私が黙ったまま、2人に視線を向けていたからか。
「……アリス?」
気付いたら。
私の視線を感じ取ったアルが、ベラさんに向けていた視線を外し、此方に向かって首を傾げたのが見えて……。
「ううん、何でもないよ。……ちょっと、考え事をしてて」
と、私は、慌てて取り繕って声に出した。
今、自分が思いついたことを、少なくともこの場でみんなへと伝える事に
それで、『本当にベラさんの事を治せるのかどうかが分からない』からだった。
それに、例え、魔女の能力による反動で消耗してしまった命を元通りに戻す目的とはいえ。
その人の人生を、それこそ
今後の彼女の一生をも左右してしまうような、大変なことだ。
個人を巻き戻すということは、今、この状況においてその人を“若返らせる”ということに他ならない。
私自身はお兄さまに刺されて16歳から過去に戻った時、自分の記憶に関してはしっかりと覚えていたけれど。
それは、私が“時間を操る能力者、本人”だからかもしれないし……。
【もしも、能力を使った後で、その人が生きてきた記憶さえも奪うようなことになってしまったら……?】
今の段階では、個人に対してそれらを使うことで、その反動としてどんなことが起こりうるのか。
全く想像することさえ出来ないというのも、私がここで、みんなにその事を伝えるのを躊躇った要因の一つだった。
当然、誰かの人生がかかっている以上“やってみたはいいけど、結局治せなかった”では、済まない話だし。
その身体に少なくない負担をかけてしまうことにも繋がりかねない物で。
これがどこまでも、慎重にならなければいけない話だということは自分でも理解している。
それに、どちらにせよ、能力をそこまで繊細に操って、コントロールすることが出来ない
――ここで、自分の能力を使ってベラさんの身体を巻き戻すことは、出来ない。
ということは明白だった。
少しでも私が能力のコントロールをミスしてしまえば、ベラさんの身体がどうなってしまうかなんて、分からない。
たった一つでも、力を見誤ってしまったら……。
もしかすると巻き戻しすぎて、それこそ私みたいに、ベラさんが子供の姿になってしまう可能性だってある。
そういう取り返しのつかないことが、万が一にも起こることがないように。
もっと
それこそ、アルが以前、自分の身体で試し打ちをしても良いと言ってくれたように、少なくとも何度か練習する必要があるのだけは確かだった。
あの時は、アルは私の身体のことを思って、一個人への時間の干渉で能力をコントロールするようにと声をかけてくれたけれど。
【もしも、私の能力で、命を消耗してしまった魔女を救えるのだとしたら……】
――それが、
ベラさんの残りの命のことも考えれば。
何に於いても、自分の能力をしっかりとコントロール出来るようになる、ということは急務だと感じてしまう。
だからこそ、今ここで、ヒューゴやベラさんに向かって。
希望を持たせるようなことは、どうしても言えなかった。
もしも、私の思い通りのことが起きなかったとしたら、ただ彼らに『命が助かるかもしれない』と、ぬか喜びをさせてしまうだけになってしまう。
それに、今のままだったら、セオドアやお兄さまからは、私が誰かに対して能力を使うということに反対されてしまう可能性の方が高い。
これから先、能力の練習をする際に、アルにはその辺りのことが出来るかどうか聞くにしても。
今の私には、2人のことをしっかりと説得させられるだけの材料も何もかもが足りていない。
能力を使用して“魔女の消耗に対しても、その命を戻すことが出来ず”ただ悪戯に、私の命だけを消耗させてしまう場合のことも考えると。
私のことを心配した2人から、良い反応が返ってこないであろうということは目に見えていた。
少なくとも『魔女の身体を巻き戻したあと、それに伴って、能力によって消耗した命も元に戻る』のだと、確信に近いような情報が得られて……。
――自分がちゃんと、年数などを決めて、しっかりと思った通りに誰かのことを巻き戻すことが出来るようになるまでは。
この話は2人にはしない方がいい、と思う。
だけど、私以外の魔女に対して。
彼女達の命が削られて、傷ついてしまった状態を元に戻せる可能性が見えてきたのは、ベラさんのことを何とかして助けてあげられないかと考えていた今の私にとっては、思いがけない幸運だった。
【もしかしたら、私の能力でこの世界の時間を変えないまま、能力を使って傷ついてしまった魔女を数年若返らせたあとで……。
古の森に足を運んで、自分のパートナーになる精霊さん達と契約を交わし、能力をコントロール出来るように練習して貰えば。
少なくとも、今よりも寿命が延びて、それで彼女達が救われるような未来があるかもしれない】
だからこそ、この話は慎重に……。
私自身、まだ自分の能力については出来ることや、出来ないことも含めて、完全に把握しきっていないから。
メリットばかりに気を取られて、デメリットがあるかもしれない可能性を決して見逃す訳にはいかないと思ってしまう。
ただ、それまでは……。
今の状況も含めて、私自身がヒューゴやベラさんに何もしてあげられない状態が続くのは分かってる。
その事を歯がゆく思いながらも、ヒューゴがタオルを多めに持ってきてくれたことで。
新しいタオルで、私は、口から垂れて顎の方についてしまったベラさんの血をそっと
――それから、どれくらい経っただろうか……?
