「聞いたら、お前も責任取れよ。いいな?」
「え? ちょ、責任って」
「僕も、責任取るから。聞くの? 聞かないの?」
ここまできて、聞かずに帰れるかっての。
「聞く」
「いいな? もう後戻りは出来ないぞ」
私はこくりとうなづいた。
彼がぐっと身を乗り出した。
私は、胸がものすごく苦しくなって、なんだかわかんないけど泣きそうになって。
彼の顔が、目の前に来て――15センチもの近くに。
そして、ささやく。
「好きだ。僕の奥さんになって」
えええ??
「一生、お前といたい」
ど、どういう、どういうことなのこれ?
妻ってナニ? 一生ってナニ?
こ、告白通り越して、プ、ププ、プロポーズ????
というか、こいつ、そんなこと考えてたわけ!?
あああ……、めまいがしそう。
私はイスからずっこけそうになった。
「なにがおかしい? 僕はずっと思ってたけど」
あきれ顔の彼は、イスに深く腰掛けなおし、組んだ手をテーブルの上に置いた。
「遠距離になったらお前が可愛そうだから、諦めようとしたんだ。
丁度彼氏も出来たみたいだし、って踏ん切りがついた。
お前が僕を忘れたように、僕もお前を忘れようとしたんだ。――必死にな」
忘れ……ようと?
「それがムリだったのは、紅茶を見ればわかるだろ。去年お前が飲んでた奴だ。
何故僕があれを好んで買っていたのか、その理由を言わなかった訳」
それって……それってぇ……。
「つまりそれは……お前への未練だ」
あああ……。
涙がちょちょ切れそうになってきた。
「なのにお前は僕の古傷をごりごりと。ったくなんてやつだ」
彼はほんとにつらそうな顔で言う。
「ええええ……あのそれって……あわわわわわ……」
そして、私を指差した。
「お前のせいだ。パンドラの箱を開けた、お前が責任を取れ。この僕の、この気持ちの責任を取れ。お前に苦しめられたこの二年あまりの責任をな!」
「せ、せ、せせ責任ってあの……あのあの……二年って……なに」
「僕が進路を決めて、諦めるって決めてからだ。好きになったのはずっと前だけど」
「……前、って……いつ」
「小学校から。つまり、ここに住むようになってから、ずっと」
「えええ……十年もってこと?」
「僕は十年越しの気持ちを捨てたんだ。それをお前が蒸し返した。だから責任を取って僕と結婚してもらう。単純な話だよ」
もう失うものはない、そんな潔ささえ感じる笑みを浮かべながら彼は言った。
「たた、単純って……」
「それに、事前に承諾もらってんだよ僕は」
「まさか……子供のたわごとだよね?」
「そう。話はやいじゃん。だから、お前の分別がつくまで待ってた。
だけどお前は僕を無視するし……まあ、これは誤解だと分かったからいい。それに彼氏まで出来た。……これも誤解だからいいとする。
遠距離恋愛になるからと身を引こうとした。これは僕の判断だから仕方ない」
彼はいままでのうっぷんを晴らすかのように、淡々と、しかしよどみなく語った。
「だが、まるまる一年間、視力のせいで存在を認識出来なかったとしても、一切のアプローチもなく完全無視されたら、普通傷つくよな? この多感なお年頃で難しい受験も控えたこの僕が、一体どういう気持ちだったかお前に分かるか?」
私は、追い詰められた小動物みたいな気分だった。
私が彼を苦しめた張本人だったなんて――。
「……そんな……ぜんぜん知らなかった……。ごめん」
「久しぶりに会ったお前が、唐突に絵なんか始めるとか言い出して、もしかして僕が恋しくなったのか、なんて期待させやがって……イライラさせやがって……」
言いたいことを吐き出したせいか、ちょっと落ち着いた彼は、すこし冷めたカプチーノをぐいっと飲んだ。
「それは、その通りかもしんない」
「え?」
「ズバリそれだよ……。
でも、たったいままで自分でもわかんなかった。
受験終わって、気付いたらあんたいなくなってて、ぽっかり穴が空いたカンジになって。だから、絵やろうって……。
……。
そっか。
恋しかったのか。
なんだ。そっか……」
「気付かなかったとか、バカだろお前」
「なにそれ」
「まだまだお子様だな」
「ちょ、なにバカにして」
「普通女子の方が色気づくの先だぞ、おま」
彼はちら、と周囲を伺うと、メニューで隠しながら――。
触れるぐらいのキスをした。
私は何が起こったのか理解出来ず、ただ固まっていた。
だけどあいつは、うれしさでとろけそうな、そんな顔で。
「無くしてから気付くなんて、バカなやつ」
彼はふん、と鼻で笑った。
――この、この私が、誰かに惚れられるなんて、キスされるなんて、そ、それもよりによって、恋愛感情のかけらもなかったこの男に!?
べ、別に嫌いなわけじゃないし、それはそれで悪いとは思わないし、こいつの家は金持ちだし、付き合いも長いから気兼ねもないし……って、そういう問題じゃ……。
そんな大混乱な私を見透かしてか、 彼は指先で私のおでこをツン、と突いた。
「いたっ。なにすんのもう」
「やっぱお前は、僕がもらってやらないとダメだな」
彼は両手で頬杖をして、ちょっとねっとりした笑顔で私を見ている。
「ファ、ファーストキスなのにっ、なに! なんでこんなとこで!?」
「ははは。知らないの?」
「……なに」
「二度目だぞ。お前とキスすんの。前回はお前からだったんだが」
うそお………………。
頭のてっぺんまで血が昇っていくのをかんじた。
「責任取ってくれよな」
見たこともないような妖艶な顔で、彼がささやいた。
「は、はい……」
☆
彼は、頭がクラクラしている私を連れて、駅ビルのジュエリーショップに入った。
何が何だかわからないうちに、気付いたら私の指にはリングがはまっていた。
「さすが……金持ちのすること、わかんない……」
「バカ。目の届かないところに置きっぱなしになるから、首輪をつけたようなもんだ。それにこれ、小遣いで買えるぐらいだぞ」
「小遣いのケタ、違うし」
ジルコン入りのシルバーペアリング、一組で15000円するんですけど……。
よけい頭がクラクラしてきた。
「んじゃ、行くか」
「どこに」
「どこか。二人っきりになれる場所に」
目の前の婚約者は、満足そうに笑みを浮かべて、私の手を握った。
二人の距離。
いまは、0センチメートル。
そして、これから、何度も何度も、わたしたちは、0センチと数万センチを繰り返していくのだろう。
だけど不安はない。
こいつなら、きっとなんとかしてくれる。
そう、思えるから。
(了)