「……は、?」
まるで思いも寄らなかった言葉が降ってきて。
思わず、いつもに増して柄が悪い返答しか出来なかった。
【そもそも、どうして俺が姫さんに付いているのか、っていう今さらな説明を……。
俺は今までこの男にしていなかったか……?】
過去を振り返って、今までのことを思い返してみるが、姫さんの傍にいるのが当たり前になりすぎて。
確かにこの男どころか、誰にも、改めてそういった事は話してなかったような気もする、な。
俺が急に押し黙ったことで、その質問にどういう意図があるのか、俺自身が測りかねているとでも思われたんだろう。
「こんな事を言うのも何だが、この国で騎士を目指すだけなら、別にアリスに付く必要なんてなかっただろう?
お前程の腕前があれば、それこそ、長い目で見ても、順当にこの国の騎士としてきちんと上へと昇進出来ていたはずだ」
と……。
補足するように、続けて言葉が降ってきて、俺は乾いた笑みを溢した。
「ははっ、これだから、お坊ちゃん育ちは」
別に、目の前の男のことを嘲笑するような意味で、そんな表情になった訳じゃねぇ。
どちらかというなら、これは自分自身の不甲斐なさを嘲っているような物だということは、俺自身が一番理解していた。
目の前で、そんな俺の表情に驚いたように目を見開く皇太子を見ながら、真っ直ぐに視線を返し。
「……俺が騎士団で、この国の連中から何て呼ばれてたか知ってるか?」
と、問いかけてから。
答えを待つこともせずに、一度、クッと喉を鳴らしたあとで。
「“
と、声を出す。
「……っ」
ノクスの民で、赤色の目を持っている。
それだけで問答無用で侮蔑の対象になって、周囲からは“人扱いさえして貰えない”。
そのことを、本当の意味では理解していなかったのか。
目の前で息を呑んだように、俺を見てくるその存在に、俺は構わずに言葉を続けた。
「ハっ……! 順当に昇進?
長い目で見れば、上へと行ける?
人間扱いさえ、してもらえてねぇんだ。
そんなもん、ただ、俺の出自が悪いってだけで、握り潰されて終わってただろうよ。
第一、本当に腕っ節だけを買われるような制度が整っていたなら、俺は姫さんの“騎士候補”に選ばれてただろう。
……だが、ただ、“瞳が赤い”ってだけで、その候補からも外されたんだ。
偶然、姫さんが自分の騎士候補じゃない俺たちの方を見てくれなかったら……。
あの日、姫さんが俺を救い上げてくれなかったら、俺は今も、この国の騎士団の末端で、生きる目的も見いだせずに、ただただ腐りきってただろうな」
勿論、全員が全員、そんな態度を取ってきた訳じゃねぇ。
だが、少なくとも今、この国の騎士団を一手に纏めている団長は俺をノクスの民の出身だと侮っていたし。
どんなに騎士団の中で、模擬戦なんかで、結果を残そうとも……。
いつだって『ノクスの民の身体能力があるからだ』って言われて、持って生まれた才能を盾に、俺自身の努力を買ってくれた訳でもねぇ。
騎士団の中でも、その強さを正当に評価されて上からの覚えが良かった奴もいるが、俺は常にソイツらとは対極の状況に置かれていた。
その見た目だけで、存在自体が邪険にされて、いい顔なんてされず……。
腕っ節が強いところで、上から真っ当に評価されねぇことを見ているから。
それにつられるようにして、騎士団の隊員の中には、俺を馬鹿にしてくるような奴らも多く、俺にとっちゃ決して居心地が良い物だと言い切れないのだけは確かだった。
――ずっと、そんなもんだと思って生活してきたんだ
だから、別にそれ自体が、嫌だった訳じゃねぇ。
誰かから向けられる敵意のこもった感情も、誰かから向けられる侮蔑の言葉も。
何も悪い事なんざしてなくても、“ノクスの民”っていうだけで、理不尽に誰かの罪を押しつけられて俺の所為にされることも。
ただ普通に生活しているだけで、そんなのは日常茶飯事だった。
元々、この国で騎士になろうと思ったのは……。
奴隷制度を完全に撤廃しているって知った上で
それでも、まるで俺の存在そのものが罪だとでも言うかのように、俺のことを軽蔑してくるような目線から逃れることは出来なかった。
