聖ミジリアス祭が終わると、学園は新年を迎える空気に、すぐに変わった。飾りが無くなった教室で、カルナは朝、講義が始まる前にユイスを見た。
「どうだった?」
するとユイスが真っ赤になった。そして目を細める。
「その……だから……えっと……カルナこそ!」
「照れすぎでしょ、ユイス」
「だ、だってだな……その……だ、だから!」
ユイスは完全に真っ赤だ。その瞳がどこか艶を含んでいたから、カルナは息を呑んだ。これまでよりも色気が増して見えるのだ。過去、ユイスに色気など感じた事は無いので、カルナは思案する。
「キスした……」
「え?」
「だから、キスした……」
「あ、そうなんだ……!」
色気の理由に、カルナは納得した。カルナは続けて聞いた。
「じゃあ、付き合う事になったの?」
すると、今度はユイスが俯いた。どこか寂しそうである。
「いいや……キスしただけ」
「え?」
「リュートはキスしてきたけど態度も何も変わらないし、特に付き合うとかって話も出なかった。普通にケーキ食べて、キスしただけ」
「……そっか」
リュートの気持ちは、ヴェルディから聞いているので、カルナは知っている。だがそれをユイスに伝えて良いものか悩む。しかし悲しそうな親友を見ていると、励まさずにはいられない。
「だけど嫌いだったらキスしたりしないだろうしさ」
「気まぐれかもしれない」
「そ、そっかなぁ? そんな事は無いと思うよ?」
「いいんだ。と、とりあえず……その、なんというか、思い出が出来たというか……って、俺の事より、お前は?」
ユイスが気を取り直したように、笑顔になった。どこか堅い表情だったので、カルナはこれ以上は追及しない事に決めて、小さく頷く。
「僕達もケーキを食べたよ」
その後、鐘が鳴り、一時間目の算学が始まった。
さてこの日、部屋に戻ると、ヴェルディが待ち構えていた。
「カルナ。ユイスとは何か聖夜について話したか?」
「え? う、うん。どうして?」
「――リュートが落ちこんでいてな」
「へ?」
「告白出来なかったらしいんだ」
「あー……」
カルナは引きつった顔で笑った。するとヴェルディがソファにカルナを促した。カルナが座っていると、ヴェルディが珈琲を二つ用意して戻ってきた。そして正面の席に座ると、腕を組んだ。
「ここだけの話とするから、聞かせてくれ。ユイスは、リュートをどう思っているんだ?」
「う……言わないでくれって言われてるんだよ」
「……悪い答えか?」
「その……――ああ、もう、じれったいなぁ。ユイスも前からリュートの事が好きだって」
「本当か」
つい話してしまったカルナを見て、ヴェルディが安心したような顔に変わった。
「リュートはなんて?」
「思い余って、強引にキスしてしまったらしい」
「ぶ」
カップを傾けていたカルナは、珈琲を吹きそうになって、咳き込んだ。幸い吹き出すのはこらえ、飲み込んでから呼吸を落ち着ける。
「ユイスからも、それは聞いたよ……ユイスは、リュートがきまぐれだったのかもって思ってるみたいだったけどね」
「……リュートは、そのような理由で誰かにキスしたりしない」
「それは僕には分からないし、ユイスにも分からないみたいだったけどね……」
「見えにくいんだ、リュートは」
「だとしてもさ、態度とかも全然変わらないって聞いたけど?」
「平静を保つ事に必死だったんだろう。あいつは焦った時ほど、表情を変えないからな」
「うーん……僕からするとさ、いきなりキスされた上、態度も変わらなくて、なんというか遊ばれたみたいな心境に陥っているようだったユイスの方が可哀想」
「やはりユイスはそう感じているのか?」
「思い出になったとか言ってたから、そういう感じなんじゃないのかな?」
呆れた様子でカルナが言うと、ヴェルディが指を組んでテーブルの上に置いた。
「このままでは、二人はすれ違ったまま終わってしまうかもしれないな」
「僕としてはユイスに幸せになって欲しい」
「ユイスから告白するという事は有り得ないのか?」
「ユイスは、リュートに関しては、ヴェルディを崇拝しているとしか言わなかったよ?」
「そ、それは……」
