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第12話 エルシア学園の魔法

 ヴェルディの家には、三日間滞在する事になっていた。

 晩餐の後、夜着はヴェルディの家で貸してくれると聞いていたので、入浴を済ませてからカルナは服を借りた。薄手のバスローブを着て、その上に上質なガウンを羽織る。これまでの人生で着た服の中で、もっとも着心地が良かった。

 カルナにあてがわれた部屋に戻ると、ヴェルディが待っていた。ヴェルディに歩み寄ると、そっと腕を引かれる。倒れこむようにして、カルナはヴェルディの腕に収まった。ヴェルディはカルナの腰の紐を解きながら、その頬に口付ける。

「一週間離れていただけなのに、俺は寂しかったぞ」

「僕も」

 ヴェルディの体に腕を回して、カルナは抱きついた。

 そしてキスをした。

 翌日は、ゆっくりと起床した。着替えをし、部屋に運び込まれてきた朝食を二人で楽しんでからは――集中して宿題をした。ヴェルディがカルナを外に連れ出したのは、午後になってからの事である。

「わぁ」

 庭園に向かい、そこに咲く春の花を見て、カルナが満面の笑みを浮かべた。キーギス伯爵領地は、王都よりも春が来るのが早いのだ。咲き誇るチューリップを見て、嬉しそうにカルナが頬を緩ませる。菫も咲き誇っていて、木々にも薄紅色や紫、白い花が咲いていた。風が吹く度に、花弁が舞い落ちてくる。

「花が好きだと聞いてから、ずっとこの風景を見せたかったんだ」

「綺麗だね」

「だろう? 俺はそれほど花に関心があるわけではないが、この場所は好きなんだ」

 こうしてその日の午後は、庭園を散策して過ごした。

 ――三日間は、本当にあっという間で、宿題が終わったのは良かったが、カルナはヴェルディと離れるのが名残惜しくなってしまった。最後の日、ヴェルディに馬車で送ってもらいながら、カルナが言った。

「来月からは騎士団のお手伝いなんでしょう? 気をつけてね」

「ああ」

 大きく頷いたヴェルディを見て、カルナも頷き返した。

 馬車を花屋の前で見送ってから、カルナが店の中に入ると、花束を作っていた父親が顔を上げた。

「おかえり」

「ただいま」

 いつも通りの姿に、ホッとしてしまい、ヴェルディの家で過ごした時間が夢だったかのような心地になった。その後自分の部屋へと戻り、鞄を置いて、机の上に宿題を並べた。ヴェルディが丁寧に教えてくれた事を思い出す。

「……もっと頑張ろう」

 カルナは一人誓った。

「それに……僕も王国騎士団の手伝いが出来たら良かったのになぁ」

 気づくとカルナは呟いていた。それはヴェルディと一緒にいたいからではない。それも勿論あるが、ヴェルディの力になりたいという想いや――ヴェルディのようにみんなの役に立ちたいという願いの方が強かった。キーギス伯爵家に滞在中は、騎士団で副団長をしているという、ヴェルディの兄の話なども食事の席で聞いた。

「騎士団に入るには、難しい試験があるんだったよね……」

 いつかヴェルディと話した事を思い出しながら、カルナは椅子に座った。ヴェルディは騎士団で働きたいと話していた事も思い起こす。

「僕も……そうなれたら良いな……」

 半ば無意識に、カルナはそう口にしていた。

 ヴェルディに追いつきたい。ヴェルディの役に立ちたい。

 そして――父達をはじめ、みんなを守れるようになりたい。助けられるようになりたい。

 そう考えると、自然と教科書を開いていた。テストが間近というわけでもないのに、率先して教科書を開いたのは、思えば初めての事だった。

 こうして――新学期が訪れた。新学期は、ワルプルギスの夜の翌日から始まった。カルナが寮に行くと、既にヴェルディが来ていた。本日は寮に戻る日であり、本格的な講義は明日からとなる。今日中に決定する事としては、新しく始まる個人希望の講義選択をどうするか、である。攻撃魔術のクラスや回復魔術のクラス等も選べるようになるのだ。休暇前に終了した講義もあるから、そこまで増えるわけではないが、これまでとは異なり個人希望の講義を五つほど選択する事になっている。

「なんだか久しぶりに会った気がする」

「実際二ヶ月ぶりだからな」

「会いたかった」

「俺もだ。あれは土産だ」

 ヴェルディが立ち上がり、カルナを抱きしめてから、テーブルを見た。テーブルの上には、美味しそうな焼き菓子のカゴがある。頷いてから、カルナはヴェルディに自分からキスをした。するとヴェルディが嬉しそうに頬を綻ばせる。