だからこそ、別にこの国の騎士団に所属した所で、根本的な部分でそれが変わる訳じゃねぇんだなって、受け入れることだって出来た。
【今まで逃げるように、色々な国に立ち寄って。……必然的に、色んな生き方を強いられてきたが。
ひとまず、普通に定住することが出来て、生きるのに困らねぇなら、それでいい……】
ずっとそうやって、『本当の自分の気持ち』に妥協して、誤魔化しながら生きてきた。
だけど、本当は……。
――自分が此処にいても良いのだと“許して貰えるような”居心地のいい優しい場所が欲しかった。
それでも、どこに行っても煙たがられて、追い出されて。
俺の求める居場所なんて、初めからどこにも用意されていないってことを問答無用で痛感させられながら。
その度に、
そんな、代わり映えのしない日常生活の中で、『今の自分は前よりマシだ』と……。
騙し騙し自分自身に嘘を吐きながら生活をしていく日々が当たり前になった頃。
姫さんだけが、俺を見つけて、救い上げてくれた。
姫さんだけが、『此処にいてもいいんだ』と、そう思えるような、温かくて優しい居場所を無条件で俺に与えてくれた。
――だからこそ、抱えきれない程の恩がある。
その傍で、姫さんに仕えるようになってから。
あまりにも居心地が良くて、ただ柔らかで、普通の人間が当たり前に送っているような“幸せ”ってものを……。
きっと、俺自身が誰よりも一番、享受していると思う。
それは、ガキの頃からの俺が、何よりも……。
“
【ただ、その傍に仕えているだけでいい】
温かな笑顔で、いつも優しく気にかけてくれて……。
何の見返りも求めずに、ただ、ふわりと包み込んでくれて。
あれこれと過去を詮索することもなく、傍にいてもいいのだと居場所を作って、真っ直ぐに、今の俺だけを見つめてくれる主人のことを。
――愛情だとか、恋情だとかそういう言葉では言い表せないくらいに、『唯一無二』だと思うのは必然、だろう?
まだまだ、幼い主人にそういう気を起こしたようなことはねぇが。
そんな物は超えて既に俺にとっては姫さんだけが“
姫さんに幸せになって欲しいと願うのは、俺自身が数え切れないほどのものを姫さんから貰っているからに他ならない。
「ずっと、ノクスの民っていう肩書きとか、呪い子扱いされてきた俺のことを。
はじめっから、ただ真っ直ぐに見てくれて、“人扱い”してくれたのは、姫さんだけだ。
俺にとっちゃ、年齢なんて関係ねぇんだよ。
いつだって姫さんだけが唯一無二の存在だし、生涯でただ一人、守るべき対象で。
姫さんの敵になるのなら、例え人であろうと、国であろうと、その全てに容赦しないだけだ」
――
本当に、大切な人の為に、自分の命を差し出すくらいのことは出来る。
俺にとって、姫さんの存在そのものが“救いの光”だった。
大袈裟でも何でもなく、俺の荒みきって
それを、“固執”していると取られるのなら、確かにそうなのかもしれない。
今まで、周りにいる人間は全員が敵だった分、誰に対しても興味も無く過ごしてきたせいか。
姫さんが俺にとっての“唯一”であることは間違いのないことだし、それ自体を、俺自身、否定することは出来ない。
……俺の説明で、理解出来るところがあったのか。
「あぁ、成る程な。……これまで疑問に思っていたことが、少しだけ氷解した。
そうか、
と、声に出してきた目の前の男に、俺は口角を吊り上げながら、笑みを溢した。
俺とコイツは同じ赤色の目を持つ人間ではあるが、その性質は全くの逆だ。
汚泥にまみれたような場所で汚い暮らしをしてきた俺とは、生まれも育ちも、生き方さえも何もかもが違う。
だが、互いに悩んでいるようなことは違えど、生まれ持ってきた自身の“赤色”に翻弄されながら、生きるしかなかったということは共通しているし。
それに対して、救われたという点で、姫さんのことに関してだけは、通じるものがある。
姫さんは、自分のことを何にも出来ない存在なのだと過小評価しすぎている節があるが。
それだけ、姫さんが周囲に与えている影響が大きい証拠だ。
少なくとも、俺も、この男も……。
姫さんの無償の優しさに、過去の傷が癒やされてることだけは確かなんだからな。
