翌週になると、学園内は、聖ミジリアス祭のムード一色となった。既に氷月に入っている。もう一週間と半分ほどで、聖夜だ。長期休暇は、春と決まっているので、まだまだ学園生活は始まったばかりである。カルナにとっては、学園内での聖ミジリアス祭のイベントが、初めての行事となる。
廊下の所々に、銀色の星が飾られている。聖ミジリアス祭の前日と当日は、講義が全て休講となるそうだ。前日の夕方に大広間で、ミジリアス教の聖書を読み、ケーキを食べるというイベントで、その夜から翌日にかけては、自由に過ごして良いと決まっている。本来は恋人同士や夫婦、家族で過ごすイベントであるのだが、学園内では個人的な集まりを好き勝手に催すらしい。
「やっぱりヴェルディは、持ち上がり組とかのみんなと過ごすの?」
夕食の席で、何気なくカルナが聞いた。するとヴェルディが首を振った。
「俺は聖夜くらい、気楽に過ごしたい。心休まる相手と過ごしたいから、毎年寮に引きこもっていた。今年はカルナがそばにいるから、出来ればカルナと過ごしたい」
「僕もヴェルディと過ごしたいから嬉しい」
カルナがヴェルディの答えに両頬を持ち上げる。それを見てヴェルディが心なしか安堵した顔をした。
「ユイスは良いのか?」
「ん? 特に話してないけど」
「そうか」
「どうして?」
「個人的に過ごすのは友達同士も多いからな」
「もし話が出ても断る。僕も寮にいたい。あー、でも、毎年ヴェルディが寮にいるんなら、僕も同じ部屋だから、一緒にいるってバレちゃうね」
「別に構わないだろう。聖夜くらい」
「聖夜だからこそ、みんなのチェックが厳しい気がする」
「――持ち上がり組は、特別な夜会を開くし、貴族もそれは同じだから、案外ひと目は緩む。それに皆、自分の恋に必死だからな」
「ヴェルディは色々な人に恋されてるんでしょう? お誘いがいっぱいなんじゃ?」
「俺が誰の誘いにも乗らないというのも、広まっているようで、ここ数年は誘いも無い。聖夜に限っては」
「そうなんだ」
それを聞いて、カルナは少しホッとした。
――聖ミジリアス祭の前夜は、すぐに訪れた。大広間へと向かったカルナは、隣に立つユイスを見る。読み上げられる聖書に耳を傾けるのは、クラス単位なのだ。ルイの姿も前方にある。厳かな空気が漂う中で、祝詞をカルナは聞いていた。結局この日まで、ユイスと聖ミジリアス祭について話した事は特に無かった。
その後は二人で並んで、ケーキの前に座った。全員の分が学園から配られたのである。そこで初めて、カルナはユイスに聞いた。
「ユイスは、今夜と明日はどうやって過ごすの?」
「予定は特に無い。部屋。カルナは恋人と過ごすんだろ?」
「えっ、な、なんで?」
思わず赤くなって、カルナは小声で聞いた。するとユイスが苦笑した。
「見てれば恋人がいるらしいってのはすぐに分かった。前も言っただろう? それにたまにお前、首にキスマークついてるし」
「え、嘘!?」
「本当」
「……」
「――嘘だよ。だけどそこで黙るって事は、心当たりがあるんだろ?」
「な! 酷いよ!」
真っ赤になったままでカルナが抗議すると、ユイスが吹き出した。
「だから俺も、空気を読んで、お前の事は今日も明日も誘わなかったんだよ」
「……そうだったんだ」
「かと言って、お前以外と過ごすあてもなかったし、必然的に一人っていうか」
「そ、そっか……なんかごめん」
「謝るなよ。俺が惨めな感じになっちゃうだろうが!」
「う……あ、そうだ、リュートとかは?」
何気なくカルナが聞くと、ユイスが細く長く吐息した。
「あいつは持ち上がり組のパーティーに行くんじゃないのか? はっきりとは聞いてないけどな。ヴェルディ様も行くんだろう? なら、確実」
「ヴェルディは寮で過ごすみたいだよ?」
「――ふぅん。だからといって、持ち上がり組のパーティーが無くなるってわけでも無いだろうしな。共有スペースのテーブルに、持ち上がり組のパーティーの招待状が置いてあったし」
「そうなんだ」
「俺は独り寂しく寮だな。で、お前は? 恋人の部屋か? そろそろ誰が相手なのか教えろって」
