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第268話 共犯者


「ねぇ、お姫様。

 折角だしさ、こうしてずっとここにいるのも何だから、ちょっとだけ、俺と歩きながら話そっか」


 それから、穏やかな表情で、ルーカスさんにそう言われて。


【もしかして、一応、デートという形になっているから気を遣ってくれたのかな?】


 と、思った私は、こくりと頷き返したあとで、椅子から立ち上がった。


 あまり意識していなかったけれど。


 冬を感じるような、風の冷たさに、ショールを肩からかけているとはいえ、ぶるり、と。


 ほんの少し肌寒さを感じながらも……。


 庭園に咲いている花の方へと自然に視線を動かせば、私と同様に椅子から立ち上がったルーカスさんが苦笑しながら。


「大丈夫? ……寒くない?」


 と、当たり前のように声をかけてくれて、私はルーカスさんの方へと視線を引き戻すと、慌てて首を振った。


「はい、大丈夫です」


 その事に、感謝の気持ちを抱きながら、にこりと、笑みを溢せば。


 じっと、私の方を見つめてくれていたルーカスさんが


「でもさ、お姫様。……手の色、いつもに増して白くなってるよ?」


 と、温和な笑みを浮かべながらも、心配してくれる。


 その言葉に思わず、自分の手の方へと目線を落とせば。


 さっき、ルーカスさんに手を握られてほんの少し赤みを帯びていた自分の手が、今は、面白いくらい生気を無くしたように真白くなっていた。


 言われるまで、私自身は、何とも思ってもいなかったけれど。


 意外にも、外の寒さの影響を、身体自体は敏感に受け取っていたのかもしれない。


 そんな私を見ながら、ルーカスさんが。


「……冷えっていうのは、女の子にとっても最大の敵でしょ?

 はい。……だから、お姫様が嫌じゃなければ、俺と手、繋いでおこっか。

 まぁ、俺自身、そんなに体温が温かい方じゃないんだけどさァ、それでも、二人分の体温で、ちょっとは、温まるでしょ?」


 と、まるで何でもないかのように、さらっと私にエスコートするよう、手のひらを差し出してくれた。


「……あっ……、ありがとうございます」


 ――その気遣いに。


 何となくこうして『庭の中を歩こうか』って、声をかけてくれたのも。


 今日の私達が、親睦を深めるための“デートっぽいようなこと”を何一つ出来ていないからという訳ではなく。


 さっきまで、ずっと椅子に座って話していたことで……。


 動かない分だけ、季節柄、余計に寒く感じてしまうことを配慮してくれていたのかもしれない。


 その厚意に甘えさせて貰うことにして、ふにゃりと笑みを溢してから、ルーカスさんの手を戸惑いながらも握らせて貰った私は。


 背の高いルーカスさんに合わせて、その表情を見るために、自然に上目遣いになってしまう。


 ……というよりも。


 私の傍にいてくれる人は、基本的にセオドアもお兄様も背が高いから、いつも、必然、見上げる形になってしまって、ルーカスさんだけが、特別そうだという訳では全くないんだけど。


