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第9話 それは陰湿な

 ヴェルディに手紙が届いたのは、年末が近づいた頃だった。蝋で封がされた手紙は、学園長が直接寮の部屋へと持ってきた。寮の中でカルナはぎくしゃくとしながらお茶の用意をし、ソファにいるヴェルディと学園長を交互に見る。

「王国騎士団からの直々の要請だ。頼んだぞ、ヴェルディ=キーギス」

「承知致しました」

 ヴェルディが真剣な顔で同意すると、学園長が悠然と微笑んだ。

「怪我をせぬようにな」

 そう言って立ち上がった学園長は、カルナを見る。

「ごちそうさま」

 こうして学園長は出て行った。扉までそれを見送ってから、カルナはヴェルディに振り返る。

「どんなお話だったか聞いても良いの?」

「王都近郊の街、ハルベリア侯爵領地に、魔物が出たらしいんだ。大規模な討伐となるそうで、手を貸してほしいと頼まれた」

 冷静なヴェルディの言葉に、カルナは目を瞠る。

「危険は無いの? い、いやさ……魔物退治は常に危険だと思うけど……」

 講義では、魔物について、カルナも学んでいた。だが、生まれてから一度も見た事はないのだ。するとヴェルディが微苦笑した。その眼差しは優しい。

「危険ではあるが、俺に出来る事はしたい」

 カルナは頷いた。ヴェルディが、とても大人びて見えた瞬間でもある。立ち上がったヴェルディは、カルナに歩み寄ると、そっと抱きしめ、腕に力を込めた。

「すぐに戻る」

「うん。待ってる。気をつけてね。無事に帰ってきてね」

 翌日、ヴェルディは旅立った。久しぶりの一人きりの空間で、カルナは寝台に座る。部屋ががらんとして見えた。いつもと同じ部屋のはずなのだが、ヴェルディが不在だというだけで、非常に寂しい場所に思えた。

 制服に着替えてリボンを結ぶ。そうして髪を梳かしてから、カルナは寮を出た。本日の講義は本校舎の外の、校庭を横切った先にある、第六塔で行われる。巨大な螺旋階段の二階で大きな廊下に出て少し歩き、そこからは外階段を使う事にした。

「っ!」

 ガチャン、と、音がした。驚いて左下を見ると、そこでは鉢植えが割れていた。植木鉢の破片が飛び散っている。驚いて上を見ると、人影が見えた。ここの上階は寮だ。誰かが窓から落としてしまったのだろうか? カルナはそう考えながら、無残にひしゃげた花を見る。もう少し場所がそれていたら、植木鉢はカルナの頭上に落下していただろう。危なかった。花も可哀想だが、自分も危険だった。

 その時鐘が鳴ったので、慌ててカルナは歩みを再開した。このままでは遅刻だ。

 なんとか校庭を走り抜けて、第六塔につくと、ユイスが顔を上げた。

「ギリギリだったな」

「うん、ちょっとね」

「ヴェルディの見送りか? 今日から学外に出たんだろう? 特例で」

「そんな感じ。すぐに帰ってくるって話してたけどね」

 椅子に座りながら、カルナはヴェルディの無事を祈って微笑する。こうして講義が始まった。美術の時間である。魔力を込めた絵の具で色を塗ると、その絵画自体が魔力を帯びるようになるらしい。芸術と魔術は切っても切り離せないのだと、講義ではくり返し習っている。カルナはユイスとペアを組み、お互いの肖像画をデッサンした。それを油絵に仕立てていくのである。

 次の時間は算学だったので、火のクラスの教室まで、ユイスと歩いた。既に校庭には、雪が積もっている。あっという間に冬になったなと考えながら、マフラーを揺らしてカルナは歩いた。そして教室につき、最近では置きっぱなしにしている教科書を取り出そうと、机に手を入れる。瞬間――ザクリと音がした気がした。指先が一気に熱くなる。

「え……」

 驚いて手を引き取り出すと、指先が血に濡れていた。狼狽えながら机の中を見ると、そこには硝子の破片が入っていた。

「カルナ!?」

「……」

「大丈夫か!? その指、どうしたんだよ」

「え、えっと……」

 慌てたようにユイスがカルナの手を取り、手際よく布で止血する。唖然としていたカルナを見て、ユイスが険しい顔をしてから、机の中を見た。

「硝子……? どうしてこんなものが?」

「僕も今、動揺しすぎて言葉が出てこない」

「お前がいれたわけじゃないんだよな?」

「僕が僕の机に硝子の破片を入れるメリットって何?」

「そりゃそうだ。それより保健室に行かないと」

「うん。ちょっと行ってくるよ」

「付き添うぞ」

「一人で大丈夫。保健委員は僕だしね」

 立ち上がったカルナは、ユイスを見て、曖昧に笑った。講義開始の鐘が鳴る。教室中からチラホラと視線が飛んできていた。二人の声をクラスメイト達は聞いていたらしく、困惑したような空気が流れている。入ってきた担任のルノルド先生に、保健室に行くと話して、カルナは教室を出た。

