それから二日ほど、雨がつづいた。
特に用事もないので宿題でも片付けようかと思ったけど、なんかイライラして手につかない。結局、国語のプリントを二枚やっただけだった。
三日目は晴れた。
お昼過ぎ、おなかがすいたので居間に行ったら誰もいなかった。冷蔵庫の中はすぐ食べられそうなものはないし、台所を漁って出てくるのはカップ麺ぐらいで、でもあんま好きな味じゃないからコンビニに買い出しに行くことにした。
「うっ」
なんかいた。
あいつがいた。やさぐれた顔してる。
コンビニのイートインコーナーに、いた。
ご丁寧にあの紅茶まで飲んでる。
マイブームかっつーの。
あ、こっちに気付いた。
慌てて目を逸らしてるけどバレてるよ。
私は自転車を停めると、大股でイートインコーナーに突入した。
「ちょっと」
「なに」
明らかに、避けてる。
なんなのこいつ。
チキンなの?
私より背が15センチもデカいくせに。
いや、15センチ×2もデカくなったくせに。
「こないだのなに、あれ。分かるように説明してよ」
「……いいよもう。分かんなくったって」
「もしかして……私になんかやましいことでも、してるわけ?」
「んなわけ……ないよ」
私は、じいいいっ……とやさぐれ顔を覗き込んだ。
彼は顔をそむけた。
なんか、つらそうに見える。
「そんなことよりお前、絵、描いてんのかよ」
「いまそれ関係ないじゃん」
「あるよ。どうなんだよ。なあ」
「…………描いて、ない」
「画材買ったのにかよ。落書きもしてねえのかよ」
「ぜんぜん。買ったそのまま。宿題とかしてた」
彼は腕組みをすると、はぁ、とため息をついた。
「やっぱ絵を描きたいんじゃねえんじゃん」
「そういうわけじゃ」
「普通、画材買ったらいじりたくなるもんなんだよ。
それを触りもしねえとかあり得ないんだよ。
絵を描きたいヤツってのは」
「うっさいな。いつ始めたって私の勝手じゃん。口出しすんな」
「……ならお前も、いろいろ詮索すんのやめろよ」
「なんでよ。やっぱやましいことなんだ」
「ちがうっつってんだろ、このデリカシーのかけらもねえ女は!」
彼が店内をちらと見る。
微妙に視線を集めている我々。
「場所、変えないか。昼まだだろ? ファミレス行こう」
「いいけど……おごりだかんね」
「ああ」
☆
私たちは、駅前に最近出来た、イタリアンのファミレスに入った。
平日のお昼時のせいか、近所のサラリーマンが多かった。
私たちは適当にランチを頼んで、黙黙と食べた。
ひたすら食べ終わるまで、二人とも無言で。
ランチセットについてるドリンクバーで、私はメロンソーダを注いできた。
交代で汲みに行ったあいつが戻ってくると、手にはホットコーヒーのカップ。
「紅茶じゃないんだ」
「カプチーノが飲み放題なんだから、普通、入れるだろ」
「ふうん」
私がいぶかしげな目で見ると、彼はむっとした顔で椅子に座り、ざらざらとスティックシュガーを流し込んでティースプーンでぐるぐる回しはじめた。
「あのさ、なんでお前、僕のこと一年間も無視してたわけ。道でだって会っただろ」
「だから視界に入らなかったんだって」
「……それで僕に納得しろっていうの」
「ちょ、それそんな怒るとこ?」
「理由を言え。じゃないと、ここの支払いしないぞ」
「なにそれぇ……。私ウソ言ってないってば」
「納得出来ないっつってんだよ!」
普段、すごくおとなしい奴なのに、怒鳴られてびっくりした。
というか最近なんか気が立ってるように見える。
一瞬、まわりの席の人がこっちを見たけど、すぐに向き直って同席の人との会話を再開していた。
彼は腕組みをして私を睨んでる。
どうしよう……。言わないと帰れない。
「…………これ、うちの親には内緒だよ。いい?」
「ああ。それで」
――すごい、怒ってるっぽい。なんか言い方がこわい。
「私さ、中二ぐらいから、急に目が悪くなったんだ」
「へ? だってメガネとか中学ん時からかけてないじゃんか」
「かけたくないんだ、メガネ」
「……あ」
「親に言ったら、絶対にかけさせられる。コンタクト反対派だから。でもそんなんイヤだし。だから絶対に言うなよ。言ったら殺す」
「もしかしてお前、それで……」
組んだ腕をだらんと下げて、間抜けな顔になった。
「だから、身長が変わった僕を……」
「そう。わからなくなった。あんたのことが」
彼は、はーっ、と大きなため息をつくと、まだ熱いカプチーノをぐっと飲み込んで、口の中を火傷したのか、あわてて氷ごと水を飲んだ。
なにやってんのこいつ。バカじゃないの?
「お前、どんだけ目、悪くなったんだよ……。本気で心配になってきたぞ」
「大丈夫だよ。それに大学行ったらコンタクトするし」
「大学ってまだ三年もあるじゃんか」
「やなもんはやなの」
「……しゃあねえな」
その言葉の続きがあった。
ぼそぼそと小声で。
よく聞き取れなかった。
「いま、なんつったの」
「なんでもねえ」
「なんつったの」
彼は顔を真っ赤にして、ぼそっと言った。
「……向こう七年、お前の後ろを歩けないのに、って言ったんだ」
え?
どういう?
「ちょ、ちょちょちょ、確認するけど」
「なに」
「もしかして、今まで私の後ろからくっついてきてたのって……」
「お前が死なないようにだよ」
「え? え? え? お供じゃなかったの?」
そして、衝撃の告白がつづく。
「バカかお前は。だいたい、誕生日からしたら僕の方が先なんだよ。お供はお前の方だよ。それに、しょっちゅう車道とか飛び出したり、側溝落ちそうになったり、今お前が生きてるのは、俺様のおかげなの。
ったく、何度僕がお前を救ってきたか、マジで記憶ねえの?」
「――――ない」
「あちゃあ……」
彼は私のグラスと、自分のカップを持って、ドリンクバーへ。
彼の後ろ姿を見ながら、こんがらがった頭の中を整理する。
「あ~~~ダメだあ、さっぱりわかんないよ~」
私はやっぱりわけがわからなくて頭をがしゃがしゃしてた。
気付いたら、彼がメロンソーダとカプチーノのおかわりを持って戻ってきてた。
「県外に進学するし、大学卒業するまで戻って来ないし、というかずっと戻ってこれないかもしれないし、だから、お前に彼氏も出来たから踏ん切りがついたんだ」
「なんの」
「……お前、マジでわかんないわけ? 女子でその鈍さ、ちょっと尊敬するわ」
「だからわかんないよ~」
「はあ、まあ、いいよ。もう。どうせ来週には向こうに戻るし、冬休みは親と海外行くし、お前と顔を合わせる機会はほとんどないから」
「だからなんなの」
彼はいきなり黙って、じっと私を見た。
「お前、遠距離恋愛とか、大丈夫な人?」
「……なに、それ」
「だよな。だから、いいよもう」
「なに勝手に。ちゃんと説明してよ」
「いまお前に全てを説明したら、せっかく諦められたのに……また、ダメになる」
なにが?
まさか。
その答えは、ないよね?