エレベーターの扉が開くと、正面に豪奢な飴色の扉があった。
その扉にも、西園寺が調査してきた紋章が描かれている。それを確認し、三人は視線を交わした。コートのポケットに手を入れている坂崎は、その中の排除銃に触れている。他の二人は、黒いスーツに排除銃を隠し持っている事を悟られないようにしている。排除銃は、銃把を握ると、銃口の周囲が開いてサイズが大きくなるのだが、普段はスーツにしまっておける大きさだ。その他にも各々が得意とする武器を、いくつも隠し持っている。
「行くぞ」
梓藤が宣言すると、二人が頷いた。そして梓藤がノックをする。その音が響き終わると中から返答があった。
『お入りください』
それを耳にし、梓藤が扉を押し開く。中へと梓藤が入ったので、後ろを二名が続く。
「どうぞ、そちらの応接セットのソファにおかけください」
社長が震える声でそう語る。三人は頷くと、腰を下ろした。
そのテーブルの上には、パンフレットがあった。何気ない風に坂崎が手に取る。そして双眸を鋭くした。
――タスケテクダサイ。
という紙片が挟まっていたからだ。隣に座っている梓藤に、それを見せる。すると梓藤が頷いて、それから改めて切り出した。
「本日は、急な来訪にもかかわらず、誠に有難うございます」
「い、いえ……」
社長の唇は肉厚で、紫色に染まり、震えている。ガクガクと歯が鳴る音もする。
「社員の名簿を見せて頂けますか?」
「え、ええ。勿論です」
頷いた社長に向かい、声をかけた梓藤が立ち上がる。坂崎は、同じく立ち上がった西園寺に紙片を渡した。西園寺が息を詰め、社長と坂崎を交互に素早く見たが、すぐに彼はまた無表情に戻った。優秀だなと、坂崎は考えた。
「こちらの彼は?」
梓藤は、静間が高等知能のマスクだと証言した青年を、写真の中から見つけ、静かに問いかける。
「あ、ああ……彼は、営業部の……」
社長が名を告げ終わった時、頷いた坂崎が、ポケットから排除銃を取り出し、社長の頭を撃ち抜いた。横で、珍しく目を見開き、西園寺が硬直した。
「どうかしたのか?」
坂崎が笑顔で西園寺を見る。
「……彼は、人間だったのでは……? 彼もマスクだったんですか? 先程の紙は偽装で……」
ぽつりと西園寺が言う。すると排除銃をしまいながら、坂崎が首を振った。
「いいや、こいつは人間だったと思うぞ」
「えっ、で、では、何故……?」
「ん? マスクに手を貸したり、マスクを庇ったりした場合は、死刑囚と同等で、極刑と決まっているからだ。仮にその理由が恐怖からだったとしても、マスクをマスクだと知りながら雇用していた時点で、この社長は排除対象なんだよ。記憶力、何処に置いてきたんだ? 基本だ」
坂崎が一瞬だけ暗い瞳をしたものだから、西園寺の背筋がゾクリとした。
だがそれは見せず、すぐに西園寺は気を取り直す。
「失念しておりました、申し訳ございません。以後、気をつけます」
「まっ、分かれば良いんだ、そう気を張り詰めることもないんじゃないかい? な?」
いつも通りの表情に戻った坂崎が、それから梓藤を見た。
「営業部に行くか? まずは」
「そうだな。確定的にマスクがいるわけだからな。わかる者から排除しよう」
梓藤が頷いたので、二人もまた従うことにした。
再びエレベーターへと乗り込み、三人は営業部がある五階で降りた。するとエレベーターホールに入った段階で、いやに甘い匂いがした。正面の廊下を行くと非常階段、後方はエレベーター、そんな配置を誰ともなく確認した後、その廊下の中央にある、営業部という看板と、開け放たれた扉を、三人がほぼ同時に見た。
「この匂いは、マスクの分離臭とは異なるな」
坂崎の声に、梓藤が頷く。
「俺もそう思います。ただ俺は分離したマスクには二度しか遭遇した経験が無い」
「二度あって、生きて帰ったんだから、誇っていいだろ」
口角を持ち上げて、ニッと坂崎が笑う。
「だが、それなら、これはなんの匂いだ?」
梓藤の声に、ぽつりと西園寺が言う。
「イチゴジャム……」
梓藤と坂崎の視線が、西園寺に集まる。
「今朝、食べました」
「……お、おう。マスク退治をしていて、イチゴジャムがお好きとは、珍しいな。あれだろ、昔はお前みたいなのを甘いマスクって言ったんだろ? イケメンの事? か? いつまでも独り身でパンなんか囓ってないで、嫁さんを貰え」
坂崎の声に、梓藤が呆れたように目を据わらせる。