「選択講義は何を取るか決めたか?」

「迷ったんだけど、一つは、回復魔術の講義を取ろうと思うんだ」

「そうか。適性がある者も少ないし、カルナは向いているような気がする」

 ヴェルディが頷きながら、ソファにカルナを促した。それに従い座っていると、ヴェルディが珈琲を淹れて戻ってきた。

 本当は攻撃魔術と迷ったのだが、カルナは――魔物を討伐するよりも、万が一ヴェルディや討伐に出た人々が怪我をした時に、癒せる事が出来たら嬉しいと感じたので、回復魔術を専攻する事に決めたのである。

「俺は攻撃魔術を専攻する。別のクラスとなるな」

「そうだね」

「何か一つくらいは同じ講義を取ってみたいんだが」

「んー、僕は他には、何を取ろうかな」

「必修で増えるのは歴史学だな」

「うん。あ、そうだ。魔術絵画史を取りたいと思ってたんだった」

「それは俺も興味がある。一緒に受けるか?」

「うん!」

 そんなやりとりをしながら、二人は受講希望書に鉛筆で記入する事にした。

 そして揃って紙を提出してきた。

 翌日からは、普通に講義が始まった。ヴェルディの取り巻きは今も多いが、現在ではもう既に、誰もヴェルディとカルナが一緒に部屋から出ても何も言わない。ルイがいなくなってからは、微笑ましく見守ってくれる生徒が増えた。

 その変化は火のクラスでも同じで、最近はカルナに話しかけてくれるクラスメイトも増えた。新学期初の顔合わせなので皆と挨拶していると、少し遅れてユイスがやって来た。

「おはようカルナ」

「おはよう。遅かったね」

「昨日希望書を出しそびれて、今朝慌てて出してきたんだ」

「なるほどね。何を取るの?」

「んー、基礎魔道書学とか」

「僕はそれはとってないや」

「リュートが取れって煩くてさ。そ、その、一緒に出ようっていうから……俺も興味は無いんだけどさ」

 そうは言いつつも、ユイスは嬉しそうだった。

「あとは、魔力色学とか」

「それは僕も取ってる」

「お。じゃあこっちは一緒に出ような」

 そんなやりとりをしていると鐘がなり、担任のルノルド先生が入ってきた。

 こうして、本格的に新学期が始まった。

 翌日の講義の一時間目は、魔術絵画史だった。教室までヴェルディと共に向かうのは初めての事なので、カルナは胸を躍らせていた。朝食後、揃って寮の部屋を出て、螺旋階段を下りていく。やはりヴェルディと並んで歩くと飛んでくる視線の量が凄い。だが今では、堂々とヴェルディの恋人としてそばにいようとカルナは考え直していたりもするから、気にしないようにする。実を言えば春休みの間に、自分ではヴェルディには釣り合わないのでは無いかだとか、非常に色々と考えていたのだが――カルナは根本的に前向きだ。だから、釣り合うように頑張ろうと決意し直していた。

 教室に入ると視線が集中した。選択制の講義は学年を問わない。空いている席を見つけて、ヴェルディと並んでカルナは座った。同じ保険委員の先輩の姿があったので、カルナは会釈をしておく。

 それから講義が始まった。

 カルナは――非常に真剣な顔をして先生の話を聞いているヴェルディを見て、思わず見惚れた。先生の話が耳をすり抜けていく。あんまりにも講義に臨むヴェルディの横顔は恰好良く見えたのである。ドキドキしてしまい煩い内心を抑えようとするのに、目が離せない。すると不意にヴェルディがカルナを見た。そして、不意打ちの笑顔を浮かべた。それにドキリとして、慌てて俯く。それからは気を取り直して、前を向き、講義に耳を傾けた。

 二時間目は植物学だったので、そこでヴェルディとは別れて廊下を歩く。隣にヴェルディがいたら集中するものもできないではないかと、内心で困ってしまった。教室でユイスと合流すると、ユイスは眠そうだった。ユイスは一時間目は空き時間だったらしい。

「眠そうだね」

「昨日寝たのが遅くてな……昨日ってより、朝方寝た」

「夜更かし?」

「……っ、リュートが久しぶりだからって言って、その……」

 ユイスが言いながら照れた。なるほど遅くまで話していたのかと、カルナは察知して頷いた。植物学の講義では、入学してすぐから育てている鉢植えを、今でも大切に育み、観察している。小さな蕾が出来てきたが、花が咲くまでにはまだだいぶかかるそうだった。

