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第254話 アーサーの手紙



 あれから、眠ってしまったベラさんをアルが大分癒やしてくれたあと。


 私は何度か容器の中に、水を入れ替えて、ベラさんの頭を冷やすタオルを交換したりしていた。


 能力の反動で頭痛や、熱の症状に近いものも出ることがあるし、少しでも楽になってくれたらいいな、という思いからだった。


 幸い、眠っているベラさんの呼吸が正常な物へと変わっていくのを確認して私はホッとする。


 セオドアやお兄さまもベラさんの体調については心配してくれているみたいで、何度かヒューゴに普段のベラさんの様子や体調などについても詳しく聞いてくれていた。


 そのかん


【大人数でこうして押しかけてしまったことも、申し訳なかったかな】


 と内心では思ったけど……。


 ヒューゴからは、アルが癒やしの魔法を使ってくれていることも含めて感謝されっぱなしで、一先ずは安堵する。


 ――それから、どれくらい経っただろうか


 アルがずっとベラさんを癒やしてくれている間。


 手持ち無沙汰になってしまった私は、みんなで、ベラさんのお家の中を少しだけ掃除することにした。


 ベラさんは、自分の家を汚い家と言っていたけれど。


 物なども散乱している訳ではなく、きちんと整理されて片付けられている部屋の中は、別に汚いという訳ではない。


 ただ、どうしても、隅々まで掃除が行き届かずに、家の中が埃っぽくはなってしまっているため。


【気管支などに埃が入ってしまったら体調なども悪化するんじゃないか……】


 と……。


 ベラさんのいる寝室以外の場所は、なるべく綺麗に掃除しておいた方がいいんじゃないかな、と判断してだった。


 ベラさんの許可を得ずに、勝手にそうすることもどうだろうと、思ったけれど。


 それでも、その体調のことを思えば……。


 今、手助けできる人間が多いうちに、そういったことは目の届く範囲で、簡単にだけど済ましておいた方がいいだろう。


 特に、食べ物が置いてあるようなキッチン周りはほんの少しでも綺麗にしておくだけでも、大分違うはず。


 ローラ以外は、雑な対応で誰もやってくれないから、仕方なく巻き戻し前の軸に自分でもやっていたことと。


 普段ローラやエリスが私の為にしてくれていることを思い出しながら、箒と水で濡らしたタオルを駆使して、掃除をしはじめると。


 それを見たお兄さまとセオドアも、ヒューゴも、それぞれに私のことを手伝おうと動き始めてくれた。


「……皇女様、なんつぅか、掃除に関しても……滅茶苦茶、手慣れてませんか……?」


「……本当ですか……っ?

 今は侍女がやってくれてるんですけど、前までは自分で出来ることは自分でしてたので。

 掃除も少しくらいなら、どうやるのか自分でも分かっているつもりだったんですけど、ヒューゴから見てもそう思われたなら、間違ってなさそうで良かったです」


「……あー、うん。

 俺も、段々と皇女様が普段から、どんな生活を強いられてきたのか、分かったような気がします」


 そうして、何とも言えないような表情を浮かべて此方を見てくるヒューゴに。


 私自体『特に気にもしていないこと』なのだと分かって貰えるように、穏やかな表情を浮かべて笑みを溢す。


 私が置かれてきた環境については、もう本当に何も思っていないし、寧ろ仕方が無かったと思えるけれど。


 他人が辛い境遇にあったと聞くと、やっぱり彼女達の為には何かしてあげたいという気持ちが湧いてくる。


 お兄さまとセオドアがさっきから、険しい表情を浮かべたままなのが、気にはなっていたけれど……。


 心配して貰う必要は無いのだと、ほんの少しでも私の表情で伝わればいいな、と思いながら。


 キッチンの周りをタオルで水拭きしていた私は。


 不意にキッチンの近くの棚に束ねて置いてあった手紙を見つけて、そこに書いてある名前が見覚えのある人の名前だったことから、思わずそれを手に取ってしまった。


「……アーサー、からのお手紙?」


 私がぽつりと溢したその言葉は、思いのほか、大きな音となってこの場に響いてしまったらしい。


 箒を持って床を掃いてくれていたお兄さまと、私が水拭きをしていた箇所を追うように乾拭きしてくれていたセオドアが、私の方へと視線を向けてくれたあと、駆け寄ってくれる。


