目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第269話【セオドアSide】



 姫さんが、アイツと一緒に、この部屋からいなくなってどれくらい経っただろう……。


「……ううむ、なんていうか、この場の空気がものすごく淀んでいる気がするのだが。

 お前たち、ちょっとでもいいから、せめて、その辛気臭い顔をやめてくれ」


 唐突に……。


 空気を裂くようにして降ってきたアルフレッドの一言に、『自分では見れないから、どんな顔をしてるかなんざ全く分からねぇよ』と内心で思いながら。


 姫さんの自室の壁に背中を傾けていた俺と……。


 同様に、廊下に繋がる部屋の扉付近に、腕組みをしながら、ずっと立っていた皇太子が揃って視線を向ければ。


 一人、ソファーに腰掛けたままだったアルフレッドが、一斉に俺等から視線を向けられ、俺と皇太子を交互に見遣みやったあとで、気まずそうな表情を浮かべて、肩を竦めながら……。


 皿の上に乗ったままの、侍女さんが用意してくれていた今日のおやつシフォンケーキの残りにまたのフォークをぶすっと刺したあとで。


 無言で、口の中に頬張って、もぐもぐと口を動かすのが見えた。


「……っていうか、お前、口元に食べかす付いてんぞ」


 その様子を、横目で見届けたあとで、シフォンケーキのスポンジが口の横あたりに付いていることを教えてやれば。


「むう……。

 お前達がピリピリしている所為で、せっかく、ローラが作ってくれたおやつなのに、全く味がしない……」


 と、げんなりとした雰囲気で、疲れたように、ぽつりと声を出してきたアルフレッドに。


 『んなこと、俺に言われても……』と、思いながらも、俺は部屋の壁にかけられている時計に視線を向けた。


 正確な時間は覚えてもねぇが、パッと見た感じ、姫さんが出ていってから、もう既に結構経っている気がする。


 ――それなのに、まだ姫さんは戻ってこない。


 俺自身、普段、あまり姫さんと離れることがないし。


 姫さんの騎士になってからも、殆どの時間を一緒に過ごしていたこともあって、どうにもこうにもそういう感覚ってのは、鈍っているような気もして。


 姫さんと離れているあいだの時間の進み具合に関しては、自分自身の体感的な部分が大いに影響しちまってるんだろうな、とは思う。


 ……こういう時。


 俺や皇太子、アルフレッドの誰かは必ず、姫さんに付いて行くことが当たり前のようになってしまっていた所為か。


 ここを出る前に、姫さんから……。


【どうするかまでは、まだ自分でも考えが纏まってなくて、きちんと決めることが出来ていないんだけど。

 でも、私自身が向き合って、ちゃんとしないといけないな、って思ってたことだから……。

 ルーカスさんと、しっかりとお話してくるね。

 ……あの、だから、今日は、なるべく、二人っきりにして欲しい、んだけど】


 と、言われた上で。


【ルーカスさんとは、皇宮にある庭を散歩するだけだから、そんなに時間もかからないと思うし。

 もうすぐ、ローラが持って来てくれるおやつの時間だから、良かったら、お兄様も、セオドアも、アルも、私の部屋で寛いでいてくれていたら有り難いな、って……】


 と……。


 穏やかな表情で……。


 ――まるで、“付いてこなくていい”とでもいうように、先手を打たれちまった。


 今までにも。


 姫さんからは、普段、『俺があまり休めていないんじゃないか』ということを心配して、俺の為を思って一緒に来なくてもいいって言われたりするようなことは何度かあったけど。


