皇宮にある一番小さな訓練場といっても、私が使うには充分すぎるこの場所で、セオドアと対峙する。
普段、後ろから付いてきてくれていることが多いセオドアと……。
こうして改めて、訓練場という特殊な場所で向き合うと、何だかほんの少し気恥ずかしい感じがしてくるから凄く不思議だった。
因みに一緒に付いてきてくれていたお兄様とアルは、訓練場の隅の方で私の練習を見学してくれるらしい。
やることもなくて、時間を持て余して退屈にならないかなって思ったんだけど。
こういう機会は滅多にないから見るだけでも楽しいと言ってくれたアルと、特に問題ないと声をかけてくれたお兄様の言葉に甘えることにして……。
私は、自分の事に意識を集中させることにした。
セオドアは常に腰に巻いているソードベルトに剣を2本差して携帯しているけど。
こうしてみると、私なんかとはやっぱり普段から立ち姿自体がまるで違っていて……。
何て言うか、上手く言えないんだけど……。
その何処にも、
【私自身、セオドアに初めて会った時に、その姿を綺麗だと思ったように……】
――どんなに頑張っても、セオドアの死角を付くようなことは絶対に出来ないだろうな
と、改めて感じる程には、抜いてもいない剣の
ぼんやりと、眺めている場合でもないんだけど。
思わず、立っているだけで絵になるセオドアのその姿を、吸い込まれるように見つめていたら……。
「いいか、姫さん。
状況によりけりだが、基本的に馬鹿正直に真正面からやってくる敵は
特に姫さんみたいな立場ある人間を襲おうとするような奴は、恐らく後ろからとか、横から隙を突いてくる方が圧倒的に多いだろう」
と、セオドアが剣を抜くこともなく、私に説明しようと口を開いてくれたことにハッとして……。
私はこくこくと、真剣な表情を浮かべながらセオドアの説明に頷き返した。
確かに、セオドアの言う通り、正面から私を襲おうとするよりも……。
突発的な犯行じゃない限り、横や後ろから隙を突いて狙ってきた方が、殺すにしても
自分で言ってて、凄く虚しくなってくるのが悲しい所ではあるんだけど……。
それでも、自分が狙われる時に、どういう状況に陥る可能性が一番高いのかということは今後の対策の為に知っておいて損はない。
実際、犯人の気持ちになってみれば、私を狙う人って、多分……。
私が馬車の事故に遭って、拉致されたあの時のように、赤を持っている私が皇族であることが許せない、みたいな過激な人か。
取りあえず、上手いこと裏で私のことを操りたいタイプの私利私欲にまみれたような人とか、そういうのだと思うし……。
【他に、有り得そうなのは、他国の影で動いている暗部に属するような人で、私が何か政治的なカードになり得ると判断されたような場合とか……?】
思考を巡らせて、今の段階で、有り得そうな可能性を幾つか候補として出した上で。
日常生活を普通に送る上での気をつけなければいけない脅威に関してはそんな感じかな、と思う。
後は、事情があって、スラムに行ったりとか……。
ブランシュ村の鉱山で洞窟に入った時みたいに、危険かもしれない場所に積極的に自分が立ち入った場合に起こってしまう危険だけど。
それは、ある程度、事前に危険が起きるかも知れないという予測は立てられるので、普段よりも気をつけながら、過ごすことは出来ると思うし。
――それでも洞窟の時は、アンドリューに思いっきり捕まえられて頬にナイフを当てられてしまったんだけど
私が狙われた時に、不意を突かれてという状況が圧倒的に多くなるだろうというのは、セオドアの言うとおりだった。
「うん。……相手が、横や後ろから狙ってきた場合は、どうしたらいいのかな?」
私が真面目な表情を浮かべて、セオドアに問いかければ。
「幾つか、パターンがあるから覚えておいて欲しいんだが」
と、言いながら、セオドアが私の方へと近寄ってきてくれる。
「まず、こうやって腕を引っ張られた時は……。
腕を握られてる方の自分の手をもう片方の手で握って、相手の指先の方へと素早く振って抜ける方法だ」