 手紙は複数送られてきており、宛先人はベラさんで、送り主はどれもアーサーになっている。


 パッと、日付を確認すると直近で1ヶ月ほど前の手紙が一番最新のものになっており。


 アーサーが母親に送った手紙が数ヶ月前で、囚人の毒殺事件に限りなく一致する日付だったことを思えば。


 それよりも更に最近の物になっていて、びっくりしてしまう。


【この手紙を送ったのが、アーサー本人なのだとしたら。

 少なくとも、1ヶ月ほど前までは確実にアーサーは生きていたということになる】


 動揺しながらも、みんなにも分かるように手紙の日付を見せれば。


 それだけで、お兄さまもセオドアも私が行き着いた事実には辿り着いたのだろう。


「あの騎士から送られた最新の手紙が、まさかこんな所にあるとはな」


「あぁ、コイツを送った人間が“本人”なんだとしたら……。

 少なくとも、1ヶ月程前に、アーサーは生存していたってことになるな」


 お兄さまとセオドアからそう言われて、私もこくりと頷き返した。


「マジかっ! アーサーの野郎……!

 1ヶ月前にベラに手紙を送るんならっ、ついでに俺にも手紙を送ってくれりゃぁ、良かったのによっ……!」


 それに対してヒューゴがちょっとだけ、拗ねたような口調になりながら言葉を出してくるのを聞いて。


 自分にも便りが欲しいと思ってしまうくらい。


 アーサーと、ベラさんと、ヒューゴはやっぱり素敵な幼なじみの関係性だったんだなぁ、と微笑ましく思ってしまった。


「ベラさんが起きたら、このお手紙の内容を教えて貰えないか聞いてみますね」


 流石に、送り主のことを探しているからといって。


 宛先人が、今この場所にいるのに、勝手にこの手紙を開封して見る訳にはいかない。


 勿論、お父様の勅命ちょくめいがある以上、事件の真相の手がかりになるようなものに関しては、私達がそれらを調べることを優先してもいいんだけど。


 それでも個人的な遣り取りが書いてある可能性だってあるし。


 他人に見せたくない場合もあるかもしれないから、ベラさん本人に確認はとった方がいいとは思う。


 私達が掃除をしたことで、この部屋の埃も綺麗になってきた頃。


 『後で、ベラに聞くか』と言いながら、不要そうな物を整理して片づけていたヒューゴが、ベラさんの為に手慣れた様子でパン粥を作っているのを見て、私はびっくりしてしまう。


「ヒューゴ、凄い。ご飯、自分で作れるんですね……っ!」


「いやいや、皇女様。……別にこんなのは、褒めて貰える程のことじゃぁ、ありませんって。

 冒険者として、ある程度野営の経験なんかもあるし、1人で生活しているのが長い分、これくらいのことは出来るようになりますからね」


 照れくさそうにそう言うヒューゴだけど。


 ふんわりと優しい匂いを漂わせ……。


 ほかほかと湯気が立っているミルクたっぷりのパン粥は傍目から見ても、あまり食欲が無い人にとってはぴったりのメニューのように思える。


 何より、ヒューゴがベラさんの事を思って作っているから、きっとそこには、愛情がたっぷりこもっている筈で。


【そのことがベラさんも、何より嬉しいんじゃないかな……?】


 私達が、そうこうしている間に、ベラさんの目が覚めたみたいだった。


 寝室から、アルの『うむ、起きたのか?』という声が聞こえてきて。


 私達は顔を見合わせたあと、ベラさんのいる寝室へと足を向けた。


 扉を開けて、入るとベラさんが此方を見ながら、上半身だけでも起き上がろうとしてきたので。


 私は慌ててベラさんの額に乗っけていたタオルをどかした後で『介助した方がいいかな』と思いつつ、その身体をそっと支えてから、ベラさんが起きる手助けをする。


「……あぁ、皇女様……ありがとうございますっ!

