坂崎の葬儀は、行われなかった。
ひっとりと火葬場に運び込まれた後、今は無縁仏として処理されているそうだ。
場所は梓藤も聞いていない。聞く必要性を感じなかったからだ。どうせ、墓参りには行かない。既に班目の墓にも、梓藤は長らく足を運んでいない。前を見て進むことにした以上、死者への祈りは不要だと考えている。
会議を終えた梓藤が本部に戻ると、西園寺が不在だった。時計を見上げ、昼食に出たのだろうと考える。その時、椅子を動かして、静間が梓藤を見た。その表情には笑顔が浮かんでいる。泣きぼくろを何気なく見た後、梓藤が尋ねた。
「飯は?」
「ああ、色ちゃんが俺の分も買ってきてくれるって」
「なるほど」
梓藤が頷いた時、天井を見上げて、不意に静間が呟いた。
「……三人になっちゃったね。しかも俺は戦力にならないしさー。だから実質、冬親ちゃんと色ちゃんの二人だけだし」
その言葉に、梓藤は小さく頷いた。
「第二係から応援に人手を借りるか、人員の補充を急いでもらうしかないな」
「俺が役に立ったらなぁ」
「静間は今、出来ることをしてくれている」
「その通り! もっと俺の事褒めてー!」
そこへ西園寺が帰ってきたので、梓藤もまた自分の席についた。
そしてその日は、珍し定時で席を立つ。
「今日は少し所用があるから、先に出る。お前らも適度にな」
そう言って足早に、梓藤は本部を出た。暫く歩いて行き、途中でタクシーを拾う。住所を告げて、その後は座席に深々と背中を預けていた。向かう先は、実家だ。
実家の梓藤家は、その筋――PKやESPといった異能と呼ばれる力を輩出する家柄として古来より有名な存在だ。マスクがこの世界に出現する前から、それらの超能力を用いていた記録があり、超心理学的な観点で超感覚的知覚などが命名されるずっと前から、『心を視る』『心を読む』として、特にESP能力に秀でた者が多かったようだ。
梓藤本人も、ESPの力が生まれつき強かった。
だからこそ逆に、力を封じた。梓藤の場合は、心で考えている事柄が、音として聞こえる。心を読まれないように統制訓練を受けた者が相手ならばさすがに読み取る事は困難だが、ただ路を歩くだけで、数多の雑音に悩まされ、未就学児の頃までは、無音の自室に引きこもって過ごしていた。しかしそれでは義務教育が受けられないという事で、封印する指輪を与えられた。暫くはそれを頼りに生活していたのだが、成長する度に力は強くなり、指輪はすぐに割れて壊れるようになった。落ち着かない日々の再来だった。
結果として、梓藤家は、一時的に梓藤の能力を封じるという選択肢をとった。
他者の悪意を聞き続けて生きていては、心を病むか、すぐに命を絶つのは明白だった。過去にそういった例は多く、耳を切り落とす者も珍しくはなかった。見える者であれば、眼球を潰したり、抉り出した者もいる。梓藤の家族は、それを望まなかった。梓藤は、愛されて育った。
――その指輪である。今、封印を解き、再び指輪をつける生活に戻ったならば、と、梓藤は考え、実家に顔を出す事に決めた次第だ。もしももっと早くそうしていれば、少なくとも坂崎の異変にはすぐに気づけたはずだという考えもある。いつか、西園寺に言われた【力】だ。
「おかえり、冬親」
家に入ると、祖父が立っていた。紋付き袴姿の祖父は、柔和に笑う。将棋が趣味だ。
己とは著しく色彩が異なる。梓藤家の場合、ESP能力が強いと、遺伝の法則を無視したような色彩で生まれてくる事が多い。その筆頭が、梓藤のような金髪碧眼だ。
「封印を解除したいんだってね」
祖父が歩きはじめたので、その後をゆっくりと梓藤が続く。
「可能か?」
「可能だよ、勿論。元々冬親が持っているものだからねぇ。ただ、再封印が難しいんだ。指輪で制御できなかった場合、また雑音まみれの毎日になる。それでも構わないの?」
「指輪が壊れたら、また作り直せる、そうだよな?」
「そうだね。どころか、私は万が一に備えて、全サイズの指輪のストックを最低二十ずつは用意して持っているよ? 可愛い冬親の事だからね」
「……用意しすぎでは?」
「そうかなぁ?」
どこまで本気なのか分からない祖父が、奥の座敷に入った。
何気なく続いた梓藤は、反射的に耳を押さえる。非常に高い耳鳴りが、三半規管を埋め尽くし、そしてすぐに消えた。
「これで、解けたはずだよ。床に解除紋を刻んでおいたから。さぁ、指輪はどのサイズがいいかなぁ?」
飄々とした祖父の声が響き、その後音が鳴り止んだため、長く息を吐いてから、梓藤は指輪のサイズを選び、ストックも貰った。
「一応、技術も進歩しているから、昔の品よりは強力だとは言え、君の力も増しているだろうから、気をつけてねぇ」
「ああ。ありがとう、お祖父様」
こうして無事に目的を果たし、梓藤はその足で実家を出た。
少し指輪を外して歩いてみる事にする。
すると歩道を行き交う人々の心の声が聞こえはじめた。能力が戻ったことに一安心しつつ、良い感情も悪い感情もそれ以外の感情も、雑多に声として響いてくる状態を、妙な話、梓藤は懐かしく思った。そして昔は恐ろしくてたまらなかった人の悪意に対しては、現在は特別無感動になっていると気づいてしまった。日々、人間の血肉を食べる者の相手をしていると、多少の悪口など可愛く思えてしまうらしい。
それから指輪を嵌め直し、帰りは電車でマンションへと戻った。
少しだけ、小雨がパラついていた。