アルがベラさんの事を、魔法を使って癒やしてくれている間、ずっと。
ベラさんを心配しながらも、特に、誰も喋ることもなく。
静まり返った室内で、いつしかベラさんは能力を使った反動と、消耗してしまった命のこともあって、疲れが溜まってもいたのか。
私達のことを気にかけながらも、ゆっくりと、身体を休めるために眠りについてしまった。
その様子を見ながら……。
「……皇太子様、さっきは取り乱してすみませんでした。
俺だって、魔女を治すことが出来る根本的な治療法は、この世界のどこにも無いって分かっているんです。
だけど、アルフレッド様っていう、特別な存在が来てくれたことで、ほんの少しでもベラの命が救われるんじゃないかって、夢、見ちまって……っ!」
と、視線はベラさんに向けたまま、ヒューゴがどこまでも気落ちしたように、私達に向かって声を出してくる。
ヒューゴとベラさんの関係は、少ししか2人の関係を見ていない私でも、お互いに大切な人同士なのだと伝わってきているし。
それまで治らないと諦めてきた物に、一瞬でも光が当たってしまったら、そのことに縋りたくもなってしまうだろう。
ヒューゴのその気持ちは、私にも痛いくらいによく分かった。
だけど、その言葉に、何て声をかけたらいいのか分からなくて、私はベラさんの眠るベッド横の椅子に腰を掛けて座ったヒューゴの背中を見ながらも……。
結局、迷った末に『……ヒューゴ』と、小さく彼の名前を呼ぶことしか出来なかった。
「ベラの状態が酷い状態だっていうのは、もうずっと前から……っ、俺もっ、感じてたんですっ。
俺たちと話す時には、ああやって気を張って、普段通り、何でもないことを装っちゃいるが……。
もう、随分前から、食事も喉を通らないような状況があったり、寝ていることが増えて、起きて生活しているような時間も短くなっちまったりで……」
そうして、どうすることも出来ない悔しさを滲ませたヒューゴからそう言われたことで。
能力を使用したベラさんの具合は、目に見えて分かるくらいに、本当に悪化の一途を辿ってしまっているのだということは、私にも伝わってくる。
それと同時に、ヒューゴが真剣にベラさんに向かって『能力を使うのをやめて欲しい』と願っているのだということも。
一方で、ベラさんの気持ちに関しても、ヒューゴの意見と同じくらい。
――もしくはそれ以上に……。
私も魔女であり、同じように能力を使っている身としては、理解出来てしまう。
彼女が心から誰かの為に役に立ちたいと、自身の能力を使っているのだとしたら。
さっきも感じたことだけど、私に彼女の意思を止める権利はどこにもない。
ただ、今のこの状況に対して、ヒューゴの為にもベラさんの為にも何とかしてあげたいという気持ちばかりが湧き出てきて。
今、この瞬間、2人のことを、傍からこうして見ていることしか出来ない自分がもどかしく。
何もしてあげられない、自分の無力さを呪いながら、それでも、何か出来ることは無いかと……。
「ヒューゴ、もし良かったら、これを……」
と……。
そっと、落ち込んで丸まっているその背中に向かって声を出した私は。
今日、ローラが付けてくれた、私の髪を
ハーフアップにしていて纏めていた自分の
「……? っ、皇女様、コイツは一体……っ?」
と、私の対応に、戸惑うように此方を見てくれるヒューゴに向かって。
「今の私達には、ベラさんを救うことは出来ないと思います」
私は真っ直ぐヒューゴを見つめながら、今の自分には出来ない事を偽ることもなく口に出す。
その上で……。
「きっと、今の状態だったら、ベラさんの気持ちを変えることは難しいと思います。
その……っ、それでも、もしも万が一、ベラさんの気持ちが変わるようなことがあって、アルや私を頼りたいと思うことがあったとしたら、
私の髪留めは売ったら、そこそこの値段になるはずなので……」
と、ヒューゴに私の髪留めを渡した理由についてしっかりと説明する。
この髪留めは、お父様に我が儘を言って買って貰った宝石などをローラと一緒に売った中には
