朝はいつも稽古から始まる。しかし本日は、少し気分が浮ついている。
何せ、スズカと直接会うのだから。
昨夜ログアウトしてから、名前を聞いておけば良かったと後悔したが、俺はこれでも『鬼の風紀委員長』と呼ばれているので、自分が名乗って避けられたらと思うと怖かった為、これで良いようにも思っている。
「どうせ数時間後には分かる事だしな」
現在、午前八時。
ゆっくりと朝食を口にした俺は、改めてスズカについて考えた。
まさかこんなにも身近にいるとは思わなかった。
どうりで話も合うわけだ。同じ学園なのだから行事の日程だって被っていて当然だ。
「しかしあのクラスでゲーム……人気のゲームだしな、誰がやっていてもおかしくはない。でも全く想像がつかない」
ライバルがいるらしい、その相手を好きらしい――これが最近聞いた個人情報だ。しかしこれのみでは、誰なのか特定できない。
「でも全校生徒の名前と顔は頭に入っている俺だ。恋愛相談にはある意味最適かもしれないな」
折角なのだから、力になりたい。
本音を言えば、実際にあって恋心が変わらなければ、俺自身が頑張りたいところだが、まずはスズカを励ましたい。恋愛経験が無い事はこの際黙っておこう。
「リアルでも話しやすい相手だと良いな」
そんな風にブツブツと呟きながら、俺は時計が九時を指すのを待った。
「よし、少し早いが出るか」
寮から待ち合わせ場所までは少し歩くし、早く行く事は悪い事でも無いだろう。
休日ではあるが制服に着替えて、俺はエントランスで靴を履いた。
次第に気分が盛り上がってきた。
早く会いたい。
会ったら何を話そうか。いや、目的は恋愛相談に乗る事ではあるのだが、落ち着いたら【タイムクロスクロノス】の話だってしたい。
それにこれからは、リアルで一緒にゲームをしたりも出来るようになるかもしれない。楽しみで無いはずが無い。
浮かれた気分で、俺は待ち合わせ場所の旧校舎裏へと向かった。丁度良い木陰があって、その一角に四阿がある。
「ん」
俺は歩み寄ろうとして足を止めた。
そこに、人気があったからだ。
最初俺は、スズカかと思ってドキリとしたが、すぐに顔を引きつらせた。
四阿のベンチに座っているのは、生徒会長の涼鹿だったからだ。スズカ違いだ!
俺とアイツがそろってあの場所に居たら、確実にスズカは近寄ってこない自信がある。良くも悪くも、風紀委員長と生徒会長は有名人と言って良い……。涼鹿、どこかに行ってくれないだろうか。というか、なんでまたこんな場所に、よりにもよってこの時間に……。
今俺にある選択肢は、ログインしてスズカに待ち合わせ場所の変更を告げるというものだろうか。とりあえず俺はスマホを取り出した。待ち合わせまで、あと三十分ほどとなっている。
「……」
急遽変更するのも、スズカに悪いかもしれない。ここは一つ、バ会長の方に場所を譲ってもらうか。俺はそう決意し、四阿に歩み寄る事に決めた。
「おい」
「あ?」
俺が声をかけると、肉食獣じみた顔つきで、涼鹿が俺を見た。
「っ、珠碕」
「ここで何をしている?」
「別に? 俺様がどこにいようと俺様の勝手だろうが。お前こそ見回りか?」
「いや、その……ちょっとここで待ち合わせをしていてな。悪いんだが、涼鹿の方に特別この場所にこだわりや用件がないのなら、場所を変えてもらえないか?」
普通に俺はお願いした。すると涼鹿が目を丸くした。それから迷うようにテーブルを見てから、改めて俺に顔を向けた。
「悪いが俺様もここに用があるんだよ。お前こそ場所を変えろ。なんで俺様が変えなきゃならないんだ」
「……そうか」
交渉は無駄に終わった。俺は溜息をついてから、スマホを取り出して、【タイムクロスクロノス】にログインした。すると、スズカもログインしていた。
『悪いスズカ。場所を変えてもらえないか?』
『何処に?』
『そうだな……旧校舎の中はどうだ?』
『分かった。ちなみに理由は?』
『現地に人気がある』
素直に俺が答えた時、不意に目の前で溜息をつく気配がした。何気なく見れば、涼鹿が険しい顔でスマホを見ていた。
……。
すると涼鹿が顔を上げた。そして周囲を見渡してから、再び俺を見た。
「珠碕」
「なんだ?」
「俺様は移動するから、好きに使え」
「は?」
たった今俺も待ち合わせ場所を変えたというのに……! なんというタイミングだ。
「いや、俺も移動する事にしたから、気を遣わなくて良い」
「別にそういうわけじゃねぇよ。待ち合わせ場所が変わったんだ」
「待ち合わせ……?」
それを聞いて、俺は思わず首を捻った。それから俺も周囲を見回した。この人気の無い場所で、今日というこの日に待ち合わせ場所が重なるなんていう事が果たしてあるのか?