 ――そう言えば


 この間、お祭りの時に『危ないから』と、セオドアにずっと手を握って貰っていた時は、心の底からホッとするような、安心感を感じたんだけど。


 ルーカスさんにこうして手を握って貰っていると。


 何て言うか、あまり親しくないお兄様の友達と、たまたま偶然二人きりの状況に追いやられてしまって。


 “歳の離れた妹みたいな存在である私”のという感覚がしてきて、ちょっとだけ緊張してしまう。


 未だに、完全に打ち解け合っているとは言い難いからなのか……。


 それとも、ルーカスさんに対して、他人行儀な所が抜け切れていない所為なのか、私が、かちこちと、ぎこちない動きをしているのを見て。


 ルーカスさんが、『……ふはっ……!』と、小さく堪え切れなかったように吹き出すのが見えた。


「……うぅ、っ……」


 その反応に、どことなく居心地の悪さを感じながら、しょんぼりと肩を落とす私に。


 まるで、面白い物でも見たと言わんばかりに、私に対して全く悪気の無い笑顔を溢しながら。


「ごめん、ごめん、笑うつもりは全くなかったんだけどさ。

 そんなに緊張しなくてもいいのに。……俺は別に君のことを取って食おうなんて欠片も思ってないよ?」


 と、声に出されて、ほんの少しだけ困りながらも。


「……えっと、……はい、そうですよね。

 でもなんとなく、こういう状況は不慣れで、そわそわしちゃう、っていうか。

 あのっ、ルーカスさんが嫌な訳ではないんですけど、落ち着かなくて……。

 この間、セオドアに手を握って貰った時は、凄く安心したというか、その、本当に、大丈夫だったんですけど……」


 と、声を出せば。


 私の話を聞いたルーカスさんから


「……っ、お兄さんと、手を握った、の……?」


 と、驚いたような声色で、ちょっとだけ考える素振りで、小さく溢すような言葉が出てきたのを聞いて。


 “”が、可笑しいと思われているのかもしれないと感じた私は、慌てて首を横に振った。


「あ、あの。……えっと、違うんです。

 お祭りに参加させて貰った時に、私が前も見ずにきょろきょろしてた所為で人にぶつかりそうになっちゃって。

 それで、私の為を思って、見かねてセオドアが声をかけてくれて」


 セオドアの名誉のためにも。


 あの時、私と手を握ってくれたのは“私の為を思ってくれたから”ということを、しっかりと伝えておかなければならないと。


 一生懸命、声に出してルーカスさんに説明をする私に対して。


「あぁ、俺自体、別にお姫様がお兄さんと手を握ったことに対して、可笑しいと思った訳じゃないから安心して。

 それで? ……お兄さんと手を握った時は、凄く安心したんだ?」


 と、ルーカスさんが声を出しながら、私のことを安心させるように、にこっと笑ってくれる。


 その姿に、ホッと胸を撫で下ろしながら、私はこくりと頷き返した。


 結局、あれから……。


 アルも私の手を繋いでくれて、呆れたようなお兄様の声を聞きながらも、お祭りの間中、殆ど私の両手は二人に手を繋いで貰っていたお蔭で、塞がっていた状態になっていたんだけど。


 ルーカスさんとは違って……。


 あまり気を遣わずに、普通にお祭りを楽しめて、自然体でいられたのは。


【セオドアが、いつも、私の傍にいてくれているからかな……?】


 ――それとも、セオドアだと、素直に甘えられるから、だろうか……?


 そこまで、頭の中で考えて……。


「あの……、どうしてか、分からないんですけど。

 セオドアだと、自分のことも、包み隠さずに、色々と正直に話せるっていうか。

 あまり良く無いのかもしれないんですけど、私の話もいつもしっかりと聞いてくれて、優しく受けとめてくれるから、その優しさに甘えすぎちゃっているのかもしれない、です……」


 と、正直に、今の自分の気持ちをルーカスさんに伝えれば。


 ルーカスさんは、私を見ながら……。


「そっかぁ、成る程なァ。……お兄さんの前だと、素直に甘えられるねぇ……。

 ……っ、ねぇ、お姫様、それってさ……、もしかしてだけど」


 と、何かに気付いたような表情を浮かべて、何かを言いかけて、言葉を濁すように口ごもったあと。


「……あー、いや、うん。

 何て言うか、なのかも、しれないよな。

 どんな感情であれ、今、君の中にある、“その淡い気持ち”がこれ以上、大きくなってしまわないように」


 と、声を出してきて、私はその言葉の意味が全く理解出来なくて、首を傾げた。


【私の中にある、淡い気持ちって、どういうことなんだろう……?】


 ――ルーカスさんは、私にも分からない、私の気持ちが分かるんだろうか……?


