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第256話 野菜のクッキー



 それから少しの間、領主の館にお邪魔させて貰うことになった私達は


「何も無いところでお恥ずかしい限りですが……」


 と、言われながらも、玄関を開けて貰った途端……。


「わーっ、お父様っ! お帰りなさいっ!」


 と、声に出して領主に向かって抱きつくように此方へと突進してきた小さな存在に思わず目を瞬かせる。


 今の私と同じ、10歳くらいの男の子が家の中からビュンと飛び出してきて。


 その後ろから、12歳くらいの女の子がほんの少し呆れたような、冷めた表情を浮かべながらも、私達を発見して、びっくりしたあと。


 慌ててたどたどしい雰囲気で淑女の礼を取ってくれた。


 普段、あまり、誰かが家にやってくるということ自体がないのか、困惑した様子で戸惑いながらも。


「……こ、こんにちは」


 と、声をかけてくる女の子と。


 女の子の言葉で領主である40代くらいの男の人に抱きついていた男の子が私達に気付いて、人見知りをするように、女の子の後ろにさっと隠れたあとで。


 此方をそっと窺うように見てきて。


 その様子に、勝手に可愛い2人だなぁ、と内心で思っていたら。


「あなた、お帰りなさい。……ま、まぁっ! お客様ですかっ……っ!?」


 と、その後ろからやってきた夫人にびっくりされた後で。


「ブライス様だけではなく、このような場所にわざわざ遠方からお越し下さってありがとうございます」


 と、私達の格好を見ただけで、貴族以上の存在だと即座に認識したのだろう。


 思いっきり、かしこまられてしまった。


「おい、お前っ、聞いてくれっ!

 皇宮で起こった事件の調査をするために、偶然、皇太子様と皇女様が我が領に立ち寄って下さったんだ!」


 そうして、興奮したように領主から説明を受けた夫人は私達に真っ直ぐ視線を向けたあとで。


「……まぁっ、本当ですかっ!

 水質汚染の件が解決したばかりの、このような良き日に、そんな奇跡が起こるだなんてっ!

 皆さま、我が領地に、偶然とはいえ来て下さってありがとうございます。

 ブライス様の尽力と、皇女様のお蔭で沢山の民が救われて、私達一同、本当に感謝しているんです……っ!

 このような辺境の土地ですし、碌に修繕もされておらず軋む家ですが、どうぞゆっくりして行って下さい」


 と、本当に感謝したように頭を下げてくれて『そうと決まれば、おもてなしをしないといけませんねっ!』と、どこか張り切ったように声をかけてくれた。


「あの……、そこまでお気遣い頂かなくても本当に大丈夫ですよ。

 何の連絡もなしに、突然来てしまったのは此方の方ですので」


 そうして、私が彼女の配慮にやんわりと、言葉を返せば。


「いえいえっ、恩人である皇女様達に何もしない訳にはいきませんっ!

