目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第273話 3年前



 突然の脈絡もないアルの言葉に驚きながら。


 私がアルとお兄様、それからセオドアの方へと視線を向けると。


「えっと、アルフレッド君、突然すぎない?

 質問の意図がよく分からないんだけど。

 俺が、お姫様を幸せにするつもりがあるかどうかって、一体どういう意味で聞いているの……?」


 と、戸惑った様子のルーカスさんが、アルに向かって質問をするように声を出してくれた。


「うむ。僕もこの間、本で読んだばかりで、薄い知識しかないのだがな。

 人間同士が将来、結婚をするということは、本来なら、愛しあってなければいけないのであろう?

 お前がアリスのことを幸せに出来ないのなら、そもそもこの結婚自体に、意味がないと思ってな」


 それに対して、アルが“何の混じり気もない真っ直ぐな視線”で。


 ルーカスさんにそう言ってくれているのを聞いて……。


 私はただただ、びっくりしてしまう。


 今まで……。


 お兄様やセオドアが私のことを心配してくれて、私に対して『ルーカスさんとの結婚は考えた方が良いんじゃ無いか』と、言ってくれるようなことはあったけど。


 アルは、そういった話題には関与してきたことが無かったし。


 誰かと婚約関係を結ぶということに、この間、お父様とその話になるまでは、本人も『あまりピンとは来ていなかった』と言っていたように。


 人間の仕来りが分からないという部分はあったと思うんだけど……。


 それでも、普段のアルのことを考えたら、人間同士のルールや古くからの慣習についても。


 決まりがあるのならと、そう言ったことには殊更ことさらしっかりとしていて……。


 本当に必要な時以外は、滅多に口を出すことはせずに規律を重んじるというイメージが強かったから。


 こんな風に明確にルーカスさんと私の結婚について、どちらかと言うのなら反対するような意見を伝えてきてくれたことに驚いてしまった。


「成る程ね……。

 アルフレッド君が、どんな本を読んだのかは俺には分からないし、まだ君は幼いから分からなくても不思議じゃないけど。

 貴族同士の結婚については、例え愛がなくても、家のために政略結婚しなければいけないことが殆どだよ。

 結婚の話自体が先に来ているのなら、後から2人でじっくりと愛を育んでいけばいい」


 そうして、ハッキリとアルに向かって、分かりやすく説明してくれるルーカスさんに。


「それは一般的な政略結婚の話だろ?

 今までは、俺が出しゃばんのも良くねぇと思って、あまりうるさく言ってこなかったが。

 アンタが将来姫さんと結婚をした時に、愛を育むだとか、のなら。

 そもそもこの結婚自体が、姫さんにとっては、幸せになれないって言われているような物だ。

 アンタとの結婚でその身を縛られて“苦労する可能性”が捨てきれない以上、不幸になってしまうような結婚を、姫さんにはさせたくない」


 と……。


 セオドアが、真剣な表情で声を出してくれていて。


 私は思わず、セオドアの方を、そっと見上げた。


 真っ直ぐに自分の意見を伝えながら、本当に“私の未来のことだけ”を考えてくれている様子のセオドアに、キュっと胸が痛んだのは……。


 ルーカスさんが持ちかけてきてくれた提案を、さっきの私が受け入れたこと自体、誰にも話せないからだと思う。


 私自身に、そういう意識はなかったけど……。


 何となく、こんなにも親身になって心配してくれているのに。


 セオドアにもアルにもお兄様にも隠し事をしてしまっているような状況になってしまったことに、罪悪感みたいなものが湧いてきてしまった。


【この婚約自体、例え結んだとしても、偽りのものだと話すことが出来たなら。……どんなに楽だろう】


 とは、思ったけれど。


 ルーカスさんとの関係もある以上、私の都合だけで、それをセオドアやみんなに伝えていいものじゃない。


「お姫様のことを心配しているのは分かるんだけどさ。

 ただ、お姫様の騎士であるだけのお兄さんに、勝手にそれを拒否する権利なんてどこにも無いはずだよね?

 俺と結婚したからって、どうしてお姫様が不幸せになるだなんて思うの……?

 それって、お兄さんの主観っていうか、お姫様を結婚させたくないっていう“私情”がだいぶ入っているんじゃない?」


「……っ、」


 そうして、ルーカスさんが、やんわりとした雰囲気で……。


 だけど、ハッキリとセオドアの方を見ながら注意をするように声を出したことで。


 セオドアの方を見るルーカスさんの瞳と、怒って気が立っているような様子でルーカスさんの方を見るセオドアとで。


 何処となくこの場の雰囲気が、一気に剣呑けんのんな物へと変わってしまったのを感じて。


 私は、どうすれば一番上手くこの場をおさめることが出来るだろうと、頭の中で色々と言葉を考えては、1人おろおろしてしまう。


「そうか。……私情じゃないのなら、良いんだな?