それでも、人の命と比べれば重要な物でも何でもない。
【どれくらいの価値があるかは分からないけれど、2人が私達を頼って馬車に乗り、ブランシュ村から皇宮に来ることが出来るだけの資金は、これで賄えるはず……】
アルには全く何も相談せずに、私の独断で伝えたことではあったけど。
きっと、アルなら、私と一緒で……。
ベラさんの為に『自分に出来ることなら何かしてあげたい』という気持ちを持ってくれているだろうから。
2人が頼ってきてくれたら、魔法を使ってベラさんの事を癒やしてくれるはず。
私が、どこまでも真剣な表情を浮かべていることに気付いたヒューゴが……。
「け、けど……皇女様、これは……っ! そ、そこまでしてもらう訳にはっ!」
と、戸惑いながらも。
受け取るのを拒否するように、私に髪留めを返してこようとしてきて、私はその対応にふるりと首を横に振ったあとで。
「いいんです。……どうか、受け取って下さい」
と、その瞳にしっかりと目を合わせてから声を出した。
【今は、こうやって、些細な事しかできないけれど……。
それでも緊急時に使うには、この髪留めがお金になって2人の役に立つことがあるかもしれない】
ほんの少しでも、2人の役に立ちたいと、真っ直ぐな私の気持ちや思いを察してくれたのか、困惑したような様子だったヒューゴが一瞬だけ『……っ』と、言葉に詰まりながらも。
「……めっ、面目ねぇ……、有り難く頂戴します」
と、声を震わせながらも、私の髪留めを、ちゃんとその手に受け取ってくれた。
「皇宮に来て、ヒューゴとベラさんがその名前を出してくれれば、いつでも、私とは面会出来るようにしておきます。
それと……、あまり良い
私もベラさんを治す方法がどこかに無いか、皇宮にある図書館なども利用したりして、その可能性については出来るだけ探そうと思っています。
ここの住所が分かっていれば、手紙でお互いに遣り取りも出来ますし、ヒューゴも良ければ何かあった際には、遠慮せずに
そのっ、私に思いつくことで、今は、現状、こんなことしか出来なくて本当に申し訳ないのですが……」
そうして、今パッと思いつく限りで自分に出来る事を伝えたものの。
本当にそのどれもが微力なものでしかなく、それくらいしかしてあげられないと、ほんの少し俯いたあとで、ヒューゴに向かって落ち込みながら声を出す私に……。
「と、とんでもねぇっ……! ……っ、皇女様、本当にありがとうございます……!
本来なら、黄金の薔薇探しや薬作りだけでも、皆さんにはあり得ないくらいのご恩があるのにっ!
何もお返し出来ねぇばかりか、ただの一般庶民である俺等の為にそこまで心を砕いて頂けるなんて……っ!」
と、ヒューゴが言葉を返してくれた。
顔を上げて、ヒューゴの方を見れば、少しだけ涙ぐんだ様子でそう言ってくれることに胸が痛くなる。
ヒューゴに今、伝えた通り……。
何か魔女のことで分かることが無いか、お父様に聞いたり、皇宮で魔女の根本的な治療法を探しつつ、私の能力が彼女達に有効なのかどうかも調べながら、精密にコントロール出来るようになるまで。
――なんとしてでもベラさんが生きているうちに、なるべく急いで、練習をしなければいけないだろう。
それで、もしも、個人を巻き戻すした後に副反応なども出ることがなく、何も問題が無いのだとしたら。
また再びこの場所に来て、
外出許可を取るために、お父様と、お兄さまを説得しなければいけないとは思うけれど、そこは一生懸命お願いするしかない。
それに、もし私の能力が命を消耗してしまった魔女に対して有効なのだとしたら……。
今はベラさんとしか知り合っていないけれど。
他にも苦しんでいるかもしれない魔女のことも、救ってあげられるかもしれない。
頭の中で、今後の方針と決意を固めて……。
――必ずまた、この場所に戻ってこれるようにと。
【どうか、私の能力が苦しんでいる魔女達に効果がありますように……】
と、願いを込めた後で、私は前を向いた。