 アタシ、いつの間に、こんなにも眠ってたのかな……?

 少年……、あー、えっと、アルフレッド様でしたっけ? ……も、ありがとうございました」


 にこっと、笑みを溢しながら、そう声をかけてくれるベラさんに。


 ヒューゴがベッドの近くにあった椅子の上に、器に入れたパン粥をことり、と置いて。


「オイ、ベラ。……食べられるんなら、パン粥作ったけど、食うか?」


 と、声をかけるのが見えた。


 それに対して、ベラさんが、からかうように口元を緩めながら。


「あら……アンタ、珍しいわねっ!

 皇太子様達が来てるからって、そういうの、いつも以上に張り切ってるんでしょ!

 ありがとっ、久しぶりにお腹も空いたから、食べることにするわっ……!」


 と、快活に笑みを溢して、ヒューゴにお礼を言うのが聞こえてきた。


 暫く、もぐもぐと自力でスプーンを取って。


 ヒューゴの作ってくれたお粥をすくって食べてくれているベラさんを見ながら。


 丁度、話しかけやすいタイミングになった際に、お兄さまとセオドアと目配せをし合い。


 2人が頷いてくれたのを確認してから、私は口を開いた。


「あの、ベラさんが眠っている間。

 私達で、勝手に、少しだけ家の中を舞う埃を綺麗にするために掃除させて貰ったんです。

 その時、そのっ、アーサーからベラさんに対して送られてきた手紙を発見して……」


 私の言葉にベラさんから……。


「えぇ、っっ! 