ヴェルディが気まずそうに視線を彷徨わせた。それを見て、カルナが続ける。
「キスしたのはリュートなんでしょう? ここはリュートが努力すべきじゃないの? ユイスからなんて他力本願過ぎない?」
「それはそうだな。ただ、俺としてもリュートには幸せになって欲しいんだ」
「リュートって口下手なの?」
「饒舌とは言えないが、寡黙では無い。ただ、素直じゃないんだ。俺に対してはそうでも無いんだが、周囲には冷たく映るらしい」
「じゃあさ。手紙とかは?」
「なるほど。伝えておく」
こうしてこの日は、ユイスとリュートについて、ずっと二人で話していた。非常に上手くいっている二人であるからなのか、幸せのお裾分けをしたいような気持ちになっていたのかもしれない。それぞれが、互の友人の恋を応援していた。
翌日は保健委員の集まりがあったので、カルナは保健室に向かった。無事に保健委員となってから、初めての集まりである。
「今日は簡単な回復魔術をガーゼにかける講習です」
保健医のアルラス先生が、ガーゼを片手に説明を始める。回復魔術が記憶された魔道書を開いて、呪文を読み上げると、魔術が発動するとの事だった。実際にカルナも試してみた。すると白い光がガーゼの中に吸い込まれるようにして消えていった。講習後は、先輩達や他のクラスの委員達と共に、お菓子を食べた。
最近カルナは、魔術に慣れてきた。少し前までは魔術など遠い存在のように感じていたが、今では呼吸するように魔力を使う事が出来る。難しい講義の内容はあまり頭に入ってこないが、魔術自体は好きになり始めていた。
こうして少し遅くなったが、寮に戻る事にした。
他の皆と別れて、一人で廊下を歩いていた――その時である。
「ねぇ」
呼び止められて振り返ると、ルイがそこに立っていた。大勢の取り巻きを連れて、仁王立ちしている。
「聖夜と当日、どこにいたの?」
「え、えっと……恋人の部屋だけど……?」
「どこの誰?」
「秘密! ルイには関係ないでしょ?」
「気安く僕の名前を呼ぶな!」
「ご、ごめん……」
ルイの迫力に気圧されて、カルナは後ずさった。するとルイがカルナに詰め寄ってきた。
「仮に恋人の部屋にいたんだとしても、ヴェルディ様とも一緒にいたわけでしょう?」
「それは、その……」
「まさかとは思うけど、一緒にケーキを食べたりしてないよね? そこまで身の程知らずじゃないよね?」
「……ほ、ほら! 前日にはみんなで大広間で食べたし、同じ空間で食べたと言えるんじゃないかな?」
「それは僕だって一緒だけど……!」
キッとルイがカルナを睨んだ。カルナは引きつった笑顔を浮かべる。
「僕がヴェルディ様を愛してるっていうのは、自己紹介の時にも言ったよね? 盗ったら絶対許さない」
「……」
「ヴェルディ様は僕のだからね」ルイはそう言うと、カルナの胸元の服を掴んだ。ルイの方が背は低いので、つま先で立っている。息苦しくなってカルナは首元に手を添えた。
「何をしている?」
するとそこへ声がかかった。ハッとしたようにルイが体を離す。大きく吐息しながらカルナが視線を向けると、そこにはヴェルディが立っていた。
「ヴェルディ様……あ、あの、これは……」
ルイが走り寄っていく。そして頬を染めると首を振った。
「ちょっとお話していただけです」
「どんな話だ? 首元をねじり上げていたな」
「そ、その……――分かってないみたいだったから」
「何が?」
険しい顔で問いながら、ヴェルディはカルナに歩み寄る。そして肩に手を添えてから、ルイに振り返った。
「俺が誰のものだって? いつから俺は、お前のものになったんだ? ルイ」
目を細めているヴェルディは、非常に冷たい顔をしていた。入学したばかりの頃によく見かけた顔だ。カルナまでその声の気迫に、背筋を冷たいものが走っていく気がした。ヴェルディは激怒していると分かる。
「はっきり言っておくが、カルナに手出ししたら、容赦はしない」
「っ、な、なんで? どうしてですか? どうしてそんな、魔力量ばっかりの平民を庇うの? 僕は幼稚舎からずっと一緒で、ずっと一番にヴェルディ様を見てきたのに!」
「カルナが大切だからだ」
