色鮮やかだった世界が
あの方の傍にいることで、自分の瞳に映る日々が、そうなってから、一体どれくらい時間が経っただろう。
後悔よりも、自分の大切なもの以外はバッサリと切り捨てて、なるべく何も考えないように全てを割り切って生きる様になってからの方が、最早、長くなってしまってる気がする。
――カラン、と音を鳴らしたグラスの中の酒は、もう残り僅かになっていた。
「……おかわりが必要でしょうか?」
「言ったら、わざわざ2杯目を出してくれんの?」
ナナシの問いかけに、クッ、と小さく喉を鳴らして、笑みを浮かべながら声をかければ。
「必要でしたら、幾らでも」
という言葉が返ってきて、それをやんわりと拒否するように俺は首を横に振った。
「……残念だけど遠慮しとくよ、今日は幾ら呑んでも気分良く酔えそうにない」
「そうですか……」
上手いこと、話を逸らされてしまった所為で、結局聞きたいことの半分も聞けていない状況だけど。
別に俺自身、急いでいる訳でも無い。
こうなったら、とことん腰を据えてナナシのペースに付き合おうと決めながらも。
「それで、? あの子の話題を今、俺にしてきて、結局何が言いたかったの?」
と、問いかけるように声を出す。
俺の言葉を聞きながら、ナナシが服の内側に手を入れて、胸ポケットにでもなっていたのだろうか……。
そこから、何か小さな瓶のようなものを、無言で取り出してから、バーカウンターのテーブルの上にことり、と音を立てて置いたのが目に入った。
「……何それ……?」
「あなたが皇女様に贈るのにも使用した、
「……っ、」
抑揚の無いナナシの声に、ほんの僅かばかり動揺が隠せずに、目を見開いてそちらを見れば。
「少し手を加えてブレンドしてるので、完全にあなたがミュラトール伯爵に推薦した毒とは一致しません。
ですが、ご安心を。……成人した大人が、この瓶の中身を全部飲んだ所で、致死量までには届きません」
と、淡々と、無機質に、ナナシが毒の入った瓶をテーブルの上で滑らせる。
ピタリと、都合良く俺の目の前で止まったその小瓶に視線を落とし、小さく息を呑んで、深いため息と肩を落としながら苦笑した俺は。
「……あの方に、
と、
「察しが早くて助かります」
まるで、一切のトーンを切り替えることもなく、何でもないかのようにそう言ってくる目の前の男に。
俺自身、テレーゼ様のお傍に付くようになってから、そういう感情は捨ててきた方だけど。
『人の心みたいなもの、持ち合わせてないのかな……』と、内心で思いながら……。
俺は直ぐさま、今、自分が思い至ったその言葉を『いや、これは違う、な……』と、否定する。
寧ろ俺の考えとは真逆で……。
ナナシ自体、人の心を持ち合わせているからこその、一方的な、
今まで、その生き方から、敵も多く作ってきたであろうテレーゼ様だ。
本来、表に出している
それを隠すだけの力も持っているから、殆どの人間は
だけど、それを調べることの出来る能力を持った人間がいるなら話は別だ。
――そう、今ここにいる、ナナシのように
テレーゼ様のことを、『あの女』呼ばわりしていることといい、ナナシの中では、あの方にあまり良い印象を抱いていないことだけは、確かなんだろうし。
「何となく、そういう嫌な予感はしてたんだよなァ。
そういうこと、何一つ、したくないから。……お姫様にさえ、別の人間を使ったのに。
あの方どころか、俺が、人に対して、毒を盛るようなことが出来ると思う?」
『さっきまでの俺との会話、ちゃんと全部分かってて交わしてたんだよね?』って、言ってしまいたいくらいには……。