 皆さんで、我が家の掃除までして下さったんですかっ! こ、皇女様達になんてことをっ」


 と、卒倒しそうな勢いで申し訳なさそうにそう言われてしまったけれど。


 元々、私達がブランシュ村に来たのは数ヶ月前に、とある事件に巻き込まれてしまって行方不明になってしまったアーサーを探しに来たということ。


 彼が今も生きているのなら……。


 もしかしたら危険なことに今後も巻き込まれてしまって命が狙われるようなことがあるかもしれないから、何としてでも保護する必要があるということなどを詳しく説明すれば。


 私達が家の中を掃除したということに、あわあわと、慌てた様子だったベラさんの表情がかなり真剣な物へと変化していくのが分かった。


 勿論、ヒューゴも、アーサーの状況についてそこまで詳しく私達から聞いていなかったため、命が狙われてしまうようなことがあるかもしれない、ということには。


 かなり驚いた様子だった。


「王都で騎士になったアーサーとは、頻繁に手紙の遣り取りをしていたんです。

 元々、アタシが魔女になってしまったことも心配はしてくれていたので。

 内容は、全てあらためて貰っても構いませんが、お互いに他愛ない日常の近況報告をしていたくらいだったので、そこまでお役には立てないかもしれません」


 そうして、ベラさんから許可を貰って、お兄さまが『確認させて貰う』と断ってから一つ一つ、手紙を開けていく。


 ベラさんの言う通り、お互いに、どう過ごしているのかの遣り取りが大半で。


 アーサーが母親に送っていたような、『偉い人』が手紙に出てくるようなこともなく。


 魔女であるベラさんの体調を心配するような。


 ブランシュ村でヒューゴやおば様から聞いていた通り、アーサーの真面目な人柄が伝わるような文面が並ぶばかりだった。


「だけど、丁度、1ヶ月ほど前に手紙を貰った時は、いつもと文面が少し違っていました。

 アーサーからは、普段、私の近況や体調を心配するような文面だったものが。

 その時だけは、走り書きをしたように、明日会いに行く、って連絡があるもので……」


 それから、困惑したようにベラさんがそう言った後で。


 手紙の最終的な日付である、私が一番最初に発見した1ヶ月程前の手紙を見れば。


 確かにそれまで筆まめとも呼べるくらいに、ブランシュ村に住む人達のことや、ベラさんのことを心配するような内容と。


 アーサー自身の近況を報告していた、複数の手紙からは考えられないくらい。


 アーサーらしからぬ焦ったような筆跡で、『明日、会いに行く』と無機質に一文が書いてあるだけのもので、私達はみんなで顔を見合わせる。


「そ、それで、ベラっ! アーサーには会ったのかっ?

 1ヶ月ほど前っていやぁ、俺もここに滞在してる間なのに、アーサーが近くまで来てたなんてっ、そんなの、知らなかったぞっ……!」


「当然よ。……アンタどころか、誰にも言ってないもの」


「な、何でだよっ!?」


「アーサーの手紙から、普段とは全く様子が違ってると思って……。

 だから、アタシは誰にも知らせませんでした」


 ベラさんの言葉を聞いて、ヒューゴが『どうして言ってくれなかったんだ……っ!』と、問いかけるような表情を浮かべているのをスルーして、ベラさんが私達に続けてそう言ってくる。


「……それで、アーサーには会えたのか?」


 その言葉を聞いて、お兄さまがベラさんに再度、質問をしてくれると。


 少しだけ悩んだ素振りを見せたあとで、それでもベラさんはこくりと頷いてくれた。


「その翌日、アーサーは確かにアタシに会いに来ました。

 でも、明らかに様子がおかしいっていうか、何て言うか……違和感があって」


「どういう意味だ?」


 そうして、ほんの少し口ごもった様子の、ベラさんのその態度に。


 少しだけ眉を吊り上げてお兄さまが問いかけてくれると。


「いつも、誰とも明るく話せるアーサーからすると、その日はあり得ないくらい言葉数が少なくて。

 どこか思い悩んでいたような様子だったと思います」


 と、ベラさんから言葉が返ってくる。


「ベラさんは、アーサーとは、何かお話したんですか……?」


 そうして、私が声をかけると、ベラさんは私の方を見てこくりと頷いてくれた。


「はい、他愛もない話を何度かしました。……“元気にしてる?”とか。

 “王都で、騎士になった近況についてもっと教えてよっ……!”とか。

 とにかく、何て言うか色々と疲れているような雰囲気だったので、励ました方がいいのかなって、思って……」


「ふむ、なるほどな。……それでベラは色々とアーサーに声をかけた訳だな?」


 ベラさんの言葉に、それまで黙って話を聞いてくれていたアルが問いかけると。


 神妙な表情を浮かべながら、ベラさんは私達を見ていた視線をほんの少し伏し目がちに俯かせる。


「でも、返ってくる返事は全部、おざなりで。

 そのうち、“ベラの体調はどうなの?”って言われたことで、やっと“アタシは元気だし、大丈夫よ”って答えたんですけど……。

 それでも、いつも元気だったアーサーの雰囲気は、その日ばかりはどこか異質で……。

 私はアーサーが何か喋ってくれるのを、そのまま何も言わずに待ってたんですけど。

 私に対して、意を決したように口を開いたアーサーから、そのっ……。

 “ベラ、何も心配することはないからね”って、言われた後で……」


 そうして、そこまで私達に説明してから。


 一拍、間を置いて。


 どう言えばいいのか分からないというように、困惑したような表情を浮かべたベラさんの口から。


「天使……が、」


 ――という言葉が返ってきて。


「天使……?」


 私は思わず首を傾げて、その言葉を反復するように声に出す。


「はい。その、っ……。

 “使”って、言ってたんです」


 ――それから、この場にぽつりと。


 けれども大きく響いたベラさんのその言葉に、私は思わずきょとんとしてしまう。


使、って……、あの天使のこと、だよね……?

