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第239話【セオドアSide】



 意識はあるのに、身体が動けなくなっていく。


 それだけじゃない、周囲の景色が色褪せたセピア色に変わって……。


 可笑しな感覚が自分のことを襲っていく。


 この感覚には覚えがある。


 もう、何度も体感したその経験に、俺は俺の手を振り切って、アンドリューの方へと駆けだしていった姫さんの方をただ見ていることしか出来ない。


 だが、いつもと違って。


 次の瞬間には、可笑しいはずのそれは……。


 巻き戻ることもせずに、誰も彼もがして。


 俺とアルフレッド、それからもしかしたら皇太子も該当するかもしれねぇが、それ以外は、恐らくこの状況を認識すらも出来ない状態になっている中で……。


 が、停止したこの世界でただ1人、動いていることに。


【……どういうことだ……?】


 と、目の前でごぼっと、血を吐く姫さんに駆け寄ってやることすら出来ずに、俺は動かせない自分の身体の代わりに『この状況は一体なんなのか』と、思考を働かせる。


 それから姫さんが、自分が血を吐いたことも、能力の反動で辛い状況になっているであろう自分の身体のことも後回しにして。


 慌てたように、あの冒険者……。


 アンドリューを精一杯、熊の攻撃が降りてこない場所まで、その身体を押して転がすのが見えた。


 ――その瞬間


 色褪せたような風景が、再び色鮮やかな物へと戻っていく。


「……っっ!」


 それと同時に、まるで金縛りにでもあったかのように動けなかった身体の緊張がけて。


 自由に動けるようになった俺は、アンドリューの身体の上に思いっきり転んで倒れた姫さんの方へと駆け寄っていく。


 刹那、姫さんがアンドリューの腹の上で、堪えきれずに、ぼたぼたと血を吐くのが目に入った。


【……ッ!】


 ――どう考えても、いつもよりも明らかに、血を吐く量が多い。


 『姫さんっ!』と、慌てたようにその名前を呼べば、此方を見ようとしようとしたのだろう。


 顔を上げようとした姫さんの瞳は、けれど、どこにも焦点があっておらず、虚空こくうを見つめていて。


「……ぅっ、はっ、ぁ……っ」


 それから直ぐに。


 能力を使用したことによって、身体にかかる負荷が大きかったのか、身体全体で苦しそうに荒い息をこぼしながら……。


 胸を押さえて、アンドリューの腹の上で、その場にただ、辛そうにうずくまったのが俺から確認出来て、思わず心配から表情が引きってしまう。


 ――いつも、能力を使用する時とは、体調の度合いが明らかに違う。


 1日に、も能力を使ったからか……?


 それとも、いつものように“巻き戻す”という能力では無く。


 今回の能力が、が故のことなのか……?


 俺には、今ここで、姫さんが苦しそうにしている理由については、能力を使ったからだと判断することが出来ても。


 能力を使った後の反動が、姫さんの身体に一体どれ程の悪影響を及ぼして、どれくらいの範囲に及ぶものなのか、直ぐには判別することが出来なくて……。


 そのことに、酷くもどかしいような思いを感じながらも……。


「……っ、姫さんっ! 大丈夫かっ!? どこが苦しいっ!?」


 と、声をかければ。


 姫さんは、俺の言葉に反応を返すことすら出来ない状況で……。


 ――今すぐに


 思わず、その身体を抱えて、衝動に駆られて、俺がその身体に手を伸ばした所で……。


「……っ、セオドア、すまないっ! 少し離れてくれっ!

 アリスっ! 僕の手が見えるか……? 今、何本に見えるっ!?」


 というアルフレッドからの言葉がかかって、その手を引っ込めた。


 アルフレッドが姫さんの顔を起こすようにしながら、目の前で一本指を左右に動かすと。


 虚空を見つめていて、焦点の合っていなかった姫さんの瞳が……。


 次第にアルフレッドの指の方を、しっかりと捉えるのが俺からも確認出来る。


「……っ、ごめっ、だいじょ、う……いっぽん、ちゃんと、みえてるよ……」


 そうして、口元を緩めて笑みを溢しながら、姫さんが声を出したことで。


 一先ずは、ちゃんとその瞳がアルフレッドの方を見てくれるようになったことに安堵しながら……。


 内心で焦っていた自分の気持ちを、ほんの少しクールダウンさせたあとで。


 こうして、姫さんに向かって、アルフレッドが色々としてくれている間にも、己の無力さに、思わず強く自分の拳を握りしめる。


「……んで、っ……なんで、俺を助けたんだっ……? 可笑しい、だろう、?

