まるで、あり得ない状況が起きていることに思わず目を大きく見開いた。
今まで、生きてきた中で、一度も自分が出会ったことのない分類の人間が……。
――
かばう様に俺の腹に落ちてきたその存在は、ともすれば、熊の攻撃を一番にその身に受けてしまい。
重傷……。
下手したら死んでしまうような怪我を負ってしまうというのは、どう考えても明白で。
幸い、奇跡的にも振り落とされた熊の前足は俺にも、目の前の小さなガキにも当たるようなことは無かったが。
それでも、今起こったことが何一つ信じられなくて、俺は呆然としながら、この国の皇女へと食い入るような視線を向けた。
【俺は、何度もコイツにナイフを向けて、仕舞いには誘拐まで企んでいたんだぞ……っ!】
仮に俺自身が皇女に対して、今までに、何か特別な恩を売るようなことをしていたとしてもだ。
それでも、本当に危険な時、咄嗟に自分の身を挺してまで、人のことを助けることの出来る人間が、どれ程この世の中に存在するだろうか。
――自分が、死んでしまう可能性の方が圧倒的に大きかったはずだ。
俺みたいに身体も鍛えて健康で丈夫な大人でも、熊の一撃を浴びせられたら瀕死の重傷を負ったって可笑しくないってのに。
まだ、身体もしっかりと出来ていない、コイツくらいの小ささだったなら……。
もしも、熊の攻撃が直撃していたのだとしたら、それだけで、大変なことになっていただろう。
持病が悪化したのか、それとも、体力自体が本来そこまで無い人間で、走ったりすると発作のような物が出てしまうのかは分からないが。
恐らく何かしらの病気を抱えているのだろう……。
気付けば目の前で、血を吐いて、苦しみだした目の前の皇女に。
「……んで、っ……なんで、俺を助けたんだっ……? 可笑しい、だろう?
お前は、ただの偽善者のはずでっ……、本当なら一番に逃げる様な奴のはずで……。
そうじゃなきゃ……っ、俺は、っ……俺は……っ!」
と、まるで、全く現実味が無くて。
目の前の存在が、自分の身を犠牲にしてまで、俺を守ったことを、認めてしまったら。
偽善者だと思い込んでいた目の前の存在が、無償で俺を助けたという事実に。
俺が今までしてきたことが、突然、より悪い物であるかのように感じられてしまって。
【……まだ違う】
――この行動には、何か、裏があるんじゃないか
と、俺は、悪足掻きをするように、内心で、そうなのだと思い込もうとしていた。
だけど、苦しそうに荒い息を溢しながら、額に汗を滲ませながらも、皇女が俺を見て、一番最初に声を出したことは。
「……良かった、どこも、怪我して、なかったんですね……」
という、どこまでも、俺のことを心配するような物で……。
【違う、だろう……。そうじゃない、だろうが……っ!