「僕よりも!?」
「率直に言う。カルナは俺の恋人だ。ルイ、お前は俺の恋人では無い。俺はお前を愛した事は一度も無い。何度もきっぱりと断っただろう?」
冷淡なヴェルディの声に、ルイが目を見開いた。周囲が静まり返る。少し言いすぎではないか、だとか、恋人だとバレてしまった、だとか、カルナは逡巡したが、あんまりにもヴェルディの迫力が凄すぎて、言葉が見つからない。
「そんな……酷い……」
「悪いが、二度と俺に付きまとわないでくれ」
「……っ、ヴェルディ様はそいつに騙されてるんです!」
「騙す?」
「だって僕の方がずっとずっとヴェルディ様の事を大切に想ってるもん!」
「カルナの気持ちの問題じゃないんだ。俺が、俺自身が、俺の方が、カルナを愛しているんだ」
「!」
明確なその言葉に、ルイが目を見開いた。大きな瞳から涙がポロリと零れた。
「っ、ヴェルディ様の馬鹿!」
そう言うとルイは走り去った。残された取り巻きの人々は、そちらとヴェルディを交互に見ている。いたたまれなくなったカルナが何か言おうと唇を動かした時、ヴェルディがカルナを抱きしめた。
「そういう事だから、お前達もカルナに手を出すな」
「は、はい!」
誰かが声を上げた。すると人々が次々に頷いた。そして霧散するようにその場をあとにしていく。力が抜けて、カルナはヴェルディの胸元の服を掴んだ。
「ヴェルディ、その……有難う。だ、だけど……」
「悪いな、俺の判断で公表して。我慢ならなかったんだ」
「……良いんだ。助かったし、その、嬉しかったし……」
「今日は委員会の日だと聞いていたから、迎えに行こうかと思って出てきたんだ。そうして正解だった。大丈夫だったか? 何もされていないな?」
「うん。僕は大丈夫」
カルナが頷くと、少しだけヴェルディの表情が柔らかくなった。
それから二人で部屋に戻る事にした。ヴェルディがカルナの背中に手を添える。
歩きながら、カルナはヴェルディを見た。するとヴェルディもまたカルナを見た。
「カルナが無事で本当に良かった」
「有難う……」
部屋に戻ってすぐ、二人はキスをした。その夜は、抱き合って眠った。ヴェルディがカルナを離さず、ずっと抱きしめていたのである。
翌日、ルイは休みだった。カルナはどんな顔をして会えば良いのか分からなかった為、少しホッとしてしまった。そんな自分に罪悪感がある。すると遅れてやってきたユイスが、開口一番声を上げた。
「お前、学園中で噂になってるぞ?」
「へ?」
「ヴェルディ様が、カルナが恋人だって宣言したらしいな」
「あ、うん……」
「なんというか、みんなの公認、おめでとうだけれども!」
ユイスはそう言うと、視線をルイの席へと向け、そこが無人であると気づいたようだった。それを見てから、ユイスは声を潜めた。
「宣言した現場で、ルイに苛められてたって本当か?」
「苛めっていうほどではなくて、ヴェルディに近づくなって言われてたんだよ」
「あー、なるほどな。困ったら俺に言えよ?」
「有難う」
「だけどこの話を聞いたら、リュートも荒れるかと思ったら、あいつは案外普通で、逆に驚いた。朝から大勢が俺の所に来て事実なのかって聞いて行ったんだけどな。あ、俺は知らないで通した」
「そ、そっか」
その後、薬草学の講義が始まった。 ――ヴェルディとカルナのニュースは本当に学園中に、即座に広まった。
カルナがそれを認識したのは、昼食の席での事である。視線が一気にカルナとユイスの座る方向に集中したのだ。居心地が悪いなと思っていると、扉が開いた。すると今度は、そちらに視線が集中した。カルナもつられて視線を向けると、そこにはヴェルディとリュートが立っていた。普段のような取り巻きの集団はいない。目が合うと、ヴェルディがカルナに向かって微笑した。大広間にいた人々が、その公共の場では珍しい笑顔に見惚れている。ヴェルディは、取り巻きがいた普段であればすぐに笑みを消したのだが、この日は違った。笑顔のまま、カルナ達の方に歩いてくる。リュートも一緒だ。
「俺達も一緒に食べて良いか?」
カルナの横に立つと、ヴェルディが言った。すると慌てたように、正面にいたユイスが答えた。
