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第260話 気持ちの変化



 領主である彼が引き連れてきてくれた、アーサーの母方の親戚にあたるというご夫婦は。


 私達が王都で起きた事件に対する調査に来たということも。


 アーサーが現在、行方不明になってしまっているということも、本当に何も知らなかったみたいで、事情を聞いて酷く驚いた様子だった。


 また、頻繁に遣り取りしていたのに、アーサーの母親とも1年ほど前から手紙の遣り取りが途切れていたらしく……。


 今現在、彼女が教会で療養しているということもまさに寝耳に水だったみたいで、その近況を知れたということで、彼らからは逆に感謝されてしまった。


 王都で起こった囚人の毒殺事件についての詳細は、ぼかしながらも。


 掻い摘まんで、行方不明になってしまったアーサーの身元を保護する為に動いていると、私達が説明したあとで、他に“アーサーが行きそうな場所”、“手がかりになるようなものなどがないか”など。


 終始、好意的に接してくれながら、彼らは、私達からの一つ一つの質問に、嫌な顔もせずに丁寧に答えてくれていた。


 結果的に、アーサーの行きそうな場所などについてはこれ以上の進展は望めなかったんだけど。


 ほんの少しでも手がかりになるようなものとして、アーサーの幼い頃に亡くなったという父方の親戚が今どこにいるのかなどの詳しい住所や。


 音信不通になってしまうまでの、アーサーの母親と遣り取りしていた手紙などを、何かの役に立つのならということで、率先して私達に手渡してくれた。


 それから……。


 今後何かアーサーから連絡があれば、直ぐにお兄様宛に手紙を書いてくれることなどを約束してくれたあと、彼らがぺこぺこと、頭を下げながら離れていく姿を見送って。


「アーサーの行方に繋がりそうな重要な手がかりになるようなものは、無かったか。……結局の所、空振りだったな」


 と、お兄様が渋い表情を浮かべながら、そう呟くのが聞こえて来て、私はこくりと頷き返した。


「はい、そうですよね。……結局、私達。

 ただ単に、お祭りに参加しに来ただけみたいになっちゃいましたね」


「あぁ、けど、悪いことばかりじゃなかったろ……?

 そもそも、姫さんが水質汚染の件を解決してなかったら、ブランシュ村で最初に会った時の村人達みたいな対応をされて、警戒心を抱かれちまって、あそこまで好意的に話してくれたかどうかは分からねぇし。

 アーサーから連絡があったら、俺たちに真っ先に知らせてくれるなんていう約束を取り付けることが出来たかどうかも、怪しいものだ」


 そうして、セオドアにそう言って貰えたことで。


 私は、あのご夫婦が、今、アーサーが置かれている状況に困惑しながらも、ずっと笑顔を浮かべながら丁寧に此方へと接してくれていたことを思い出して。


【ほんの少しでも、自分がしてきたことの行いに意味があったのなら良かったな】


 と、感じていた。


 私に対して好意的に接してくれていたのは、彼らだけじゃなくて、この領地に住んでいる村人達もだ。


 此処に来るまでも至る所で、私に対してお礼を伝えて来てくれたり。


 思わず、擽ったくなってしまうような……。


 そんな、優しくて温かい視線を向けてくれていた事は私も理解しているし。


 何より自分のした事で、こうして誰かから感謝されるということ自体が、本当に嬉しいものだった。


 ――そのどれもが、以前の自分では、考えられなかったことだと思う。


 ……特に、巻き戻し前の軸と比べると。


 そもそも、巻き戻し前の軸ではお父様を含めて、私と他の人達との関係は冷え切ったものでしかなかったし。


 ウィリアムお兄様とは殆ど関わらない状態だった上に、ギゼルお兄様とは幼い頃から、売り言葉に買い言葉で喧嘩に近いような言い合いをしていて、その関係は年齢を重ねていくごとに悪化していく一方で。