どうして、俺を責めない……? なんで、もっと……っ!】
と、呆然とする俺を余所に、気付けば、苦しそうに倒れて意識を失ったその姿が、どうしても俺の脳裏にこびり付くように、焼き付いて離れなかった。
――それから、どうしていたのか、俺にもよく分からない。
状況を見て、熊を怒らせたことと、皇女に向かって刃物を投げたことで。
怒ったのだと、思う。
一発、思いっきり皇太子と皇女の護衛だったノクスの民に殴られて……。
ぶっ飛んだ俺は、馬乗りになって、無表情で此方を殴ってこようとした男の姿に『……嗚呼。……俺はここで死ぬのかもしれない』と、恐怖を覚えながら、反射的に身構えたが……。
2度目の拳は、俺に直撃することなく、俺の顔の横、擦れ擦れの所を通過して思いっきり鈍い音を奏でながら、地面を殴っていた。
この男が、皇女と皇太子の護衛に付いている以上。
俺がやったことを考えると、憲兵に引き渡されるよりも前にここで斬りかかられてしまっても、悪いのは当然俺で、何一つ文句は言えなかっただろう。
【……どうせ、この身は死罪になってしまうんだ】
頭の中で、あれほどイキがっていたくせに。
いざ、明確に死というものに直面したら、
俺は今も尚、震えている身体を咄嗟に両手で押さえつけながら、身をもって感じていた。
それも、このノクスの民である護衛が、俺を見逃して薄皮一枚の所で俺の命が助かったのは……。
決して、俺の事を考えたからという訳ではなく、『テメェみたいな屑でも救おうとした、姫さんの気持ちを無下にしたくはねぇからなっ!』と、本人からも言われたように、皇女の人徳のお蔭だったのだろう。
【図らずも、俺は、ここでも、皇女に助けられたってことなんだろう】
――それから、周囲がバタバタと、その場の事後処理をしている中。
騎士から殴られた痛みが酷くて、直ぐには起き上がれないというのは勿論、あったが……。
俺は殆ど、放心状態だったと思う。
今まで、自分が仕出かしてきたことも含めて過去を思い出せば。
強さに溺れて、周囲に横柄に当たり散らし、どれ程、自分が最低なことをしてきたのかという後悔が、ここに来てじわり、じわりと、まるで
……それは。
多分、誰かに普通に首を締められるよりも、もっとずっと、長いこと、俺の中に残っていたほんの小しの良心というものを、
今まで、犯してきた事が大きい程に、俺をギリギリと苦しめるようなものだった。
――ずっと、力だけが全てだと思っていた
今まで、暴力で大抵のことは何でも解決出来た。
誰よりも強ければ、誰にも邪魔されることなどなく。
誰も俺に逆らうことが出来ない、と……。
ずっと、そう思ってきたのに……。
ともすれば、どこまでも柔らかく、握りつぶせば儚くぼろぼろと崩れ落ちてしまうような。
そんな脆いはずの存在が。
【けれど、決して折れるようなこともなく。
“力”や“暴力”という物とは対極にあるにも関わらず、どこまでもしなやかで本当の意味で強いのだと……】
――そんな風に思わせてくるような、錯覚さえ覚えさせる。
それから。
冒険者のうちの1人が俺に声をかけてきたことで、その肩を貸してもらって、何とか6つ目の洞窟小屋に戻った俺は。
惨めにも、結局、自分独りでは何一つまともに、出来ていないことに気付く。
こうして、嫌そうにしながらも肩を貸してくれる冒険者がいなかったら、ここまで戻って来ることも出来なかっただろう。
……皇女が俺を守ってくれていなかったら、俺は熊にも、皇女の護衛にも。
きっと、あっさりと見放されていた筈だ。
『誰も俺を助けようなんざ、思わなかっただろう……』ということは自分が一番良く分かっていた。
【俺に肩を貸した冒険者に対しても、俺は何度も横柄に振る舞ってきたんだ……】
誰も、何も言わないが、迷惑そうにしながらも。
それでも、皇女が俺を助けてくれたことで。
こうして、俺の事を見捨てることもなく助けるために力を貸してくれているような現状に、俺は、初めて、有り難みというものを感じていた。
――もしも、これが逆の立場だったなら
今までの俺だったら、きっとその場に放置して、誰であろうが見捨てていた筈だ。
自分が助かることだけを優先して、こんな風に誰かを助けようなんてことすら、思いもしなかっただろう。
俺が、6つ目の洞窟小屋に戻った後は、騎士も、皇太子も、茶髪のあの子供も。
皇女の為に、直ぐに宿泊施設の方へと引っ込んでいった。