その言葉に、カルナは激しく照れてから、ユイスの耳元に唇を近づけた。
「ヴェルディと付き合ってる」
「え」
それを聞いたユイスが、フォークを取り落とした。それを慌てたように拾ってから、ユイスが目を見開いてカルナを見る。
「真面目にか?」
「う、うん……」
「お前、本当に度胸があるな。え? 告白はどっちから?」
「あっち……」
「ほう。なるほどな。で、お前は受け入れたと?」
「うん、そうなるね」
「ふぅん。まぁ分からなくはないな。あれほどの男前に告られたら、そりゃあ揺らぐよな」
「外見も中身も男前すぎて困ってるんだよね」
「惚気るな」
ブッシュドノエルを新しいフォークで口に運びながら、ユイスが笑った。初めて他者に話した為少し緊張しつつも、親友に対して隠し事が消えたので、カルナはすっきりした気分になった。そこで思い出した。
「結局ユイスは、リュートの事を好きになったの?」
「あー……ま、まぁな。というか、お前に話した時点でほぼ好きだったしな……」
「うんうん。そんな気はしてたけど……その後は、どうなったの?」
「どうにもなってない。ただの俺の片想いだ。お前、ヴェルディ様に言うなよ? リュートに伝わったら俺は泣くぞ」
「言わないけどさ。告白とかしないの?」
「前にも言ったけど、リュートはヴェルディ様しか見えてないからなぁ……」
ユイスが溜息をついた。それから頬杖をついて、カルナを見る。
「良いよなぁ、お前は」
「……本当、なんかごめんって気分」
「だから謝るなって」
足音が近づいてきたのは、そんな時である。カルナが顔を上げる。ユイスはケーキに注目している。歩み寄ってきた人物を見て、カルナは目を丸くした。リュートだったからだ。
「随分と楽しそうにしているんだな」
リュートはそう言うと、片目を細くしてカルナを見た。睨んでいる。その声に、狼狽えたようにユイスが体をビクリとさせた。椅子から落ちそうになっている。ぎこちなく振り返ったユイスを、冷酷な表情でリュートが見据えた。
「貴様達は、二人で過ごすのか?」
「え、いや……俺は部屋だけど……」
「僕達は別々ですが……」
慌ててユイスとカルナが答えた。するとリュートが両目を細めた。
「カルナ=ワークス、お前はどこで過ごすんだ?」
「……そ、その……」
返事の内容をカルナは思案した。ヴェルディと共に寮で過ごすのだが、それを伝えたら、まずいように思った。必死で考えた結果、カルナは思いついた。
「恋人の部屋で過ごします」
……嘘ではない。我ながら良い回答だと感じて、カルナは何度も小刻みに頷く。するとリュートが顎で頷いた。それからリュートは不機嫌そうにユイスを見る。
「俺も今年は部屋で過ごす」
「えっ……それって、俺に出て行けって事か?」
「別に。貴様の部屋でもあるから、好きにしろ」
「……」
「俺は先に帰っている。あまり遅いと鍵の他にチェーンをかけるからな」
冷たい口調でリュートはそう言い、立ち去った。ユイスは目を丸くしている。それを見て、カルナが小声で言った。
「ね、ねぇ? 一応今のって、一緒に過ごそうっていうお誘いじゃないの?」
「う、うん。俺もそう聞こえた……」
呟いてから、ユイスが赤くなった。頬に朱をさしている。信じられないという顔で、リュートの背中を見ている。
「一緒に帰ったら?」
「そうする。悪い、先に行くわ」
ケーキを一気に食べて、ユイスが立ち上がった。手を振りながら、カルナは、ユイスの幸せを願った。
その後、カルナも部屋に戻った。すると少し遅れてヴェルディも帰ってきた。ヴェルディは施錠してから、カルナに真っ直ぐに歩み寄り、ギュッと抱きしめた。カルナもヴェルディの背中に腕を回す。
「今日ね、ユイスに伝えたんだよ。ヴェルディとの事」
「そうか……悪い、実は俺もリュートに話してしまった」
「え?」
それを聞いて、カルナは顔を上げた。だとすれば、『恋人の部屋で過ごす』という先程の答えの結果は……。そう焦ってカルナは告げた。
「ど、どうしよう? さっきリュートが僕とユイスの所に来た時、恋人の部屋で過ごすって言っちゃった」