「……っ、ルーカスさ、ん……?」


「っていうか、正直に言うと、俺から見ても、騎士のお兄さんの君への接し方は、いつだって“ただの従者”としての一線は越えていると思うよ。

 執着って訳じゃないんだろうけどさ。……本当に大切だからこそ。

 時折、本気で、


「……? えっと、セオドア、が、ですか……?」


 そうして、続けてルーカスさんからそう言われて、私は目を瞬かせた。


 さっきまで、私の“気持ち”の話をしていた筈なのに。


 あっちこっち、話が飛んでしまっているようにも、関連性があまりないようにも思えてしまう言葉は、余計に私を混乱させてしまった。


 時々確かに、セオドアが、私の騎士として……。


 ローラと一緒に、過保護なくらいに私の心配をしてくれているように感じてしまうのは確かだとは思うんだけど。


 それでも、ローラやアルみたいに、私の傍に付いてくれている人と、全く話さないということもないし、寧ろ仲が悪い訳でもないセオドアに。


 “私以外の人間は、どうでもいいと思っている節がある”という言葉は、当てはまらないような気がして……。


 動揺して、自分の瞳が左右に揺れてしまうのを感じながら。


 困惑する私に対して、ルーカスさんはパッと自分の表情を切り替えて、いつものような明るさでにこっと笑みを溢してくれた。


「大丈夫。……君は、そのままでいい。

 お姫様はまだ幼いし、今、二人の間にあるものが、そう言った意味合いを持つものではないとしても。

 お兄さんの気持ちも、君の気持ちも、どんなものであれ、“主従同士”っていう絶対的な関係性があるのなら……。

 今後、それがになってしまう可能性だってある訳だしね。

 それに、こんなことを俺が言うのもどうかと思うけど。

 俺と婚約関係を結ぶにせよ、結ばないにしろ、いずれ、君には俺とは別の婚約者が出来るだろうし。

 ……いつだって、国のためを一番に考えて動いている合理主義者の陛下が、わざわざ君を降嫁こうかさせて、俺と一緒にさせる理由なんてどこにも無いからね」


 そうして、ルーカスさんにそう言われて、私は目をぱちぱちとさせたあと。


 何て言えばいいのか言葉に詰まってしまった私は、最終的に『あ、うぅ……』と、言葉にもなっていない小さい声を溢してしまった。


 セオドアと私が主従同士であるということが、どうして二人の関係性において“障害”になってしまうのか分からず。


 ルーカスさんの言っていることの前半部分は、今ひとつ、自分では理解することが出来なかったけど。


 後半部分に関しては、はっきりと理解することが出来て。


 なんとなく、ルーカスさんがそう思っているんじゃないかということは、婚約の話を持ちかけられた当初から、分かってはいたことだったし。


 改めて、その話が出てくると“”どういう風に言葉を伝えればいいのか悩んでしまう。


 そんな私の様子を見て、ルーカスさんが眉を寄せ、私の顔をまじまじと見つめながら。


「……っ、ちょっと待った! ……ねぇ、お姫様、?

 まさかとは思うんだけど、陛下は将来、俺とお姫様のことを結婚させるつもりじゃないよね……っ?

 いや、あり得ないでしょっ? だって、君はって立場だよ?

 俺と結婚させるよりも、他国に嫁いだ方が、国のためを考えたら有益なはず、だ。

 ……もしもそんなことがありえるとしたら、能力者である君を迂闊に国外に出さないため、か……?」


 それから、私に言葉をかけるというよりも、ぶつぶつと、自分を納得させるようにというか……。


 今、もたらされた情報を整理するために、声を出してくれていたルーカスさんから。


 険しい表情でそう言われて、その内容に対して、“半分は正解かもしれない”、と思いつつも。


「あ、えっと……その……」


 と、私は困りながらも声を出した。


 いつも鋭いルーカスさんなだけあって、当たっている所は勿論あるんだけど……。


 “私が”というよりも、精霊というイレギュラーな存在のアルが国外に出てしまうことの方が問題だということはどうしても言えなくて……。


 私が、どう言えばいいのか悩んでいる様子を見て、自分の問いかけが、そこまで間違っていないと確信を持ってくれたあとで。


 私自身の口からは言えないことがあると、色々と察してくれたのだろう。


「っ、嘘だろ……っ、!?

 最初から、君はいずれ、俺とは違う人間に嫁ぐことになるって思ってたから、この話を持ちこんだんだ……!

 それが、だと思ってっ……!」


 と、珍しく狼狽したような雰囲気で……。


 そう声を出してくるルーカスさんに、私自身、なんとなく申し訳なくなってくる。


 ルーカスさんが婚約の話を私に持ちかけてきてくれた理由に関しては、やっぱり、この間のデビュタントの時にも思ったことだったけれど。


 どこの派閥に属すようなこともなく、常に中立の立場を維持しながらも。


 国のことを考えて、皇族に忠実に仕え続けてきてくれている、由緒正しいエヴァンズ家としての役割を全うしてくれようと……。


 『お兄様と私の対立を避けるために声をかけてくれたという説』が、私の中では一番しっくりときていたから。


 現に、私に対して怒るというよりも自責の念が強そうな表情を浮かべているルーカスさんを見れば。


 本人の口からも今、出たように。


 私と将来、本当に結婚する可能性というところまでは、全く考えていなかったことも窺える。


【この婚約は、どこかで絶対に破談になる】


 と、信じて疑っていなかった人の瞳だ。


 それでも、自分の大切な人は作らないと心に決めていたルーカスさんが、今まで、私に対して婚約者候補として丁寧な対応で接してくれていたのは……。


 まがりなりにも、婚約関係を結んでいる間は、私にあまり違和感を抱かせるようなこともなく、誠実に対応しなければいけないという思いからくるものなんじゃないだろうか。


「あの、何というか、ごめんなさい。

 さっき、ルーカスさんが、大切な人は作らないって決めているって聞いたばかりだったのに。……そのっ、やっぱり私からお父様に伝えて、お断りする方が角が立たないですよね」