俺には、冒険者の一人が見張るような感じで付くことになったが。
あんなことがあった後では、今までのように、もう、『自分の力を誇示しよう』だとか、あの騎士への一方的な嫌悪感や、自分の私利私欲の為だけに、皇女を誘拐しようと思ったことなど。
――そういった、気持ちはどこまでも薄れていた。
「……っ、リーダーっ……!」
俺が騎士に殴られた痛みを抱えながらも、その場にしゃがみ込めば。
俺を見つけたサムが此方へと駆け寄ってきた。
「……んだ、よ……? 何か、文句でもあるのかっ……? どうせ、お前も……っ!」
【どうせ、お前も、……内心では、この状況にざまぁみろとでも思っているんだろうっ?】
皇女の病気のことは伏せながらだが。
俺が熊を怒らせて、全体を危険な目に晒しちまった所為で、あのノクスの民の騎士に殴られたということは。
俺が怪我をしている状況からも不自然に思われてしまっていたし、既にこの場にいる殆どの人間には広まっていた。
当然、サムだって、その事は分かってこうして俺に話しかけてきているはずだ。
今まで、自分の腕っ節だけで、周囲をコントロールしてきたせいで。
俺たちは、圧倒的な上下関係というもので、成り立っていて。
そこに信頼関係などがある訳じゃない。
【暴力で周りを支配することで、ずっと、そうやって、生きていたんだ】
特に、コイツのことは、使いっぱしりにしていたし、コイツだって俺の事を内心では嫌っていたはずだ。
今さら、どう言えばいいのか分からずに、憎まれ口を叩くしか出来なかった俺は。
――唇を尖らせながら、どこまでも棘のある鋭い視線をサムに向ける。
今の自分に出来る、精一杯の虚勢だった。
だが、いつもなら、その視線を浴びせられただけで、怯えたように
どこまでも弱いと感じていたはずの目の前の男は、その場にしっかりと立ったまま、俺を真っ直ぐに見つめた後で。
「その、信じられないかもしれませんが、リーダーが、熊にやられてなくて良かったと、俺は思ってます……。
あ、あの……それと、皇女様は一体、何があったんでしょうか……?」
と、声をかけてきた。
あれだけ、こき使って、同じ人間とも思えないようなゴミ屑を見るような目で今までコイツに接してきたんだ。
後ろの言葉が聞きたかっただけの可能性は、充分、ある。
そのついでに、俺の心配をしただけだとも、思う。
――でも、今は、その、人の優しさが胸に染みるほどに確かな痛みとなって、俺の心を抉ってきた。
【……畜生……っ! ……皇女も、コイツも、どこまでも善人ぶりやがってっ……】
お前っ、今まで俺に、どれだけの扱いをされてきたと思ってるんだ。
どいつもこいつも、なんでそんなにも、いっそ眩しいくらいにキラキラと輝きを放ちながら、真っ直ぐに、俺の事を見てくるんだよっ……!
「……っ、俺が、そんなこと知るかよっ。
お前なら、分かってるだろうが、皇女は持病が悪化したのか発作を起こしてんだよ」
――だから、詳しいことは、俺に聞くんじゃねぇ、と。
また、咄嗟に息を吐くように悪態をついてしまって、『皇女のことについては何も言うな』と冒険者ギルドの職員から厳命されていたにも関わらず。
声を出した俺は“しまった”と内心で思いながらも慌てて口を噤んだ。
救いようのない、罪悪感だけが頭の中を支配してくる。
それでも、一度、口から出てしまった言葉は決して、取り消すことが出来ず。
俺の言葉に、サムが、驚いたような表情を浮かべて慌てたように声を出してくる。
「……っ、こ、皇女様の身体は、大丈夫なんですか……?」
【そんなことを言われても、本当は、俺だって知りたいくらいなんだ……っ!】
俺が内心でそう、思っていたら、気付けば俺のパーティーにいた冒険者が2人、俺たちの方へと近寄ってきていた。
コイツらも、内心では俺の事を嫌っていた筈なのに。
口々に、『……っ、リーダー』と俺を呼んで、心配そうな視線と素振りを見せてきた。
その事にどうしようもないほどに、胸が痛くなってくる。
それから、俺たちが皇女について話していたことが、いつのまにか俺を見張るようについていた冒険者の一人からギルド職員に伝わったのだろう。
サムと、冒険者の2人組には、今、話を聞いたことは決して口外することのないようにと、職員が伝えてから。
更に俺の方を見て。
「全くお前は本当に碌なことをしないなっ……!