 今日みたいに、完全に“”を優先して、あの男と二人っきりになりたいと言われるとは全く予想もしてなかった俺は……。


 結局、心の中で心配しつつも、姫さんの言葉を仕方なく受け入れることしか出来なかった。


「オイ。……お前。

 今日はやけに、アリスの言葉を素直に受け入れすぎてなかったか……?」


 そうして、どこか不満げな顔をした皇太子にそう言われて、俺は眉をひそめた後で、不快な表情をまるっきり隠すこともせずに、声を出した。


「……しょうがねぇだろ。

 他でもないが、あの野郎と二人っきりにさせて欲しいって言うんだから。

 俺だって、本来ならアイツと二人っきりになんか、させたくねぇよ。

 第一、それを言うなら。……アンタだって、姫さんのことを止めてくれるとか、もっと他に、やりようはあったんじゃねぇの?」


「っ……、たく、相変わらず、本当に人の痛いところを容赦なく突いてくるよな、お前は。

 俺だって、自分に出来ることならそうしたい気持ちはあった。

 ……だが、アルフレッドのこともあって。

 父上が、今後のことを考えた時に、ルーカスとアリスの婚約が結ばれるのが一番良いことだと思っている節がある以上。

 “ルーカスだけ”が、アリスに対して距離を詰めようとしてるならまだしも、アリス本人がルーカスとを望んだのならば、俺にそれを止める術はない」


 俺の言葉に、小さく歯噛みして、嫌そうな表情を浮かべながら、そう言ってくる目の前の男に。


 俺は未だに、壁に背をつけて寄りかかったたまま、視線だけを皇太子の方に向けて、続けて声を出す。


「そもそも、エヴァンズ家ってのは、代々、皇族のバランスを見ながら公平に“中立”の立場を取っているような家系なんだろ?

 そんな奴が、将来、姫さんと結婚することになったら、“エヴァンズ家”が過剰なまでに力を持つようなことになって、今まで絶妙な距離感で保たれていた国の貴族のバランスが崩れるんじゃねぇのかよ……?」


 ……どうせ。


 ここで姫さんが帰ってくるのをただ待って、手をこまねいていても仕方がないことだから。


 良い機会だし、これまで俺自身が思っていた疑問や、懸念について、この際だからと投げかける俺を横目で見遣って。


 目の前の男は、ふるりとそれを否定するように、一度だけ、首を横に振った。


 ――姫さんが、赤色の髪を持って生まれてきてしまった所為で。


 この国に居る貴族の中にも、姫さんのことを心良く思っていなさそうな人間がいるってのは……。


 この間のデビュタントの時に、ワインに入れられていた毒の事件にかこつけて、姫さんに対して『呪い』やら『不吉』だのなんだのと貶してきた奴らを思えば、俺自身、少なからず分かっているつもりだったけど。


 それでも、姫さん自身に“皇族としての力”が全く無い訳じゃない。


 寧ろ、皇帝と、“正妃”だった皇后の娘として生まれ“公爵家”というを引き継いでいることを思えば、その血は誰よりも濃い物だし。


 姫さんの地位は本来なら“”だ。


 エヴァンズ家が本当に、フラットに『皇族のバランスを取るために中立な立場』を取ろうとしているのなら。


 姫さん自身が、ともすれば争いの火種にもなりかねないのに……。


 バランスを保つためには、そんなにも身分の高い存在を受け入れるのは可笑しくないか、というのが俺の意見でもあった。


「お前の言いたいことは、よく分かる。

 だが、その懸念に関しての答えは全く以て正反対だ。

 もしも、アリスがこの国の貴族に降嫁するのだとしたら“中立”に皇族に仕えてきているエヴァンズ家だからこそ、それ以上の適任は“恐らく存在しない”。

 その家柄も、過去に皇族に仕えてきた実績も、これまでコツコツと積み上げて、築き上げてきた分だけの確固たる信頼がある。

 周囲から見た時に、仮にルーカスとアリスが結婚したとしても、“”だろう……っていう、な。

 それならば、どうせ、自分たちの所にアリスが嫁ぐ可能性がないのなら、エヴァンズ以外の他の貴族にアリスが嫁いで下手へたに力を持たれてしまうよりは都合がいい。

 ……誰にとってもな」


 ――エヴァンズ家っていうのは、そういう役割も担っているんだよ


 ……そうして。


 苦々しいような表情で皇太子にそう言われて。


 “確かにそれなら筋が通っている”と、理屈上は、その説明で一応理解することは出来たが、俺自身、それ以上に、どうしても納得することが出来なかったのは……。


 そこに肝心の“”が、一切絡んでこないからだろう。


 “誰にとっても、都合がいい”。


 それは、イコールして、誰にとっても、反発されるようなこともなく、祝福されるであろう結婚相手ってことだ。


 その相手が、エヴァンズ家なのだとして、あの、銀髪野郎だとして。


【じゃぁ、姫さんの未来はどうなるんだ……?】


 ――それで、本当に幸せになれるのか?