「それは上手い答えだな。嘘ではないし」
カルナの言葉にヴェルディが小さく吹き出した。ヴェルディはカルナの柔らかな髪を撫でる。そうして目を伏せ、カルナの額に口付けた。
「大丈夫だ。リュートは最近、少し変わったんだ」
「え?」
「どうやら、あいつ、初恋状態らしくてな……珍しく俺に恋愛相談なんかを持ちかけてきてな。あんなリュートは初めて見た」
「そうなの!? 相手は? さっき、ユイスの事を誘いに来た気がしたんだけど」
「合ってる。ユイス=レイドルが気になると話していた」
だとすれば両想いだ。ユイスに対して良かったなぁと心底思いながら、カルナは小さく頷く。そんなカルナの頬に今度は唇で触れてから、ヴェルディが続ける。
「リュートは慣れないと優しさが分かりにくい性格をしているんだ」
「ヴェルディよりも?」
「俺は優しいんじゃなかったのか?」
「うん。今はすごく優しい」
「――そうだな。出会った当初の俺と、現在のリュートを比較したとしても、リュートは分かりにくい。あいつは自分にも他人にも非常に厳しいしな。ユイスに無事、気持ちが伝わると良いんだが」
「大丈夫だよ、きっと。それにほら、片想いの場合は、片想いの相手と聖夜を共に過ごすと結ばれるっていう伝承もあるし」
「ああ。それを気にして、リュートは今年、パーティーを断ったんだ。それで最後まであいつは、ユイスがカルナと過ごすだろうからと気にしていたものだから……つい俺は話してしまったんだ。カルナには俺がいるから、心配はないと、な。励ましておいた」
ヴェルディはそう言うと、遠くを見るような、どこか呆れているような瞳になった。
「勿論、絶対に秘密で他言無用とした上で、カルナに何かをしたら許さない旨を伝えた」
「あ、有難う……」
「だが現在のリュートの中の最優先事項はユイスであるらしくてな。あいつの中でお前は恋敵だったらしく、付き合っていないと聞いた途端、喜び始めた。確認してくると意気込んで、ユイスを誘いに行ったんだ」
「そうだったんだ」
「無事に誘えたんなら何よりだな」
カルナが頷いた時、ヴェルディがカルナの首元を緩めた。そして服を脱がせると、ソファの上で押し倒す。そんなヴェルディに腕を回して、カルナはキスを求めた。薄らと唇を開くと、すぐにそれを悟ってヴェルディが口付ける。何度も角度を変えて、二人は唇を貪りあった。
翌朝。
ヴェルディがギュッとカルナの体を抱き寄せた。そして髪を優しく撫でる。そのまま頬に口付けて、ヴェルディが言った。
「今日が聖ミジリアス祭の本番だ」
「ケーキ、作らないとね、ヴェルディ」
「ケーキよりもお前が食べたい」
「ヴェルディ……」
「カルナの唇の方が、俺にとっては甘い」
「……ヴェルディ、好き」
二人はそのまま抱き合っていた。
「一緒にケーキを食べると、幸せになれる日なんだよね?」
「ああ。食べた者同士が、また一年間幸せに過ごせるという言い伝えがある。来年も一緒にケーキを食べよう」
「そうだね。まず、今年一緒に食べる事から始めないとだけど」
「それもそうだな」
「ブッシュドノエルは昨日食べたし、僕に作る事が出来るものだと……チーズケーキとか、かなぁ。レアチーズケーキ」
「俺は一応、生クリームケーキを作る事が出来る」
「それも美味しそう。ぶどうやいちごを乗せたいね」
「どちらのフルーツでも良いな」
「冷蔵庫には、ブラックベリーしか買ってないけど」
「ブラックベリーも合うだろう」
そして二人でケーキを作る事にした。
結局、ヴェルディが主に担当する事になった。カルナは生クリームを泡立てる。ヴェルディは粉を振るっていた。
「頬についてるぞ」
小麦粉を置くと、ヴェルディがカルナの口元に触れた。先程味見をした時についたのだろうと、カルナは照れる。指で拭ったクリームを、ヴェルディが己の口に運ぶ。
「甘いな」
「生クリームだからね」
「カルナに触れたからかもしれない」
「僕は砂糖菓子じゃないよ?」
言い合いながら、どちらともなく微笑した。完成したケーキは、非常に美味だった。
この日二人は、ずっと語り合って過ごした。