ナナシに対して、恨めしい気持ちが湧いてくる。
勿論、ナナシ本人が最初に話を振ってきた以上は……。
俺がそういうことをしたくなくて『自分の保身に走った』というのを、分かってて言っているんだろうから、質が悪い。
まるで、今まで、俺が見て見ぬフリをしてきたことを、ガツンとここで、
「第一、その毒、
だったら、あの方を貶めるような方法なら、わざわざ傷つけなくても、他にだって方法があるはずだ。
今までしてきたことの醜聞を、世間にばら撒く為にゴシップ誌に情報を売るとかさぁ」
ナナシが、あの方の存在そのものと。
恐らくだけど、自分の利のためならば、他者がどんなに傷ついても何とも思わないような。
ある意味で、権力者のお手本のような、その遣り方を、心底軽蔑していて、毛嫌いしているんだろうな、っていうのは……。
ここまで話してきて、何となくだけど俺にも分かってる。
でも、
あの方を裁く方法を取りたいのだとしたら、わざわざ、その身体を傷つけるようなことをしなくても、他にだって幾らでもやりようはある筈だ。
――例えば、今、俺が話した内容の方法を取ってみるとか……。
俺の発言に。
目の前で、ナナシが、『……ハッ、』っと、鼻で笑う、嘲るような笑みを溢したのが聞こえて来た。
仮面を付けているのに、その雰囲気が、穏やかじゃ無いものに代わり。
まるで、怒っているとも取れる、隠す気もない殺気が、じわじわと漏れ出てくるその姿に俺は息を呑む。
「ルーカス様、……毒を飲んだことはありますか?」
それから、突然の、突拍子もないナナシの問いに、俺は少しだけ気圧されながらも。
「……いや、ないよ」
と、正直に声を出した。
「えぇ、あなたは、使用人達にも恵まれて、幸せな家庭で何不自由なく育ったんだから、そうでしょうね?
でも、
そうして、俺の言葉を聞いて、小さく一度、納得したように頷いてから、そう言われて。
俺はナナシが誰のことを言っているのか全く読めずに首を傾げる。
ナナシの口から零れ落ちる言葉が、あっちこっち、別の所に飛ぶのは今に始まったことじゃないけど……。
この独特な会話のテンポに、慣れてきたかもと、ちょっとでも油断していたら“これ”だ。
ここまでくると、敢えて分からないように惑わせて、全く俺に本心を読ませる気はないんじゃないかと変に勘ぐってしまう。
「ごめん、話の内容が全く読めないんだけど、一体、何のことを言ってるの……?」
唐突な話の転換と、ナナシの言う『毒を飲んだという人間』に思い当たるような存在が直ぐに浮かんでこず。
あまりにも意味が分からなさすぎて、訝しげな問いになった俺を、特に気にすることもなく。
「
酷い吐き気で胃からせり上がってくる苦しみに耐えながら、手足の力が抜けて、ベッドの上で独りぼっち。……
自分が何か悪いことをしてしまったのか、どうして、自分ばかりがこんな目に遭うのか……。
ねぇ……? あなたは、そんな思い、一度もしたことないでしょう?」
と……。
抑揚のない声のまま、ナナシが淡々と俺に告げてくる。
その言葉に、いよいよ、訳が分からなくなって、理解することを放棄したい気持ちになりながらも。
俺はなるべく平静を装って、努めて冷静に声を溢した。
「……っ、お姫様、のことを言ってる……? 彼女は、毒を飲まなかった筈だ、ろう?」
「はい、そうですね。……“
――“
それは、何かの比喩とかだろうか……?
それとも、俺の方が何か可笑しくて、ナナシの見えている世界線ではお姫様が毒を飲んでることになっているんだろうか?