 お前は、ただの偽善者の筈でっ……、本当なら一番に逃げる様な奴の筈でっ……。

 そうじゃなきゃ……っ、俺は、っ……俺は……っ!」


 それから、その場で今の状況に呆然としながらも。


 姫さんに向かって声を出してくる、今の今まですっかりその存在自体、頭の中から消し去っていた男を視界に捉えた俺は……。


 どうしても、殺伐としたような鋭い視線を向けるのを抑えられず。


【……お前の所為で、姫さんがこうなってんだろうが……っ!】


 と、なじりたい気持ちで、瞬間的に沸騰したような怒りが湧き上がってくる。


 偽善者、だとか……。


 一番に逃げるような奴、だとか……。


 この状況で、一体、何を言っているのか、全く分からねぇがっ……!


 さっき、コイツが明らかにのは明白なんだ。


 それに、姫さんと再会した時には気になっていたが、能力を使用したであろう姫さんの体調の方を優先して心配するだけに留めていたが。


 ぐったりした様子の姫さんの頬には、今も、明らかにような傷がある。


 サバイバルナイフを持っていたコイツのことを思うと、何があったかまでは正確に推し量ることは出来ねぇが、姫さんを傷つけたのはこの男だろう。


 それだけじゃ飽き足らず、再び攻撃してきたと見るのが妥当だ。


 ――


 と、いう遣りきれないような思いが頭の中を支配して。


【いつまで、戯言ざれごとみてぇなことを言ってやがるっ……!】


 と、非難するような、声を出しかけた所で……。


「……良かった、どこも、怪我して、なかったんです、ね……」


 と……。


 目の前で姫さんが、アンドリューに向かって本当に安心したかのように。


 ふわっと、笑みを溢したから……。


 このまま放っておいたら、つらつらと、ありったけこの男に向かって、汚い言葉で罵っていたであろうこの口を閉じて。


 咄嗟に、ぎゅっと、我慢して、その言葉を引っ込めた俺は……。


「……っっ、! 姫さんっ!」


 そのまま、ふらっと、身体の力を失ったかのように……。


 前に向かって倒れる姫さんの身体を、後ろから手を伸ばして、咄嗟にその腕を掴むと自分の方へと引き寄せた。



 ――それから、どれくらい経っただろうか


 誰も何も、言葉を発さないシーンと静まり返った中で。


 そのまま俺は姫さんを抱きしめて抱え上げ、アンドリューこの屑から離した後で、姫さんの身体を地面にそっと横たわらせてから、アルフレッドに預けた。


 阿吽の呼吸で、アルフレッドが姫さんを診てくれて、そのお腹にそっと自分の手を置いて癒やし始めたのを確認しながら……。


 俺は、呆然としたまま、ブツブツとまだ何かを言っている様子のアンドリューに向かってビリビリとした殺気を向けた後で……。


 その胸ぐらを掴み、上半身を無理やり起こしてから、


「……ぐっ、! ……か、はっ……!」


 バキっという音がして、その頬を殴られたアンドリューが。


 また、地面に倒れた後で、俺に殴られた痛みに耐えきれず、その口から唾液が飛ぶのを冷酷に見下ろしながら……。


 馬乗りになって、もう一度、大きく拳を振り上げ、殺気を纏って、無表情のまま拳を振るおうとすれば。


「……っ、ひっ……ぅっ、!」


 アンドリューが、まるで化け物でも見たかのように怯えたような表情を浮かべてくることにも構わず、俺はそのまま、思いっきり拳を振り落とす。


「……ッッ!」


 ドン、という鈍い音がその場に響き渡る。


 ――俺の振り落とした拳は、アンドリューの頬、擦れ擦れの地面を思いっきり叩いていた。


「……本当は、これでもまだ足りねぇし、再起不能なまでに痛めつけてやりてぇが……っ。

 テメェみたいな屑でも救おうとした、からなっ、!