 いつも、私の言葉なんて信じて貰えなかったから。


 私が未来でギゼルお兄様に刺される前にはもう既に、修復不可能なまでにその関係には亀裂が入ってしまっていた。


 私が刺される要因になったことの一つに。


 “”という所までは、未来でギゼルお兄様が私に剣を突き立てた瞬間に吐き出してきた言葉で……。


 私にも何となく予想がつくけれど。


 どうして、巻き戻し前の軸で私を刺し殺そうと思ったのか……。


 それほどまでにお兄様から憎まれてしまっていたのか、赤を持っている私をただ排除したかっただけなのか、など……。


 ――今もまだ、その事に関しては不明な点が多すぎて、全貌は一切見えてこない。


 だけど私は、いつだって、誰にとっても我が儘で癇癪持ちの皇女でしかなく。


 政治に関わることはおろか、皇族として、きちんとした振る舞いをさせて貰えるような機会すら与えて貰えなかった。


 勿論、それだけではなくて、今は自分の努力も何もかもが足りていなかったと理解はしている。


 ……以前、私のデビュタントで毒を盛られてしまった貴族の人が“私の力になりたい”と言ってくれた時。


 お父様が、私にかけてくれた……。


【アリス、お前がしたことの結果はこうして返ってくるものだ。

 お前のしてきたことに対しての厚意だと言うのならば、遠慮せずに受け取りなさい。

 私もお前のことは誇りに思うし、これからも皇族として上に立つ者として真に民を思いやれるような、正しい姿であり続けるんだぞ】


 という言葉が、今になって頭の中を過った。


 あの時は、どちらかと言うと『皇族として人の上に立つ者として真に民を思いやれるような正しい姿で居続ける』という言葉の方を優先して。


 しっかりと胸に刻まなければいけない言葉だな、と思う方に重きを置いていたけれど。


 ――“。”


 という言葉の意味を、今なら、ほんの少しでも理解することが出来る気がした。


 それでも……。


 例え、自分が誰かを思って行動したことに対する結果への対価だとしても。


 そのことに関しては、勿論、嬉しいとは思うけれど……。


 今もまだ、誰かから厚意を向けられて、それを受け取るということに躊躇ってしまうのは、私自身が人からそんな風にして貰えるだけの価値が自分にないと思っているからだ。


『人から愛して貰えるだけの価値がない』


『人から何かをして貰えるだけの器じゃない』


 周囲の人を思いやることだって、本当にその人のことを心配する気持ちは当然あるけれど。


 私が誰かに対してそうしていることは、私には“それくらいのことしか出来ない”という気持ちが強いからで。


 他の人達から尊敬してもらえるような、そんな大それた物ではないということを、私自身が一番良く分かってる。


 たった一人でもいい、誰かの特別になりたくて……。


 それでも、誰の特別にもなれなくて。


 特別というものが何なのかさえ、よく分からなくて……。


 結局全てを諦めてしまった私の心の中が、、と……。


 悲鳴を上げてしまっている部分も、きっとあると思う。


 いつからか、人から受ける痛みに慣れきって、誰かからの攻撃に何も感じることがなくなる程に鈍感になった自分の心に寧ろ、救われるような思いだった。


 叶う事がないのなら……。


 全否定される事しかないのなら……。


 私は私の気持ちも、意思も、何もかもを捨ててしまった方がいい。


 持っていたって、どうせ役にも立たない不要なものでしかないのだとしたら、希望を持っている分、自分が辛くなってしまうだけだから。


 心に何重にも、何重にも、強固に鎖を巻き付けて……。


 本心から、本当は何がしたかったのか、自分はどうしたかったのか……。


 誰に何をして欲しかったのか、どうして欲しかったのか。


 その全てを、もう二度と出てこないようにと鍵をかけて、心の奥底に封じ込めた。


 


 ……周りの人達が当たり前に生活しているように、少なくとも普通の人間みたいに、振る舞うことが出来た。


 巻き戻し前の軸で、人を突っぱねて生きてきたから、今度の人生での対人関係では特に、いつも優しくて、私にとって温かく接してくれる“光”そのものの、ローラが私のお手本だった。


 心の弱さも。


 脆さも、ずるさも、全部ひっくるめて、今の私が形成されている。


 ――そこまで思ってから、不意に気付いた


 今までの私だったら、ローラとエリスでだろうか……?


