「これで、設置は完了だね」
独りごちた斑目は、エアコンから振り返り、席につく。そしてパソコンを挟んで向かいに座っている坂崎を見た。
「しかしお前さんらは、やっぱりすごいな」
目が合うと、坂崎が笑った。
実は日中、班目は梓藤と一緒に周りながら、二人で各地に隠しカメラを設置していたのである。人が多い職員室にはそれが出来なかったので、待機場所を職員室にして欲しいと繰り返し、こうして現在、教員の椅子に堂々と座る権利を得た。職員室には、今し方エアコンに設置した。
その時、坂崎のスマートフォンが音を立てた。
仕事用ではなく、プライベートの端末を手にした坂崎は、眉間に皺を刻むとすぐに応答する。
「……っ、そうか」
坂崎の声がいつもより低くなる。すると坂崎は、通話をミュートにするような仕草をし、斑目を見据えた。それから立ち上がりつつ小声を放つ。
「悪い、家内が急変したらしくて、息子から連絡がきたんだ。少し、廊下で話してきてもいいか? すぐに戻る」
「ええ、勿論です」
即答した斑目は心配そうな瞳になり、戸口へと足早に向かう坂崎を見送った。
「快癒するといいんだけどね……」
一人になった室内で、斑目は思わず呟いてから、軽く頭を振った。
坂崎の奥方が心臓の病を抱えていること、もう移植以外に手はなく、死期が近いことは、斑目も知っていた。見舞いにも行ったことがある。なお坂崎には一人息子がいて、坂崎透という名だったはずだと、斑目は思い出した。まだ十二歳だそうだが、母の看病を主に担っているらしい。
それから少しすると、職員室の戸が開いた。坂崎が戻ってきたのだろうかと視線を向けると、そこには吹屋の姿があった。
「吹屋先生? どうかなさったんですか?」
「その……今日は、当直で見回りをしていたんですが……地下に続く階段から、物音がするんです」
その言葉に、一瞬斑目はいつもの上辺の微笑を崩しかけたが、平静を装い口元を綻ばせる。
「それは不思議ですね。地下には何があるんですか?」
「主に江戸時代の斧や鎌などを壁や床に並べてあります。文化的に、非常に価値のある農具もあります。社会科系の科目で観察するための品です……誰もいないはずで、普段は音なんてしなくて……私、とても怖いんです。確認してもらえませんか? 今日宿直なので、なにかが出たらどうしようかと思って……」
顔色が悪い吹屋の切実そうな声に、斑目は思案する。
考えてみると、梓藤とまわった際は、地下も確認していない。というよりは、地下があることを知らなかった。地下にも隠しカメラはつけるべきであるし、不審な音がするとして、それがマスクの仕業であれば、排除するために確認する必要がある。
「……」
斑目は戸口を見る。坂崎はまだ戻ってこない。本来、二人一組で行動するのが義務だとはいえ、入院中の奥方の状態が悪化した様子の坂崎を、今すぐ呼び戻すのは躊躇われる。
「分かりました。地下の方へと案内して下さい」
「は、はい! ありがとうございます」
ほっとしたように、吹屋が頷いた。
こうして二人で廊下へと出る。上方へと続く階段の方角から、坂崎の微かな声が響いてくる。だが吹屋は廊下の逆側の階段へと進んでいく。斑目はその後に従った。
二人で階段を降りていき、地下へと通じるという扉の前に立つ。
関係者以外立ち入り禁止と書かれている。
吹屋がそれを鍵で開けると、地下へと続く階段が現れた。
「ここを下ればいいんですね?」
「は、はい」
斑目が耳を澄ましてみると、確かに水音のようなものが聞こえた。
なにかあるのは間違いないが、漏水などの可能性も検討する。
「僕が見てくるので、吹屋先生は職員室へと戻って下さい。もう一名の捜査官が来たら、僕が地下へと向かったことを伝えて頂けますか?」
「はい」
大きく吹屋が頷いたので、微笑を返してから、斑目は階段を降り始めた。
注意して下りながら、斑目は珍しく微笑を消した。それは一人だからである。誰かがいる場合は、常に微笑を浮かべることを心がけているが、別段一人の時はそうする必要は無い。時々梓藤の前でも、斑目は透き通るような目をして、無機質な表情を見せることがあるのだが、それはそれだけ付き合いが長く、心を開いているからだ。
進んでいく内に、斑目は息を詰めた。
最初はごく微かに、だが進むにつれて非常に強く、血の香りと腐臭が、斑目の呼吸を苦しくさせる。鼻から口元までを右手で覆いつつ、斑目は眉を顰めて、階段の中程まで進んだ。すると水音もまた大きくなり――グチャリと聞こえるように変化した。時にはビチャビチャと響いてくることもある。斑目からすると、品のない食事方法をする人間が立てる音のように思えた。クチャクチャ食べる人々が出す音に、類似している。
真剣な表情に変わった斑目は、ゆっくりと瞬きをしながら思案した。
――引き返すべきか、このまま進むべきか。
階下になんらかの存在がいるのは、もう間違いないだろう。恐らくは、マスクだと推測する。
「どうしよう……」
斑目は口の中だけで、そう呟いた。
ふと、梓藤の事が頭を過る。
――もし冬親だったらどうするだろうか?
そう考えた斑目は、進むことに決めた。梓藤の心は、誰よりも理解しているつもりである。大切な、たった一人の親友だ。
スーツの懐から、しまっていた排除銃を取り出し、斑目は銃把を握る。
念のために、防衛及び攻撃が可能な武器を手にした形だ。
こうして気配を消し、足音を立てずに斑目は、暗い階段を降りていく。
すると一番下の終着点らしき部屋から、灯りが漏れていた。斑目は、階段の下から二段目で立ち止まり、角からそっと首を向ける。
「なっ」
思わず声を出してしまい、慌てて斑目は口を覆う。
そこには、制服を着た生徒が一人横たわり、周囲には膝をついているやはり制服姿のものが、六名――いいや、六体いた。横たわっている一人に、周囲の六体が手を伸ばし、血を啜ったり、肋骨を折って舐めたり、なにより肉を喰らっていた。
マスクだ。
「美味いぃぃ」
「あぁ美味いいい」
「腐ってるけどまぁぁウまいぃ」
六名の内の誰かが、呂律の回っていない声を出している。これらの六体には、高等知能は無いようだと、斑目は判断した。だが非常に危険な存在に間違いはない。
「……」
一度坂崎を呼びに戻るべきかと、斑目は考える。
――そうするべきだ。
すぐに結論づけて、前を向いたまま、後方へと階段を後退るようにした時、階段の上階から足音がすることに気がついた。斑目は振り返る。暗がりで、まだ顔は見えないが、誰かが走り降りてくる音がする。
増援だ。
恐らく坂崎は、職員室に戻って、吹屋から伝言を聞いたのだろう。そう確信し、斑目は肩の力を抜く。そして安堵しながら、再びマスク達を観察することにした。坂崎が来た時に、より詳細な情報を届けたい。
早く降りてきて欲しいと感じながら、斑目は気配を押し殺すようにしながら息をする。
そして、後ろで立ち止まった気配がしたので、振り返った。