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第289話【アルヴィンSide】



 いつからか、人間が過分とも言える程の力を持ちはじめ。


 住みやすかった僕達の居場所が奪われるようになって、一体どれくらいの歳月が流れただろう。


 ――この、壊れてゆく世界の中で、が僕の唯一だった。


「嗚呼、ようやく、だ。

 ようやく、が、綺麗に揃いはじめてる。

 ねぇ、マリア、君もそう思うだろう……?」


 スラム街にある教会の中にある壁の、天使と一緒にえがかれた、まるで聖母を思い起こさせるような君の頬に手のひらを置いて……。


 僕は、独り言のようにぽつりと声に出す。


 描かれたその絵は、ただ微笑みを湛えながら、悠然とそこに佇んでいるだけで、何一つ、僕の問いに応じてはくれない。


 この国の裏側で、人知れず、存在そのものさえ、無かったこととして抹消されて……。


 皇女であるのに、


 僕は……。


 ――“時代”がそうさせた、とは絶対に思わない。


 今も、耳を澄ませば、君を慕って集まってきた魔女達彼女達の賑やかな声が聞こえてくる。


 醜く歪んだ悪魔のような人間の所業の所為で、荒んでいく世界を見続けてきた僕にとって。


 その時間はどこまでも和やかで柔らかく、まるで一種の清涼剤のような一時ひとときだった。


 この壁に描かれた肖像画もそうだ。


 もう、100年以上も前の話になるだろうか。


 これは、当時、マリアに救われた魔女たちが一緒になって、描き上げた代物だった。


 本来、皇族として生まれた人間なら当たり前に作られるはずの肖像画も含めて、後生に残るようなものなんて、勿論、彼女には何一つ残されていなかった。


 表に出て、華々しいほどにキラキラと輝くがいるその傍らで……。


 日の当たらない場所でしか生きられなかった、存在がいる。


 そのことを不憫に思っていたのは僕だけじゃない。


 マリアの扱いに悔しい思いをしてきた僕ら全員で、協力して作り上げたその絵は、城に飾られている歴代のどんな皇帝の肖像画よりも立派なものだろう。


 各々ペンキを持ち寄って、好き勝手に描いた聖女を讃えるようなその絵は僕達にとっては、何にも縛られることのない『自由の象徴』そのものであり……。


「君が、この世に生きていた唯一の証……」


 あの頃の僕達は、こんな些細なことでしか、抵抗することが出来なかった。


 “赤を表現するのさえ、禁じられていた時代”


