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第3話 紅茶のボトル

 結局私は、画材屋のある街じゃなくて、その手前の駅の、大きめの100均に行って画材を買った。

 たしかに、思っていたよりも本格的なものが揃っていて、私は自分の無知加減を知った。というか、これ本当に100円で売っていいの?


「あいつの言うとおりだったわ……」


 帰り道、『お前は絵描きを侮辱してんだよ』という彼の言葉がなんどもなんども頭の中をぐるぐると回っていた。


 彼は本気で絵をやってるのに、遊び半分で手を出そうとした私は、彼を怒らせてしまった。

 これから絵を始めようとした私に、彼は少しでもよかれと思って。

 なのに。


「そりゃそっか……」


 自分が悪い。

 そんなこと、昔から知ってたはずなのに。


 ――昔から?


 高校生になるまでずっと手を出そうともしなかった私が。


 物心ついた頃から、絵を描く彼をずっと見てるだけだった私が――。


 だから、余計に……怒ったんだ。


 でもそれと画材と、どういう関係なのか。

 まだ、わからない。



                  ☆



 買い物後、少し遠回りをして、彼の家の前を通った。

 彼の家はうちから歩いて数分。

 うちのある区画の、1ブロック隣だった。


 閉め出されてるっていうから、少し心配だった。

 子供でもないのに、心配もないけど。


「あ……」

「おかえり」


 彼は家の玄関先に、庭用のプラスチックのイスを置いて座っていた。

 たしか庭の芝生のとこにあったやつだ。

 ものすごく気まずい。


 ……こんなことなら、遠くから見るだけにすりゃよかった。


 日陰に置かれたリゾート用のゆったりしたイス。

 少しぐったりと腰掛けてる彼の片手には、紅茶のペットボトル。

 中身はもう三分の一ぐらいしか残ってない。


 ――私が好きな銘柄だった。ボトルの形が変わってるからすぐ分かる。


 気まずい私は、彼の顔を見ないように言った。


「まだ、帰らないんだ。おじさんとおばさん」

「ああ。親、携帯持ってかなかったみたいで、いつ帰るかわかんね」

「そか。あんたさ、コーヒー党じゃなかったっけ」

「売り切れてた」


 ――ウソ。コーヒーなんて売り切れるわけない。

 だいたい歩いて五分ぐらいのとこにコンビニあるんだし。

 というか、さっき寄ったけど、コーヒーなんて山ほど売ってたし。


「あの……さっきは」

「それ。あそこの大きい100均行ったんか。けっこう揃ってたろ」


 彼は私の荷物を指さして言った。

 品揃えを分かってて、ああ言ったんだ。

 ちゃんと分かってて。


「……うん。揃ってた」

「なんで画材屋行って、本載ってたのと同じの買わなかったの」


 …………。


「まあいいよ。お前が好きで買ったんだし? 僕がとやかく言う立場じゃない」


 …………。


 ひどい奴。

 私があやまるスキも与えてはくれない。


「早く帰れよ。安物は熱に弱い。使う前に傷んだらムダんなるだろ」

「……そだね」


 彼はけだるそうに、しっしと私を追い払った。




 彼の家を出て、すぐ近くの交差点で信号待ちをしていると、彼の両親の乗った車が通り過ぎていった。

 おじさんたち、私には気付かなかったみたい。

 リアウィンドウ越しに、後部座席に詰め込んだ、たくさんの買い物の荷物が見えた。

 車はすぐにウィンカーを出して、家の車庫に入ってった。



                  ☆



 自宅に帰ってシャワーを浴びたあと、私は自分の部屋であの本を眺めた。

 文字通り、外から。

 たしかに分厚い。


 いま自分の部屋にある本の中で、辞典や教科書の次に厚い。


 つまり自分で買った本の中で、一番厚い。


 厚みは15ミリ。表紙も中の紙も上等で、とにかく厚い。


「なんだよもう~~~。一年ちかく会ってないくせに、なんでわかるんだよ……」


 私なんて受験にかまけて、あいつのことすっかり忘れてたのに。

 そしたら町からいなくなって。

 あいつがいたことを思い出させられて。


 べつに描きたいものなんかなかったし、美大行きたいとか専学行きたいとかイラストレーターなりたいとかそういうの全くなかったし。


 ただ、あいつと同じようなことをしたかった、だけなのに。

『ここにいない』あいつと同じことを。


「ていうかさ。なんであいつアレ飲んでたんだ。あれ去年の夏に出たやつなのに」


 私はちらと、足下のゴミ箱の中を覗いた。

 あの紅茶の、変わった形の空きボトルが、なにもないゴミ箱の底で、ころんと寝転がっていた。

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