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第5話 恋人

 こうして二人は恋人同士になった。

 翌日は、朝からずっとカルナはそわそわしていた。ヴェルディが視界に入るだけで、頬が赤くなりそうになるのだ。ヴェルディの方はいつもと変わらず、冷静な顔をしている。トーストとハムエッグを用意してくれたヴェルディは、それをカルナに差し出すと、自分では珈琲を飲んだ。講義へ向かう時は相変わらず時間差で部屋を出た。カルナはもう道を覚えたので、ヴェルディとその周囲の人ごみを目印とする事も無い。

 とにかく――嬉しくて嬉しくて仕方が無い。

 上機嫌で午前中の講義を終えて、カルナはこの日もユイスと連れ立って食堂へと向かった。そして視線では、ヴェルディのいる席の方を無意識に見てしまった。すると――いつもとは異なり、ヴェルディと目があった。その瞬間、それまで退屈そうな顔をしていたヴェルディが、柔らかく笑った。カルナは目を見開く。それからすぐにヴェルディはすいと目を逸らして元通りの表情に戻った。夢でも見ていたような心地で、真っ赤になりカルナは視線を落とす。

「なんか挙動不審だぞ?」

 そこへユイスが呆れたような声をかけた。

「え?」

「顔も真っ赤だしな。テストは明日からだぞ? 風邪はまずい。本当に保健室に行かなくて大丈夫か?」

「だ、大丈夫だよ!」

 一時的に試験の事を完全に失念していたカルナは、慌てて首を振る。勉強の方は大丈夫では無いが、体調は本当に万全だ。頭の中はヴェルディの事でいっぱいだが、それは仕方が無いだろう。その日もカルナはユイスと共に図書館で勉強をした。

 部屋に戻ると、この日はヴェルディの方が早く戻ってきていた。ロールキャベツをヴェルディが皿に取り分ける。希望が叶った事を嬉しく思いつつ、カルナは席についた。そして正面にヴェルディが座った時に尋ねた。

「今日、食堂でさ」

「ああ。目が合ったな」

「あれ、僕を見て笑ったの?」

「そうだ」

 何でもない事のようにヴェルディが頷く。だがカルナは嬉しくなってしまった。自分を見る時、優しい顔をしてくれるのが嬉しいのだ。これまではそれが部屋の中だけだったし、今後もそうだろうとどこかで思っていた為、無性に胸が温かくなった。

「みんなに、僕達の関係が気づかれちゃうかもしれないよ」

「そうだな。嫌か?」

「うーん。ヴェルディの恋人だっていうのは、その、ヴェルディが好きだから嬉しいけど……同じ部屋というだけで肩身が狭いというか……気にされてたから、恋人になったなんて伝えたら、きっとみんなの反応が……大変そう」

 ルイ達の事を思い出すと、カルナは憂鬱になった。するとヴェルディが難しい顔をした。

「俺はカルナが好きだから、誰に伝えても構わない。だが――確かに、そうだな。俺の取り巻きには過激な者もいる。過去には、少し俺と親しくなっただけで、陰湿な嫌がらせを受けた者もいた」