 昔を思い出しては、沸々と煮えたぎるような怒りが湧いてきて、僕はぎりっと、小さく唇を噛みしめる。


 ヴィクトールという、クソみたいな貴族を破滅に追い込んでから……。


 いつしか、僕とマリアで作ったリュミエール街にあるここら一帯は、彼女たちのように裏で生きることしか出来なかった人間の憩いの場のようなものになっていた。


 ……本来の在り方としては。


 厳しい世間の目の所為で、まともに生きることさえままならず、逃げ場を無くした赤を持つ者たちが最終的に行き着くことが出来る様な場所だった。


 だけど、時が流れて行くにつれ……。


 赤を持つ者だけじゃなくて。


 低所得者や、存在そのものが世間から隔離され、爪弾きになってしまったような人間が多く集まる場所に変わっていったけど。


 ――それも、今じゃ、懐かしい話だ


 リュミエールと名前の付いていたその場所は、いつしか、その名前さえ失われて、今じゃただの“スラム”になった。


 ただ、それだけのこと。


 ボロボロに擦り切れては、穢れていった世界の片隅で……。


 こうして、どれだけ過去の出来事を懐古かいこしようとも、失われた時間も、奪われていった者さえもう二度と戻ってはこない。


【ねぇ、アルヴィン、聞いて。

 魔女は遺伝では生まれてこないけど、いずれ私の血を色濃く受け継いだ、この国の皇女が誕生するわ。

 後生の世に、叶えられなかった私達の希望を託すのは卑怯かもしれないけれど、きっと、あの子が全てを良い方向に変えてくれる】


 ほんの僅かな光明を見いだした、あの日の柔らかな君の声が、今も尚、傍らにあるかのように、幻聴の如く耳を通り抜けるのを聴きながら……。


 僕は壁画から手を離して、握りこぶしを作り、グッと力強く握りしめる。


 ――夢のような時間はいつも、長くは続かないものだと相場が決まっていた。


 放置していて伸びた爪が食い込んで、手のひらに血豆が出来るのをそのままにして。


 礼拝堂のあるマリアの壁画が描かれた場所から、一歩出れば。


 ツヴァイがいつものように、教会の古びたベンチに腰掛けていた。


 瓦礫やガラスなんかが散乱していて、決してお世辞にも綺麗とは言い難いこの場所で。


 日がな一日、その傍に置かれている僕の魔力を込めた丸い形の“水晶”を覗き込み、スラムで異常なことが起きていないかどうか確認する。


 些細な情報さえも見逃さない。


 ちょっとでも、異常があるのなら、昔、僕がドワーフにお願いして作って貰った玩具のような通信機を通してツヴァイが僕に伝えてくる手筈になっている。


 置かれている水晶の中の、今日も滞りなくスラムの至る所を確認出来るように映し出された映像をちらっと一瞥いちべつしてから、通り抜けようとしたところで……。


「アイン、今日の祈りの時間はやけに長かったように思うが、もう気は済んだのか?」


 と、ツヴァイに問いかけられて、僕は肩を竦めた。


 礼拝堂もあるマリアの壁画が描かれているあの場所には、普段から時間があれば滞在しているけれど、今まで一度も聞かれなかったことを。


 こうして……。


 見ざる、聞かざる、言わざるをある意味徹底的に叩き込んで訓練している筈のこの男から、詮索するような言葉が降ってくるのは、あまり宜しくないことだ。


 今まで、お利口にその口を閉じて無駄なことは極力聞いてこなかったのに、最近になって活動的になっている僕に異変を感じて、その目的も含めて探ろうとしているのだろう。


 何も言わず、僕に言われた仕事だけを丁寧にこなしてくれれば、それでいいのに。


 このスラムで動くには、知恵も含めて、何もかも、その権限をこの男に渡しすぎたのかもしれない。


「別に。……過去に、思いを馳せていて。

 気付いたら、時間が経っていた。ただ、それだけのことだ」


 別段、隠す様な事でも無いので、敢えて通常通りの声色に、普段と全く変わらない態度で返答する。


 僕の言葉に眉を寄せたツヴァイが、その言葉の裏に何があるのかを一生懸命になって探ろうとしていることには気付いた。


 人間とは、本当に面白い生き物だ。


 額面通りの言葉でも、勝手にその裏に意味があるんじゃないかと、変に勘ぐってくる。


 賢い人間ほど、それは顕著に表れて、その沼に嵌まってしまいやすい。


 も、またしかり……。


 僕達の……。


 といっても、ツヴァイが僕に対して怪訝な表情を浮かべただけで、僕の方はいつもと全く変わっていないから、かなり一方的なものだけど。


 あまり、和やかじゃ無い雰囲気を感じ取ったのか……。


 1人、白いローブを被って物語に出てくる魔法使いのような格好をしているアーサーが、此方に向かってオロオロとした様子で口を挟むかどうか悩んでいるのが見えた。


 結局、そのまま何も言わずに押し黙った所を見ると、歳を取るごとに、偏屈へんくつ極まりない爺さんになったツヴァイと違って、余程、アーサーの方が分を弁えていると言ってもいいだろう。


「ツヴァイ、僕がお前に与えた仕事は、スラムの管理者以外の何者でもないはずだ」


 はっきりと口に出して、これ以上の干渉は許可していないことを告げれば。


 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべたツヴァイが此方を見て、その唇を尖らせた。


「……儂だって、それくらいのことは心得ている。

 だが、最近のお前さんは、あまりにも自由に行動しすぎじゃぁ、ないか?

 この間、エヴァンズ家の子息であるルーカスが、わざわざこの教会に白紙の手紙を寄越してきたのもそうだ。

 何一つ、事情を聞いていない状況で、立ち回ることになった儂の気持ちも考えてくれ。

 大体、お前さん。……ルーカスあの男を巻き込んで一体何を企んでいる?