それから、セオドアが私の手を引っ張るために軽く腕を握ってくれて、詳しく説明をしてくれるのを聞きながら。
私は今、セオドアに教えて貰った通り……。
セオドアに握られている方の腕とは反対の手で自分の手を握って、セオドアが握ってくれている指先側の方へとスライドさせるように腕を回して、その拘束から抜けた。
かなり実践向きの内容で、ちょっと難しい上に……。
咄嗟の判断で直ぐに、教えて貰ったことが出来るかと言われたら、練習はかなり必要になりそうだけど。
それでもなんとか、自分の力だけで何とか出来そうな内容に『良かった、これなら私にも出来そう』と内心でホッとする。
「コツは、自分の手を握って両腕の力で振り切ることだ。
……姫さんみたいに“力の弱い子ども”でも、両手を使うことで、相手の拘束を振りほどきやすくなる」
それから、セオドアに丁寧に説明されて、私はその言葉を真剣に聞きながら、何度か一緒に練習をさせて貰うことにした。
セオドア自体、最初は、かなり甘めに力を緩めて加減をしてくれて。
私自身が、あえてその拘束から抜けやすいようにしてくれていたんだと思うんだけど……。
私が少しコツを掴み始めたくらいから、徐々に、セオドアの私を握る腕の強さに変化があって、ぎゅっと力が込められるようになって、直ぐには振りほどきにくくなり始めた。
それでも、諦めずに練習を重ねていくうちに……。
何とか毎回、自力でセオドアの拘束から脱出出来るくらいにはなってきたと思う。
「あぁ、良い感じだな。……咄嗟にこれが出来れば一先ずは問題ないはずだ」
「……っ、本当? それなら、良かった……」
今の遣り取りで、セオドアは全く息一つ乱していないのにも関わらず。
ちょっと一緒に練習しただけで、普段の運動不足が
そこまでの運動量ではないはずだし。
本来、そんなにも力を加えずに出来る護身術として教えてもらっている筈だから、私の呼吸が乱れて、息が上がってしまっているのは可笑しいんだけど……。
多分、最初の頃に慣れてなさすぎて。
力の使いどころを間違えて、変なところに力が入ってしまっていたのが原因だと思う。
「……、ちょっと休憩にしようか……?」
そうして、セオドアに気を遣って貰いながら、そう言われて……。
私はその申し出を断るように、ふるりと首を横に振った。
「ううん、大丈夫。……心配してくれてありがとう」
いつもは、騎士の人たちが使用している筈だから……。
お兄様の名前を借りて使っているとはいえ、訓練場がいつでも借りられる訳でもないし。
そもそも私から教えて欲しいとお願いしておいて、まだまだ始めて間も無い、序の口とも言えるこの状況で、1人、音を上げる訳にはいかない。
なるべく身体が色々と覚えている内に、次の段階に入りたいという気持ちもあって、私はセオドアに真っ直ぐに視線を向けた。
「他は、どういう場合を想定しておけばいいのかな……?」
「後は、そうだな。……口を塞がれた時と、後ろから抱きかかえられるような形で襲われた場合だな」
セオドアが、私の質問に答えてくれつつ。
それぞれに『実際にやってみながら、覚えた方がいいだろう』と、声をかけてくれる。
――まずは口を塞がれた時……。
もしも、背後から口を塞がれた時は、相手の小指を掴んで曲げるのが一番良い方法なのだとか。
「小指は指の中で最も力が込めにくい場所だし、相手の弱い所にもなり得るからな。
指全部を狙うより、ピンポイントで狙って曲げた方がいい。
相手が痛みを感じて姫さんから一瞬でも手を離したら、御の字だ」
そうして、サラッと簡潔に説明を挟んでくれながら。
私の背後に回ってくれたセオドアが、口を塞ぐような真似をしてくれる。
それを見て、私がセオドアの指を曲げるのに躊躇していると……。
「それじゃ練習にならねぇだろ。……遠慮無くやってくれていい」
と、セオドアの方から言ってくれて。
私はこくりと頷いたあと、セオドアの小指に手をかけた。
力加減が難しいけど『遠慮をしてしまうと、余計痛みが長引いちゃうだけになるかも……』と。