 保健室は二階にあるため、階段を上がっていく。扉の前に立ち、ノックをすると、保健医の声がした。

「どうしたのですか?」

 保健医のアルラス先生が、驚いたようにカルナを出迎える。そして手を見ると険しい顔をした。人差し指に巻いた布が、血で濡れている。すぐにアルラス先生は、回復魔術を使用した。

「一体何があったのです?」

「硝子で切っちゃって」

「硝子? どこかに破片が落ちていたのですか?」

「それが、その……謎なんですが、僕の机の中に入っていて」

 カルナが空笑いをすると、アルラス先生の顔が険しくなった。

「謎というより、人為的で無ければ、机の中に硝子片が入る事は無いでしょうね」

「……ですよね」

「嫌がらせか、苛めか。何か他に心当たりは?」

 強く問われた時、カルナは朝降ってきた鉢植えの事を思い出した。だがあれは、偶然落ちてきたのかもしれない。なので頭を振る。

「特にありません」

「そうですか。異変があったら、すぐに私でも、担任のルノルド先生でも良いですから、誰かに言うように」

 アルラス先生は優しい声音だったが強い口調でそう告げた。しっかりと頷き、カルナは講義に戻る事にした。

 ――嫌がらせか、苛め、か。

 どちらなのか、両方というのか……兎角陰湿な行為が始まったのは、その日からだった。実技の講義のために着替えようと思って、服がある部屋で棚を見れば、生ゴミが入っていて、練習用のローブが水で重く濡れていた。頭上から植木鉢が降ってくるのは、校舎の外を歩いていると日常になったし、机にも毎日硝子の破片や刃物といった危険物が入っている。次第にカルナの手には傷が増えていった。そんな状態で三日を過ごす頃になると、ユイスが顔を怖くした。

「これは、明らかに苛めだろ」

「……一体、誰がこんな事を」

 カルナ自身も困っていた。クラスメイト達も異変に気づいているようで、特に教室にいる時には、カルナとユイスに視線を向けてくる。ユイスはそんな生徒達がいる室内を見回した。そして空席を見た。

「そういえば、ルイはまだ来ないな」

「やっぱりショックだったんじゃないかな?」

「寮の部屋から出ていくのはちょくちょく見かける。俺の隣の部屋なんだ。十一階の外れ。お前達とは一番逆側が俺の部屋で、ルイとアークはその隣」

「僕はまだ、隣の部屋が誰か覚えてなかった」

「お前達の部屋は離れた場所にあるからな。ヴェルディ様とお前の部屋は特別室らしい」

「そうだったの?」

「おう。今度俺の所に遊びに来ると良い。お前達の部屋は、魔力が暴発した時に備えて、特別な結界が張ってあるらしいんだ。だから強い魔力の持ち主が使うみたいだな――って、今はそんな話をしている場合じゃなくてだな!」

 ユイスが声を上げる。それから気を取り直したように言った。

「ヴェルディがいない所を狙ってお前に嫌がらせするなんて、どこかの誰かみたいだとは思わないか?」

「え? 誰?」

「言葉から実力行使に変わってるけどな」

「へ? まさか、ルイの仕業だって言いたいの?」

「他に心当たりがあるのか?」

「特に無いけど……け、けどさ? 言葉とコレは違うと思うんだよね。いくらなんでも、ルイが僕を嫌いだとしてもさ、こんな、一歩間違ったら大怪我をしたり、最悪命に関わるような……」

 植木鉢はユイスと共に歩いている時も降ってきた。カルナは巻き込んでしまったと後悔したが、ユイスは『どうしてもっと早く言わなかった』と怒ってくれただけだった。ユイスはカルナに非常に優しい。やはり大切な親友だなとカルナは感じている。

「聞いた話だけど、持ち上がり組が内部生用の校舎で学んでいた頃の苛めの内容も、似たりよったりだったらしい。暴力とかも普通にあったって。それに耐えられなくなって退学した生徒もいたそうだ」