 今までの私だったら、冒険者であるアンドリューを助けられないならと、アルのことを思って明確に区別しただろうか……?


 ローラとアルが、私にとっての、大切な人であることは勿論間違いないし。


 私にとっての目に見える範囲での小さな世界は、私と、私の大切な人と、それ以外の人で区別されていて。


 普段から一緒にいてくれるアルと、昨日、今日、会ったばかりの冒険者であるアンドリューではその差に開きがあるのはまだ分かる。


 でも、ローラとエリスだったら、エリスだって“私に心から仕えてくれている大切な人”に入る筈なのに。


【どうして、私、ローラとエリスで区別したんだろう……?】


 ぶわり、と……。


 よく分からない自分の感情が、湧き出てきそうになって、私は恐怖心から思わずそれを必死で抑え込む。


 一瞬だけ震えてしまった身体に……。


「……姫さん?」


 『どうした……?』と、セオドアから声をかけられて、私は悟られないように、何とか口元だけで笑みを作った。


 それでも、強ばった私自身の表情から、セオドアには気付かれてしまったのかもしれない。


 直ぐに、私を見て、険しくなったその顔に思わず“取り繕うことに失敗してしまった”と思ってしまう。


 ……今まで“特別”というものが、何なのか、分からなかった。


【ううん、違う。分からなかったんじゃないよね……?】


 誰かが頭の中で、私の考えを否定して。


 言い聞かせるように、ゆっくりと私に向かって声を出してくる。


 そうして。


【本当は、ずっと、そう思う気持ちはあったはず……】


 ――ただ、今まで、見ようとしてこなかっただけ


 と、遠い昔に、鎖を雁字搦めに巻きつけて……。


 出てこないようにした思いを、勝手にこじ開けてこようとしてきてる気がして……。


 引き攣ってしまった顔を元に戻せなくて、結局困り果ててしまった私は。


 目の前で険しい表情を浮かべたまま心配そうに此方を見てくるセオドアに向かって、ふにゃりと笑みを溢した。


 今までは、ローラのことも、セオドアのことも、アルのことも、ロイのことも、私にとってはみんな同じくらい大切な人だった筈なのに。


 一緒に過ごす期間がにつれて……。


 さらにそこに、新たにお兄様やエリスが加わったことによって。


 みんな、私にとって大事な人であることには変わりがない筈なのに、全員に“”に同じ感情を向けているのだとは言えなくなっていることに気付いてしまった。


 それを“特別”だと言うのなら、そうなのかもしれない。


 まだ、誰がどうだとか、そういった優先順位みたいなものはきちんと決まっていると言える訳ではなくて、雲みたいに朧気であやふやな物ではあるけれど。


 ――その感情の変化に


 自分の事なのにも関わらず、まるで独りだけ、この場に取り残されて置いてけぼりにされてしまったような感覚がして。


 私自身、ただどうして良いか分からずに途方に暮れて、戸惑ってしまうばかりだ。


 そして、多分、その感情は……。


 本来なら不要なものとして、一番に切り捨てて。


 今まで封じ込めて、無いものとして扱ってきた自我が出てきてしまっている証拠なんじゃないか、と感じてしまう。


 ――この状況は、セオドアの前で堪えきれずにぼろぼろと泣いてしまったあの時の状況によく似ていた。


 ただ、傍にいて欲しいと、“我が儘”を叶えて貰ったときの……。


 誰かに甘えさせて貰うことを、無条件で叶えて貰ったときの……。


 本来なら、心の奥底に閉じ込めて置かなければならない物が、出てきてしまっている感覚。


 それが、良い物なのか、悪い物なのか、自分にも判断がつかなくて。


 今の私が不安を感じてしまっているのは多分……。


 そこから、誰かとの関係性が変化して、今のままの関係でいられなくなってしまうんじゃないか、という恐怖心からだと思う。


 頭の中で、そこまで考え込んだ後で……。


 私は心配そうに此方を見てくるその視線が、更に2人分増えたことにハッとしたあとで。


 パッと切り替えて、今度はきちんとセオドアに向けてしっかりとした笑みを溢した。


「あのっ、えっと、……ごめんね、セオドア……。