意を決して、思いっきり、セオドアの小指を掴んできゅっと、曲げれば……。
「……っ、姫さん。……マジで、それ、全力か……?」
と……。
ほんの少し経ったあと、セオドアから、何とも言えない空気が漂ってきたのを感じて、私は思わず『あぅぅ……』と小さく声を漏らした。
「あのっ、痛かったりは、……?」
「うん、してねぇな……」
そうして返ってきたセオドアの言葉に『……そんな、っ……、これでも、全力で立ち向かったのに……』と、思いっきりショックを受けて落ち込めば。
「いや、俺自身、身体能力が他とは違うノクスの民だからかもしれねぇし。
一般的な成人した野郎には多少なりとも効果的、だろう、多分……」
と、セオドアから、何とか励まそうとするような言葉が返ってきて、更に傷口に塩を塗るような事態になってしまった。
【うぅ、もの凄く気を遣わせちゃってる……っ、!】
私自身、運動神経に特別、問題がある訳ではないとは思うんだけど。
それでも、セオドアみたいに運動神経抜群で。
もの凄く出来る人からすると、どうしても不格好には見えちゃうだろうし……。
巻き戻し前の軸も含めて、あまりにもこういうのとは無縁の生活をしてきたこともあって、人の話を真剣に聞いて、一生懸命なことだけが唯一とも言っていいかもしれない自分の取り柄で……。
覚えも決していいとは言えないから、生徒としては、本当に不出来だろうな、って感じるんだけど。
セオドアは私の出来なさ加減に特に苛立つ様子もなく、こんな私にも優しく教えてくれて本当に有り難いなと思う。
「もっと、がんばるね……!」
自分が、こういうことに関して、かなり落ちこぼれの生徒である自覚を抱えながらも、セオドアに声を出して伝えれば。
「まぁ、どうやっても、人間ってのは、向き不向きがあるからな。
姫さんの場合、力が強いようなタイプじゃねぇし。
何も出来ずに反撃するような人間じゃ無いって相手に油断さえあれば、人ってのは急に噛みつかれた時には一瞬でも怯んでしまうものだ。
そういう隙を狙うってのは重要だから、例え力が弱くても覚えておくに越したことはない」
と、穏やかに微笑まれてしまった。
その、優しい言葉に甘えっぱなしになるのはいけない気がする、と思いながらも。
「大事なのは、決して戦おうなんざ思わないことだ。
あくまで、護身術は一瞬の相手の隙を突いて逃げる為だったり助けを呼ぶための手段であり、自分より力の強い相手に立ち向かうことじゃない」
と、セオドアにそう言ってもらったことには素直に頷けた。
そもそも、私自身、戦闘には不向きなのは分かっているし……。
どうやったって、セオドアみたいに熟練の剣士としての腕を持っている訳でも、今から練習した所でその境地にたどり着ける訳でもない。
それに、これから先のことを考えても、私を狙ってやってくる人間の方がずっと
体格も何もかもを考えたら、今の私が勝てる人なんて100%の確率でいないだろう。
自分の能力を使ってもその後の反動のことを思えば、イーブンに持ち込めるかどうかさえ、怪しいと思う。
だから、立ち向かうためじゃなくて、あくまで自分の身を守って逃げたり助けを呼ぶために力を使うということは正しいことだと感じるし……。
そもそも、護身術を教えて貰おうと思った理由も。
鉱山での洞窟の時みたいに、私が誰かに捕まってしまったことで、周りの足を引っ張って、迷惑をかけてしまうようなことだけは避けたいというものだったから。
「うん、戦う為じゃなくて、あくまで自分の身を守る為に相手の隙を作ることが大事なんだね……!」
セオドアの言葉に、同意するようこくりと頷きながら、そう伝えれば。
「あぁ……。
今日やったことを、ちょっとでも身体に染みこませておけば、万が一、何かあった時に大きくその生死を分けることだけは確実だからな」
と、セオドアが声をかけてくれる。
「じゃぁ、気を取り直して。
……最後の、後ろから抱きかかえられるような形で拘束された場合の練習をしようか?」