この国の出身じゃないお前には分からないかもしれないが、皇女様が身体が弱いというのは決して表には出ていない情報だ。
それ以上、広めてしまえば、お前の罪に対する罰は大きくなるだけだぞ」
と、咎めるように、キツイ口調で伝えてきた。
――んなもん、俺だって分かってんだよ。
例え、シュタインベルクの出身じゃ無かったとしても。
その情報を例え偶然知ったのだとしても、それを外部に漏らしちまえば、どこの国でも罪になることはある。
そんなことは重々承知だった。
だけど、どうしても素直になれずに、口を開けば悪態をついちまうから、俺は無言で黙ることしか出来ない。
直ぐに直ぐは、自分の性格など、変えられるような物じゃないと、今になって痛感する。
「……あ、あの……、皇女様の体調は大丈夫なんでしょうか?」
そうして、サムがギルドの職員に話しかければ。
「いや、なるべくその症状は他人には見せられない物だろうし、現状、俺にも詳しいことは分からない状態だ。
皇女様の命が奪われてしまわぬように、今は祈ることくらいしか出来ない」
と、心配したような表情をしながらも、ギルドの職員からはっきりと言葉が返ってくる。
その言葉を聞いて、サムが……。
「……っ、その、今日は無理かもしれませんが。
俺たち、改めて、皆さんが帰って来た時に皇女様や皇太子様達に謝ろうって決めてたんです。
だから、明日の朝、皇女様を訪ねることの許可を出して貰えないでしょうか?」
と、芯の籠もったような視線で。
ギルドの職員に皇女に謝罪する機会を取り計らって貰えないかと声を出してきた。
「……っ、!」
瞬間、小さく息を呑んだのは……。
俺も、
皇女の身体のことに対しても、内心、気になってはいたし。
――あんなに身を挺して守って貰ったにも関わらず
俺はまだ、一度も、
そのことが、どうしようもなく、自分のことを責め立てる材料になっていた。
周囲がサムの言葉に頷きながら、真剣な表情を浮かべるのを見て。
冒険者ギルドの職員は、朝早くに皇太子達の元へと訪ねるということに、ほんの少し難しい表情を浮かべながら、躊躇った様子だったが……。
サムや、他の連中の……。
「お願いしますっ!
俺たちが今回仕出かしてしまったことについて、どうしても謝りに行きたいんですっ!」
という熱意に押されて、『どうなるか、分からないが訪ねるだけなら……』と、許可を出していた。
そのまま、誰も言葉を出すことなく、
今さら何を言っているんだ、と思われるかもしれないが……。
それでも。
「……っ、オイ……っ! お、おれ……っ! ……おれ、もっ……!」
と、今しか、言葉を出すタイミングが無くて……。
思わず上擦ったような声になっちまったが。
俺が、声を出したことで、この場にいる全員が、一斉に俺の方を見てくる。
一体どうした、と言わんばかりのその視線は、俺が皇女に謝りたいと思っているなんざ、欠片も思っていないようなもので。
思わずたじろいでしまいそうになったが、この機会を逃してしまったら、俺は皇女に謝ることすら、もう二度と出来なくなってしまうだろう。
内心で、そう思いながら……。
「俺も、……謝罪に、行きてぇ……と思っているから、そこに参加させて、欲しい……」
と、声を出して、真っ直ぐにこの場にいる全員へと視線を向ければ。
驚いたような表情をしながらも。
冒険者ギルドの職員は
「……行くだけなら、許可してやろう。
だが、お前の仕出かしたことを考えると会って貰えるとは思わない方がいい」
と、俺に向かって声を出してきて、俺はその言葉にしっかりと頷いた。