 エヴァンズの子息と言えば、表には一切出てきていないが、皇女様あの少女の婚約者になるかもしれない存在だろう?」


 そうして、彼是あれこれと、まるでお小言でも言うかのように機関銃のように声を出してきて、僕は思わずそのうるささに両手で自分の耳を塞いだ。


 それを見ながら、これ見よがしに溜息を吐いてくるツヴァイと。


 どうしたら良いのか分からなくてわたわたした挙げ句、結局、何も言えずに縮こまるアーサーは、どこまでも対極に位置していると思う。


「それから、この青年アーサーを、スラムで雇えとかいきなり言ってきたのもそうだ。

 万事が万事、お前さんのやることは、いつだってきちんとした説明がないっ!

 急に入ってきた余所者がっ、このスラムを取り仕切る№2ツヴァイの傍にいるようになる。

 当然、それをよく思わない連中は、儂等ナンバーズも含めて大勢いるっ!

 特にスラムで長いこと暮らしている古参の連中ほど、そうだっ。

 それで、目に見えて苦労するのは一体誰だと思うっ? 儂だよっ……!」


 まるで、小舅こじゅうとか何かのように口を酸っぱくしながら声を出してくるツヴァイの言葉に知らぬ存ぜぬで聞き流していれば。


 ハァハァ、とどこか疲れたように呼吸を乱し、肩で息をするツヴァイの姿が目に入った。


 若くもないのに、自分の年齢も考えずに、一気に喋るからそうなるんだ。


「あの、ご迷惑をおかけしていて、本当に申し訳ありません」


 そうして、アーサーが、申し訳無さそうにツヴァイに謝っているから、それでいいだろうと思うのに。


 余程、腹に据えかねた思いがあったのか……。


 ツヴァイはアーサーには『お前さんも巻き込まれた側だろうから何も悪くない』と、甘やかすように声を出した上で、僕のことを窘めるように思いっきりジトッと睨んできた。


「このスラムは、僕の言うことこそ全て。

 №1であるアインが決めた。……どう考えても、それで解決する話だろう?」


「そも、……それで、解決しないから、言っているんだ。

 お前さんのように“人ならざるもの”なら、何でもかんでもそんな風にすっぱりと割り切れるかもしれんがな。

 残念ながら、大多数の人間というものは、そういう風には出来ていない。

 派閥などもあれば、自分に与えられた地位が高くなればなるほどに、誰にも正体不明の№1の存在が大きなものになる。

 スラムで暮らしたことのないような突然出てきた小僧が、お前さんに気に入られたお蔭で儂の傍に付くようになったと聞けば、誰もが一度は思う筈だ。

 もしかして、今ある自分の地位が脅かされるんじゃないか、ってな。

 そういった人間の縮図というものは、人が集団で生活して生きていれば、どこも変わらんよ」


「あぁ、そうだった。……人間っていう生き物は、骨の髄までそういう生き物だったっけ」


 ツヴァイの言葉に、僕はうっすらと笑みを浮かべながら声を出す。


 こういうの、人間の言葉で適切な言葉があったはず……。


 ――嗚呼、確か


 、とかだったっけ?