 そうして私が、お父様に対して、やっぱりルーカスさんとの婚約の話は断るよう伝えた方がいいんじゃないか、と考えながら。


 ルーカスさんに向かって、そう提案すると。


「……っ、お姫様っ、それだけは絶対に駄目だっ……!」


 と、ルーカスさんから、思いっきり両手で肩をがしりと掴まれて。


 その衝撃に痛みを感じるよりも先に……。


 どこか、切羽詰まったようにも感じられるような表情でそう言われてしまったことに、私はびくりと自分の身体を震わせてしまった。


「……っ、……るーかす、さん……?」


「もしもっ、……もしも、君が俺と婚約しないのならっ、これまでのことが、全部、無駄になる……っ。

 殿下と君の対立を避けるために、“”にも、っ、俺が一時でも、お姫様の婚約者になっておかなければっ……」


「…………?」


 真剣な表情のまま、上から降ってくるルーカスさんの言葉に困惑しつつ、言われた言葉を復唱させながら、聞き返すように声を溢した私に。


 ルーカスさんが怒ったような表情で、ぎりっと、小さく唇を噛みしめたのが見えて、私はびっくりしてしまう。


 どこまでも“余裕のないような”強ばったような表情は、普段のルーカスさんとは、明らかに違って。


 心配でおろおろしながら、そっと、ルーカスさんの目を真っ直ぐに見つめ返した私に。


 暫くしてから、ハッとした様子を見せてくれたルーカスさんは、困ったような表情を浮かべ『はぁぁー……、っ』という深い溜息を一つだけ溢してから。


 普段通りの落ち着いた様子を取り戻してくれたのか。


「ごめん、痛かったよな……?」


 と、言いながら私の肩から手を離してくれた。


 そのことに『大丈夫です』と、視線を向けて、ふるりと首を横に振った、私を見て。


 ルーカスさんが、苦笑しながら。


「……こういう時は、俺に遠慮なんてしなくてもいい。

 っていうか、こんな場面……っ! もしも、お兄さんとか殿下に見られていたら、多分、俺、半殺し程度じゃ済まないだろうし」


 と、いつもと変わらないようなおどけたように声を出してくれるのを聞いて。


 直感的に、何か無理をしているんじゃないかと感じてしまった私は。


「あの、ルーカスさん、本当に大丈夫、ですか……?

 よく、分からないんですけど、もしかして、今まで私の安全の為に、動いてくれていたん、でしょうか……?」


 と、その顔色を窺うように、おずおずとルーカスさんに向かって、問いかけるように声を出した。


「いや……、お姫様の為だけを思って動いていたかって言われたら、そうじゃない。

 だけど、何にせよ、それが一番、誰にとっても良い解決方法だと思って動いていたのだけは確かだよ」


 そうして、私の言葉を聞きながら、ルーカスさんはどこか慎重に言葉を濁すようにしながらも答えてくれる。


 ――もしかして、だけど……。


【誰にとっても、一番いい解決方法ということは、その中には、私だけではなく、お兄様のことも含まれるんだろうか……?】


 相変わらず、ルーカスさんから伝えられる言葉だけでは情報量が少なすぎて、整理することもままならない頭の中で……。


 けれど、一生懸命に、なるべく紐解くことが出来るように考えていると。


「……っ、あー、その、何て言うかさ。

 自分が考えていたことの当てが外れてしまっただけだし、お姫様が俺のことに対してそんなに深く気にしてくれなくても大丈夫だよ。

 使に価値なんてないから、これはもう、早急に捨て去ってしまった方がいいんだろうね」


 と、苦笑した様子のルーカスさんにそう言われてしまった。


「要は、将来のことを考えて、陛下が俺とお姫様を結婚させるのが一番良いと思っているとしても、途中でお姫様側が一切悪くならない方法で、って訳だ」


 それから……。


 何となく、自分自身を納得させるように声を出しているルーカスさんについていけなくて置いてけぼりをくらってしまっていったような感覚がしていると。


 ある程度、考えが纏まったのか。


 にこり、と茶目っ気のあるような雰囲気で口角を上げて。


「ねぇ、お姫様、君には一切、迷惑をかけないから。

 暫くの間だけでも良い、俺と“共犯者”になってくれない?」


 と、無邪気な表情で、ルーカスさんからそう提案されて、私は目を瞬かせたあとで、首を横に傾げた。



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