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第37話 手紙

 梓藤冬親 様

 最初に始まる言葉を、色々考えたのですが、思いついた言葉は一つだけでした。

 苦しんで死ね。

 ただの死ねではありません。どうぞ限界まで苦しみぬいて、死んで下さい。

 ありとあらゆる痛みを浴びて、気がおかしくなりそうな死因であることを祈ります。

 嘘です。

 正直、腕を失って考えました。痛みとは、こんなにも苦しかったのかと。それも幻覚なので、鎮痛剤が効きません。恐らく、そう遠くない未来に、俺は死んでいると思います。

 ただ、一つだけ、お伝えしたことがあります。

 俺は、梓藤主任を助けた事を後悔していません。

 それは本当です。

 これから先痛みが悪化したら、この気持ちが変わってしまうかもしれないのが、とても怖いので、ここに記します。

 なおこの肖像画は、我ながらよく描けた作品です。少々サイズが大きいですが、よかったら飾って下さい。無理な場合に備えて、現時点では懇意にしている美術館の壁に飾っておいてもらう事にしています。美術館とはいいますが、個人のものなので、融通してくれました。ちなみに、他の人々の肖像画もあります。気が向いたら、それも取りに来て下さい。それらはもう少し、サイズが小さいです。まぁそんな感じなので、冬親ちゃんはこれからも頑張ってね。

 静間青唯

 手紙を読み終えた梓藤は、ソファに深々と背を預けた。

 この手紙は、あの美術館を調べにいった第二係の者が発見し、届けてくれたものだ。肖像画は、まだ調査中なのでここにはないが、その内引き取ろうと、梓藤は考えている。

 天井を見上げたまま、何気なく梓藤が呟く。

「なんで俺は死なないんだろうな」

「それは答えが明白ですね」

 すぐに声がかかった。梓藤が顔を上げると、約束通り料理を作りに来た西園寺が、休憩に来たようで、カップを二つ手に持っていた。一つを、西園寺が梓藤の前に置く。使い方は、この家に来た十分後には、教えていた。理由は、調理時間が長いため、自分で淹れたいと乞われたからだ。

「明白?」

 カップを受け取り、梓藤が首を傾げる。

「倒し続けるためです」

「なにを?」

「マスク以外の何を逆に倒すんですか?」

 当然のことだというように、西園寺が述べている。

 それを聞いていたら、梓藤の肩から力が抜けた。

「そうだな。その通りだ。そのために、俺は生きる」

「はい」

 西園寺が頷いたので、これが生きる理由でいいのだと、梓藤は考えることにした。

 それからふと、今西園寺が座っている場所には、嘗て班目が座っていたのだったなと思い出す。珈琲を淹れてくれた点まで、同じと言えば同じだ。

 違うところは、西園寺には、ネクタイピンと墓が無い事くらいだろうか。

 尤も墓は家の先祖代々の墓などがありそうだが。

 あくまでもまだ、生きているという意味だ。

「おい」

「はい」

「ネクタイピンを買いに行くぞ」

 班目と自分のおそろいの二つは、実を言えば捨てておらず、クローゼットの中の箱に放り込んでいる。あれは親友との大切な思い出の品なのだから、やはり捨てることはできない。

「どうしてですか?」

「復帰祝いだ」

「時計が良いです」

「時計?」

「新モデルが出たんですが、高くて買えなくて」

「お前って結構即物的だったんだな」

 その後は二人で、西園寺が作った料理を味わった。確かにこれは、手料理が好きになるという気持ちが理解出来るくらい美味だと梓藤は思った。無表情で食べている西園寺をチラリと見て、このような才能があったのかと、心底驚いた。静間に絵画の才があったのも知らなかったが――ただ、過去にミネストローネの作り方に疑問を抱いていた理由はよく分かる。

「さて、出かけるか」

「待って下さい、皿洗いが――」

「帰ってきてからでいい」

「俺は駅から自宅に帰りますので、ここで鍋を持ち帰らないとならなくて、そのためにはなんとしても今……」

「おいて行けばいいだろう。洗うくらいは俺にもできる」

「え? いいんですか?」

「ああ。代わりに、また作ってくれ」

「喜んで。俺も作りがいがあります」

 こうして、二人で出かける事になった。

 先に西園寺がエントランスへと向かう。

 梓藤は明日の自分のために、遮光カーテンを閉める事にした。出かけに閉めたのならば、もう片側だけ閉め忘れるような事態は発生しないだろう。すると室内が一気に暗くなった。

 だが代わりに、西園寺が開けた扉から、陽光が差し込んできている。

 梓藤は迷いなくそちらへと足を踏み出した。

 こうして梓藤は、扉を出て、新しい今日も、未来へと進んでいく。

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