの。ええ、そうですけど」
あの弁当屋のバイト青年だった。エプロン姿で缶コーヒーを手にしている。
マンガ雑誌の件の翌々日で、正直かなり気まずい。
「ブックフェアのチケットもらったんだけど、良かったら行かない? まあ、本が好きなら、だけども」
「えっ!」
突然の申し出に、またまた由希乃はフリーズしてしまった。
体は固まるし、頭には血が昇るし、息は詰まってくるしで大惨事である。
(行きたい行きたい行きたい…………だけどなんでこの人なの!!)
「んー……。本、好きなんじゃないかと思ったんだけど……違った?」
(うそ! ままままままマジで! ほ、ほしいほしいほしい!)
「あ、あ、ああ、あう……う……」
「? んー、ま、俺とじゃイヤなら、これやるよ」
由希乃は全身の力を振り絞って、チケットに手を伸ばした。
だが、ぷるぷると手が震え、ちっとも前に進めない。
「遠慮しなくていいよ。ほら」
と、彼は由希乃の手にチケットを握らせた。
「誰かと行けばいい。じゃあな。バイトがんばって」
彼はコーヒーの缶をゴミ箱に放り込み、弁当屋へと戻っていった。
(ま、待って!)
呼び止めて礼を言いたかった。だけど、声も満足に出ないし、足も動かない。
どうしてかわからないけど、どうしようもなくて――。
『チリンチリン!』
背後から自転車のベルが鳴った。
「わっ! す、すいません!」
由希乃は魔法が解けたみたいに、急に動けるようになった。
(どうしよう、ホントは一緒に行ってもいいのに……)
◇
ふらふらと由希乃が本屋に出勤すると、更衣室で同僚が出迎えた。
「どうしたのそれ!」
「あ……チケットですか?」
「それブックフェアでしょ? このへんでやるの初めてなのよ!」
「そう、なんですか?」
「普段は都会でばっかやってたから、行きたくても行けなかったのよね~。でも、あそこのアウトレットが出来てから色んなイベントやるようになって」
「それでブックフェアも?」
「うん。で、前売り欲しかったんだけど、もう売り切れちゃって……」
「そ、そうですか」
じー…………。
チケットを凝視する同僚。
「あ、あげませんよ。物欲しそうな顔してもダメですから!」
「あはは、冗談よ。それに当日券だってあるんだから、だいじょーぶ!」
由希乃は、ほっと胸をなでおろした。
「それより……」
「な、なんですか?」
「ぜったい欲しいものだらけでバイト代なくなっちゃうから、気をつけてね~」
「は、はぃぃ~」
同僚は手をひらひらさせながら更衣室を出ていった。