「それはセクハラなんじゃないのか? まぁご自分はご結婚なさっているから、そう思われるのかもしれませんが」
「まぁな。俺の家内はよくできてるよ。本当に気立てもいい」
「坂崎さん。今から突入しようと言う時に、無駄な惚気はご遠慮願えますか? そういうの、確か死亡フラグというんじゃなかったでしたっけ? 昔の言葉で」
「ああ、まさに俺の世代の言葉だ。もう私語なのか?」
きょとんとした坂崎に対し、梓藤は頭痛がしてきたので、もう無視を決め込むことした。当初は西園寺を無駄話から救出する意図だったのだが、坂崎には伝わらなかったようだ。
「行くぞ、全員銃を携帯しろ、今からだ」
気を取り直した様子の梓藤の指示に、二人は頷いて従う。
そして先頭を梓藤が進み、その間を西園寺、しんがりを坂崎が務めた。
気配を押し殺して三人は進む。そして扉からチラリと梓藤が内部を窺う。すると不審そうな顔をした。それから梓藤は、扉の向こうの壁に素早く移動し、中を見るように西園寺へと促す。
中では、白いテーブルの上に規則正しく並んでいる大きな容器から、左右の手で交互に掬うようにしながら、イチゴジャムを貪っている者達がいた。ベトベトと口の周囲が赤く染まっている。西園寺は、漠然と思った。
「? マスクの昼休憩に配られているのでしょうか? お弁当のような」
唇だけをそう動かした西園寺だったが、梓藤は完全に読み取った。
「お前までそこでボケ散らかすのか?」
だが、梓藤の唇を、西園寺は全く見ていなかった。
そこで坂崎が、西園寺の横から中を一瞥し、片眉だけを顰める。そしてポケットから
仕事用のスマートフォンを取り出して、メッセージアプリに文字を打ち込む。
『あれは、高等知能のマスクが、一般的なマスクを飼っている状態でよく見られる。生命維持のためにジャムを与え、人肉や血を求める飢餓感だけは残し、ターゲットが訪れたら、一斉に襲いかからせるという手法だ。つまりこれは罠だ。中の全てのマスクは次に俺達を喰べようとする。ジャムがな無くなり次第。エレベーターはなにやらこの階で停まった音がするし、俺から見える非常階段の扉の外には人影があり、ドアがギシギシ言ってるが?』
つらつらと読んでいた二人は、エレベーターと非常階段を確認し、慌てて銃を構え直す。中から一斉にマスク達が立ち上がり、三人のもとへ出て来ようとするタイミングも同じだった。
「もう黙って静かに気配を消しててもなんの意味もなさねぇな」
堂々と坂崎が述べる。
「この量で三方向から挟み撃ちは、さすがに厳しいな。とりあえず、部屋の中に入って扉を閉めて、中の殲滅から始めるか?」
坂崎が提案すると、西園寺が声を出した。
「俺は外に残って、外の殲滅を」
「――そうか。死に急ぐなよ?」
少し思案した様子だったが、坂崎は頷いた。その時には、既に梓藤は室内にいた。同様に中へと坂崎が滑り込んだ直後、梓藤が鍵を閉める。そこへ梓藤の背後からマスクが襲いかかろうとしたのを、坂崎が撃ち抜いた。後方の白い壁に、マスクは衝撃で激突し、陥没した頭部をさらに打ち付けてから、床へと沈む。その時には、既に梓藤も発砲を始めていた。
最早どの個体の血であり、脳漿であり、肉片であり、眼球なのか。
そんな事は混じり合って分からない。
分かる事は一つだけで、二人で的確に、マスク達の頭部を破壊しているという事だけだ。時には噛みつかれそうになったり、実際に腕を噛まれたりしたが、特に噛まれても遺体のみで問題は無い。喰いちぎられなければ、という話だが。
――破裂音がしたのは、その時だった。
二人が一瞬動きを止める。そして扉へと振り返る。すると窓に叩きつけられている、マスクの丁度鼻から下くらいの後頭部だったものが見えた。それは、明らかに排除銃による銃撃では起きえない破裂状態にあった。まさしく、顔の半分から上の頭部が完全に破裂した状態だ。綺麗にナイフで切り落としたといわれても、不思議では無いような断面である。
「……」
坂崎は一瞬不思議に思ったが、別段外が片付いているのならば何を用いても問題は無いと判断し、自分の仕事に戻った。梓藤は、一応そんな坂崎に向かい、補足する。
「西園寺は、PKが使えるんだ」
「ほう、そりゃぁまた。どうりでPKの模倣で動いてるようなもんの排除銃より威力が強いわけだ。ただそれにしても、範囲が広いな。一撃で外が、全滅したぞ? 素晴らしい」
