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第232話【セオドアSide2】



 ――ボタボタと、目の前で真っ赤な血が大量に流れ落ちていく。


 皇太子が熊に噛みつかれたという状況に、もしもあの熊がアルフレッドの言うように“毒”などを持っていたらと思うとそれも心配だったが。


 荷物関係は全て、ヒューゴや姫さんが持ってくれていたから。


 今は解毒薬みたいな物が都合良く手持ちにある訳じゃないし、どうにもならないだろう。


 俺たちに反撃されて、ほんの少し大人しくなりながら此方の様子を窺ってくる熊たちに。


 やっと、まとまった休憩らしい休憩が取れたような気がしながら。


 目の前の熊たちの呼吸音に少し乱れが生じて、息切れしてきているのを感じ取って、俺はホッと息を吐き出した。


 眠り玉が効いてきているのか、それとも俺たちとの遣り取りで体力が尽きてきているのか。


 傍目からでは判断がつかないが、どちらにせよ今の状況で、熊たちに少なからず変化があったことは限りなく朗報だった。


「……このまま、良い子で大人しくなってくれれば、ラッキーなんだがな」


「熊から俺たちが敵として認定されている以上は、難しい問題だろう」


「……それで? アンタはその腕の怪我を抱えた状態で、まともに戦えるのかよっ?」


「……あぁ、それに関しては問題ない。……ほら、見てみろ」


「あぁっ、ソイツは、一体、どういう……? ……ッッ、オイ、嘘だろ? アンタ、その怪我……っ!」


 ぎゅっと剣を利き手で強く握ってから、その場で一振り、片手で持った剣を軽く振る動作を見せながら、皇太子が俺に自分の怪我の方へと促すように視線を向けてきた。


 そこで、改めて皇太子の怪我の方を確認した俺は、息を呑む。


 熊に牙を突き立てられて、真っ赤に塗られた左腕の血は、この男の指先の方を伝って今も地面にボタボタと落ちている。


 普通に考えれば、その傷は決して小さいものじゃなく、強く噛まれた際に、仮に骨までってたとしたら……。


 最悪、もう左腕は再起不能になっちまうくらいの大怪我だ。


 とてもじゃないが、そう簡単に治るような傷じゃない。


 だが、今、皇太子のその腕は、流れている血がゆっくりと、けれど確実に


 それと同時に、広範囲に渡って傷ついているその怪我が、はしから徐々に。


 ――もう既に、が始まり出していた。


【通常では、決してあり得ない現象が起きている】


 目の前の男の状況が、どう考えてもあり得なくて、俺は思わずその部分を凝視するように視線を向けた。


「……どういう訳か分からないが、俺は昔からが早くてな」


「……っ、ソイツは、傷の治りが早いってレベルの話じゃねぇだろ」


「傷の治りだけじゃない。

 俺は昔から、何故かは分からないが“毒”なども効かない体質だ。

 母上曰く、子供の頃に高熱を出して倒れる以前から、俺は人に比べて病気や怪我など、何にしても回復量が尋常じゃなかったらしい。

 だからこそ、瞳が熱を持って高熱を出したときは、数日寝込み続けたこともあって、このまま死ぬんじゃないかって心配されたくらいだ」


「……っ、あー、段々と読めてきた。

 かよ、なるほどな……」


「……っ? なんだ? 今の話の何処に、お前が納得するような要素があった?」


「いや、気にするな、こっちの話だ」


「……?」


 こっちに向かって自分の説明をしてきた皇太子の言葉で、俺は前にアルフレッドがこの男の“瞳”の秘密について知った時。


【……ううむ。片目だけ太陽の光に反射した時のみ赤色に見える金、か。

 また、がいたものだな。

 だが、その瞳、今は無いな? 取り除いてしまったのか。……残念だ】


 と、言いながら……。


 、そんな視線をこの男に向けていたことを思い出していた。


 あの時、アルフレッドが『希有な存在』と“表現した者”が……。


 もしも、俺たち“ノクスの民”や、“魔女”と同等の、のことを意味していたのだとしたら……?


