静間の自殺から、二週間が経った。
また、冬が来た。
既にこの一係に来てから、何度目の季節の巡りなのかを、梓藤は思い出せなくなりつつある。瞬きをする間に、外の景色など変わってしまう。だというのに、どの季節にも、必ず思い出が良くも悪くも付随するから、たちが悪い。
窓の前を歩きながら、梓藤は溜息をついた。最初は、何度か窓を見てしまったのだが、静間が落ちてくることは、当然二度と無かった。
「……悪夢にもならないしな」
そう呟いた梓藤は内心で、忘れたはずの班目と静間の死を無意識に比較したことに気がついた。あちらはPTSDで、こちらの場合はなんともない? それだけ経験を経て強くなったのだと言えばその可能性もあるが、どうにも嫌な感覚になり、自分を嘲笑しそうになる。不思議と坂崎と比較することはない。坂崎の比較対象は、高雅だ。
「自分が手にかけたか否か、の違いか? それをいうなら、間接的に静間を死に追いやったのも俺なんだけどな」
考えてみたが、よく分からなかった。
「ただ、比較する段階で、俺の中でとっくに死んでるんだな」
ぽつりと梓藤は声を零した。既に班目は梓藤の中で死者だ。そしてそれは静間も同じだ。亡くなってからの期間の長短でしかない。だから、比較も出来てしまうのだろう。
「俺が死んだ場合は、誰と比較されるんだろうな。いいや、そもそも誰が俺を比較しようとするんだ?」
何気なく浮かんだ下らない考えに吹き出しかけてから、梓藤は本部へと戻った。
本日は、西園寺が非番だ。
だが、室内にいるはずの嶋井と宝田の姿がない。首を傾げて二度部屋を見渡すと、己のデスクの上に、付箋が見えた。貼り付けた覚えがないものだ。
歩みよって視線を落とす。
『――美術館にマスクが出現したそうです。今から高田と二人で殲滅に行きます。汚名返上してみせます。嶋井』
その文面を見て、硬直しながら梓藤は青ざめた。確かに最近、あの二人は力をつけた。西園寺と三人、あるいは梓藤と三人で、という場合の戦い方も教えてある。だがまだ二名だけでは、行かせた事がない。
「……そもそも普段は、こんなにゆったりと新人教育はしないか。もう、突き放して様子を……いや……」
梓藤は眉間に皺を刻んで、思考を回転させる。
「どんなマスクが何体出たのか、これじゃあ分からなくて、判断材料にはならない。帰ってきたら、一から伝言の残し方を教えなければならないな。状況が分からない以上、万が一に備えて、応援として駆けつけるべきだ」
梓藤はそう言葉にし、自分が助けに行く理由を作った。
西園寺には、階段を駆け下りながら、電話をかける。非番だが、関係無いと思った。なにせ、二人が死ぬかもしれない状況下なのだから。
「出ろよ、さっさと」
だが、暫くコールした後、不在のアナウンスに切り替わる。苛立ちながら外へと出た梓藤は、いつか坂崎に対し、休みの日は休めと己は伝えたのだったなと思い出した。
「……」
しかし非常事態だ。悩みあぐねいた末、緊急連絡用の西園寺のプライベート用スマートフォンの番号を呼び出す。そして通話ボタンをタップすると、二コール目で繋がった。
『はい』
「……美術館に、マスクが出たそうで、嶋井と宝田が二人で向かったそうだ。俺は今から現地に行く」
『どこの美術館ですか?』
「ええと――」
梓藤が簡単な位置情報を伝えると、西園寺が言った。
『直接現地に向かいます』
「分かった。入り口前で合流を」
『はい』
「くれぐれも――」
『単独行動は控えて下さい』
「――俺が言おうとした台詞だ」
頬を引きつらせて梓藤は言いきり、通話を切った。
そして車に乗り込むと、美術館を目指した。こういう時の赤信号は、非常に停止時間が長く感じるといつも思っているが、今回も例に漏れずそうだった。
そう遠くない距離であるにも関わらず、長時間の運転をしたような心地になりながら、美術館専用の駐車場に車を停める。そして鍵を閉めて玄関前へと向かうと、初めて見る私服姿の西園寺がそこにいた。
「西園寺、お前……」
「はい」
「その格好で戦うのか?」
「寧ろスーツより役に立つと思うんですが」
「どの辺りが?」
「収納スペースが十五個ついています」