「あぁ。……っていうか、前に俺の事を調べたって言ってたし、アンタなら俺の置かれてた状況で、それくらいのこと、予測していると思ってたけどな。
まぁ、でも、別に今も騎士団の状況が変わってないことを思えば順当か」
以前、俺のことを調べたと言っていたから……。
当然、騎士団で俺の置かれていた状況に関しても、姫さんが俺を騎士にしてくれた経緯についても、てっきり知っているんだと思っていたが。
この国では“差別的なもの”に関しては厳しくなっていると思うと、皇太子が俺のことを調べる過程で、あの団長が自分に不利かもしれなくなるっていうことで、ボロを出すとも思えねぇし。
もしも何かの段階で、その状況を知るような機会があったのなら……。
その時点で、この男は何かしらの対策を練っていただろう。
それは、この国の皇帝も同様だ。
姫さんのことを今まで放置していたことに関しては、俺自身、今も思う所がないわけじゃないが。
基本的に、圧倒的に言葉数が足りてないだけで、姫さんのことに関しても考えてくれている部分があるみたいだったし。
姫さんの傍に付いて、皇帝から直接、話を聞くことも増えている今……。
色々なことに気を配りつつも、本気で国に住んでいる人間のことを考えて、この国を良くしようと動いているのは俺にだって分かる。
俺の言葉に、少しだけ難しい表情を浮かべた目の前の男から。
「あぁ、今、お前に聞くまで、我が国の騎士団でそんな幼稚なことがまかり通っているとは思いもしていなかった。
父上は、優秀な人材であるならば、例えその人間がどんな出自を持っていようと、国に必要だと判断すれば上へと引き上げる人だからな」
と、返ってきて。
俺は『……だろうな』と、同意するように頷き返した。
まぁ、だからこそ、国のためならば“自分の子供の婚約先”に関しても、ある程度、合理的に判断した上で。
国の利益になることを最優先させて、決定するような判断力は持ち合わせているんだろうが。
それとこれとは、話が別だ。
「俺は姫さんには幸せになって欲しいと思ってる。
だから、この先、姫さんが不幸になるかもしれない可能性を、黙って見過ごす訳にはいかねぇ」
例えそれが、俺自身、ただの従者としての役割を
はっきりと口にした俺と同様に、納得がいっていないのは、この男も同じだろう。
俺の言葉に、同意するような視線を向けながら、考え込むように黙ってしまって。
この場に、一瞬だけ静寂が広がった瞬間……。
「むぅっ! なんなのだ、お前達はっ……!
さっきから、二人だけで通じあっているような、訳の分からぬことばっかり話してっ!」
と、怒ったような声を出して、良くも悪くも、この場の雰囲気をがらっと変えたのはアルフレッドだった。
見れば、頬を思いっきり膨らませながら、此方をジト目で見てくるアルフレッドに、俺が何かを言うよりも早く。
「というか、そもそもお前達、あまりにもルーカスに対する評価が低すぎないか……?
僕は、別にルーカスが悪い奴だとは思わないぞ」
と、声を出してきたのを聞いて。
人ってのは、自分の大切な人間のためなら“良くも、悪くもなれる生き物”だ。
それに、そもそも、これは、そういう問題ではない。
俺が、そう伝えるよりも先に。
「アルフレッド、これはそういう問題じゃない。
ルーカスと結婚したとして、将来、アリスが幸せになれない可能性の方が高いから、俺たちはこの婚約自体に反対しているんだ」
と、皇太子がそう説明すれば。
その言葉に、眉を寄せたアルフレッドが……。
「ふむ、さっきから、回りくどいことばっかり言っているが。……要するに、だ。
お前達、結局アリスとルーカスが、今、どうなっているのか気になっている訳であろう?
ルーカスにアリスを幸せにする意思がないのなら、その結婚に関しては、僕だって反対だ。
だが、当事者もいないのにここであれこれと話をしたところで、解決にもならない事だしな。
……うぅむっ! ここで、ウジウジとしているのは僕の性には合わぬっ!
良しっ、お前達、直接、ルーカス本人にアリスを幸せにする意思があるのかと聞きにいくぞっ!」
と、テーブルにドンと手のひらを置いて、ソファーから立ち上がった後で、俺たちに真っ直ぐ視線を向けてくるのが見えて。
俺と皇太子は、顔を見合わせた。