 最初の一発で、勘弁しといてやるっ……!」


 俺の何処までも凍てつくような冷たい視線に対して、アンドリューがびくり、とその身体を恐怖に震わせるのが分かる。


 今は、この怒りをクールダウンさせることも出来ずに、頭に血が上っていて、どうにもならねぇ。


 それでも、アンドリューを力任せに殴るんじゃなくて。


 最初の一発で、口の中はちょっと切れたかもしれねぇが、きちんと人としての尊厳が失われることのないように手加減出来たのは、これでもまだ、優しい方だ。


「……オイっ! 一体、どうなっているっ!? 今、何が起きたんだっ!? アリスは無事なのかっ!?」


 それから、俺と同じで姫さんの方に駆け寄ってきていたのだろう。


 姫さんしか、目に入っていなかったら、周囲にいる人間がどんな動きをしていたのか全く把握しきれていなかったが。


 かなり近くにいた皇太子から声がかかって、俺はゆらりと、其方へと視線を向ける。


 そこで、初めて、周囲の今の状況を正しく認識したが。


 突然倒れた姫さんのことを心配しながらも、周囲は、俺の殺気にあてられたように、俺が視線を向けるだけで、ごくり、と表情を強ばらせて喉を鳴らしてやがるし。


 姫さんのことを心配するように熊が一匹、俺にまとわり付いて離れない状態だった。


 周囲の熊たちも、アンドリューに対しては怒りの表情を向けてはいたものの。


 姫さんが文字通り、その身をていしてまで守ったことで、その怒りも鳴りを潜めて、もう此方を攻撃をしてくるようなことは無いような雰囲気だった。


 この状況で、苛立っている俺に向かって話しかける余裕があるのは、アルフレッドか皇太子くらいのものだろう。


「セオドア」


 ずっと、姫さんの身体を癒やしてくれていたアルフレッドに名前を呼ばれて、俺は其方へと視線を向ける。


 それだけで、お互いに、何も言わなくても、今、自分たちが何をすればいいのかは阿吽の呼吸で通じあう。


 アルフレッドの案内が無ければ、入り組んだ洞窟内で6つ目の洞窟小屋に戻れるだけの力は、ここにいる殆どの人間が持っていないだろう。


 だけど、此処に来るまでの道のりは、アルフレッドに一度案内されたことで、俺は覚えている。


 コイツらを全員この場に置いて、俺だけ姫さんを洞窟小屋に連れて帰るようなことは出来なくもないが。


 その場合、結局、洞窟小屋に姫さんを連れて帰っても、アルフレッドがいなければ、そもそも姫さんの身体を癒やしてやることが出来ない。


 別に、姫さんの身体を優先して、アルフレッドと共に、ここにいる連中を放置して帰ってもいいが。


 そうなったら、後できっと、姫さんはそのことに胸を痛めるだろう。


 だからこそ……。


「悪いが、今は事後処理の方が先決だ。……一刻も早く姫さんを連れて洞窟小屋に帰りてぇ」


 と、戸惑ったように此方を見て声を出してきた目の前の男に、はっきりとそう告げる。


 どうせ、俺と同じで、姫さんが時間を停止した“あの現象”を見てしまったのなら。


 もう、姫さんの能力について、この男に隠すのは不可能だ。


 今も、姫さんが血を吐いた理由について、その頭を目まぐるしく回転させて、少ない情報から真実へと辿り着こうとしているはずだし。


 この男が、現場の状況と、姫さんの症状から……。



 という可能性に行き着くのは、どっちみち、時間の問題だった。


 姫さんの能力が時を操る物だから、基本的には周囲の人間には姫さんが、アンドリューを熊たちから庇った所までは確認出来ていても。


 姫さんが魔女であり、“能力を使った”という所までは、認識は出来ないと思う。


 ぱっと見て、直ぐに能力が判別出来る攻撃系統の魔女なんかは、能力を使用した段階で周囲に知れ渡っちまうが、姫さんの場合は別だ。


 だから、今ここにいる殆どの連中が、姫さんがアンドリューを庇おうとした上で。


 、熊の攻撃は避けることが出来たものの、突然、血を吐いて苦しみ出したと思っているはずだ。


 姫さんがどれだけその心を砕いて、自分の命を削って能力を使い、周囲を助けようと思って行動しても、誰からもそのことを認識されることは無い。


 そのことには悔しいような気持ちもあって、思う所が無い訳じゃないが……。


 それでも、姫さんが周囲に“魔女”だと知られちまうことの方が問題だろう。


 一国の皇女が、魔女だなんて事が世に広まってしまえば。


 その能力を目当てに、はえたかってくる可能性だってある。