【いや、そもそも、それなら“今世”という表現にはならないだろう……】
色々と頭の中を回転させて、あれこれと考えては見たものの、その言葉の意味も意図も全く理解することが出来ずに、眉を寄せ、難しい表情をする俺に。
真っ白な仮面を向けながらも、ナナシは、構わずに言葉を続けてくる。
「難しく考える必要なんてどこにもありません。
今回、色々なことが重なった上で、あの子が
もしも、皇女様が毒を口にしていたら、今、僕が言った内容に似たようなことが起きていたでしょう。
そして、例え、それが法に抵触しないとしても、その
だからこそ、あなたがしてきたことの、免罪符には、ならない、と……」
「……っ、それは……」
そうして、どこまでも此方のことを責める様なニュアンスで、ナナシからそう言われて、俺は何も言い返すことが出来ずに息を呑んだ。
――ナナシの言っていることは、至極真っ当な意見だった。
俺自身『もしも、お姫様が毒を飲んでしまっていたら……』ということを、あの子に近づくようになってから、今までの間に考えてこなかった訳じゃない。
例え、それで死なないと俺自身は分かっていても。
もしも、お姫様がそれを口にしていたら、毒が効いている間は、死ぬかもしれないという恐怖に陥っていたかもしれない。
まだ、幼い彼女を間接的にであろうと、俺が痛めつけるような方向へと持って行ってしまったことは、事実なんだ。
それに関して、今まで目を
最終的な判断として、ミュラトール伯爵の意思による物が大きくて。
自分が最後の部分で関わっていないから……。
そこに必要以上に罪悪感を覚える必要はないんだって、必死で現実から目を逸らしてきたツケが今、巡ってきているのだと思う。
【あの子が、毒を飲まなくて本当に良かった、と……】
事情を聞いた際に、心底ホッとした自身の弱い部分を今、刺激されて……。
例え、仮に、法で裁かれないとしても、俺が全てを動かしたことには変わりがなくて。
そこに、“悪意はなかった”と……。
せめてもの、自分に出来る範囲で『お姫様に対して、最大限の配慮をした』と。
本当は心のどこかで、俺自身が自分の為に、言い聞かせるように、
「目には目を、歯には歯を。……毒には毒を」
「……っ、」
「例え、その身に傷を受けたとしても、何一つ問題ないと、あの子が全てを許そうとも。
僕は皇女様を傷つけた、あなたも許せないし、あの女のことはもっと許せない。
これは、あなたがしてきたことの罪に対する罰だと思って下さい。
それから、あの子が傷ついた分、ほんの少しでもいい、
……だけど、安心して下さい、殺すつもりは欠片もありません。
あの女の末路は、自分が手に抱えていた大事なもの全て、その全てが、手のひらから溢れ落ちて無くなるのが一番相応しい」
そうして、抑揚の無い口調ながら、どこか
俺は思わず、眉を寄せたまま、ナナシの方を見つめた。
相変わらず、何を考えているのかさえ、読めない仮面の下で。
今、ナナシがどんな顔をしているのかは、全く分からない。
だけど……。
一つだけ、俺にも分かったことがあった。
ナナシが、お姫様に対して『何か、特別な感情を持っているんだろう』っていうことだ。
それも、どこか、執着にも似た様なドロドロとしたような感情を……。
お姫様とナナシの接点なんて、今の俺にはどこにも見当たらないから、そこからナナシの目的を探るのは不可能だけど。
それでも、テレーゼ様のことを目の敵にしている様子のナナシが、今の会話でお姫様のことを大切にしている雰囲気なのは伝わってきた。
【……それとは、また違うような。
ナナシが“皇女様”という単語と“あの子”という言葉で使い分けているのにも、理由があるんだろうか……?