――それから……。
次の日を迎えて、俺たちは全員で皇女や皇太子達に謝罪に行くことになった
人になんざ、かれこれ何年もずっと、本心から謝るようなこともしてこなかった俺は。
朝から、あり得ない程に自分の鼓動が早くなり、緊張していたと思う。
一番最初に対応に出てきたのは皇太子で。
俺の顔を見た瞬間、眉を寄せ、無表情とも思われるような整った顔が不快な表情を見せて、険しい物へと変わっていく。
「……一体、何をしに来た?」
自分の妹が傷つけられて、怒っているのだというというのは明白で。
俺も含めて、全員が謝罪し、皇女に取り次いで欲しいと、冒険者ギルドの職員や、サムが事情を説明しても。
「アリスは、命には別状がなかったが、体調を崩して今もまだ、ベッドで休んでいなければいけない状態だ。お前達に会わせるつもりなどない」
と、此方が謝罪したいという気持ちを、鋭い視線を向けながら断固拒否するような姿勢で断ってくる。
その態度は一貫していて。
朝早くに一体どうしたのかと、続々と部屋から出てきて此方に向かってやってきた騎士も、あの茶髪の子供も、ヒューゴもまた同様だった。
「オイ、
そうして、誰も彼もが不愉快な表情を浮かべながら、特に俺に対する視線は、当たり前だが警戒心が剥き出しの険しい状態のままで。
それでも、どうしても謝りたい気持ちが抑えきれずに……。
「俺は……っ、俺にもっ、謝らせて欲しい……。皇女、さまに、助けて貰ったことも、まだ……っ」
「そう言って、またアリスにナイフでも向けるのか……っ! お前が何をしたか、今一度考えて見ろっ!」
という、強い拒絶の言葉が皇太子から降ってくる。
どうにもならないのだという現状だけが強く頭の中を支配して、諦めかけようとした時だった。
「セオドア、……お兄さま……?」
その瞬間、ふわり、と柔らかな声が別口から、かかってきて。
見れば、皇女がひょっこりと、扉の奥から顔だけ出して、一体何があったのかと、不思議そうな表情をしながら此方を見てくるのが確認出来た。
その場の全員の視線が目の前の少女に向いて。
俺は、弾けるように顔を上げ、皇女の方へと真っ直ぐに視線を向ける。
皇太子が本当ならベッドから出るようなことも出来ないほどだと言っていたように。
皇女自身、気付いていないのかもしれないが、顔色の状態はどこまでも青白く、血の気が
本人は大丈夫だとふわりと此方に向かって笑いかけてくるが、その笑みも儚いもので、とても健康とは言い切れない状況だった。
にも関わらず、俺の身体のことを心配してくる皇女は、あり得ない程のお人好しなのだろう。
「……っ!」
思わず息を呑みながらも、サムが皇女に謝罪をしたことで、本来の目的を思い出してハッとした俺は。
今を逃したら、一生、謝れないような気がして、慌てて、自分も皇女に謝罪をした。
それなのに、目の前にいる皇女は俺を見ても。
わざわざそんなことを言いに来たのか、と俺たちに伝えて来たあとで、『本当に気にしていませんし、謝罪してくれてありがとうございます』と、此方に向かって言ってくる始末だった。
――これには、思わず、有り得なさ過ぎて、ただ、ひたすらに戸惑ってしまった。
俺にされたことも、自分の身が危険に晒されたことを思えば、内心では怒っていても当然のことで。
迷惑をかけたことを許して貰おうなんて、欠片も思っていなかったし、こうして普通に会って貰えていること自体が奇跡みたいなものなのに。
その態度が、演技や嘘だといわれた方がまだしっくりくるが……。
「……っ! 本当に何も思わねぇのかよっ!