「へぇ。そのちゃらちゃらした洒落たコートは、凄いんだな」
収納スペースの数で負けたスーツ姿の梓藤は、ポケットの中の排除銃を確認する。
「武器はあるのか?」
「勿論です。俺は排除銃と排除刀は、風呂以外はほぼ常に携帯しています」
「なるほど。念のため聞いてやるが、ポケットのあと十三個には何が?」
「応急処置用の品や、ランプや磁石になる品に――」
「悪い、聞かなければよかったな。そうだな、確かに役に立ちそうだな、キャンプとかに。行くぞ」
「はい」
西園寺が頷いたので、正面から梓藤は中へと入った。続いて西園寺が中へと入った時には、梓藤は既に最初の被害者の喰い残された足を見つけていた。
「梓藤さん」
「なんだ?」
「ここに入場者名簿があります。今日は元々鑑賞にきた人間が少なかったようで、中にいたと想定できる人数は、九名です。美術館のスタッフを含めてです」
「なるほど。そこに、嶋井と宝田……」
呟いてから、梓藤は振り返る。
「入り口側のドアには血痕一つない。少なくとも、現状的には手と口が血まみれのマスクが、この出入り口を使った様子は無いな」
西園寺がそれを聞いて頷く。
「進むぞ。遺体の数を確認しつつ」
「はい」
二人とも排除銃を構えながら、ちらりちらりと大理石の床の上に落ちている喰い残しの数々を脳裏で立体パズルのように組み合わせていき、人数を確認していく。
「こちら、腕と足が五つ無いが、六名を確認。西園寺は?」
「丁度今、五名を確認しました」
「まて、合計九名じゃ――……っ」
思わず梓藤は呻いた。そして西園寺が見ていた側を見渡す。
するとごく近い場所に嶋井の首が落ちていた。左目が床の上にあり、視神経でかろうじて顔と繋がっている。肩口から噛みちぎられている。一瞬だけ班目の頭部を思い出したが、理由は、あちらの断面は斧という人工物で斬られていたので、こちらと違い綺麗だったという単純な確認のためだった。
「……宝田の一部はどこに?」
「大分前です」
「……そうか」
表情一つ変えず、声音もいつも通り淡々としたままで、西園寺は続ける。
「あとは、この先に残っているとすると、マスクのみですね」
「そうだな。出入り口を使用していないとなれば、他に排気口や通気口といった何か、それらを用いた可能性は、逃亡経路の一つとして検討するべきだが、まずは奥の確認だな」
「はい」
こうして二人は、等間隔で銀色の甲冑が並んでいる区画へと進んだ。
一本道だ。少し進むと、すぐに壁になり、突き当たりとなった。
その壁一面に、巨大な油絵が掛かっている。その絵の左右には、甲冑の他に、燭台もある。焔が揺らめいている。
「この絵はなんだ?」
「なんだとは?」
「美術知識が欠落している俺にも分かりやすく教えて欲しいんだが、この絵、どこかで見た事がある気がするんだ」
「ええ、俺も同じ心境です。ただ俺は、どこで見たのか分かっています」
「どこで見たんだ?」
「今も目の前にいます。どこからどう見ても、この油絵は梓藤さんにしか見えません。逆に、美術家の知り合いに乏しい俺に教えて欲しいんですが、これは一体誰がいつ何を元に描いてここにどういった経路で展示を?」
「俺が知りたい。何故俺の肖像画がここにあるんだ?」
気分が悪くなる。純粋に不気味だからだ。西園寺はといえば、顎に手を添え腕を組んでいる。
「まぁ一つとしては、陽動を狙った、ですか……? つまり高等知能を有するマスクがいて、この美術館自体が罠だった、など」
「それは俺が狙いだと思うか?」
「どうでしょう。梓藤さんの肖像画をいきなり見つけたら、半数は驚くと思いますし、半数はマスクとの内通を疑うと思います」
「お前はどちらだ?」
「驚いたと言うことにしておいて下さい」
「いいや、そこは内通を疑ってしかるべきだ」
自分で言いつつ、西園寺に疑われていると言われていたら、少しショックだったような気がしていた。今となっては、もう第一係は、自分達二人だけだ。その二人が仲間割れをしていたら、話にならないだろうと感じてしまったからかもしれない。
「しかし、マスクはどこに……?」