 そのようなことを仰らずに、どうか、心ばかりで大したお構いは出来ませんが、是非、我が家に上がっていって下さい」


 と、逆に彼女の方から言われてしまって。


 その様子に有り難いなぁ、と思いながら。


 私はにこりと微笑んでから『では、遠慮無くお邪魔させて貰いますね』と、声を出した。


 日に焼けて健康的な雰囲気の領主とは違い、彼女の方はそこまで日に焼けている訳ではないけれど。


 一目で、この夫婦が裏表もないような、優しそうで善良な雰囲気を纏っていることは伝わってくる。


 それから、見慣れない客人に、どこか恥ずかしそうにしながらも、此方の様子を窺うように、そっと見つめてくる可愛らしい2人の子供たちも含めて。


 好感の持てるアットホームな雰囲気を感じながら、彼女に案内されて、領主の館に上がらせて貰った私達は……。


 客間に通して貰って、ローテーブルを囲う椅子に座らせて貰う。


 瞬間、ぎしり、と音を立てて軋む椅子に“年代物の椅子なのかな……?”と内心で思いながらも。


 『大したお構いも出来なくて申し訳ないのですが……』と言われながら出して貰った、優しい味わいの紅茶を頂いて、ホッと一息吐いたところで。


「……この家には、使用人はいないのか?」


 と、純粋に気になったのだろう。


 お兄様が夫人と領主に問いかけてくれた事で私は彼らに視線を向けた。


 ――言われてみれば。


 確かにこの家に上がらせて貰ってから、使用人らしい使用人の姿を見ていない。


 それに、今もこうして、目の前で私達を持てなそうと、紅茶を出してくれたり。


 休憩することもなく、ひっきりなしに、動き回ってくれているのは夫人だけだ。


 更に言うなら、12歳くらいの年齢である女の子も、夫人の手伝いをしながら、机の上にクッキーを入れたお皿を運んで持ってきてくれたりしていて……。


 私もお兄様と同様、彼女達のその行動が気になってしまう。


「……えぇ、それが、その……っ。

 お恥ずかしいことに、私の所為で数年前に莫大な借金を抱えてしまいまして。

 以前勤めてくれていた数少ない使用人も、近くの信用出来る貴族仲間に紹介状を書いてそちらへと移動して貰ったんです。

 我が家には滅多にお客様も来ませんし、そこまで困るようなこともありませんから。

 今は、家の切り盛りに関しては妻が全て担ってくれています」


 そうして、お兄様の問いかけに、特に隠し事をすることもなく。


 恥ずかしそうに、頭を掻きながら、領主が答えてくれると。


「私自身、内職などもしているんですが。

 それだけでは立ちゆかず、どうしても、金銭面では皇宮で働く一番上の娘にも頼りきってしまっていて。

 娘に申し訳ないと思いながらも、家族みんなで助け合いつつ、私達は、領民にも本当に支えられているんです。

 今日、皆さまにお出ししているものも、我が領で穫れるサツマイモや人参などのお野菜を使ったクッキーなんですよ」


 と、夫人が皇宮で働いているという娘さんのことを話す時に、少しだけ眉を下げて本当に申し訳無さそうな表情を浮かべたあとで。


 朗らかな笑みを溢しながら。


 領主である彼の言葉に補足するように、声を出してくれる。


「そうなんですっ! かなり迷惑もかけてしまっているのにも関わらず、本当に私達のことを気にかけてくれるような素晴らしい領民に恵まれましてっ。

 私も暇を見つけては、近所の親しい領民の野菜作りなどにも積極的に参加してるんですっ!

 お蔭でこんなにも、こんがりと日に焼けてしまいました」


 そうして、明るく自分たちの事情を明け透けに話してくれる領主の人に。


 そんな素振りが微塵も感じられなかったため、ここまで何とも思わなかったけれど。


 彼らが、思いがけず、あまりにも財政が厳しくて苦労している様子だったことに驚きながらも。


 それでも、全く悲壮感などが漂うこともなく。


 なるべく、苦労している様子なども見せずに、快活に前を向いて一生懸命過ごしていることが、私にもちょっと話を聞いただけでも理解することが出来た。


 ……それから、彼らが、自分の領地にいる領民のことをまるで本当の家族かのように大事に思っているということも。


 彼らの話に好感を持ちながら。


【数年前に抱えてしまった借金って、一体どれくらいあるんだろう……?】


 ――それって、返済の目処は立っているのかな?


 と、お節介かもしれないけれど、内心で心配しつつ。


 彼らの話を聞いて、“借金”、“皇宮で働く娘”などの断片的な情報をつなぎ合わせた時に、ふと、気付くことがあって……。


 私は、パッと、顔を上げたあとで……。


「あの、もしかして、皇宮で働いているという娘さんは、“エリス”っていうお名前じゃ、ありませんか?」


 と、問いかける。


 私の言葉を聞いて、一様に驚いたような表情をしながらも。


「え、えぇ、っ! そ、そうですっ! 皇女様っ!