「あ、俺、席外します?」
「いいや。構わないというか、元々カルナとユイスで食べていたんだろう? そこに俺とリュートも加わりたいという話だ」
「大歓迎ですけど。な? カルナ」
「う、うん」
カルナが頷くと、微笑してヴェルディが、カルナの隣に座った。カルナの正面、ユイスの隣の椅子をリュートが引く。その結果、ユイスが一瞬、目に見えて引きつった顔をした。リュートの方はいかにも不機嫌だというような顔をしている。これまではヴェルディも似たりよったりの冷たい顔だったのだが、今日は全く違う。カルナを見て、完全に頬を緩めているのだ。
「これからは毎日四人で食べないか?」
ヴェルディの言葉に、カルナは頷いた。リュートとユイスの関係を考えてもそれは良いように思ったのだ。だが、ユイスが驚愕したように目を見開き、ヴェルディとリュートを交互に見た。
「え? 四人で?」
「ああ。嫌か?」
「嫌っていうか、俺は一人でも平気だから、ヴェルディ様とカルナで食べた方が良いんじゃ? 嫌なのは俺っていうか……」
ユイスはそう言うと、複雑そうな顔でリュートを見た。するとリュートはユイスを一瞥してから、目を閉じた。
「俺は別に貴様らと昼食を共にしたいわけではない。ただヴェルディ様のおそばにいたいだけだ」
それを聞いて、素直じゃないらしいというのを、カルナは思い出した。しかし表情からは、本当に、ユイスに対する好意など見えてこない。これは前途多難だなとカルナは考えた。こうしてこの日から、四人で食事をする事になった。
その日寮に戻ってから――本日の夕食当番はヴェルディだったので、じゃがいもの皮をむくヴェルディのそばで椅子に座っていたカルナは、思わず言った。
「あの二人、上手くいくかなぁ?」
「リュートも、あれでも、あの席に来ただけでもかなり勇気を出したようなんだ」
「へ?」
「俺が今日からカルナと食べたいと言ったら、ユイスがいるだろうから自分も行きたいと珍しく俺に頼んできたんだ。俺は過去に、リュートに頼みごとをされた記憶がない」
「思うんだけど、ヴェルディに気持ちを伝えるんじゃなくて、リュートはユイスに愛を伝えるべきじゃないの?」
「全くその通りだ」
マッシュポテトを作りながら、呆れたようにヴェルディが溜息をつく。
それを見てから、カルナは思い出した。
「今日さぁ、ルイ、お休みだったんだ。やっぱり昨日の事を気にしてるのかな?」
「気にしない方が変だろう」
「うーん……」
「同情しているのか? カルナは本当に優しいな」
「だって僕がルイの立場だったら、あそこまできっぱりと振られたら立ち直れない気がする」
「何度も俺は、ああいう形で振ってきたんだ。それでもルイは数日後には復活する」
「え、何度も?」
「ルイは……執念深いというか、しつこいというか……」
「それだけヴェルディの事が好きなんでしょう?」
「……始めは、俺も好いてもらったのだから、傷つけないように断っていたんだ。だが、度を越しているんだ。俺が少し話しただけの相手にも、陰湿な苛めをする。例えばクラスで仲間はずれにしたりする。被害にはあっていないのか?」
それを聞いて、クラスの派閥を思い出し、カルナは頬を引きつらせた。その反応を目敏く見て取り、ヴェルディが俯いた。
「俺のせいで迷惑をかけたな」
「ヴェルディのせいじゃないよ」
「だがルイは、俺と親しいと公言して、いつも集団を作っている。俺はルイが昔から苦手だが、持ち上がり組の付き合いもあるから、きっぱりと拒絶しても顔を合わせる頻度は減らない。そうすると、何度断っても、すぐにルイは元の調子に戻る」
鍋からじゃがいもを取り出し器に移して、ヴェルディがマッシュポテトを完成させた。他には生ハムのサラダや、ローストビーフを用意している。
「ルイは、さ。それでもヴェルディの中身も含めて好きなんじゃないかな?」
「そうかもしれないが、肝心の俺の気持ちが伴わない」
「僕のことはどうして好きになってくれたの?」
「カルナといると心が安らぐんだ」
その後二人は食事にした。ヴェルディの料理は神々しくて、カルナは頬がとろけ落ちそうになった。