 絵画とかにもよく描かれている、神様の遣いとも言われることのある、白い羽根が生えた……】


「オイオイ、なんだそりゃぁっ!

 オイ、ベラ、アーサーが本当にお前にそんな、お花畑みたいなことを言ったのかよっ!?

 アイツは確かに熱心に神を信仰していたが、どうにもならねぇことに対して、そんなことを言う様な奴じゃ……っ!」


「アタシだって、意外だったわよっ!

 でも、それが冗談か冗談じゃ無いかの区別くらい、アタシにもつく。

 アーサーの目は、あの時、本気でアタシのことを心配してくれてたし、本気で、天使が助けに来てくれるんだって、疑いさえしていない瞳だったのっ……!

 いっそ、恐いくらいにっ!」


 私がベラさんの言葉を聞いて、アーサーの置かれていた状況に、どういう意味があったのだろうと頭の中で一生懸命、考えていると。


 ヒューゴがベラさんと言い争うような形で。


 2人の会話を通して、話が進展していることに、ヒートアップする2人の遣り取りをどこで止めればいいのか、私がおろおろしながら悩んでいると。


「オイ、少し落ち着いてくれ、お前達」


 と、お兄さまが声をかけて2人の会話を止めてくれた。


 お兄さまの声かけで、此方に視線を向けてくれた2人がどこか気まずそうな表情を浮かべてくるのを見ながら。


「話を元に戻すが、アーサーは1ヶ月前にお前に会いに来て、その時には既にいつもとは違い、雰囲気が可笑しかったんだな?」


「えぇ、そうです、皇太子様。

 アーサーは、あの日、何か、思い詰めているようにも見えました。

 今、思えば、何か事件に巻き込まれてしまったのなら、正義感の強いアーサーはそれで罪悪感のようなものを感じてしまっていたのかも……」


「それで、天使がお前の事を助けてくれる、と……?

 自分の事を話すこともなく、唐突に、そう言われたのか……?」


「はい、いきなりでした。

 手紙の遣り取りを見て貰えば分かるかもしれませんが、アーサーはアタシが貴族と契約していることも知ってますし。

 ヒューゴ同様に魔女の能力について、自分の意思でアタシが使っていることも理解していて、日頃から気にかけてくれていたので。

 もしかしたら、アタシを心配するあまり、その事を伝えに来てくれたのかもしれません」


 お兄さまの言葉に、ベラさんが真面目な顔をして頷きながらも、控えめに声を出してくれた。


 アーサーがベラさんの事を心配していたというのは、2人の手紙の遣り取りからも窺えることが出来る。


 幼なじみとして、ヒューゴ同様にアーサーも、彼女と離れることになっても、ずっと、ベラさんの事を気にかけていたんじゃないかな。


 そう言う意味で、アーサーがベラさんの事を救う手立てを知って、ベラさんに会いに来たと考えるのが妥当だと思うんだけど……。


【それならどうして、ベラさんの事を救える方法を本人にきちんと伝えなかったんだろう……?】


 囚人毒殺事件に、アーサーが高確率で関わっているのだとしたら、自分が追われている可能性も高いのに。


 ブランシュ村近くのこの森に、わざわざ危険を犯してまでベラさんにそれだけのことを伝えに会いに来たんだろうか……?


 なども含めて、謎ばかりが増えてしまう。


「他には何か言っていなかったか?