 皇宮では、確か運よくテレーゼ様、皇后様のお側に付くことが出来て、今は新米の侍女として頑張っている筈なのですが……っ。

 私共の娘を、皇女様はご存知なのですか……?」


 と、夫人から言葉を返されたことで、全てのことに合点がいって、やっぱりっ! と内心で思いながらも。


 まさか、こんな所で、エリスのご家族に会うことになるとは思わず、びっくりしてしまった。


「はい、縁あって、エリスは今、私の侍女をしてくれているんです」


 にこりと、笑みを溢しながら詳しい事情を説明すれば。


 夫人も領主である貴族の人も驚いたような表情を浮かべながら……。


「そうだったんですか。

 いや、あの子には本当に苦労させてしまって、借金を抱えてしまった私共の所為で、早くから働き始めた上に、手紙代すらケチって、お金だけ送ってくるような子ですから。

 特に最近の詳しい近況については全く知らなかったんですが、エリスが皇女様のお付きになっているとは……っ。

 我が領地にいる、民を救って下さっただけではなく、エリスまで皇女様にお世話になっているだなんて……っ、本当にありがとうございます!」


 と、もの凄く恐縮したような雰囲気で、2人から頭を下げられてしまって。


 私は慌てて、“そんな風に畏まった態度を取らないで下さい”という気持ちを込めて、ぶんぶんと手を横に振ったあとで……。


「いえ、私の方がエリスにはお世話になっている、というか……。

 いつも何をするのにも一生懸命で、傍で仕えてくれていることを、本当に有り難く思っています」


 と、声を出す。


 私の言葉を聞いて、それまで、女の子や夫人の後ろに隠れて人見知りをして恥ずかしそうにしていた男の子が。


「あのっ、エリス姉ちゃん、元気にしてますか……?」


 と、怖ず怖ずといった感じで私に声をかけてくれて、私は笑みを溢しながら、目線を合わせ、こくりと彼の言葉に頷き返した。


「うん、いつも元気に働いてくれているよ」


 私の言葉に、ホッとしたような表情を浮かべたのは男の子だけじゃなく、12歳くらいの女の子もだった。


 どちらかというと、エリスと似ているのは男の子の方で。


 女の子の方は、どことなく、サバサバしたような雰囲気の無表情な感じの子だったけど。


 表情に出ないだけで、彼女も手紙が殆ど送られてこないというエリスの近況を、かなり心配していたのだろう。


「エリスお姉ちゃんって……っ。

 お裁縫とか、家事スキルとか、不器用で、全く無いような人だったけど、皇宮で、ちゃんと上手く……その、迷惑をかけるようなこともなく、皇女様のお世話とかも出来ていますか……?」