 必然、この男も一般人よりも魔力量の高い、昔、アルフレッド達が呼んでいた赤を持つ特別な存在、“神の子”と呼ばれる程の力を持っていることになる。


 それなら、全ての事に合点がいった。


「……まぁっ、長い人生、生きてりゃ、そんなこともあるだろう」


「オイ、なんだその言い草は。……お前、やけに物わかりが良くないか?

 まさか、適当なことを言っているんじゃないだろうな?」


「悪いが、俺は“そっち方面”に関しては専門じゃねぇんでな。

 詳しいことは、アルフレッドに聞いてくれ」


「はぁっ? 一体どういう意味だ……?」


「取りあえずアンタの腕が、見た目の派手さに比べて、大したこと無さそうなのは僥倖ぎょうこうだな。

 今は、生きてここから出ることが最優先だ」


「……っ、あぁ、分かっている」


 俺自体は“”が本来はどういう存在だったのか、アルフレッドから聞いているから、全部分かって、こうして話しているが。


 この男が、俺の言葉を正確に読み取るには、何もかも今の段階では情報が足りなさすぎるだろう。


 だが、それらの事情に関しては、ちょっとだけ事情を聞きかじっている俺から話すよりも、直接アルフレッドと遣り取りして貰った方が情報の正確さが違う。


 ――それに、俺と姫さんがそうだったように。


 幾ら、大昔に俺たちみたいな存在が神の子として崇められていようとも、今の世では俺たちの持つ“赤色”は蔑まれてしまう呪いである側面の方が大きい。


 ……持って生まれた特性を、活かすのは己の裁量次第だが。


 そういう意味では、この男は俺と同じで、必要ならば“躊躇なく”合理的に自分の能力を活かしていると言えるだろう。


 熊に、腕、一本持ってかれそうになった時には、多少、動揺したが。


 今も尚、その傷口をめまぐるしいスピードで修復しようとしている皮膚の状態を確認すれば、心配する必要は無かったな、と思う。


「さてと。……そろそろ、肩も温まって来た頃だろっ?」


「……あぁ。ウォーミングアップなら、たった今、終わらせたところだ」


『グルルルルル』と、喉を鳴らしながら此方の様子を窺ってくる熊たちを見ながら。


 内心で、どう動くのが一番良いのか考える。


 だが、さっきみたいに、真ん中に追いやられて袋小路にされれば。

 同じてつを踏んじまうことになるだろう。


 幸い今は、攻撃が効いたのか、俺たちの前方に集まって警戒してくれているお蔭で問題は無さそうだが。


 出来れば背後に、余裕を持って後退出来るようなスペースは確保しておきながらも、全方位囲まれちまうようなことは避けておきたい。


「オイ……っ。

 これから熊たち相手にどう立ち回るかだが、なるべく背後には常に壁を背にして戦いたい。

 さっきも言った通り、俺は怪我に対する回復量に関してはある程度、何も問題がないが、痛みが無い訳じゃないからな。

 さっきみたいな急場しのぎは、そう何度も使えるものではない」


 そうして、俺が頭の中で考えていたことを……。


 殆ど、まるっきりそのまま、先に皇太子から言われて、口の端を吊り上げる。


 今の間に、戦略について思考を巡らせたその頭は、おおよそ、俺と同じような考えに行き着いたのだろう。


 この男とは、今まで過ごしてきた生き方も何もかもが俺とは真逆だからこそ。


 大体、姫さん関係で、いつも反りが合わなくて、いがみ合ってることの方が多いし……。


 水と油で意見が合致することも少ないが、こういう時だけ、まるで図ったかのように一致しやがる。


 だが、共闘するという1点のみにおいて……。


 多くを説明しなくても、こっちの意図を正確に察して動いてくれる分、戦いやすい。


 ぎゅ、っと剣を握る自分の手に力を込めて。


 俺は目の前で、俺たちの状況を察して、此方の様子を探るのを止め、そろそろ動き出してきそうな熊たちに視線を向ける。


 つかの間、取れた空白の時間に。


 俺たちが作戦を練るのと同様、コイツらがどういう風にお互いに作戦を取り合っているのかは分からないが……。