時折、なんとなくだけど、まるで、お姫様を通して、どこか遠く。
誰か違う、別の存在を見ているような、そんな気がするのは、俺の気のせいなのかな……?】
――まるで、お姫様を大切にすることで。
もう、
「ねぇ、一つ聞いておきたいんだけど……。
そこまでナナシが、テレーゼ様を恨んだりしている様子なのは、一体どういう理由からな訳……?」
それから、今の疑問点について、聞いておきたいことをはっきりと問いかけた俺に、ナナシはふるりと否定するように首を横に振り。
「いいえ、僕は、あの女を恨んではいませんよ」
と、声を出してくる。
その言葉に、眉を寄せ『……どう考えても、それ以外、理由なんてないでしょ?』と内心で思いながらも。
じゃぁ、他に何の理由があって、ナナシがそこまでテレーゼ様を執拗に追い詰めようとしているのか、と問いかけるように、視線だけで訴えれば。
「あの女のような“思想”を持った人間が、これまでも僕達の生活を脅かし、苦しめてきました。
僕がこの世で最も憎んでいるものは、人間が生活する上で
と……。
相も変わらず、よく分からない言葉が返ってくる。
テレーゼ様のような思想を持った人間が、ナナシの生活を脅かして、苦しめてきた。
ナナシがスラム育ちで、上に立つような人間の選民思想みたいな物にキツく当たられてきて。
今までにも苦しい生活を強いられてきたのなら、一応、その言葉には筋が通っているとも取れる。
貴族のように上に立つ人間が、スラム育ちであまり出自がよくない物を馬鹿にしたり下に見たりするような傾向があるのは確かだから。
……まぁ、正直な話、これだけの情報だけだと、その大半がまだよく分からないことだらけなんだけど。
これから、先、ナナシと行動を共にする以上はある程度知っておきたいことばかりなのに。
ナナシの言葉はあまりにも抽象的すぎたりするものだから、今一、ピントが掴めないことが多すぎる。
「それに、あなただって、このままだと良く無い方向に進んでいることは分かってるはずだ」
そうして、ナナシにそう言われて、俺は無言のまま、小さく頷き返す。
最近のテレーゼ様は以前にも増して『お姫様に対して危険な向き合い方をしている』ということは、俺も重々過ぎるくらい分かってた。
「……ゴシップの記事に情報を売るだけなんて、どう考えても戦略的には弱すぎます。
そんなもの、あの女がいつだって平然とした顔をして、握り潰してきたということを、誰よりもあなたが知っているでしょう?」
「……っ、」
「何か問題が起きて、痛い目に遭って、
まぁ、あの女が、それで改心するかどうかなんて、知りませんけど……。
僕は正直、あの女がどうなろうと、どうだっていい。
だけど、それでも、あなたは、大切な妹のことで、少なからず恩義を感じているんでしょう?
ならば、今、あの女のことを、ここで止めてあげるのも、ある意味、愛情なのでは?」
それから……。
まるで呪いのように、今、自分たちがしようとしていることを正当化しながら。
ナナシがはっきりと俺に伝えてきた言葉の全てを、否定出来ない自分がいたことだけは確かだった。
テレーゼ様が魔女を紹介してくれなかったら、俺の妹であるソフィアはそもそも、ここまで延命することすら出来ていないだろう。
そのことに関しては、当然感謝の気持ちを抱いていない訳じゃない。
ただ、これから先のことを天秤にかけた時に、俺自身、あの方の傍に仕えていたら一生使い潰されるんだろうってことだけは確実で。
今までの恩への対価については、正直精算することは出来たと思っている部分も大きい。
あの方が犯してきた罪については、ずっとその傍にいた俺とナナシが一番理解していると思う。
このまま、周囲に被害が広まって、更なる悲劇が生み出されてしまうその前に。
その負の連鎖を『どこかで食い止める必要がある』と言われれば、納得出来る部分も少なからずあった。
お姫様のこと、殿下のこと、テレーゼ様のこと……。
色々と頭の中で、考えてはみるものの、どうすることが一番良いことなのか。
その正解と落とし所を探りながらも、正直、気持ちが纏まらなくて、モヤモヤとした黒い霧のようなものが心の中に湧きあがってくる。
人が悩んで考えてんのに、そんな俺の気持ちなんて、まるで、どこ吹く風で。
ナナシは、俺のことを待ってはくれなかった。
「ルーカス様、あの子と、婚約するつもりで動いているんですよね?