 ならば、俺から言わせて貰うが、お前の最近の言動は可笑しいとしか思えない部分が多々あるし。

 それに、過去にお前自身が言っていたことだろう?

 “多分、誰かと結婚しても俺はその人のこと絶対に愛せない”と……」


 そうして、セオドアに代わって、今度はお兄様が咎めるような視線でルーカスさんにそう言ってくれたことで。


 ルーカスさんが、少しだけ虚を衝かれたかのように目を見開いたあとで。


「はっ。……俺、殿下に言ったっけ? 全く覚えてないんだけど」


 と、声に出してから、口元を緩めながら、苦いような笑みを溢すのが見えた。


「忘れたとは言わせないぞ。……3年ほど前の話だ。

 お前が一時期、手当たり次第に遊び回って、荒れに荒れて、手がつけられない時があっただろう?

 確か、女の顔は全員同じに見えるんだったよな……?」


 そうして、お兄様が更に責めるような視線で、過去の状況を羅列しながら、ルーカスさんを問い詰めると。


 その視線を受けたルーカスさんが、肩を竦めて、さっきの雰囲気を継続するように苦笑した状態を保ちながらも。


「あー、言われてみれば、確かにそんなこともあったっけ……?

 でもさ、3年前って言ったら、俺がまだ13歳の頃の話じゃん?

 そりゃぁ、まぁ、遊びたい盛りだった訳だし? ……ほら、子供のとき特有の、黒歴史を製造するなんてことも、よくある話でしょ?

 お姫様と婚約するようなことになったら、ちゃんと今までのことは精算するつもりだし。

 俺は、お姫様に苦労をかけないように努力もするよ」


 と、声に出して。


 その時の事情についても、説明してくれたんだけど。


 何となく、その話が“”って、思ってしまったくらいには……。


 私も、ルーカスさんの事が段々と分かってきた証拠なのかもしれない。


 よく分からないけれど、ルーカスさんの言う通り“本当に遊びたい盛りで、動き回っていた”のだとしたら。


 お兄様から見て、自暴自棄になって荒れに荒れていると思われるようなことはなくて、もっと楽しそうにしていたんじゃないだろうか。


 それに、色々と経験した結果、『誰のことも愛せない』とお兄様に伝えるのも変だと思う。


 その時の状況を私自身は見ていないから、はっきりとした事は言えないけれど。


 それでもどことなく、その言葉が“焦り”からくるようなもので。


【切羽詰まった上に口から飛び出してしまった、本音混じりの重たいもののように思えてしまうのは、私の勘違いなのかな……?】


 さっき、ルーカスさんの口から直接『愛とか恋とか煩わしいと思っている』って聞いたばかりだからそう思うんだろうか。


 内心でそんなことを考えながら、ルーカスさんとお兄様の遣り取りを聞いて、不意に気付いた。


 そう言えば、最近、“”っていう言葉をどこかでも聞いたような気がする。


 ――どこで聞いたんだっけ?


 と、内心で思ってから直ぐに『……嗚呼、そっか、ブランシュ村だ』と、合点がいった。


 確か、魔女であるベラさんも、8年ほど前から偉い人と契約を交わしていて。


 ヒューゴの話から、暗かったベラさんが前みたいに明るく生き生きし始めたのが“3年くらい前の話”だったって聞いたんだっけ。


 その後のベラさんの話で、今関わっている貴族の人と出会ってから、ベラさんの人生が良い方向に変わったっていうことだったと思う。


 この場では全く関係のないようなことを、不思議と今、思い出してしまった私は。


 一先ず、頭の片隅にその情報を押しやって。


 ルーカスさんとお兄様の遣り取りに再び意識を戻した。


「……っ、努力するじゃ、意味がねぇんだよ……っ!

 姫さんの事、本気で幸せにするつもりなんて、更々ねぇから、“努力”なんて言葉が今、出てくるんだろっ?