 その後、算学だった四時間目の講義を終えてから、カルナはユイスと共に食堂へと向かった。本日はヴェルディとリュートが先に来ていた。

「久しぶり」

 リュートとはこの日初めて顔を合わせたので、カルナはそう挨拶をした。リュートは顎で頷いている。各々料理を取りに行き、こうして四人で食事をした。日常が戻ってきた心地になりながら、カルナは久方ぶりの学園の料理を味わった。

 ――初夏が訪れたのは、それからすぐの事である。この王国は夏が長い。冬は短い。それもあって、特に魔術の世界では冬が神聖視されている。

 この頃になると、回復魔術クラスが、火のクラスの他に加わり、カルナは多忙になった。基礎的な回復魔術は、保健委員会の講習で既に学んでいたが、基礎からじっくりと学ぶ事になった。魔道書を開き、指で宙に魔法陣を描いて発動させる。それは攻撃魔術も同じだが、あちらは魔道書は必ずしも開かない。

 攻撃魔術のクラスではないが、火のクラスでも簡単な攻撃魔術の勉強が始まった。これは必修として、全員が習得すべき技巧だ。

「良いか、本格的な夏になったら、実技試験として、学年ごとにトーナメント試験がある。それまでに実力を磨くように」

 担任のルノルド先生の言葉に、カルナは気を引き締めた。

 春休みの間に、自分の将来について少し考えたからなのか――入学したばかりの頃よりは、講義に身が入る。あるいは、魔力の操り方を身につけてきたからかもしれなかったし、少しずつ技術面も覚えてきたからなのかも知れない。

 それでもヴェルディと同じ講義の場合は、やはり見惚れてしまう事が多い。いつも大好きだと感じるのに、毎日更に好きになっていく。昨日よりも今日、今日よりも明日。愛が深まっていくのだ。付き合い始めて、半年が経とうとしていた。そろそろ落ち着いた関係になっても良いのかもしれないが、ヴェルディを見ていると胸の高まりは止まる所を知らない。

 こうして――実技試験の、トーナメントの当日が訪れた。

 まずはクラス単位でのトーナメント制の試験が行われた。結界が張り巡らされた会場で、攻撃魔術を駆使して戦うのである。火のクラスの決勝戦は、カルナとユイスだった。

「負けないぞ」

「僕だって!」

 言い合ってから、お互いに微笑んだ。開始の合図と共に、魔道書をそれぞれが開く。魔道書の使用は自由であるが、手にしていた方が、発動させやすい。ユイスが指で宙に魔法の呪文を描いていくと、その場に炎の竜巻が現れた。一方のカルナは冷静にそれを判断し、長めに瞬きをして、それからゆっくりと正面を見据えた。カルナが指を動かすと、その場には鳳凰が出現した。だが昨年の実技試験の時とは異なり、きちんと制御が出来ている。火と火がぶつかり合う。威力はカルナの出現させた火の鳥の方が強く、ユイスが息を呑んで後ろに跳んだ。こうして勝敗は決して、火のクラスの勝者はカルナとなった。決勝トーナメントへの進出だ。続いては九クラスの一位でそれぞれ行われる事になる。

「頑張れよ!」

 ユイスに肩を叩かれて、カルナは頷いた。トーナメント表を見ると、もし勝ち進んだ場合は、決勝戦でヴェルディとぶつかる事が分かった。そこまで行けるだろうかと考えつつ、カルナは名前を呼ばれる度に、円形の結界の中へと向かった。

 ヴェルディは順調に勝ち進んでいく。その知らせを聞きつつ、カルナも頑張った。結果、決勝戦ではヴェルディとカルナが戦う事に決まった。

 向かい合うと、ヴェルディが真剣な顔でカルナを見た。カルナも表情を引き締める。ヴェルディは魔道書を手にしてはいない。カルナの方は左手で開いている。

「始め!」

 開始の合図があった。

 その瞬間だった。

「っ」

 気づくと間合いを詰められていて、魔術を使う暇すらなく、カルナはヴェルディの手で床に押し倒されていた。顔の横には氷柱が突き立てられている。早かった。早すぎて気づいたらその体勢になっていた。

「勝者、ヴェルディ=キーギス!」

 審判の先生の声がすると、ヴェルディがフッと微笑した。そして吐息すると、カルナを立たせてくれた。

 ――圧倒的な実力差があった。カルナはいまだ動揺からドキドキしている鼓動を落ち着かせようと必死になりながら、ヴェルディの手に指をのせている。その後は表彰式があったので、カルナはヴェルディと共に表彰台の上にあがった。二位ではあったが、十分に頑張ったと思う。