 アーサー自身がこれから先、どこに行くつもりなのかとか」


 お兄さまの問いかけに、ベラさんがふるりと首を横に振ったのが見えて、私は意識をそっとこの場に引き戻した。


「いえ。ちょっと立ち寄っただけで、時間があまりないから、そんなに話すことは出来ないんだ、って言ってたので。

 王都で騎士として頑張っているものだって思ってたから、忙しい合間を縫って、やってきたのかと思って、これからどこに行くのかなどは、アタシにも……」


 そうして、その時のアーサーの状況をしっかりと教えてくれたベラさんの言葉に、お兄さまもセオドアも考え込むような雰囲気になってくれたタイミングで。


「うむ、それだと現状、あまりにも手がかりが少なすぎるな」


 と、声に出してくれたのはアルだった。


「あぁ、確かにな。

 だが、そもそも、天使ってのはなんだ……? なんかの比喩ひゆか?」


 それから、セオドアが声に出して、頭の中を巡らせつつ色々な可能性も考慮しながら話してくれるのを聞いて。


 私も頭の中で色々と考察するために、今もたらされた情報であれこれと考えてみたけれど。


 仮に、アーサーの言う、天使がなにかを表現するための比喩だったとしても。


 少ない情報の中では、それが何を意味する言葉なのかさえ、今の段階で特定するようなことは難しすぎて、何も思いつくことが出来なかった。


「終始、いつも明るかったアーサーとは違い、どこか影を落としたような暗い雰囲気だったんですけど。

 それでも、その瞳には、じわっとした熱が籠もったような、希望みたいなものがあったと思います。

 ……その、天使の話がアーサーから出た時には、特に。

 まるで、その天使がこの世の全ての……。何もかもを変えてくれるかのような、どこか危ういような目にも見えて」


「それで、ベラさんはアーサーの事が心配になったんですね……?」


 それから、どこか落ち込んだような声色で喋るベラさんに。


 私が声をかけると、ベラさんは少しだけ迷った素振りを見せながらもこくりと頷いてくれた。


「アタシに会いに来てくれたアーサーが、王都で何か事件に巻き込まれるようなことになっているだなんて、夢にも思ってなかったから。

 その様子が気に掛かりながらも、その日もいつものように、普通にバイバイしてしまったことを、今、皆さんから話を聞いて、ちょっとだけ後悔しています。

 あの日、引き留めてでも、きちんとアイツの近況を聞いて置けば良かったな、って」


 そうして、ほんの少しだけ唇を噛んだ後で、私達に説明してくれるベラさんの言葉を真剣な表情で聞きながらも。


 アーサーが少なくとも1ヶ月前までは生きていて良かったと思う反面。


 アーサーが母親やベラさんに送った手紙や、周囲の人達から聞く、アーサーの評判なども加味してアーサーの人物像について考えると。


 アーサーは、事件のことで押し潰されそうな罪悪感とかと1人、戦っていたのかもしれないと思う。


【アーサーのこともそうだけど、もしも、能力を使った魔女を助ける手立てを。

 アーサーが、思いついていたのなら、それは一体どんなものだったんだろう……?】


 ――話に出てきた、“天使”が全ての鍵を握っているんだろうか?


 アーサーが母親に送っていた手紙に出てくる“偉い方”と、天使というのは、また別の存在なのかな……?