 足の引っ張り合いで、誰もが自分の為に他人を蹴落としあって生きている。


 突然出てきた存在が……。


 一番上の偉い立場の人間に、急に気に入られて、その能力も含めて引き上げられるようになってしまったら、周りが焦って、心穏やかにはなれないという構図は……。


 僕だって『あの女の傍ら』で、嫌ってほど見てきているから、多少はその状況にも、その心情にも納得がいった。


 まぁ、だからといって、そんな風に行動する人間の気持ちなんて決して理解することは出来ないけど。


 自分が今まで蔑んでいたものが上へとあがっていくことで、尊厳が傷つけられて、築き上げてきた地位そのものが下がってしまう気になって……。


 そうして、自分の大切なものが根こそぎ奪われるかもしれない、という有りもしない恐怖に取り憑かれ……。


 いい大人が、よりにもよって、まだ年端もいかない子供に嫉妬することほど、見苦しいものはない。


 そんなものにかまけている時間があるのなら、自分が輝けるように努力する方が余程好感が持てる。


 ……本人には一切自覚がないんだろうけど、皇女様あの子のように。


【まぁ、もっとも、今の僕にはそれすらも関係の無い話だけど】


「別に、アーサーの身をいつまでもスラム此処に置いておくつもりはない。

 身元が無いまま、この国で生きるには困るから、仕方なくお前に頼んだだけだし。

 スラムの人間には適当に暫くの間、僕が預かっている人間とでも、でっち上げておけばいい」


 さらっと、声に出してそう伝えれば、ツヴァイが『……はぁ、』っと深いため息を溢しながらも、納得したように頷いてから。


「どっちにしろ、本名じゃ生きてられんだろう。

 ナンバーズにするには支障があるし、ここで生きる為の、アーサーの名前偽名は何にするんだ?」


 と、問いかけてきたから……。


 僕は首を横に傾げたあとで。


「そんなに悩むことでもないだろう。……ポチとか、タマとか? 候補なら幾つもあるけど」


 と、声に出す。


 一体、何に悩む必要があるのかと、不思議に思いながら、ツヴァイの方を見れば。


「お前さんに聞いた、儂が馬鹿じゃった……」


 と……。


 どこか、ドッと疲れたようにツヴァイが声を出してきた。


 そうして隠すこともせずに向けられた、蔑むような視線に、心外だな、と感じながらも。


 なんだかんだ、アーサーとツヴァイが仲良くしているのなら、一先ず此方に関しては問題はないと言ってもいいだろう。


 どうせ、ぶつくさと文句を言いながらも……。


 後は、ツヴァイがあれこれと世話を焼いてくれるのは僕だって理解している。


「じゃぁ、僕はこれから用事があるから。

 暫くは、アーサーのこと、宜しく頼んだよ」


 はっきりと2人に向かって口に出してそう告げたあと、僕は教会から外に出た。


 特定の人間以外には見えないように認識阻害の魔法をかけている為、門番として扉の前にいるゼックス6番は、“”僕のことには気付かない。


 自分がいつも見張っているその扉が、今の間に、ことすら把握していないだろう。


 個々の才能が開花して、一芸に秀でた魔女と違い。


 精霊である僕達が使う魔法は万能で、大抵のことなら何でも出来る。


 裏を返せば、僕達次第で良くも悪くも、色々な使い方アレンジが可能だということで……。


 それを、どういう風に使うかは、術者次第と言ってもいい。


「……ねぇ、アルフレッド。

 お前は、素直で、正直で……。

 嘘もつけない、あの頃の僕のままなのかな……?」


 正当に、真っ当に、善悪の区別があるのなら、ただ“善”のために。


 『正しく能力を使うこと』が、馬鹿みたいだって……。


 やがて、気付く時がくる。


 ――僕みたいに


 風がぶわりと、撫でつけるように、僕の背後から前方へと吹いていく。


 その反動で、ふわっと緑色の僕の前髪が靡くように揺れた。


 何も変わらないように思える日常は、それでもゆっくりと毎日着実に、音も無く変化していっている。


 失われた歳月がもう二度と、決してこの手に戻ってくることがないように。


 僕もただ、前に進んでいくことしか出来ない。


「ねぇ、マリア……、僕は、君を失った時、身を引きちぎられるような思いだったんだ」


 ぽつり、と風に乗った独り言は、誰にも届かずに空気に掻き消えていく。


 ――君が身を挺して守ろうとした世界は、今も、こんなにも、醜く汚れたままだ……。


 目をつむればいつも、君の声が呼び起こされる。


【……アルヴィン、これはね、必要なことなの。

 未来を視ることが出来る、私にしか出来ない、大事なことよ。

 そして、それを後生に伝えることが出来るのは、あなたしかいない。

 だから、どうか、そんな風に悲しそうな顔をしないで。……ね?】


 いつだって、その能力で命を削られながら、最後まで諦めずに未来を視ていたマリアの……。


 この世に、託した唯一の希望、光。


 それが、今代の皇女である『』だと言うのなら。


 あの日、君と約束したことを、必ず僕が叶えてみせる。


 何に代えても、絶対に……。 



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