『キイィィィィィィィィィ――――ッ』
自転車のブレーキを全力でかけた。
とまれとまれとまれ。
緊急事態。緊急事態。
私は握力のかぎり、ブレーキレバーを握りしめる。
全身から冷たい汗が噴き出した。
「と、とまった……」
あやうく人を轢きそうになった。
その距離、15センチ。
駅前広場で不快なブレーキ音をまき散らした私は、生きた心地がしなかった。
とろけそうに暑い、夏休みの昼下がり。
歩道のアスファルトに、タイヤ跡を焼き付けながら。
「す、すす、すみません!!」
制動で前につんのめった私の目の前には――
夏物のライトグレーのズボンと、磨き上げられた革靴。
「いや、僕の方こそ飛び出して……あれ?」
「……なに、か?」
恐る恐る見上げると。
どこか見覚えのある面影が。
はにかんだ笑顔。すこし幼さの残る中性的な面立ち。
「ただいま」
ただい……ま?
えっと……?
「僕だよ、僕」
「? 新種のオレオレ詐欺?」
「ぷッ、んなわけあるかよ。こんな駅前で高校生相手に。……ホントに誰だかわかんないの?」
「どちらさま、ですか?」
私よりも頭ひとつ背の高い、同年代ぐらいで困り顔の男の子は、ズボンのポケットから手帳のようなものを取り出し、開いて見せた。
それは、県外にある私立高校の生徒手帳だった。
「ほら。わかった?」
「う、うそだあああああああ!」
そんなはずはなかった。
だって、最後に逢ったときって。
――私の方が15センチ、背が高かったんだから。
☆
彼と最後に言葉を交わしたのは、中三の春。
幼馴染みの彼とは、中二で同じクラスだった。
新学期初日。
校舎前の掲示板前に、黒山の人だかりが出来ていた。
みな、自分がどのクラスになったのか、探している。
同じクラスになって、飛び上がって喜ぶ子たち。
別々のクラスになって、べつにいつでも会えるのに泣いてる子たち。
「お前どこになった?」
「A組」
「そっか。僕はD」
「実技もあるから大変だよね。美術科とか」
「でも、やりたいことだから大丈夫だよ」
「そっか。がんばれ」
「おう」
それが、彼と最後に交わした言葉だった。
進路でコース分けされた私たちは、教室どころか校舎も別々になって、私は私で受験勉強が忙しくて、彼のことを思い出しもしなくなった。
☆
私たちは、駅前のコーヒーショップに逃げ込んで、お互いの近況報告をした。
学生寮で暮らしている彼は、夏休みに数ヶ月ぶりの帰省をし、私に轢かれそうになったわけで。そのお詫びにお茶でも奢ろうと。
「学校どう? 専門の高校だから授業とか難しい?」
「べつに。おもしろいよ。同じ趣味の奴も多いし」
「へー。よかったじゃん」
彼はストローを回し、アイスコーヒーの氷をカラカラと鳴らした。
「それなに」と彼。
「本。さっきそこで買った」
「見りゃわかるよ、本屋の袋に入ってんだもん。中身だよ。めずらしいじゃん、そんな厚くて大きい本なんかお前が買うなんて」
「失礼な……」
私は買ったばかりの本を袋から出して、テーブルの上に置いた。
「私も始めようかなーと思って、絵」
「んだよ、言ってくれれば、その手の本なんていくらでもうちに……」
「受験――」
「あ」
「終わって、一息ついたから、始めようかと思ったわけで。そしたらあんたいないし……自分で買うしかないじゃん」
「そっか、ごめん」
少し陰のある表情で彼は言った。
だけどこの時はその理由に気付くことはなかった。
「それより、丁度よかった」
「なにが?」
「明日、あいてる?」
「イヤな予感しかしないんだが……。いいよ、あいてるよ。どこいくの?」
彼は苦笑しながら、理由も聞かずに快諾した。