 まだまだ分からないことだらけだけど、それでも状況はちょっとずつ進展していると言っていい。


 ベラさんの言葉を聞きながら“生存している可能性が高い”のなら……。


 改めて早くアーサーを探してあげる必要があるなと思いつつ、お兄さまやセオドアに視線を向けて。


「そういえば、お兄さまやセオドアは、村人達からアーサーの行き先の心当たりについて聞いてくれていたんですよね?」


 と……。


 結局、私は今日一日中、アルと一緒にヒューゴの薬作りを手伝っていたから……。


 村人達からの話は聞く方に参加しなかったし、どうなっているんだろう、と気になって2人に問いかければ。


「あぁ、殆どの村人が口を揃えて、アーサーの行きそうな場所については。

 “母方の親戚の元”だと言っていて、新規でめぼしいような情報は特に得られなかった」


 と、お兄さまから言葉が返ってきた。


「そうだな。……皇太子とも話したが、明日、その村に立ち寄ってみて。

 アーサーの母方の親戚に、アーサーのことを聞いてみるってことで話は纏まってる」


 そうして、セオドアからそう言われたことで。


 私は『そうなんだね』と声に出して、こくりと頷いてから、ヒューゴとベラさんへと視線を向けた。


 アーサーの事で、不安そうにしている2人を見ながら、少しでも安心して貰えるよう微笑んでから。


「あのっ、……お約束は出来ませんが、アーサーのこと。

 私達も出来る限りで、その行方を捜して、その身柄を保護したいと思ってますので。

 もしもヒューゴやベラさんも、今後アーサーについて分かるようなことがあれば、さっきヒューゴには別件で少し話したのですが、私宛にお手紙を下さい」


 と、声を出す。


 瞬間、緊張感のあったこの部屋の空気が和らいで、2人からは『分かりました』という色よい返事を貰えることが出来た。


「すまないが、一見すると日常のことしか書いていないように思えても。

 この手紙は重要な証拠になり得るかもしれないから、俺が預かっていてもいいだろうか?」


 そうして、お兄さまがベラさんに向かって声をかけてくれたことで。


「……はい、皇太子様、勿論です」


 と、ベラさんが真剣な表情を浮かべてから、此方に向かって声を出してくれた。


 それから、話が一段落した所で。


 家の窓から外を見れば、もう夕方を通り越して空に月が浮かぶような状況で……。


 随分と長いこと、この家にお邪魔してしまっていたことが分かって私はみんなへと視線を向けた。


 お兄様がベラさんに手紙を預かるという声をかけてくれたことでも、そろそろ、お暇するような雰囲気がそっと私達の中に流れたあとで。


「ベラ、次に能力を使用するのはいつくらいなのだ……?