思考を切り替えて呟いた梓藤は、油絵の事は一時取り置き、すぐそばの燭台の前に立った。横の甲冑も巨大だ。槍を持っている。それから上部を見上げ、排気口も通気口も無さそうだなと考える。
――ガシャン。
音がしたのは、そんな時のことだった。
音の発生源が分からず、梓藤が周囲を見回そうとした瞬間、梓藤の両肩が後ろにあった壁にぶつかった。直後、梓藤は己の顔の左右に西園寺の両腕がある事、その向こうで銀色の甲冑の兜が外れた事を理解した。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
狼狽えながら頷いた梓藤は、視線を落とし、西園寺の腹部を貫通している槍を目視した。
「なっ」
「甲冑の中……盲点でしたね」
「どうして庇った? 庇う暇があれば、撃ち殺せ!」
梓藤は叫びながら、血で西園寺の腹部が染まっていくのを見る。
梓藤はそれから再び、西園寺の顔へと視線を向ける。すると――そこには微苦笑が浮かんでいた。梓藤が初めて見る笑顔だ。満面の笑みではないし、苦笑交じりではあるが、呆気にとられて、梓藤は目を見開く。
――なんでこんな時にかぎって、笑うんだよ、と。
梓藤は怒鳴りつけたくなった。あるいは泣きたくなっていたのかもしれない。
「西園寺!」
そのまま西園寺の体が傾いたので、梓藤は抱き留めた。そのままゆっくりと床に横たえると、丁度槍を引き抜こうとしていたマスクの頭部を撃ち抜いた。
これを皮切りに、美術館内部にあった甲冑の全てから、マスクが姿を現した。
マスク達は甲冑を着たまま、梓藤を囲もうとしていたが、それは叶わない。
梓藤が片っ端から銃撃し、マスクの頭部を破壊しているせいだ。排除銃の前では甲冑は無力だ。すぐに白い大理石の床は、赤やピンクで染まっていく。飛び散った肉片を踏めば、床と共に靴が滑りそうになる。しかし西園寺の事を考えると、抑制が効かないほどで、とっくに頭部が砕け散っているマスクを周到に撃ち続けたりしてしまう。
そうして立っている者が自分だけになったと梓藤は認識し、西園寺のところへ戻る事にした。このような形で喪うとは思っておらず、まだ動揺の方が強い。
何故みんな、自分を置いていってしまうのか。死んでしまうのか。
もう嫌だと、胸が苦しくなりながら、一度俯いた後、梓藤は顔を上げる。
これでは、助けてくれた西園寺に示しがつかないと思ったからだ。
そう考えて、顔を上げた時だった。
「ええ、はい、そこです。その美術館に、救急車を一台お願いします。ええ、はい。意識レベルは今のところ清明です」
「西園寺!?」
スマートフォンを耳にあてながら、梓藤に気づいた西園寺が、左手の人差し指を立てて唇に触れさせた。黙っていろということだと判断し、嬉しくてたまらないはずなのだが、なにか複雑な心境で、これが夢では無いのか疑いながら、梓藤は西園寺が通話を終えるまでの間見守った。そして無事に通話を終えたの確認し、思わず叫んだ。
「お前、何してんだよ?」
「救急車の手配を――お疲れ様です、梓藤さん。全滅させるまで、早かったですね」
「あ、ああ。お前、そもそも怪我は……? 槍はどうした?」
「幸い槍を引き抜かれない状態だったので、前後の長い部分を排除刀で切って、体内に残したままで止血しています。応急処置セットを沢山収納していたのが役に立ちました」
「そ、そうか。やはり確かに、ポケットは必要だな。それにしても本当に、よ、よかった……――というより、紛らわしいんだよ! お前は! 死んだかと思っただろ!」
「いや、まだ、今のところ生きているという段階なので。槍、入ったままですし」
「縁起の悪いことを言うな」
それからどっと疲れて、梓藤はその場に座り込んだ。
喪失したと感じた時の悲しさや絶望が、綺麗に消え去った。ただ同時に、二度とあのような想いはしたくないと考える。
「西園寺」
「はい」
「二度と俺を庇うな」
「……」
「返事」
「お断りします」
「は?」
「一係には、そんな規則はありませんので」
「なに?」
「『死ぬな』――これを守ればいいんですよね?」
当然だというように無表情で述べた西園寺の声に、虚を突かれた梓藤は目を見開いてから、思わず破顔し大きく頷いた。
「ああ、そうだな」