 現に、これだけ俺等から詰められても……。

 上手いこと言葉で取り繕って、別の方向に話を誘導させながら、約束出来ないことは、一つも言わねぇじゃねぇか」


 そうして、ヒートアップするようにセオドアが怒ったような視線をルーカスさんに向けてくれると。


 その言葉を聞いて、ルーカスさんが困ったように笑いながら……。


「あーあ。……本当に人の揚げ足を取るのが上手いよね、お兄さんは。

 今、俺がお姫様を幸せにすることが出来るかなんて、そんなもの、確約することなんて当然出来ないよ。

 だって、仕方がないでしょ? 未来のことなんて、誰にも分からないし。

 今、俺に対して何とも思っていないお姫様の気持ちだって、言ってみれば一生、俺の方は向かないかもしれないんだしさ。

 将来、絶対に安泰だなんて保障もなければ、エヴァンズ家だって、何か問題が起きてしまう場合だってあるんだから。

 お姫様のことを大切にする心づもりは勿論あるからこそ、“絶対”だなんて、無責任なこと、俺には言えないよ」


 と、声に出してくれる。


 確かにそれだけ聞くと、ルーカスさんの言っていることは間違っていないようにも思えてしまう。


 私自身、ルーカスさんから事前に今回の話を聞いていなかったら。


 多分、その言葉をそのままの意味として鵜呑みにしていたんだろうな、と思えるくらい、完璧な回答のようにも感じてしまって……。


 セオドアが一瞬だけその瞳を揺らがせて、言葉に詰まったのを見ながら、私は1人、ハラハラしてしまったのだけど。


 きちんと、私がルーカスさんと婚約を結ぶことになったということは、どこかのタイミングで言わなければいけないな、と思いながらも……。


 意を決して、声をかけようとする度に。


 そのタイミングが上手く見つからずに、みんなが私のことで会話をしてくれている成り行きをただ見守ることしか出来ないのが歯がゆかった。


 そんな私の気持ちを推し量ってくれたのか。


 一瞬だけ私に視線を向けてくれたルーカスさんが。


「それに、みんな集まってくれたタイミングだし、丁度良いから話すけどさ。

 例え、殿下やお兄さん、アルフレッド君の気持ちがどんなものであろうとも。

 さっき約束して、俺とお姫様、……正式に婚約することになったから。

 近いうちに陛下には報告するつもりで動こうと思ってる」


 と、みんなに向かって説明してくれた。


 その言葉に、お兄様もセオドアも一気に険しい表情になったのが見えて。


「……っ、オイ、一体、どういうつもりだよっ……?」


 と、セオドアがルーカスさんに向かって、一歩前に出て、更に何か言い募ろうとしてくれたのを確認して。


「待って、セオドア……っ!」


 と……。


 私は慌てて、セオドアの腕をぎゅっと握って、その行動を止めた。


「……っ、姫さん……?」


 さっきまで、ルーカスさんの方へと怒ったような視線を向けてくれていたセオドアが。


 今、困惑したように私に視線を向け直してくれるのを見ながら。


「セオドアやお兄様、それからアルが私の将来のことを本当に思ってくれて、心配して色々と言ってくれてるのは分かってるし、その気持ちは凄く嬉しいと思う。

 ……でも、ルーカスさんだけの気持ちじゃなくて、この婚約を受け入れるかどうかは、私自身がしっかりと考えた上に決めたことなの」


 と、真っ直ぐにセオドアの瞳を見つめて、つたない言葉かもしれないけど、自分の気持ちを一生懸命に伝える。


 さっきまで、ルーカスさんと二人っきりで話した時に。


 現状、ルーカスさんが私の危険を守るために動いてくれていたことも。


 将来、お父様の跡を継ぐ予定のお兄様のことを考えて立ち回ってくれていたことも、今は充分すぎるくらいに分かっているし。


 私自身、ルーカスさんの提案を受け入れたことだけは確かだから、その気持ちに関しては嘘じゃない。


 それでも、こうやって私の事を一番に心配してくれているセオドアにきちんとした事を言えないのだけは心苦しくて……。


 申し訳ない気持ちが湧いて出てきてしまったのだけど……。


 ほんの少しの嘘でも、セオドアには直ぐに気付かれてしまう可能性があるから下手なことは言えなくて。


 私の真意を推し量ろうと此方を見つめてくるセオドアの赤い瞳に思わずドキッとしてしまいながらも、私は目を逸らさずに続けてしっかりと声を出す。


「あのね、ルーカスさんとさっき、二人っきりできちんと話し合って。

 それが一番良いことだと、自分で判断して決めたことだから。

 例え、それでどんなことになったとしても、私自身が選んで決めたことの責任は自分で取れると思ってるよ」


 セオドアが、心配して私のことを思ってそう言ってくれているのが伝わるから。


 ありがとう、という感謝の気持ちを込めながら、セオドアに向かって言葉を選びつつも……。


 きちんと自分の意思を話す私に、セオドアの方がどこか辛そうな表情をしながら、私の方を見てくれて。


 思わずびっくりしてしまった私は、戸惑いながらも……。


「……セオドア、?」


 と、その名前を呼ぼうと、声を出しかけて。


 セオドアに、腕を掴まれた後で……。


「……っ、とうに……、本当に、自分の意思で決めたんだな……?