「えっ」

「とにかく気をつけろよ」

 ユイスに念押しされて、カルナは慌てて頷いた。

「明日にはヴェルディも帰ってくるし、大丈夫」

「……俺はとりあえず、リュートに相談してみる。あいつの方が、ルイについて詳しいし」

 そんなやりとりをして、この日はユイスが体育委員の集まりがあるからと、教室で別れた。早めに帰って大人しくしていた方が良いと判断し、カルナは廊下を歩く。巨大な螺旋階段まで近道をしようと、一度三階まで通常の階段で上り、迷路のような廊下を抜けて、続いて一階まで別の階段で降りようとした。

 ――突き飛ばされたのは、その時の事だった。

「っ、うあ!」

 慌てて着地し振り返ったカルナは、二階の踊り場に立って、こちらを見下ろしているルイを見て、目を見開いた。その場には二人しかいない。すれ違う時は気がつかなかったが、影にルイは隠れていたようだった。ルイはカルナを睨みつけながら、口元だけに笑みを浮かべていた。

「死ねば良かったのに」

「……ルイ」

「その顔がグチャグチャになって、体もボロボロになって、ヴェルディ様に嫌われれば良いんだ。カルナなんて」

「……」

 言葉を失ったカルナの前へと、静かにルイが降りてきた。そして座り込んでいるカルナの腕を強引に掴んだ。ルイは華奢な体躯をしているのだが、その力は強い。

「少し話をしよう、カルナ」

「話……?」

「僕がどれだけヴェルディ様を好きで、カルナがどれだけ身の程知らずなのか」

「ねぇ、ルイが僕に色々と嫌がらせをしてるの?」

「嫌がらせ?」

 するとルイが目を丸くした。

「僕は当然の事しかしていないけど?」

 わけがわからないといった顔をしたルイを見て、カルナは判断に迷った。当然の事が何を指すのかも気になる。

「ついてきて。良いよね?」

 そのまま強引に立たせられたカルナは、少し思案したが頷いた。このままの状況で良いはずがないし、これでは帰ってきたヴェルディに心配をかけてしまうかもしれない。その前に解決してしまいたかったし、その為にはルイから話を聞いた方が良いだろうと判断したのだ。

 ルイに連れて行かれたのは、五階にある空き教室だった。中へと入ると――そこには、上級生の集団がいた。皆体格がよく、カルナを見るとニヤニヤと笑った。驚いてカルナが視線を向けると、ルイが腕を組んだ。

「これ。こいつが虫螻。ヴェルディ様に近づく虫。ヤっちゃって。殺すんでも犯すんでも殴るんでも好きにしていいけど、僕の希望は全部かな」

 吐き捨てるようにルイが言った。すると上級生達がカルナを取り囲んだ。焦ってカルナが後ずさると、後ろから一人の生徒がカルナを羽交い締めにした。

「助けてくれるヴェルディ様はいないし、ヴェルディ様がいなかったら、誰もカルナの事を助けたりなんかしない。ヴェルディ様に守られてるからっていい気にならないでよね。汚れたカルナになんて、きっともうヴェルディ様は興味を抱かなくなるだろうしね」

 せせら笑うようにルイが言う。その時、上級生がニヤつきながら、カルナの制服に手をかけた。

「嫌だ、やめ――」

「安心しろって。酷くするけど、すぐに気持ちは良くなるだろ。お前、ヴェルディ様を体で誘ったんだろ? なら、大丈夫」

「な」

「あーあー、ヴェルディ様もこんなのに引っかかるとはねぇ」 上着を脱がされ、シャツを破かれる。そしてカルナは床に引き倒された。喉に上級生の一人の手がくい込む。息苦しさと恐怖で、カルナは涙ぐんだ。

「これからどうされるか分かるか?」

「わかるよなぁ」

「期待でいっぱいか?」

「たっぷり可愛がってやるよ」

 続いてベルトを引き抜かれた。震えながらカルナはもがく。このままでは、強姦されるのは明らかだった。ゴツゴツとした手がカルナの体を這う。嫌悪感でいっぱいになりながら、カルナが叫ぼうとすると、口を抑えられた。左右の手をそれぞれ別の生徒が床に押し付けていて、足もそれぞれを上級生が掴んでいる。その他の二人の生徒がカルナの肌に触れていた。助けて――と、叫ぼうとしたが、口も押さえられれているから声にならない。

