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第284話 傭兵時代



 それからどれくらい経っただろう。


 セオドアと一緒に護身術の練習に励んでから、かなりの時間が経過した気がする。


 そこまで、激しい動き自体は無かったとはいえ……。


 完全に日頃の運動不足の影響で息が上がってしまっている私とは対照的に、セオドアからすると準備運動にもならないことだったのか呼吸一つ乱れていない。


 途中から、どんな人が来ても対応出来るようにと、お兄様とアルも混ざってくれながら。


 私を拘束している時の力の加減などに敢えて変化を加えてくれつつ、私自身が色々な場面を想定して対処出来るようにと配慮してくれたお蔭もあって……。


 基本的な一対一での対面の時に、咄嗟の対応が出来るくらいには、身体に染みこませて覚えることが出来たと思う。


 特にぎゅっと後ろから抱きかかえられるような形で拘束された場合の練習は難しかったけど……。


 重点的に練習させて貰えたお蔭で、私でも何とかそれなりにサマになってきた気がする。


 私がどんなに反撃しても、セオドア自体、顔色一つさえ変えていない所を見るに。


 戦闘能力がもの凄く高い人相手には多分、こんな付け焼き刃程度の物では効かないんだろうなっていうことを、まざまざと思い知らされる結果にもなったんだけど……。


 ――それでも、こうして、練習させて貰うのは凄く大事なことだったと思う


「……は、ぁ……っ、セオドア、練習に付き合ってくれて本当にありがとう」


 額にじわりと浮かんできた汗をそっと拭いながら、セオドアに向かってお礼を伝えれば。


「あぁ、本当なら自分の身を守るって意味でも、東の国の方に伝わる懐剣かいけんみたいな物を所持することが出来てたら良いんだろうけどな」


 と、真面目な表情でセオドアからそう言われて私は首を傾げた。


「懐剣……?」


 聞き慣れない単語に思わずその言葉をなぞるように声を出せば。


「あぁ。護身用の為の短剣のことだ。

 懐刀ふところがたなとも言って、東の国の方では、例え女であろうと、何かあった時の為に持ち歩いているらしい」


 という言葉が返ってくる。


 セオドアのその言葉を聞いて、だなんて、こっちの国からするとあまりにも考えられないことだから私は驚きに目を見開いてしまった。


「そう言えば、女性であっても自分の身は自分で守る、だとか。

 東の国の方では、いざという時に誇りを持って自害できるように、という意味合いもあるんだったか……」


 そうして、お兄様から補足するように説明が返ってきて、私はさらにびっくりしてしまう。


【いざという時に、……っていうのは一体、どういうことなんだろう?】


 あまりにもこっちの常識とはかけ離れている内容に、戸惑いの部分がかなり出てしまっていたと思う。


 2人の話を聞きながら、混乱する私に対して……。


「敵に捕まえられて捕虜として生き延びるくらいなら、いっそその場で、何よりも高潔な意思を持ったまま“”というのが東の国特有の考えらしい。

 実際、その状況になったとき、それが出来る人間がどれほどいるのかは分からねぇけどな」


 と、セオドアが更に詳しく説明してくれた。


 敵に捕まえられて、捕虜として生き延びるくらいなら、いっそその場で何よりも高潔な意思を持ったまま……。


 ――誇り高く、散る


 散る、というのは、刀で自害した時に、鮮血が花のように散っていく様子を言い表しているのだろうか?


【転じて、それが“死”というものを表現するのに使われるようになった、とか?】


 東の国で“どうして”そんな表現が使われるようになったのか、私には分からないから、そんな風に考えるのが精一杯で……。


 その話に、思わず息を呑んでしまったのは。


 誰かに捕虜にされて、自分の属する場所に居られなくなってしまうくらいなら“”という彼らの考えが、良いか悪いかは別にして、あまりにもいさぎよいものだったからだ。


 この間、お祭りの時にエリスのお母さんである夫人から着物を着させて貰ったけど。


【懐刀は、一体、着物のどこに差しておくのだろう?】


 ――やっぱり、帯の部分とかなのかな……?