 それしか方法が無いと、コイツに答えを誘導されて、強制された訳じゃなく……?」


 と、声をかけられて、『うん』と、返事をしてから、こくりと頷き返した。


 それから……。


 私とセオドアの視線がほんの少しの間、交差して。


「……姫さんが決めたことに、とやかく言えるだけの権利は俺にはねぇけど。

 それでも、いつだって責任とか立場とか“そういうもの”全部取り払って、自分が幸せだと思う道を、俺は、姫さんに選んで欲しいと思ってる」


 暫く経ってから……。


 私を心配するようにそう言ってくれたセオドアのその言葉に。


 咄嗟に、嘘を吐いたままの状況が息苦しくて。


 セオドアには全てのことを話してしまいたい衝動に駆られながらも。


 私は『ありがとう』とお礼を伝えて、にこりと笑みを溢しながらセオドアの方を見つめた。


 今、自分が口にした“ありがとう”の言葉には本当に色々な意味が詰まってる。


 ――心配して私のことを気に掛けてくれたこと。


 どんな状況でも、セオドアがいつも一番に私のことを考えてくれていること。


 私の幸せを誰よりも望んでくれているということ。


 そういうこと全てひっくるめて、セオドアが私を思ってくれているその気持ちが伝わってくるから、それだけで温かい気持ちになれたし。


 それだけで、私はきっとこの先、どんなことがあっても頑張れると思う。


 普通に生きている人だったら、何でもないようなことなのかもしれないけれど。


 今、こうして誰かに大切に思って貰えているということは、私にとっては普通のことではなくて、本当に特別なものだから。


「陛下に伝えるタイミングは出来れば早い方が良いと思ってるけど。

 お姫様の年齢も考慮した上で、大々的に発表するんじゃなくて、暫くは皇宮内の一部の人間にしか婚約の話を伝えるつもりは無いよ」


「オイ、ルーカス。……勝手に、話を進めるなっ……!

 俺はまだ、お前とアリスの結婚を認めた訳じゃ……っ!」


「……言ったでしょ?

 殿下が何と言おうと、お兄さんがどう思おうと関係ないんだよ。

 俺とお姫様の意見が一致している以上、この婚約関係を止められることが出来るのなら、それは陛下だけだ」


「……っ、やり口がきたねぇんだよ。

 相変わらず、正論ばっか振りかざしてくるんじゃねぇ」


 それから。


 お兄様とセオドア2人と、ルーカスさんという構図で、私がきちんと話すということで一度は収まると思った剣呑な雰囲気が。


 全く収まる気配が見えなくて、1人で、みんなの方へと視線を向けてオロオロしていると。


「うむ、お前達、喧嘩をするんじゃない。……アリスが、困惑しているだろう?」


 と、その場で止めに入ってくれたのはアルだった。


 その言葉に、みんなの視線が一斉に私の方を向いて、どことなく気まずそうな雰囲気を出してくれたことに、場の空気が和らいで、一先ずホッと胸を撫で下ろす。


「ルーカスの意思がどこにあるのか、分からぬが。

 お前が、アリスを幸せにするつもりが無いのならば、僕もこの結婚には心情的には正直、反対だ。

 だが、アリスが自分の意思で決めたことだとしたら、その意思を優先したい気持ちもある」


 そうして、アルがそう言ってくれたことで。


「うん、アルフレッド君の気持ちも分かるよ。

 君たちがお姫様のことを思って言っているのは、十二分に理解しているしね。

 だけど、俺だってお姫様と結婚するために、突発的な思いつきで何も考えずにそんなことを言いだした訳じゃない。

 色んな可能性を考えた上で、誰にとってもそれが最良だと思ったから、こうして提案している訳で。

 殿下も、お兄さんも、そこまで理解しろとは言わないけどさ、ちょっとは俺の気持ちも思いやってくれたっていいんじゃない?」


 さっきまで強引に話を展開していた、ルーカスさんがどこか疲れたようにお兄様とセオドアに向かって、そう言ってくるのが聞こえてきて。


 私は、みんなの表情を確認するように順番に視線を向けた。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?