 アーサーのことも含めて色々と考えてたら、少しだけ不安になってしまって……」


 そうして。


 一度、私の顔色を見て、心配してくれていたセオドアには、きっと、どうやっても取り繕えないだろうから……。


 私は狡いけど、アーサーの事を引き合いに出して、自分がそのことを考えて不安に思ったということにさせて貰うことにした。


 私の言葉を聞いて、アルが……。


「うむ、確かにそうだな。

 例の仮面の男とやらが、アリス、お前を狙っている可能性があることを考えると、どうしても不安に思ってしまうのは仕方のないことだと僕も思うぞ」


 と、声をかけてくれたことに。


 そっちの問題は、まだまだ片付いていないということも、“確かに頭を悩ませる問題だなぁ”とは思ってしまうのだけど……。


 アルのお蔭で、話が逸れたことにホッと安堵して、こくりと頷き返した私は。


「うん、早く、解決出来るように頑張らなきゃね」


 と、敢えていつもよりも少し高めな声で、みんなから元気に思って貰えるように返事をした。


 ……それから、会話が途切れたタイミングで。


 私は、皇宮で起こった事件の詳細など、私達の会話を聞いてはいけないかもしれないと。


 少し離れた所に立って、そわそわとした様子で此方の様子を窺ってくれていたエリスのお父さんに向かって『夫人のクッキーを、鉱山の冒険者に売ってみるのはどうか』と声をかけることにした。


 勿論、王都で売るかどうかの話は、ジェルメールのデザイナーさんとかから、カフェを経営しているオーナーなどの伝手があるかどうか聞いてからになるだろうから、下手なことは言えなくて……。


 一先ずの提案は、それだけになってしまったんだけど……。


 私の話を聞いて、最初は驚いた様子だったけれど。


 エリスのお父さんから


「家内のクッキーを販売するなど、私達には考えも及ばなかったアイディアですが、領地の為に前向きに検討したいと思いますっ……!」


 と言われたあとで『全く、関係のない私共の領地のことまで、親身に考えて下さってありがとうございます、皇女様っ!』


 と、もの凄く感謝されてしまった。


 それから、お祭りもそろそろお開きに近いような状況になっていることに気付いた私達は一度、領主である彼の家に戻らせて貰ったあと。


 着物から、普段着に着替えさせて貰おうかと声をかけたのだけど……。


「皆さまが今日着ていらしたお召し物は、一式、荷物と一緒に馬車へと入れさせて貰いました。

 良かったら、そちらの着物に関しては是非、皇女様へのお礼と今日の記念としてお持ち帰り下さい。

 元々、そのつもりで、家内が皆さまにお声がけさせて貰っているので、このまま、皆さまを我が家に連れて帰りましたら、私が怒られてしまいますっ……!」


 と、強くお願いするような形でプレゼントされてしまって、結局私達は、全員分の着物一式を丸々、持ち帰らせて貰えることになった。


 ――こんなに高価そうなものを、人数分も


 と、少しだけ迷ってしまったけれど。


 それでも、お土産話も含めてジェルメールのデザイナーさんに、東の国の民族衣装として、“この着物”を持って行ったらきっと喜んでくれるだろうな、と思いながら、領主でもある彼の厚意に甘えさせて貰うことにした。


 それから、私達が暫くその場で話しこんでいると、後々合流してきてくれた夫人とエリスの姉弟。


 そして、私達を見送るためだけに、片付けをしようとしていたその手を止めて、わざわざこの領地に住んでいる村人達が本当に沢山集まってくれて。


 彼らから……。


「皇女様、本当にありがとうございましたっ!

 また、近くに来ることがありましたら、是非、お立ち寄り下さいっ!」


 と、盛大に見送られながら、私達は一足先に帰ったというブライスさんの後を追うようにして、馬車に乗り込んだあと。


 ローラ達が待ってくれている別荘へと向かって動き始めた馬車の窓を開けて、いつまでも此方に向かって手を振ってくれている人達に向かって。


 その姿が見えなくなるまで、私も手を振り続けた。



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