 文化の違いと、“自害”という言葉の重みに、思わずギョッとしてしまったのは確かだけど……。


 よくよく話を聞いて、敵に捕まってしまった後のことを思えば、決して理解出来ないことでもないし。


 何かあった時の護身用として例え女性であろうとも、短剣を持っておくというのは凄く理に適っている気もする。


「まぁ、東の国の人間ほど……。

 そんなにも極端に、ストイックになる必要なんざどこにもねぇが。

 護身用として何かあった時の為にも、一つ、武器を所持してるのは、良い案だと俺は思う。

 ここ最近の姫さんの周辺がきな臭いことを思えば、決して過剰な防御だとは言い切れないものがあるからな。

 念には念を入れておいた方がいい」


 そうして、セオドアにそう言って貰ったことで……。


 『確かに……』と。


 自分でも頭の中で、その言葉に納得出来る部分がかなり沢山あった。


 私自身、そこまで生きることに執着している訳ではないけれど。


 それでも、私がもしも何か危険な目に遭ってしまったら、周りにいる人達のことを巻き込んでしまう可能性は否定出来ないし。


 何より、10歳になってからの今回の軸での私のこれまでのことを思い出しただけでも……。


 巻き戻し前の軸よりも、不穏な出来事が起きている回数でいったら多い気がする。


 誘拐事件と、クッキーの毒については、今の軸でも巻き戻し前の軸でも同様に起こったことだけど。


 デビュタントでのワインに毒が入れられた件とか、仮面の男のこととか……。


 あと、私の検閲係をしていた3人組が死んでしまうような事件とか、そういうのは巻き戻し前の軸では一切、起きていなかったはず。


 そもそも、お父様にデビュタントを開いて貰うなんてことも巻き戻し前の軸では起きなかったことでもあるから……。


 “今の世”での私の行動や、周囲との関係性が深まったことで、私自身が表に出るような機会が増えてきてしまい『私の事が目障り』と思うような人も必然的に多くなって、未来が変わっている部分が大きいのかもしれない。


「うん。確かに、そう思うと……。

 護身用としても御守り代わりとしても、そういうもの、何か一つでも持っておくべきなのかもしれないよね……」


 私が、セオドアの言葉に同意するように、ぽつりとそう声を溢せば。


「あぁ……。

 この間、あの侍女の実家に行った時に会った商人なら、着物だけじゃなくて東の国の懐刀を持ってるかもしれねぇ。

 貴重品だろうし、売ってくれるかどうかは分からないが、1回聞いてみるのも有りかもな」


 と……。


 セオドアからそう言われて。


 確かに……、珍しいものを買い集めるのが好きだって言ってたし……。


 あの商人の人なら、東の国の短剣をコレクションしていても可笑しくないかも、と私も思う。


 どっちみち、エリスのお母さんのクッキーを王都で販売する際には、窓口になって力を貸してくれないかな、とは思っていたし……。


 こっちで販売出来る算段が付き次第、お手紙を書こうと思ってはいたから、その時に聞いてみるのは有りな気がする。


 ――それにしても、セオドアはどうしてそんなことに詳しいんだろう?


 頭の中で疑問に思ったことが隠すことも出来ず、素直に表情に出てしまっていたのか。


 私の視線を受けて……。


「世界の珍しい刀とか、武器に関する文献については……。

 昔、傭兵時代に、金と一緒に報酬で貰って読み漁ったことがある」


 と、セオドアからあっさりと、それに対する答えが返ってきた。


 セオドアが、というと……。


【前に少しちらっと聞いただけのことだけど、ソマリアに居たときのことを言っているんだろうか?】


 そう言えば……。


 セオドアは多分だけど、ソマリアで“”を受けていたようなこともあるんだったよね?


 だとしたら、この間、ブランシュ村での調査報告をした時にお父様との会話で話題に上がった……。


 好んで赤を身に纏う、魔女に関することの第一人者と自分のことを豪語しているという“ソマリアの第一皇子”のことも詳しく知っていたりするのかな?