涼鹿は……名前がスズカと同じだ。
いやでも、まさか。
「お前……スズカなのか?」
「あ? 俺様は生まれてこの方涼鹿颯という名前だ」
「そうじゃなくて!」
思わず俺はスマホの画面を突きつけた。
「【タイムクロスクロノス】をやっているスズカかと聞いているんだ」
「!!」
すると涼鹿が目を見開いた。生徒会長の驚愕した顔を見た事がある人間は少ないのでは無いだろうか。
「お前、どうして……――って、は? まさか、アズって……珠碕梓だったな、お前」
「本当の本当に真面目な話、事実として涼鹿がスズカなのか?」
「……おう」
俺は衝撃的すぎて、言葉を失った。改めてスマホを見る。それからまた涼鹿を見る。
「……」
「……」
気まずい。これは予想していなかった。
俺は学園内で何故なのか宿敵だと思われている生徒会長を見る。
涼鹿がゲーム? イメージが全くない。
「とりあえず、座ったらどうだ?」
チラリと俺を見て、涼鹿が言った。曖昧に頷いてから、俺は対面するベンチに座る。
「……」
「……」
涼鹿がスズカ……確かに名前はそうだ。だが、本当に予想していなかった為、言葉が見つからない。別に俺はスズカの外面に惚れたわけではなく、ゲーム内でのチャットに気付いたら惚れていたのだと思うからその部分は良いのだが……俺と涼鹿が恋愛するってあり得るのだろうか? ま、まぁ、ゲーム内だけの関係よりは、出会えたのだから進歩はしたのか?
しかし非常に重い沈黙が漂っている気がする。
ゲームではそれこそ毎晩話していたが、リアルで俺は涼鹿と話した事がほとんど無い。
「涼鹿」
「あ?」
「その……俺で良ければ、相談に乗る。約束通り」
俺は必死で会話をひねり出した。すると涼鹿が咽せた。咳き込んでいる。
「もう分かってるだろう? 俺様が誰を好きなのか」
「え? いやそれはさっぱり分からないが、俺は約束は守る」
そもそも涼鹿にライバルがいる事自体俺は知らなかった。すると涼鹿が信じられない者を見るような顔になった。俺を凝視している。
「……そ、そうか」
「ああ。そもそもテストでしか教室に行かないからな。風紀としても特にお前にライバルがいるといった情報は把握していない。だが安心してくれ、俺は全校生徒を記憶している。少しは役に立つかもしれない」
俺が安心させようとそう述べると、ギュッと涼鹿が目を伏せた。思ったより睫毛が長い。今まで意識した事は無かったが、改めてみるとさすがは抱かれたい男一位だけあって、整った顔立ちをしている。
「本当に分かってないんだな……」
「悪いな」
「いや……いい。忘れてくれ」
「忘れる?」
「自分の力で頑張る。それだけだ」
涼鹿はそういうと目を開けた。俺が相手だから相談する気が失せたのだろうか? 俺がこれほど驚いているのだから、涼鹿だって驚いていないわけではないだろう。
「それより、珠碕」
「なんだ?」
「折角だからな、その……【タイムクロスクロノス】をしないか?」
「やる」
俺は頷き、ログインしたままだったスマホを見た。まぁ恋愛に関しては、今は深く突っ込まない方が良いだろう。それに、俺自身が昨日アドバイスした通り、まずは親睦を深める事で俺も恋愛を頑張らなければ! ゲームはそれに最適だ。何より、俺だってゲームがしたい!
気付けば俺は両頬を持ち上げていた。するとそんな俺をじっと見てから、どこか苦笑するような顔をした後、何度か涼鹿が頷いていた。何笑いかは知らない。