「怪我をさせなくて良かった」

「ヴェルディ、もしかして手加減してくれたの?」

「いいや。俺はいつでも全力を尽くしている」

 そんなやりとりをして、実技試験の日は終わりを告げた。ユイスが褒めたたえてくれたが、カルナは思う。予選がクラス単位でなければ、恐らくヴェルディに氷クラスで敗北して決勝トーナメントに出なかったリュートの方が自分よりも強い。そもそも――戦うのは怖いし、やはりあまり好きになれない。回復魔術のクラスを選んで正解だったと思いつつ、今後はその腕に磨きをかけたいとカルナは決意した。

 この日は大広間で、みんなで夕食を食べる事にした。まだトーナメント戦の熱気は冷めやらず、大勢が大広間で日中の試験について語り合いながら食事をしていた。ユイスとリュートが、カルナとヴェルディを祝ってくれた。するとクラスメイト達もやってきて祝福してくれた。そんな空気感がかけがえのないものに思えた。

 夏が、どんどん深まっていく。熱帯夜が訪れたのは、それからほどなくしての事だった。窓の前に立ってカルナは、湖を見ていた。水面には、二つの月が映りこんでいる。今日は満月だ。そんなカルナを、後ろからそっとヴェルディが抱きしめた。そして耳元で囁く。

「そういえばエルシア学園には特別な魔法があると知っているか?」

 初めて聞いたカルナが振り返ると、ヴェルディが唇に触れるだけのキスをした。そして柔和に笑うと続ける。

「満月の夜に水鏡を恋人同士で覗き込むと、未来の姿が見えるらしい」

「未来の姿?」

「ああ。二人が未来でどのような関係になっているか、水鏡が見通してくれるそうだ」

「ちょっと怖いなぁ。そばにヴェルディがいなくなっちゃうなんて考えられないよ」

「もしも俺達が別々にいる未来が映し出されたら、そうならないように気をつければ良いだけだ――そうだな。今日は、満月か」

「それもそうだね。ちょっと試してみる?」

 ヴェルディの言葉に勇気づけられたのもあり、好奇心も手伝い、カルナはそう言って笑った。ヴェルディもまた頷き、カルナから腕を離す。それから二人は、水鏡の用意をした。お風呂場から持ってきた器に、水を張り、月の雫という香油を垂らす。これは講義で配られた魔法薬の一つだ。占い学の講義では星占いが終わり、今度は占いの精度を上げるための香油の生成の講義が行われている。

 窓辺に銀縁の丸い器を置いて、ヴェルディとカルナは部屋の灯りを消した。すると室内を照らすものが、月明かりだけに変わる。青く見える部屋の中で、二人は時計を見た。魔法は、零時丁度に発動するらしい。二人で水面を見ているが、現在は今のままの二人が映っているだけだ。その時、十二時の鐘の音が響いた。

 ドキドキしながらカルナは器を覗き込む。すると、服装が異なる二人が映っていた。カルナは初めて見る服装だったが、ヴェルディは少し驚いた顔をしていた。

「本当に魔法はあるらしいな」

「そうなの?」

「ああ。俺も――そしてカルナも、王国騎士団のローブを纏っている」

「え、本当?」

「本当だ。それと……」

 ヴェルディが手を持ち上げた。カルナが一瞥すると、ヴェルディが左手の薬指を撫でた。

「見てみろ。水鏡の中で、俺達は指輪をしている」

「本当だ!」

 水鏡に映る二人は、腕を組んでいるのだが、それぞれの手には銀色のシンプルな指輪がはまっている。なんだか嬉しくなってカルナが頬を綻ばせた時、隣からヴェルディがカルナを抱きしめた。現在の二人の指には、何も鎮座していない。

「今度、お揃いの指輪を買おう」

「うん」

 二人は、互いに幸せだと感じながら、改めて唇を重ねた。

 ――お揃いの指輪を購入したのは、その次の春休みの事だった。水鏡で見たものそっくりの指輪を見つけたのである。その後卒業するまで二人は幸せに過ごし、卒業後は揃って騎士団に所属することになる。後に二人は、攻撃魔術と回復魔術のそれぞれの天才として国を支えていく。同性婚制度で結婚もし、一緒の家で暮らすようになるのだが、それはまた別のお話だ。二人の学園生活は、まだ一年目なのだから。

     【完】

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