 大体の周期が決まっているのか、? それとも、貴族から呼ばれたら不規則に行かねばならぬのか?」


 と、アルがベラさんに向かって聞いてくれる。


 魔女の寿命については、本人の能力の大きさも関わってくるだろうし。


 どれくらい能力を使えばそうなるのか、という基準は未だ解明されていないけれど。


 それでも、国が保有している過去の他の魔女の症例と合わせて色々と考えることは出来るかもしれない。


 ベラさんの命に関わる大事なことだから、私達が帰る前に、しっかりと聞いておかなければならないということだけは確かだった。


 アルの言葉に、最初、ベラさんは笑みを溢しながら『私の事は、別に気にしないでいい』と言いかけていたけれど。


 アルの真剣な表情に少しだけ、当惑したような表情を浮かべた後で。


 少し、迷ってから……。


「いえ、今は、大体周期が決まっています。

 アタシが能力を使うのは、3ヶ月に1回くらいのペースですかね。

 もしかしたら、今後はどんなに使いたくても使えないこともあるかもしれないし。

 今より、能力を使用する頻度が落ちる可能性は、高いと思います」


 と、声に出して教えてくれた。


 その言葉に、アルが『ふむ、そうか』と言いながら、少し考えるような素振りを見せると。


「そのっ、これ以上は聞かないで貰えると助かります」


 と、はっきりとした口調で、ベラさんからそう言葉が返ってきた。


 3ヶ月に1回、ベラさんがその手で何を凍らせているのか、ということなのだろう。


 ベラさんが凍らせている物が小さい物なら、その反動も少ないかもしれないけれど。


 大きい物になると、それだけ反動も大きくなってしまうだろうし、そこからベラさんの体調の具合を判断するのはどうやっても難しい。


 それでも、ベラさんが詮索しないで欲しいと私達に言っている以上は詳しくは聞けないと思ってしまう。


 アルも、ベラさんの言葉からそう判断してくれたのか。


 ベラさんの意思を優先させて『うむ、分かった』と、ほっぺたを少しだけ膨らませたあとで承諾してから。


 ベラさんの方を見て……。


「だが、ベラよ。必要ならば、いつでも僕かアリスに連絡をしてくるんだぞ」


 と、声をかけてくれた。


 その言葉に驚いた様子で、交互に私達のことを見てくるベラさんに、さっきヒューゴにも伝えたことを話すと。


「そ、そんな……っ、至れり尽くせりのこと、わざわざ、アタシにしてくれなくても……っ」


 と、恐縮しっぱなしの様子だったけれど。


 私は『遠慮せずに、受け取って下さい』と彼女に向かって、半ば強引に声をだした。


 このまま行くと、ベラさんは遠慮するばかりで受け取ってくれないだろうというのは彼女の態度からも明白だったから。


 そうして、暫く経ってから、私達がベラさんのお家から出る際……。


「皇女様、皆さん、折角来てくれたのに、寝てばっかりで、何もお構い出来なくて本当に申し訳ありません。

 ……そうだ、皇女様、ヒューゴが作ってくれたっていう、この黄金の薔薇の薬、一本、持って帰りませんか? アタシは3本もあれば充分すぎるくらいなので」


 と、ベッドから身体を起こし、立ち上がって。


 私達をお見送りしてくれようとしたベラさんからそう言われて、黄金の薔薇から作った薬の入っている瓶を渡された私は。


 驚いて、彼女にそれを返そうとしたけれど。


 ベラさんは、決して受け取ってはくれなかった。


「あのっ、でも、これは……ヒューゴがベラさんに作った薬なので……」


 おろおろとしながら『どうすれば、ベラさんにこの薬を返せるだろう』と、てんやわんやする私に。


「皇女様も、魔女なら、きっと……。

 能力の反動で、血を吐くのに苦しい思いをしてるでしょう?

 今日、アタシがこの薬を使ってみた所、血を吐くのにも本当に苦しさが軽減されたので。

 今、確認したら、瓶、一本分使うにも結構まだまだ沢山あるみたいだし。

 ね……!? 是非、貰って下さいっ! これは、アタシが作ったものじゃないけどっ! ヒューゴ、アンタもそれでいいわよねっ!?」


 と、ベラさんから言い募られて……。


 更に、ヒューゴから。


「……えぇ、皇女様、ベラもそう言ってるし、良かったら受け取って下さい。

 何なら、コイツは、殆どアルフレッド様と、皇女様が作ってくれたような物ですし、結局、皆さんが俺に協力してくださったお礼も碌に出来ていないままですから」


 と、苦笑しながらもそう言われてしまえば。


 受け取らない訳にもいかなくて、私はこくりと頷いて、それを了承したあとで。


「貴重な薬を分けて下さってありがとうございます。……大事に使わせて貰いますね」


 と、微笑んでから、声に出して2人に対してお礼を伝えることにした。


 私達がヒューゴを手伝ったお礼については、ヒューゴがアーサーの情報を教えてくれたことできちんと貰っているけれど。


 それでも、自分たちも大変な筈なのに、こうして私のことも気にして、声をかけてくれている2人の気持ちを無下には出来なくて。


 本当に重要な時に、大事に使わせて貰おうと心に決めて、瓶の中でたぷんと揺れる薬に視線を向けたあとで、ローブのポケットの中へと大切にそれを仕舞う。


「皇太子様、騎士の兄さん、皇女様、アルフレッド様、何から何まで本当にありがとうございました……っ!

 これから、手紙を書かせて貰うこともあると思います。

 そして、アーサーのことを、どうか、宜しくお願いしますっ……!」


 それから、私達は……。


 明るく声をかけてくれたヒューゴと、此方に向かって手を振ってくれるベラさんに見送られて。


 ブランシュ村の近くに停まってくれている馬車へと向かって歩き始めた。



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