 あの時は、何とも思わなかったけど、聞いても良いことなんだろうか。


 私が、セオドアの方を向いて声を出しかけたのに、躊躇して、もじもじしていたからか。


 セオドアの方から、どうしたんだと視線を向けられてから『……姫さん?』と、問いかけられて……。


「あ、あの、聞いてもいいことなのか、分からないんだけど。

 前に、セオドアは、王族とかからも直々に依頼を受けていたようなこと言ってたでしょう?

 そのっ、その関係で、ソマリアの第一皇子のこととか、知っていたりするのかな、って思って……」


 と、おずおずと声に出す。


 もしかしたら話したくないかもしれないし。


 どこまで聞いていいのか分からず『言いたくないことだったら、言わなくてもいいからね……っ』という視線を込めて、問いかければ。


 私の言葉に合点が行ったのか、セオドアは『ああ……』と声に出してくれたあとで。


「いや、俺は第一皇子とは、直接の関わりはねぇな。

 俺が関わったのはソマリア国王だけであって、他の人間とは全く関与もしていない」


 と、説明してくれた。


 セオドアのその言葉に驚いたのは、私よりも、お兄様の方だった。


「おい、お前……。

 ソマリアの王族とも関わりがあったのか……?」


「あぁ、まぁ。……機密情報に当たるから、おいそれとは話せねぇけど。

 特に外部の情報を盗んでくるとか、国同士の問題に関わるようなそういう依頼とかじゃねぇから安心していい。

 元々、海に出れば、海賊なんかもいるような国だし。

 あの辺じゃ、荒くれ者って言うか、ごろつきも多いからな。

 ソマリアは国全体で積極的に、裏でその日暮らしの傭兵を雇って、小さいものから、そこそこ大きい依頼まで出してんだよ。

 自国民でもねぇし、、代えも使い潰しも利く存在としてな」


「……だからといって“王族”と直々に絡むようなことが、普通、あるか……?」


 そうして、セオドアの説明に訝しげな表情を浮かべて、眉を寄せるお兄様を見ながら。


 セオドアが苦い笑みを溢したのが見えた。


「ソマリアの影をやってる、そこそこ偉い奴からは……。

 俺が、傭兵として細々こまごまとした依頼をこなしてるのを確認して、その能力を買って目を付けたって言われたな。

 俺も影として動くのに仮面を付けてたし。

 相手も王族ってことで、布越しだったから、直接遣り取りしたっていっても、お互いの顔は見ていない、完全にビジネスライクだし……。

 その日暮らしにしては報酬が大金で、興味のあった変わった読み物なんかも貰えて“割が良いから”何回か仕事を受けたが、段々と厄介な依頼が増えてきそうになって、自分で打ち止めにしたんだよ。