今後、あなたが皇宮に出入りするのは、普段以上に頻繁なものになるんでしょうし、いつ行動に起こすかは、あなた次第です。
だけど、今、この瞬間にも、
後のことは、簡潔にですが、この手紙に記しておきました。
あなたが、どうやって、家族を救うことが出来るかなど、その方法が事細かに書いてある紙です。
……どうぞお持ち帰りを」
はっきりと口に出して、必要なことに関しての最低限のことは此方に説明しながらも。
さらっと、話を進めてきた、ナナシから……。
目の前に封筒に入った手紙が置かれて、俺はそれを此処で確認することはせずに、自分のジャケットの内ポケットの中に入れた。
流石に、ナナシとアーサーだけとは言え、これに関しては念には念を入れて家で一人確認した方がいいだろう。
それから、ほんの僅かな時間、目の前に置かれた毒の小瓶をどうするべきか悩んだ結果……。
「もしも、あなたが引き受けてくれないのなら、僕が直接、手を下すだけですが……」
と、追い打ちをかけるようにそう言われて、一先ず『どうするか』というのは後回しにして、それを持ち帰ることに決めた。
自分の裁量で使用出来る分、テレーゼ様に全く良い印象を持っていないナナシが使うよりは、俺が使った方がその分量も決めることが出来る分だけ『安全』だという認識はあった。
念の為、目の前に置かれた小瓶の蓋を開け、薬品の匂いを嗅ぐようにそれを鼻の近くまで持って行って一度嗅いでみたけど。
匂いは、殆ど『無臭』に近いそれに。
ナナシの話を、パッと聞いた限りでは嘘を言っているようには到底思えないけれど……。
それでも万が一って、場合もある。
本当にナナシの言うように“致死量”にまで届かない毒の配分なのか今の自分に知る手立ては何一つなく。
後で、毒の成分に関しては慎重に調べる必要があるな、と内心で思いながら、俺は再度、慎重に蓋を閉じた。
――それから。
お姫様が今日くれたクッキーを手に持ってきていたことを思い出した俺は、椅子に座る際に隣の椅子に置いておいたその包みに、視線を向けたあとで、それを開ける。
申し訳ないけど、この毒の入った小瓶を、今日一日、ずっと手に持って歩く訳にはいかないし。
この袋の中に、一緒に入れさせて貰おう、と思ってからの行動だったけど。
パッと見た感じ、クッキーだけじゃなくて、何か小さな瓶のようなものが幾つか入っているのを確認した俺は。
【何か、別の物が入っている……?】
と、内心で思いながら……。
お姫様から袋の中に一緒に入れられたであろう、手紙を見つけて、それを取り出して、書かれている文字にザッと視線を走らせた。
「……ルーカス様?」
それから、どれくらい経っただろうか。
時間にして、およそ数十秒ほどのことだったと思うけど、ナナシに問いかけられて、ハッとした。
思わず、走り書きで書いたにしては綺麗で可愛らしいお姫様の字を読みながら……。
内心で、驚いていたのを表面的にはおくびにも出さずに、俺は平然を装いながらナナシの方へと真っ直ぐに視線を向けたけど。
正直、頭の中は、『お土産』と称して、この袋を俺に手渡してくれた時の、お姫様のことでいっぱいだった。
誠実なあの子のことだ。
お姫様が、俺に嘘を吐くなんて思わないし。
手紙に書かれている内容が文字通り嘘偽りのないものだとしたら、この小瓶の中身は……。
【黄金の薔薇で作った薬で、間違いないんだと思う】
前にデビュタントで、ほんの少し話しただけの、たった短い会話でのことを覚えておいて。
効くかどうかなんて、分からない病人の為に、わざわざ希少だと言われる黄金の薔薇で作った薬を俺に何本も持たせてくれた、その配慮に胸が痛むような思いさえしてくる。
――
本当だったら、
【そんな、貴重なものを。
あの子は、何の見返りも求めることなく、あっさりと人の為に手渡してしまえることが出来るんだ】
と……。
そう思ったら、もう駄目だった。
正直、今、この瞬間まで、確かに躊躇いがあったのに。
――この先の悲劇を巻き起こさないために、どこかで、テレーゼ様を止める必要がある。
それが今まで、あの方の傍に仕えてきた、自分のしてきたことの報いだと言うのなら、俺が為すべきことは……。
ナナシの言うように、
ソフィアのことは勿論、ずっと最優先にしなければいけないこととして、常に俺の選択肢を決める上での重要事項の一つではあるんだけど。
それが、誰の為にもなって、俺が『あの子にも、殿下にも、してあげられる唯一』のことだとしたら。
俺は……。