 視線を交差させたのは一瞬だったが……。


 俺の真っ直ぐな表情を見て、皇太子が、俺の耳元で。


「……後で洗いざらい、必ず吐いて貰うからなっ。逃げるなよ?」


 と、声を出してくる。


 俺は、その言葉を聞きながら、小さく溜息を溢した後で……。


「……逃げねぇよ」


 と、誰にも聞こえねぇ、声量で、ぽつりと呟いた。




 **********************



 それから、姫さんの身体をアルフレッドに任せ、やるべきことを無心でテキパキとこなしたあと。


 熊たちは人間から貰った食料をしっかりと食べてから……。


 一匹、姫さんに懐いた様子だった熊が此方を気にかけながらも、そのまま、洞窟の奥へと消えていった。


 眠り玉の効果もあるだろうし、再び自分たちの縄張りでもある安全な所で、冬眠するのだろう。


「……皇太子様、護衛の方、ここまで手を煩わせてしまって本当に申し訳ありませんっ! 皇女様の容体は……!?」


 そうして、目の前でギルドの職員の男が、皇太子と俺に向かって慌てたように声を出してくるのを聞きながら。


「……姫さんは、人よりも身体が弱いんだ。

 今は、アルフレッドがその容体を診てくれているが、その状態については直ぐには分からねぇし、詳しく俺達から説明することも出来ない」


 と、俺が声を出せば、驚いたような表情をしながらも納得はしてくれたのだろう。


 髪色が赤い人間は、人よりも身体が弱い場合が多いっていうのは誰もが知っていることでもある。


「……申し訳ありませんっ! なるべく、手早く片付けを終わらせましょうっ!

 洞窟小屋に戻れば、医療の知識もある職員もおりますし、皇女様のお身体が病弱というのは、ここにいる全員にも箝口令かんこうれいを敷いておきます」


 だから、直ぐに判断して、そう言ってくれたことに、話の分かる人間で良かったとは思う。


 まぁ、もっとも、周囲の目は誤魔化せても、未だ、俺の方に鋭い視線を向けてくる皇太子の目は誤魔化せはしないだろうということは、分かっている。


 熊たちが去って言った後で、俺は熊たちが食べ残した食料を片付ける作業を冒険者ギルドの職員や、ヒューゴに任せ、姫さんの方へと向かう。


 その体調も、容体も、誰よりも心配していたし、本当ならずっとその傍についててやりたい気持ちをずっと抑えてたんだ。


「アルフレッドっ! 姫さんの身体は……っ?」


 アルフレッドに声をかけ、目の前で生気を失ったように、青白くなって気絶し、ぐったりした様子の姫さんを見れば。


 素人目にも、これが、かなり酷い状態なのだということが判別出来る。


「……うむ、僕が癒やしているが。

 ここまで酷い状況になっていると、過剰に能力を使ったのだと考えられる。

 恐らく、アリスの危機にひんして、咄嗟に能力が発動してしまったのだろう」


 そうして、アルフレッドにそう言われて、そこで初めて。


 姫さんがアンドリューを救うために、能力を使った訳じゃなかったということに気付く。


 だとしたら、あの時、姫さんは自分が熊たちの攻撃を受けることを承知の上で、アンドリューを庇ったということになるってこと、だ。


【……クソっ、……!】


 俺がもしも、アンドリューを熊たちの方へと投げなかったら、こんなことは起きなかったかもしれないと、過去の自分の行動を後悔したが……。


 今は、自分の反省よりも、姫さんの身体が何よりも最優先だ。


 もうじき、この場の事後処理も終わる。


 場の状況を読んで、ギリギリまで、アルフレッドに癒やしの魔法を使って貰った後で。


 姫さんのその身体を抱きかかえると、血色も悪く、どこもかしこも全く力が入っていない上に、死んだように気絶している姫さんの姿に不安になって、咄嗟に呼吸音を確認したあと。


 此方に向かって近寄ってくる皇太子の姿が見えたが。


 俺は構わず……。


「……姫さんは、無事なのかっ……? 問題、ないんだよなっ……?」


 と、アルフレッドに向かって、祈るように問いかける。


「……うむ、恐らく命には別状はない。

 だが、暫くは回復するのに時間がかかるだろう。

 それに反動が大きすぎる故、その副作用としてアリスが起きた時に、何か問題が出ぬとも限らぬ」


 そうして、アルフレッドから言葉が返ってきて、俺は俺の腕の中で、ぐったりしている姫さんの方を見ながら、グッと小さく唇を噛みしめた。



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