 ――扉の破壊音が響いたのは、その時の事だった。室内に動揺が走る。涙で歪む視線をカルナもまた扉に向けた。するとそこには、険しい顔のリュートが立っていて、リュートは魔道書を開いていた。

「リュート様……!」

 ルイが驚いたように声を上げる。リュートは蔑むようにルイを見てから、続いて上級生達を見た。

「貴様ら、何をしているのか分かっているのか? すぐにカルナ=ワークスを離せ。ヴェルディも決して貴様らを許さないだろうが、その前に俺が許さない」

 その場に氷の魔術が展開された。冷気が空き教室の中に溢れていく。

 上級生達は体を起こすと、皆、扉から離れるように窓際へと逃れた。

 だがそれを縫い付けるように、氷柱が降ってきては、暴漢達を床に縫い付けていく。

 リュートが皆を取り押さえた時、ルイが言った。

「どうしてですか!? 去年までは見逃してくれたでしょう!?」

「去年までは、友人の恋人が強姦されそうになった事は無かったからな。行き過ぎた暴力はあったとしても、それは今魔術を使った俺と大差ないだろう。だが、これは見過ごせない」

「友人……? ヴェルディ様は特別なお方ですよ? 友人ってどういう事!?」

「ヴェルディがそれを望んだんだ。俺達は今、対等な友人だ」

「ヴェルディ様を呼び捨てにするなんて、リュート様でも許されないよ! 僕だって、そんな事は出来ないのに!」

「ルイ。ぶをわきまえるべきなのは、貴様だ」

 リュートはそう言うとローブを脱ぎながらカルナに歩み寄り、カルナを抱き起こした。そして引き裂かれた服を隠すように、ローブをかけてくれる。助かったという想いに、カルナは今度は安堵から涙を零した。

「ユイスが心配していたから、部屋まで送ろうと思って探していたら、これだ。大変だったな、カルナ=ワークス」

「リュート……」

「道中で先生を呼びに行かせたから、すぐに来るだろう」

 支えられて立ちながら、カルナが小さく頷く。

 リュートの言葉通り、すぐに担任のルノルド先生と保健医のアルラス先生が駆けつけてきた。二人は大破している扉に関しては何も言わず、ルイと上級生集団を捉えた。状況を見れば、被害者が誰なのかは明らかだった。

「僕は何も悪くない。僕はただ、ヴェルディ様が好きなだけなのに!」

 最後まで叫びながら、ルイは先生達に連行されていった。

 その日の夜は、リュートとユイスが、カルナのそばについていてくれた。

 翌日、ヴェルディが戻ってきた。

 寮の部屋に入ってすぐに、ヴェルディはリュートから話を聞いた。カルナはその時まだ眠っていて、ユイスもソファで爆睡していた。動揺しながら険しい顔をしたヴェルディは、眠っているカルナの髪を撫でる。

「有難う、リュート」

「逆の立場だったらヴェルディもそうしただろう」

「ああ」

「気にする必要は無い。友達だからな」

 そんなやりとりをしてから、リュートはユイスを揺り起こした。

「ん」

 まだ寝ぼけている様子のユイスに嘆息してから、その腕を引き、リュートは部屋を出て行く。それを見送ってから、ヴェルディはカルナの頬にキスをした。魔物の討伐ができても、愛する者を守る事が出来無いのでは、不甲斐ない。無力感を抱き、やはり関係を公表すべきではなかったかもしれないと逡巡したが――もう気持ちは抑えられない。

 その時カルナが目を覚ました。

「ん、ぁ……――! ヴェルディ! 帰ってきたんだね」

「ああ。遅くなってしまったな」

「ううん。予定通りじゃない? あれ? リュートとユイスは?」

 思ったよりも平然としている様子のカルナに安堵しつつも、ヴェルディは衝動的にその体を抱きしめた。するとカルナが――ポロリと涙を零した。

「昨日ね――」

「ああ」

「……怖かったんだよ」

 ヴェルディの背に腕を回しながら、カルナがそう口にした。具体的な事は言わない。そんなカルナを撫でながら、ヴェルディが言う。

「俺のせいだな」

「ヴェルディは何も悪くないよ」

「これからも、俺のそばにいてくれるか?」

「僕の方こそ、そばにいても良い?」

「お前がいないなんて考えられない」

 それから二人はキスをした。触れ合うだけのキスだったが、お互いの存在感をしっかりと理解できて、どちらともなく幸せだと感じていた。

 ――ルイが退学になったという知らせが届いたのは、その数日後の事である。

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