そうして、セオドアにそう言われた私は、グッと気を引き締め直した。
今日の護身術の練習については、大まかに言って3通りあるみたいだったんだけど……。
――後ろから抱きかかえられるような形で拘束された場合
セオドア曰く、その場合は手も動かせないようなことが殆どだし、力を込めて捕まえられてしまっている以上、有効打は殆どない、みたい……。
「……そういう場合は、どうしたらいいの?」
その場合、何をするのが正解なのか分からなくて、私がセオドアに問いかけると……。
「あぁ、そうだな。……この場合、唯一動かせるのは足だ。
取りあえず、相手の
一応、実践形式でやってみるから、俺の足を狙ってみてくれ」
と、セオドアに背後を取られて、やんわりとだけど、キュッと後ろから抱きしめられた。
こうして、実践形式でやって貰うと気づけるけれど……。
言われてみると確かに、拘束されて手も動かせないし……。
仮に、脇に手を入れられたことで、手を自由に動かせたとしても後ろにいる相手にだと何も出来ないのがよく分かる。
とりあえず、セオドアに言われた通り、後ろに向かって足を上げて擦るようにかかとを上から下にずらしてみたけれど。
実際に後ろを見ることが出来る訳じゃないし、前に足を蹴るのと違って後ろに向かって足を上げるとなると、かなり難しい……。
今日、練習した中では一番難しいかもしれなくて、思わず困惑しながらも。
なんとか、セオドアの足に自分の足が当たることに成功すれば……。
パッと、セオドアが私を抱きしめていた腕を離してくれた。
「うん。……まだまだ、ぎこちないが、良い感じだ」
「ほ、ほんとう? 私、ちゃんと出来てた……?」
全然、痛そうにもしていないセオドアを見ながら、本当に効いているのかな、と不安に思って声をかければ……。
「あぁ、安心していい」
というセオドアの優しい言葉が返ってきて。
『まさか、私に気を遣ってくれているんじゃ……』と、感じて、胡乱な表情をする私に……。
「んな顔しなくても、本当に出来てたから、大丈夫だって」
と、言って貰えてホッとする。
「人体の急所は幾つかあるが、脛は皮下脂肪が薄くて骨に衝撃を受けやすいから、ちょっとの蹴りでも激痛を感じやすい。
相手がどんな人間であろうと、人間の弱点ってのは変わらないから、出来るなら重点的に狙っていった方がいい」
そうして、セオドアから細かく説明を受けながら、私は内心で『凄いなぁ……』と、感動していた。
セオドアも含めて、普段から騎士の人たちはそういうことにも気をつけながら戦闘をしているんだろうな、ということがよく分かるくらい。
セオドアの説明には一切の無駄がない。
まるで、当たり前のことのように染みついているんだろうけど、相手の急所を狙うだなんてことすら私には考えが及ばないことだったし。
逆を言えば、セオドアや他の騎士の人たちも、
一生懸命に教えて貰ったことを精一杯やるくらいのことしか出来ない私からすると。
戦える腕を持っている人達は、実践をしている間も色々なことを頭の中で考えながら立ち回っているのだということが、セオドアの説明でよく分かるし。
それを、手に汗握るようなビリビリとした緊迫感の中で、一瞬の判断が命取りになる状況下でしてしまえるのだから、本当に凄いと思う。
的確に色々なことを教えてくれるセオドアを、尊敬の眼差しで見つめながら。
今日、習った護身術の内容を頭の中で反復させつつ、もう少し自分の身体に染みこませて覚えておきたいなと思って……。
「今日、やったこと、おさらいをする意味でも、もうちょっと練習してもいい……?」
と、おずおずと問いかければ。
「あぁ。……そんなに遠慮しなくていい。
姫さんさえ、練習しておきたいなら、幾らでも」
と、セオドアが微笑みながら、頷いてくれて。
私は自分の為にも、今後周囲に迷惑をかけないようにするためにも……。
今日、訓練場を借りている時間いっぱい、お昼まで、セオドアに相手をして貰いながら護身術の練習に励むことにした。