 普通の人間には、判断がつかねぇんだろうが。


 アイツは、いつだって人好きのするような、を向けながら。


 本心を悟られないようにと上手いこと“嘘”でコーティングして塗り固めて、その仮面の下で、俺等の言動全てを“つぶさに観察”しながら。


 どう動けばいいのか、どこまでの無礼ならば許されるのか、計算して距離を推し量っているような人間だぞ……?


 あのうわ面野郎つらやろうが、将来、姫さんのことを、幸せにしてくれる保証なんてどこにもねぇんだ。


 主従っていう関係性がある以上、俺自身がどれだけ姫さんのことを心配した所で……。


 そんなもんはなんだってことくらい、重々分かってる。


 貴族の令嬢だとか、そういう、ある程度高貴な生まれで立場のある存在が、自由意思で好き勝手に恋愛して結婚相手を選べる方が珍しいことだし。


 家のため、国のためになることなら、時には自分の感情を捨て去ってでも婚姻を結ばなければいけないってことも、出自があまりよくない俺でも理解はしているつもりだったけど。


 それでも、はっきりと今、モヤモヤとした嫌な気持ちっていうか、悪感情あくかんじょうが湧き出てくるくらいには。


 何つうか、主人を心配する従者としても、あの銀髪野郎だけは、認められなかった。


【そうでなくとも、ただでさえ、普段からなるべく他人の意思を優先させて、自分の感情を押し殺してしまいがちなのに。

 ……将来、姫さんが“自分が我慢すれば、それでいい”って幸せになれる道を捨てて、苦労するのが目に見えてる】


 ――じゃぁ、他に誰か適任者がいるのかって、言われたら、どう考えても身近にそれらしい人間はいねぇんだけど。


 そういうのは追々、姫さん自身が大人になるにつれ、ゆっくりと考えていけばいいことだと俺は思う。


 ……多分。


 誰の目からも分かるくらいに、あからさまに不機嫌さを隠しきれずに苛立ちを募らせた俺は。


 唇を尖らせたあとで、目の前の男のことを、とりあえず罵倒した。


「役立たず」


「オイ。……それは、お互い様だろうが、犬っころ」


 お互いにだと思うが、最近じゃこういう遣り取りにも慣れてしまって。


 相容れないことはあれど、これくらいでは特に腹も立たなくなってきていることもあるのか。


 八つ当たりにも近いような俺の暴言に特に怒るようなこともせず、相変わらずテンポ良く、直ぐさま返答が戻ってきて。


 その対応に、思わず真剣な表情を向ければ。


 目の前で、普段、姫さん以外には本当に碌に表情も変わりゃしねぇ、この男の浮かべる顔色が俺と同じように更に、渋くなったのが見てとれた。


「それで? 一応、念の為にも確認しておくが、お前もルーカスとアリスの婚約には反対なんだよな?」


 そうして、真っ直ぐに視線を向けられて、問いかけられた言葉に俺は小さく頷き返し。


「あぁ。……アンタからあの男が“人のことを愛せない”とか、そういった込み入った事情を聞く前からな。

 まがりにも、幼なじみって立場のアンタには悪いが、俺は、アイツのことは、ずっと胡散臭いって思ってきたしな」


 と、声を出す。


 それから、少しだけ互いに沈黙するようながあって、そこから俺は『それに……』と続けて声を上げてから。


 今、自分の心のうちからせり上がってくるようなムカムカとした気持ちの正体に今一、ピンとこないまま。


「あとは、もしかしたら、同族嫌悪かもしれねぇ」


 と、声に出す。


 自分で言っておいてなんだが、その言葉が少し違うかもしれないというような違和感を感じつつも、他に適切な言葉が見つからなかったのと。


 コレに関しては、俺自身、薄々何となく思ってきたことだったから、別口で無理やりそうなのだと自分を納得させる。


 しっくりは来ねぇが、まぁ、理由の一つとしては及第点だろう。


「……同族嫌悪……?」


 珍しく意味が分からなかったのだろう。