 と、戸惑うような表情をしながらも、此方に聞いてきてくれて、私は彼女の言葉にもしっかりと頷いてみせる。


「うん、エリスは、いつも、私に凄く良くしてくれているし。

 皇宮で、ちゃんと侍女のお仕事を頑張ってくれているから、心配しなくても大丈夫だよ」


 普段、ローラと一緒に仕事を頑張ってくれているエリスの事を思い出しながら。


 私が、笑顔を向ければ。


 あまり表情は変わる事が無いものの、12歳くらいとは思えないくらい、しっかりした雰囲気の彼女から『それなら、良かった……です』と、安堵したような言葉が返ってきた。


 それだけで、エリスが2人から凄く慕われているお姉ちゃんだったんだな、ということが分かって、私は思わずほっこりしてしまう。


 私がエリスの話題を出したからか、最近のエリスの近況を知れたことで、みんな本当に喜んでくれて。


 子供たちは普段見慣れないお客として来ていた私たちに人見知りをしていて、緊張していたような雰囲気をほんの少し和らげて、打ち解けてくれたみたいだった。


 エリスの話で、かなり和やかな雰囲気になった所で……。


「皇女さまっ、お母様が作ってくれたクッキー、本当に、美味しいんですっ。

 良かったら、是非、食べてみてくださいっ……!」


 と、まだまだ慣れていないのか、男の子が、たどたどしい敬語を使い。


 笑顔で此方に向かって、夫人が作ってくれたクッキーについて『こっちが、人参で、こっちがサツマイモ、を使っているんです』と、説明してくれる。


 折角なので、話に夢中になって、手を付けていなかったお皿の上のクッキーを、お兄様やアル、それからセオドアも含めて、みんなで頂くことにした私は。


 彼の言葉に甘えさせて貰って、特にオススメだという、サツマイモで作った夫人の手作りのクッキーに手を伸ばして一枚、口に運ばせて貰う。


 一口目から、サク、っというクッキーの香ばしさを感じられた後、優しいサツマイモの、ほのかな甘みが口いっぱいに広がって。


 何も飲み物などを飲んでいないのに、口の中にあまり、はりつくようなこともなく。


 ほろほろと、クッキーが解けていく感覚に思わず、びっくりしてしまう。


 もしかして、サツマイモの甘みを邪魔しない程度に香り付けとして、何かの紅茶が使用されているのかもしれない。


 すっきりとした後味で、普通にどこかのお店で販売していても可笑しくないくらいの上品な味わいになっていた。


 ……いつもローラの作ってくれる手作りのお菓子がかなり美味しい物だから、普段からそれを食べている私自身、大分舌が肥えていると思うんだけど。


 エリスの弟である男の子がオススメしてくれた通り、本当に凄く美味しくて。


「このクッキー、本当に、美味しいです。

 もしかして、サツマイモと、隠し味に、紅茶を使っているんですか?」


 と、夫人に向かって問いかければ。


「えぇ。……そ、そのっ、それはっ、そんなに褒めて貰えるほどの代物ではないんです。

 我が領の野菜は、どれも自信を持ってオススメ出来るほど、他の領と比べても甘みの強いものばかりですが、それは領民の努力のお蔭ですし。

 私が、貧乏性なので、クッキーの日持ちを伸ばすために、乾燥剤の代わりに未使用の紅茶のティーパックを一緒に入れて保存していたために、ふんわりと紅茶の香りがするようになって、偶然出来た物でして……」


 と、どこか遠慮がちになりながらも、ほんの少し、照れくさそうにそう言われて。


「クッキーの日持ちを伸ばすために、未使用の紅茶のティーパックを一緒に入れて保存しているんですか……?」


 ――それで、かなり日持ちがするものなんだろうか……?


 と、思いながら、全く知らなかった生活の知恵に驚きながら、問いかければ。


 『えぇ、紅茶のティーパックは乾燥剤の代わりになるんですよ』と教えて貰えて。


 まるで、大したことじゃなくて恥ずかしいことなのだと言わんばかりの、控えめなその態度に。


【手作りクッキーなんかは特に日持ちがしない物だし、その知恵も技術も普通に凄いことだと思うんだけどな……】


 と、私は思ってしまう。


「うむ、そうなのかっ……!

 ちなみにだが、この人参のクッキーと、サツマイモのクッキーは一度作ったらどれくらい持つものなのだ?」


 そうして、アルが私の横で遠慮無く、夫人の作ってくれたサツマイモと人参のクッキーを交互に食べ比べをしたあとで。


 口のに、ほんの少しだけ、クッキーを付けた状態で『ブランシュ村で食べたクッキーも美味かったが、野菜で作っているクッキーがこれほど美味いとは……っ!』と……。


 目をキラキラさせながら、夫人に対して声をかけた事にも、特に怒ったりするようなこともなく。


 寧ろ『そんなに喜んで下さると、作った甲斐があります』と嬉しそうに頬を緩めながら。


「一度作れば、1ヶ月程度は持ちますよ。

 クッキーを作る際に、水分も飛ばして、かなり密封させておかなければいけないという条件付きにはなりますが。

 その辺りは、何度も作ることで試行錯誤を重ねているので、今では要領よく作ることが出来ています。

 もし良かったら、皆さん、持って帰りますか?」


 と、声をかけてくれる。


「本当かっ……!! 有り難いっ! 遠慮無く頂くことにするっ……!

 それと、沢山食べたいのでなっ、出来れば、サツマイモも人参も、いっぱい、包んでくれたら嬉しいぞっ!」


 その言葉に、パァァァっと瞳を輝かせて、夫人に対して、かなりちゃっかりと沢山包んで欲しいとお願いするアルに。


「オイ、アルフレッド、少しは遠慮をするということも覚えてくれ……っ!」


 と、お兄様がほんの少しだけ呆れたようにアルに声を出せば……。


「いえいえ、皇太子様、良いんですよ。

 こんな物でも、こうして、喜んで貰えると私自身、凄く嬉しいです。

 沢山あるので、いっぱい、持って帰って下さいね」


 と、まるで何も気にしていないかのように、にこにこと、大らかに夫人が笑ってくれた。


 その優しい対応に、感謝しながら……。


「すみません、ご配慮、ありがとうございます。

 私も、夫人が作って下さったクッキーが美味しかったので、持って帰れるのは凄く嬉しいです」


 と、慌ててぺこりとお辞儀をすれば。


「いえ、皇女様、とんでもございません。

 ……それと、こんなことを皇女様達に頼むのも申し訳ないのですが、良ければ、エリスにもこのクッキーを持って帰って下さる訳にはいかないでしょうか?

 あの子も、昔から、私の作るクッキーを食べるのが好きだったので」


 と、夫人から頼まれて。


 私は彼女の言葉に『はい、勿論ですっ』と快諾して、こくりと頷き返した。



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