俺は、お前にナイフを向けて明確に攻撃したしっ! 何なら誘拐まで企んでたんだぞっ!」
と、吠えるように声をあげる俺のことを。
皇女は、『どうして、言ったんですか。……言わなかったら、その罪は免れたのに……っ』と、本気で心配してくるような有様だった。
目の前で、俺に向かって言葉を出す皇女の雰囲気は、本当にまるで
こんな人間が、この世の中に本当に存在するのかと、思ってしまうくらいに。
皇女の雰囲気はどこまでも柔らかで、いっそ、違うベクトルに振り切っているとも思えるくらい、優しくて善良なものでしかない。
【どう考えても、あり得ないだろう……!
一体、今までどんな生活を送ってきたら、こんな
皇女が善人で、善良であるほどに、それと同時に湧き上がってくる罪悪感は凄まじく。
まるで、責めたてるように、俺の内心をジクジクと痛めつけてくる。
最早、
俺はひたすら、謝罪を繰り返した。
だけど、一度受けて、もうそれ以上はないだろうと思っていたような衝撃は一度ならず、二度も、三度もやってきた。
俺の事を
それだけのことを犯してしまったのだという自覚は持っていた。
だから、覚悟ならしていたつもりだったし。
『そうなるだろうな』って事は、昨日、あれからサム達と別れたあと。
1人になってからも、皇女に謝罪した後は、自分の罪に対する罰が、例えどんなものであろうとも受け入れるつもりでいたということは確かだった……。
だが、それでも一度脳裏にこびりついてしまった『死への恐怖』というものは、そう簡単に無くなるような物じゃない。
一瞬だけ、自分の犯した罪に対する罰への恐怖に震えたが……。
それでも、その全てを、仕方が無いのだと、その状況を受け入れる覚悟を決めていた。
……なのに。
まるで、
「彼らが本当に後悔しているのだとしたら、私への罪は
皇女は……。
……っ、皇女様は……っ!
俺を許す為の許可と、
「本来なら、罪に対する罰はきちんと償わなければいけません。
……私が今、あなたのことを許したのは、これから先、罪を後悔して、しっかりと前を向いて歩いていける人だと思ったからです。
だから、どうか、自分が犯してしまったことも含めて、今日、ここで、反省したことを決して忘れないで下さい」
……と。
俺に向かって、そう、声をかけてくれた……。
――その、全てが、ただ、信じられなかった……。
俺は本来なら、それだけの罪を犯して、正当に裁かれなければいけないはずだったんだ。
それを、俺からあんなことをされた張本人が、ただの善意だけで……。
俺に、もう一度、真っ当に生きるようなチャンスを与えてくれている。
【嗚呼……。
俺の目の前にいるのは、本当に、俺と同じ人間なんだろうか……?】
――別の生き物なのだと言われても、今ならその言葉を決して疑うことすらしなかっただろう。
現実とはかけ離れたような、どこか生きている生身の人間とは思えないようなその姿に。
どうやったら、こんなにも慈悲深くただ、他人のことだけを思えるような存在が生まれてくるのだろうと、内心で思いながらも。
今まで、ただ力だけが全てだと思いながら、荒んだ生活をしてきたことも。
周囲に対して、自分勝手に振る舞ってきたことも。
自分が犯してきた罪さえも、その全てが、まるで、優しく
ゆっくりと、洗い流されていっていっているようなそんな感覚に。
がしゃがしゃと、強固で雁字搦めに絡みまくった鎖のようなものが、どうしようもないほどにふわっと
俺は、皇女様のお蔭で、生まれて初めて……。
誰かを痛めつけるようなこともなく、生まれ持って恵まれた自分の体格を活かしながら。
この助けられた命をこれから先、決して無駄に使うことなく。
今までの自分の行動を本当に心から悔い改めて……。
今後、真っ当に生きることに全力を注ごうと思えることが出来た。