 俺の言葉に首を傾げ、訝しげな声を出す目の前の男に、俺はほんの少しだけ眉を寄せたあとで。


「あー。……コイツは、ただの、勘でしかねぇがな。

 なんつぅか、アイツも俺と同じで“本当に大切な人間の為”なら、自分の命さえ、どうでもいいと思ってるタイプの人間だってことだよ。

 つまり、最初っから、ってことだ」


 と、声に出す。


 俺のその言葉は、目の前の男からしたら予想外だったんだろう。


 普段、無表情な瞳が僅かばかり開かれ、左右非対称になったその瞳が片方揺れるのを感じながら。


 少し、時間をとってから……。


「ちょっと待ってくれっ……!

 アイツにそんな存在がいるなんて、今の今まで聞いたこともないぞっ!?

 お前の勘違いじゃないのか……?」


 と、狼狽したように声を出してきたのを聞いて。


【あー、そういや、姫さんのデビュタントの時、エヴァンズ侯爵とアイツが挨拶に来た時、この男はあの場にいなかったんだっけ……】


 ややこしいことになっちまったな、と内心で思いながら、俺は敢えて真面目な表情を作り出した。


 どんなに上手く取り繕っても、焦燥感にも似た切羽詰まったような表情は誤魔化せないものだ。


 特に、俺みたいな人間は、人の感情の動きにはかなり敏感な方だからな……。


 “その存在”が、あの銀髪野郎にとって。、は分からないまでも……。


 あの時、侯爵の話に、まるで何でもないようなことを装っていたが、姫さんも多分気付いていなかったような、些細な視線の動きみたいなものも。


 いつだったか、姫さんに対してアルフレッドが医療に詳しい人間なのかどうか、聞いてきたことも。


 アイツが『心の底から助けたいと願っている人間』のことを考えて、何よりも最優先しているのだとしたら。


 今までの、些細な疑問に関しては、ある程度、それで、合点がいく所もある。


 まぁ、それだけで……。


 まるっきり人を信じていねぇような、っていう胡散臭さが抜けきった訳じゃねぇけど。


 だが、人にはプライバシーってもんがあるし、コレに関しては俺から皇太子に言ってもいい話じゃないだろう。


「多分な。……こういう時の俺の勘は、俺自身が、一番信用してる。

 ああいう輩は、本当に厄介な手合いだ。

 自分のことなんて二の次で、自分が一番大切にしている存在の為ならある意味、手段を選ばねぇ」


 とりあえず、全てのことを“野生の勘”という一言で押し切ることに決めた俺は、少しだけ話の本筋を逸らしながらも、皇太子に言える範囲で説明しておく。


 俺にとっちゃ、別にあの野郎が誰を大切にして、何を思っているかなんて、はっきり言って興味なんて欠片もねぇ話だ。


 それが、、きっと気付いた所で、今も放置していただろう。


 だが、“姫さんの将来”がかかっているんだとしたら、話は別だ。


 今までだって、人一倍、辛い思いをして生活をしてきたのに。


 これから先、幸せになれる道がもしかしたらあるかもしれねぇのに、大切にもしてくれない人間の元に、俺の主人を送り出すことは出来ない。


「その説明だと、あまりにも大雑把すぎて、よく分からないんだが。

 お前が“そうだ”と、丁寧に自己申告でもしてくれているのか……?」


「あぁ、そうだな」


 それから……。


 少しだけ眉を寄せながら、俺に対してそう問いかけてくる目の前の男に、間髪入れずに答えれば。


 眉間の皺が、さっきよりも更に深くなったあとで……。


「……というか、そもそも今までずっと不思議に思っていたんだが。

 お前は、どうしてそんなにも、一歩間違えれば固執しているとも取られかねないくらい、アリスのことを大切に思って、傍に付いているんだ……?」


 と、まじまじと問いかけるような声色で皇太子からそう言われて、予想もしていなかったその言葉に、俺は目を瞬かせた。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?