坂崎はそう言いつつも、どうでもよさそうだった。
「しかし静間の腕を持っていったという奴はいないみたいだな」
坂崎はそう言いながら、残り二体となったマスクの両方の頭部を撃ち抜いた。
そうして落ち着いたので、梓藤が鍵を開ける。
すると血だまりと肉片の山を革靴で踏みながら、西園寺が入ってきた。
「どうする? 梓藤、検証は第二係に頼むとして、高等知能のあるマスクをここで逃したとなると、厄介だぞ?」
「坂崎さんはどう思うんですか?」
「そりゃ、主任のお前に任せる」
「主任の俺が意見を求めているって事だ」
「詭弁だな」
苦笑してから、坂崎が頭上を見上げる。そして排気口めがけて、排除銃ではなく、普通の拳銃を撃った。
「うっぐぁあ」
すると奇声が響いた直後、排気口から、平べったいものが落下してきた。
甘い匂いが漂っている。それが落下し絨毯の上に落ちた直後、排気口からはたらりたらりと血が零れてきた。
「やっぱりな。こういうお遊びが、高等知能のマスクは好きなんだ。自分が仕掛けたものは、自分の目で見たいらしい」
甘い匂いがした瞬間、息を呑んだ西園寺が凍りついた顔をした。
「あー、体が動かなくなっただろ? 直接吸い込むと、人体はそうなるんだ」
「えっ……どうして、坂崎さんと主任は、動けるんですか……?」
「俺はワクチンを打ってる。研究所でマスクの香りへの対抗実験をいくつもしていて、その中で生み出された一つだ。そういえば、梓藤、お前は?」
坂崎が、近づいてくるマスクの顔を、ダンっと革靴で踏みつける。そして今度は排除銃を構えると、踏み潰したマスクから一度靴を退け、その顔面を撃ち抜いた。
「俺は動けないぞ?」
「は? じゃあ、二度もどうやって逃げたんだよ?」
「運が良かったんだ」
「へぇ。まぁ三度目もあればいいな。ただ俺は運任せではなく、早急にワクチンを接種することを勧めるが」
「ああ。ワクチンの存在を知らなかった」
「最後にボケ散らかしたのは、結局梓藤だったな」
坂崎が声を上げて笑い始めたので、梓藤はいたたまれなくなった。
西園寺は、自分もワクチンを打とうと決意する。
「さて、最後の高等知能マスクを退治して、帰るか。梓藤をスタンガンで気絶させた個体」
坂崎の声に、梓藤が大きく頷く。西園寺だけが首を傾げた。
「そちらは、何処にいるのか分かるんですか?」
「受付にいただろ」
「あ……」
「そう何体も高等知能マスクは、本来はいない。一係は、対処する機会が多いから、体感では麻痺するだろうが、全体の中での比重はかなり低い」
「……な、なるほど」
こうして三人は、堂々とエレベーターで一階まで降りた。
そして受付のカウンター、扉の向こうにいた高等知能マスク及び、何も知らなかったのだろうが、一緒に働いていたという罪で、人間も全て撃ち殺した。梓藤と坂崎は慣れているようだったが、殺人はさすがに初めてだった西園寺は、終わって外に出た時、自分の手が震えていることに気がついて、目を見開き唖然とした。
するとポンと坂崎が、西園寺の肩を叩く。
「誰だって最初は怖いもんだ。それに、人が人を殺してはいけないという信念は、俺は正しいと思ってる。だが――これも仕事だとして割り切るか、それが出来ないのならば、より多くの市民を助けるために必要なことだと考えればいい。まぁ、すぐに慣れるさ」
そう言って坂崎が両頬を持ち上げて笑った。
おずおずと西園寺が冷や汗をかいたまま頷いていると、坂崎が梓藤に声をかける。
「悪い、俺はこのまま直帰してもいいか? 来る前に調べた位置情報で、すぐそこに駅があるのを見つけてる」
「ああ、構わない。坂崎さん、さすがった。坂崎さんがいなかったら、死んでいた」
「かもな。いいや、案外、三度目の幸運があったのかもな。じゃあな」
最後に口角を持ち上げて笑うと、春の兆しが見える土手へと上がり、坂崎が歩いて行った。それを西園寺が見送っていると、先に車の横に立った梓藤が声をかける。
「置いて行くぞ」
「今行きます」
慌てて西園寺がそちらに向かう。それからふと、疑問を抱いて、乗り込む前に、梓藤に尋ねた。
「主任はどうして、【力】を使わないんですか?」
それを聞くと、梓藤がいつもの通りの無表情に戻った。
そして冷たい声を放つ。
「余計な詮索は死期を早めると覚えておけ」
「……はい」
こうして二人は車に乗り、本部へと帰還した。