「そ、そうなんだ……えっと、親しいっていうのは恋人?」

「いいや。普通の友人だ……と、俺は思っていたが、すぐに離れていった」

「僕は離れたりはしないけどさ」

 カルナは思案した。ヴェルディと幸せに過ごしたい。

「嫌がらせはやだなぁ」

「秘密にするか? 俺達の関係を」

「う、うん。そうだね。それが良いような気がする」

 少しばかり寂しいが、穏やかに生活出来る方が良いので、カルナは頷いた。ロールキャベツを口に運びながら、カルナはヴェルディを見る。

「美味しい」

「それは何よりだ」

「あーあ。ずっと夕食が終わらなければ良いのになぁ」

「どうして?」

「だって明日からテストだよ?」

 試験期間は五日間だ。それを思い出して、カルナは肩を落とした。するとヴェルディが腕を組む。

「今夜はじっくり勉強するか」

「うん。あー、大丈夫かなぁ……」

「分からない所は教えるぞ?」

「え、良いの? 自分の勉強は大丈夫?」

「ああ。最後の確認くらいだ」

 こうしてこの夜、カルナはヴェルディに勉強を教わった。一昨日とは異なり、その日のヴェルディは非常に厳しく、予想問題を何度もカルナに解かせた。それから四日間の夜も同様で、テストが終わった夜も、みっちりとヴェルディはカルナに勉強を叩き込んだ。そばにヴェルディの顔があるから幸せなのだが、あんまりにも真剣に教えられて、カルナは必死になってしまった。だが、そのおかげで、なんとか無事に、五日間かけて行われた試験を、カルナは乗り越える事が出来た。分からない問題も多数あったが、白紙で提出した答案用紙は幸い無かった。ヴェルディのおかげである。

 五日目の夜はぐっすりと眠り、その翌日は休日だった。

 いつもと同じように朝起きたカルナは、欠伸をしながら上半身を起こす。ヴェルディはまだ寝ていた。あまりヴェルディの寝顔を見た事が無かったので、カルナは静かに歩み寄る。端正な顔をしているヴェルディの思いのほか長い睫毛を見てから、そっと口付けた。

「ん!」

 すると後頭部に手が回った。驚いて目を見開いたカルナの口を、ヴェルディが貪る。抱き寄せられて体勢を崩したカルナは、ヴェルディの胸に体を預けた。

「ちょ、起きてたの?」

「ああ。寝込みを襲われるとは思わなかった」

「っ」

「今日はゆっくり過ごせるな」

 ヴェルディがカルナを抱きしめる。カルナは頬を染めると、小さく頷いた。

 上半身を起こしたヴェルディの正面に座り、カルナはヴェルディを見上げる。

 じっと見つめ合った二人は、再びキスをした。

「本当に可愛いな、カルナは」

 それから二人は、交互にシャワーを浴びた。ヴェルディが先に入り、カルナが続いてシャワーを浴びて出てくると、本日の食事当番はカルナだったが、ヴェルディが朝食を用意してくれていた。鮮やかな色彩のサラダがある。

「ヴェルディがサラダを用意してくれたのが珍しい」

「たまには、な。案外カルナは野菜が好きらしいから」

「うん。特にコーンは大好物」

「もう知っている。だからサラダに沢山入れただろう? チーズも」

「有難う。ヴェルディ、大好き!」

 満面の笑みでカルナが言うと――不意打ちだった為、露骨にヴェルディが照れた。片手で唇を覆い、顔を背けている。こうして二人は、穏やかな休日の朝を過ごした。

 翌週から、テストの返却が始まった。大講堂には、成績順位が張り出されている。一学年は、九クラスあるわけだが、得意な属性の持ち主の人数はまちまちなので、クラスにより人数はだいぶ異なる。それを合計すると、約二百名ほどが在学している。王国に一つきりの魔法学園であるから、規模も大きい。それでも国内で見ると、やはり魔力の持ち主の数は非常に少ないのだが。

「あ」

 カルナは、順位表の一番上に、ヴェルディの名前を見つけた。カルナ自身の順位は九十八位で、丁度真ん中くらいである。平均的だ。これもヴェルディのおかげである。ユイスは三十二位だった。

「意外と頭が良かったんだね」

「意外って何だよ」

 そろって成績表を休み時間に見に来ていた二人は、顔を見合わせた。ユイスは楽しそうに笑っているから、怒っているわけでは無い。今週は他に、実技試験もあるため、気は抜けないが、紙のテストよりはずっと楽だとカルナは考えていた。実技試験は、クラス単位で行われる。カルナとユイスの場合は、火属性の自然魔術を使う事になる。特に予習する事は無い。それがカルナにとっては気楽だった。

 そのままカルナはユイスと共に、食堂へと向かった。丁度四時間目が空き時間だったので、先に食べる事としたのである。するとユイスが言った。

「なんかお前、色っぽくなった?」

「へ!?」

「なーんか、雰囲気が違うっていうか……」

 ユイスがまじまじとカルナを見る。心当たりはヴェルディとの関係しかないので、カルナは赤面した。自分では自分の変化は分からない。だが、実際にカルナの色気は増している。どこか艶っぽいのだ。ユイスが気づくのも当然で、チラホラと閑散とした大広間にいる生徒達からも、カルナに向かって視線が飛んでいる。

