目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第2話 気になるあの子

「どうしたんだろ、あの子」


 弁当屋でアルバイトをする青年、多島勝也たじまかつやはつぶやいた。

 本屋から弁当屋までの間、数メートルの距離を、右に左に首を傾げながら歩いていく。

 不可解というか意味不明というか。

 とにかくこのモヤモヤをどうにかしたい、そう勝也は思っていた。


 普段は店長が開店前に、客用のマンガ雑誌を購入しているのだが、今日はたまたま勝也がこんな時間に買いに行ったのだった。

 だが、夕方から働いている由希乃は、それを知らなかったようだ。


「お帰り。いやあ、母さんが腰やっちゃって病院送ってたら、朝マンガ買うの忘れちまったんだよな。わりいわりい」


 店に戻るなり、店長=叔父が言った。

 勝也は数年前から、叔父の経営するこの弁当屋で働いていた。


「それで叔母さん大丈夫なの?」

「ああ、問題ない。それより、傘預かってるぞ」


 店長が、向かいのバイトJKから渡された傘を、勝也に差し出した。


「ありがとう」


 勝也は店長から折り畳み傘を受け取ると、ズボンのポケットにねじ込んだ。


「そんじゃ俺、仕込み作業残ってっから、あとたのんだぞ」

 と言って、店長は厨房に引っ込んでいった。


 勝也は向かいの本屋をガラス越しに眺めた。弁当屋も本屋も、ガラスの自動ドアなので、見ようと思えば互いに向こう側が見える。

 勝也は向こう側にいるバイトJKを眺めながら、物思いに耽っていた。


 ――あの子は、本屋でバイトするぐらいだから、本が好きなのかな。

 だからって、どうして自分がクッソガッカリされないといけないのかな。

 そもそも何故、縁もゆかりもない自分が、彼女に期待をされ、そして失望されるような存在なのか……。


「わかんねえ……」

 勝也は渋い顔をしながら、ガラス戸越しに彼女をじっと見た。

 すると……。


「ん?」

 なぜか、レジにいる彼女と、ときどき目が合う気がする。

 なんなら、向こうもこちらをチラチラ見ている。


「気のせい……じゃあ、ねえよな」

「あの子が気になるのか? 勝也」


 厨房で作業中だと思っていた店長に、勝也は後ろからいきなり声をかけられた。


「わっ! ……なんだ、叔父さんか。気配消すなよ。忍者かよ」

「あの子さ。結構苦労してるようだな」

「え、どういうこと?」


「こないだお兄さんが亡くなったんだよ。事故でな。彼女の家は母子家庭でな。大黒柱として、お兄さんが母親と彼女の生活支えてたんだが……可愛そうにな」


 ――好きで本屋に勤めてるんじゃなかったのか……。

 いや、違う。あの子は本が好きなはずなんだ。だって自分にあれほど失望してたんだ。確かめたい……。


     ◇


 それから二日後のこと。


 由希乃ゆきのが放課後、バイト先の本屋に向かうと、店の手前にあるコンビニの店先で、誰かに声を掛けられた。それは聞き覚えのある声だった。


「こんにちは。いま出勤?」

「あ、お向かいの。ええ、そうですけど」


 彼女に声を掛けてきたのは、本屋の向かいの弁当屋の、あのバイト青年だった。エプロン姿で缶コーヒーを手にしている。


 マンガ雑誌の件の翌々日なので、由希乃は正直かなり気まずい思いだ。

 由希乃が少しでも早くその場から逃げたいと思っていると、彼が口を開いた。


「ブックフェアのチケットもらったんだけど、良かったら一緒に行かない? まあ、きみが本が好きなら、だけども」


「えっ!」


 彼の突然の申し出に、由希乃はフリーズしてしまった。

 体は固まるし、頭には血が昇るし、息は詰まってくるしで大惨事である。


(行きたい行きたい行きたい…………だけどなんでこの人なの!!)


「んー……。きみ、本、好きかと思ったんだけど……違った?」


(うそ! ままままままマジで! ほ、ほしいほしいほしい!)


「あ、あ、ああ、あう……う……」

「? んー、ま、俺とじゃイヤなら、これやるよ」


 勝也は二枚のチケットを由希乃に差し出した。

 由希乃は全身の力を振り絞って、チケットに手を伸ばした。だが、ぷるぷると手が震え、ちっとも前に進めない。


「遠慮しなくていいよ。ほら」

 と、彼は由希乃の手にチケットを握らせた。


「誰かと行けばいい。じゃあな。バイトがんばって」

 彼はコーヒーの缶をゴミ箱に放り込み、弁当屋へと戻っていった。


(ま、待って!)


 由希乃は、彼を呼び止めて礼を言いたかった。

 しかし、彼女は声も満足に出せず、足も動かなかった。


 ――どうしてかわからない。

 でも、どうしようもなくて――。


『チリンチリン!』

 由希乃の背後から、自転車のベルが鳴った。


「わっ! す、すいません!」

 由希乃は魔法が解けたように、急に動けるようになった。

 そして、彼女は勝也がくれたチケットを、呆然と眺めていた。


(どうしよう、ホントは一緒に行ってもいいのに……)


     ◇


 ふらふらと由希乃が本屋に出勤すると、更衣室で同僚が出迎えた。

 パートタイムの20代の女性だ。


 同僚は、由希乃の手にあるものを目敏く見つけて、

「どうしたのそれ!」


「あ……チケットですか?」


 同僚は興奮気味に、

「それブックフェアでしょ? このへんでやるの初めてなのよ!」


「そう、なんですか?」


「普段は都会でばっかやってたから、行きたくても行けなかったのよね~。でも、あそこのアウトレットが出来てから色んなイベントやるようになって」


「それでブックフェアも?」

「うん。で、前売り欲しかったんだけど、もう売り切れちゃって……」

「そ、そうですか」


 じー…………。

 チケットを凝視する同僚。


「あ、あげませんよ。物欲しそうな顔してもダメですから!」

「あはは、冗談よ。それに当日券だってあるんだから、だいじょーぶ!」


 由希乃は、ほっと胸をなでおろした。


「それより……」

「な、なんですか?」

「ぜったい欲しいものだらけでバイト代なくなっちゃうから、気をつけてね~」

「は、はぃぃ~」


 同僚は手をひらひらさせながら更衣室を出ていった。


 よくよく考えたら、二枚のうち片方をプレゼントしても良かったのだろうけど、それはお弁当屋のお兄さんに悪い、そんな気がして由希乃は二枚のチケットを、財布の中へと大事そうに仕舞い込んだ。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?