 もっと深く国の機密情報の部分に触れて関わってたら、今も追っ手とか放たれて……。

 多分、遺恨も何もなく、普通に俺が抜けることは許されなかっただろうけど」


 それから、まるで何でもないかのようにあっけらかんと自分の事を話してくれるセオドアの言葉に、お兄様が難しい表情を浮かべつつ。


「確かに、一度でも、国の影として動いたような人間をあっさりと何ごともなく放出するというのは……。

 情報の持ち出しが起きるかもしれないという意味で、かなり危険なことだからな」


 と、声に出してくれたことで。


 私も、2人の遣り取りを聞きながら……。


 セオドアが『もっと深く機密情報の部分に関わっていたら、多分、遺恨も何も無く抜けるだなんてこと許されなかった』と言っていることに、ようやく理解が追いついてきた。


 確かに国が密接に関わってくる以上……。


 重要な情報を持ち出されない為に、影として働いていた人が突然、抜けるようなことは中々許されないことだろう。


 セオドアが、何ごともなく離れることが出来たのは運が良いことだったのかもしれない。


「まぁ、俺自身、傍から見てもはっきりとノクスの民だってことは分かるし。

 適当に鎖で繋いで、何でも言いなりに出来る奴隷にしておくのは許せるが、自分の所の影として“”のは許せないって考える奴も多い。

 ソマリアの国王がそうだったのかどうかは、そこまで深入りしてないから知らねぇけど。

 俺を使う側の影の奴はあからさまに俺の事を見下すような態度ではあったし、あまり、良い記憶じゃなかったのだけは確かだ。

 唯一、影として働く上で、文章に関して一通りは読めた方が良いってことで、基本的な文字の読み書きとか計算をタダで勉強させて貰えたのは有り難かったな」


 そうして、補足するようにセオドアからそう言われて……。


 確かに、ずっとスラムのような場所で暮らしていたにしては、セオドアには基本的な教養に関しての知識が全部揃っているなぁと、今までにも思わなかった訳じゃないけど。


 それがソマリアにいた時代に培われたものだとは、考えもしてなかったから驚いてしまった。


「成る程な。……情報を盗んだりする上で必要だから、文章を読むことを覚えたのか」


「あぁ。ガキの頃にもスラムにいた大人とか、同じノクスの民からそれなりに教えて貰って、簡単な単語とかに関しても、何一つ知らなかった訳じゃねぇけどな。

 ある程度、基本的な教養に関しては、ソマリアに居た頃に覚えたのが大半だな」


 私自身、セオドアが今までにも各地を転々として、苦労してきたようなことは聞いてなかった訳じゃないけど。


 改めて、こうして詳しく教えてくれたことに。


「そうだったんだね……。

 セオドアにとっては大変なことだったかもしれないのに、教えてくれてありがとう」


 と、お礼を伝えれば……。


 セオドアから、もの凄く柔らかな視線で、穏やかに微笑まれた。


「いや、過去の俺の判断は正しかったと、今なら確実に言い切れるし。

 今が、こんなにも穏やかに生活出来ている分、昔のことなんて正直どうでもいいとさえ思えるから、姫さんが気にするようなことじゃない」


 そうして、そう言ってくれるセオドアに。


 『それなら良かった……』と、内心で安堵しながらホッと表情を緩めたあとで……。


「あ、でも……。

 何かして欲しいこととかあったら、遠慮せずにいつでも言ってね……っ」


 と、慌てて声を出す。


 正直、ローラもそうなんだけど、私の周りで仕事をしてくれている人達は、人数が少ない分だけ……。


 毎日、私に付きっきりで、どうしても、かなりのオーバーワークになってしまっていることは否めないし。


 待遇面で言ったら、お兄様2人に仕えるとか、テレーゼ様に仕えるとか、お父様に仕えているとか。


 そういう人達のことを考えても、あまり良いとはいえない環境だろう。


 そのことが本当に申し訳なくて、しょんぼりと落ち込んでいたら……。


「衣食住の保障もされて、何不自由なく生活させて貰えてる上に。

 に仕えることが、大変だとは到底思えねぇんだけど。

 このままじゃ、給料泥棒になるぞ……。

 俺に仕事をさせる為にも、姫さんは、もっと日頃から我が儘を言っていい」


 と、逆に苦笑しながら、セオドアから声をかけて貰えた。


 きっと、本心からそう言ってくれているんだろうな、っていうことが分かるから、有り難いなぁと思うのと同時にほんの少しだけ胸が痛む。


 正当な“仕事の対価”としても、受け取るべきものは受け取って欲しいし。


 私自身、他の皇族の人達に比べて、資産だったりとかそういうものも含めて。


 自分が持っているものも少ないって分かってるから、みんなに与えられるようなものも、そんなに無いのに……。


 セオドアも、ローラも、アルも、エリスも、ロイも……。


 私の周りに集まってくれる人は本当に、みんな優しい人ばかりだし、いつも私を気に掛けてくれるばかりで。


 逆に、どうして欲しいとか、あまり多くを望んではくれないから。


 私に出来る事があったら、遠慮せずに言って欲しいのにな、と思う。


 ――もっと、私本人が気にかけることが出来たらそれが一番、良いんだろうとは感じるんだけど


 みんなが今、必要としているものとか、それとなく探ってみるものの、いつも分からない自分が恨めしい……。


 私が、心の中で、みんなのことを考えていたら……。


「うむ、セオドアの言うとおりだ。

 アリス、僕達のことを彼是あれこれと考えるよりも、お前はまず、自分のことを何よりも優先して考えるべきだと思うぞ。

 お前が幸せなら、僕達も嬉しいんだからな」


 と、アルが私に向かって、優しく声をかけてくれた。


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