 カルナは平均的な体躯の持ち主ではあるが、顔の作り自体はそう悪くはない。一見すると平凡だが、よく見れば、顔立ちは、どちらかといえば整っている方だ。同性愛が主流の学園であるから、新入生をチェックする上級生も多いのだが、比較的カルナも人気がある方である。ヴェルディと比べてしまうと霞むのは否めないが、多くの生徒にとって学年を問わず、ヴェルディは雲の上の存在なので、身近とは言い難い。

 そのヴェルディと同じ部屋というのも手伝って、カルナは自分で思っているよりも、みんなに名前と顔を知られていたりする。その為、カルナの変化に、周囲はすぐに気がついたと言える。

「もしかして、恋人が出来たとか?」

「っ、ち、違うよ!」

 ヴェルディとの関係は秘密にする事にした為、慌ててカルナは否定した。するとユイスが首を傾げつつも頷いた。

「そうだよな。学園では大体俺といるし、他の奴とはあんまり絡まないしな」

「そ、そうだよ!」

「じゃあ……恋、か?」

「な」

「お。その反応は、恋をしてるって反応だ!」

「ち、違……っ、ユイス! 変な事を言わないでよ!」

「怒るっていうのが、これもまた怪しいなぁ」

 ユイスはニヤニヤと笑っていた。それから魚のオイル漬けをフォークで突き刺すと、ユイスが言った。

「どこの誰?」

「……」

「親友だろ? 教えてくれよ!」

「……ユイスこそ、誰かいないの?」

 カルナが話を変えるべくとう言うと、ユイスが天井を見上げた。

「正直、同じ部屋の奴が気になってる」

「え!?」

 まさか答えが返ってくるとは思わなかったので、カルナは驚いた。それから身を乗り出して、正面に座るユイスを見る。

「同じ部屋、誰?」

「リュート=ビルスって言うんだけど、氷のクラスで……あ、氷ってつまり、ヴェルディ様とかと一緒って事だ」

「ほう」

「で、リュートも持ち上がり組で、基本的にヴェルディ様の話しかしねぇよ。ヴェルディ様愛って感じだな」

「愛……」

「あ、来た。あれ。ヴェルディ様の左隣に立ってる、背が高い奴」

 その時扉の方が丁度騒がしくなり、四時間目を終えたヴェルディ達が入ってきた所だった。カルナは好奇心そのままに、リュートの姿を探す。ヴェルディの左隣には、ヴェルディよりも長身の、緑がかかった茶髪の生徒が立っていた。彫りが深い顔立ちをしている。見ていると、リュートが気づいたらしくカルナを見た。目が合うと、片目を細めて睨まれた。度々ヴェルディの取り巻きはこういう顔をカルナに向けるので、カルナはそれとなく視線を流し、続いてヴェルディを見る。するとヴェルディとも目が合った。ヴェルディは今回も微笑してくれた。それが嬉しくて、胸が温かくなったカルナは、細く長く吐息してからユイスに視線を戻す。

「格好良いね、リュートも」

「『も』――? お前は、他の誰を格好良いって言いたいんだ? 俺の中では、リュートが一番だぞ」

「え、別に。言葉のあやだよ! へぇ。ふぅん。それで? 付き合ってるの?」

「……リュートは、ヴェルディ様しか見えてないっぽいからな。俺なんて眼中に無いだろ」

「……ヴェルディの事をリュートは好きなの?」

「恋っていうんじゃなく、崇拝って感じだけどな。将来的には右腕として働きたいらしい」

「崇拝……」

 あまり良く分からない概念だった為、カルナは首を傾げた。するとユイスが溜息をついた。

「ま。気になってるだけだからな、まだ。恋ってほどじゃないし、良いんだけど」

「そっか」

「お前も好きな奴が出来たら、ちゃんと話してくれよ?」

 ユイスがそう言って笑った為、ユイスにだけは話してしまおうかとカルナは悩んだ。ただ秘密と決めたわけだから、ヴェルディに相談してからにしようと考える。

 こうして食事のひと時は流れていった。

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