 周囲を囲む作戦が通用しないと判断した熊たちは、今度は時間差で飛びかかってくることにしたらしい。


 5匹いる熊のうち、親分以外は、2匹一組の状態を作り。


 そのフォーメーションが変わり、親分を真ん中に置いて、その両隣に扇状おうぎじょうに並びながら。


 此方に向かってうなってくるその姿に『……また面倒なことを始めたな』と、内心で思う。


 次々に時間差でこっちに飛びかかってくるつもりなのだとしたら。


 最初の一匹はかわしやすいだろうが、間も置かず、2、3匹と、統率の取れた動きで飛びかかってこられると流石に対処に骨が折れる。


「賢いな。……今度は時間差で飛びかかってきて、なるべく此方を足止めしてから攻撃してくるつもりか」


「あぁ、みたいだな。……まぁ、ぶっつけ本番で何とか対応するしかねぇな」


 ぽつりとこの場に溢された、皇太子のその一言に頷いたあとで。


 俺はまた、熊たちと睨み合う。


 一拍、間を置いて……。


 ――その瞬間は、直ぐにやってきた


「……来るぞっ!」


 皇太子のかけ声に、俺は息を吸い込んだあとで。


 バッと、前方にいる熊たちの方へと向かって走りだす。


 一匹、中央にいた親分が俺の方、目がけて飛びかかってきたのを左前方ひだりぜんぽうけて躱しながら。


 右側の二匹を皇太子に任せて、扇状おうぎじょうになっている、左側にいた二匹の熊たちの方へと狙いを定め……。


 一匹、剣で真正面からその身体に打撃を与え、直ぐさま、助走で勢いのついた自分にかかっている力を利用しながら、その場で前へと飛ぶようにジャンプし……。


 今、自分が一太刀浴びせた熊の頭に手をついて、そこからくるっと高く、前方に宙返りのように飛んで、後ろから此方を目がけて、突進してきていた最後の熊の背中にも一太刀いれる。


 元々、さっきまで俺たちがいた場所と、熊たちの立ち位置が入れ替わるのを感じながら……。


 スタッと、地面に難なく着地したあとで。


 再度、剣の構えを取って警戒しながらも、皇太子の方へと視線を向けると。


 二匹を相手にしながらも、一匹目の攻撃はスルーして躱して、もう一匹に俺と同じように剣で打撃を与えたみたいだった。


 こんな感じで熊たちも二手に分かれて、四方八方囲んで来ずに、俺たちを攻撃してくれりゃ。


 ……なんとか上手く立ち回れるが。


 【もしも万が一、一人捨てて、俺たちのどちらか一方に標準を絞り、ほんの少しの時間差で5体全員でどちらか目がけて来られたら危ういかもしれねぇな……】


 脳内でそんなことを考えつつ、俺は皇太子の方へと声をかける。


「……大丈夫か?」


「……あぁっ、この通り問題ない」


 俺たちが一拍置いて、お互いの安全を確認し合った……。


 


 時空が、ぐにゃりと歪んで……。


 ――その、“刻”を止めたのは


 その感覚は、ここ最近になって、俺自身、嫌になる程に感じてきたもので。


【……っ、姫さん……っ!】


 内心で、姫さんのことを心配した瞬間にはもう、


 さっきまで、此方に向かってくる熊たちと遣り取りを終えて。


 きちんと地面に足をつけていた身体は、丁度、最後の熊の背中に剣で打撃を与え終わり。


 浮いた身体が地面に、着地する数秒前まで巻き戻っていた。


 慌てて、皇太子の方へと視線を向ければ。


 目の前で、皇太子は先ほどと同じように、一匹躱し、丁度、二匹目に攻撃を加え終わるところで……。


「【……大丈夫か?】」


 敢えて、“”と全く同じ言葉を一語一句、違わずに口にすれば。


 本来


【……あぁっ、この通り問題ない】


 と、続く筈だった、その言葉は鳴りを潜め。


「……あぁ、……っ」


 と、言いかけて……。


 目の前の金髪の男は、自分の持っている剣に視線を落とすと釈然としないような表情を浮かべたあとで。


「……オイっ、……! 今、一瞬だけっ、……?」


 と、俺に向かって声をかけてきた。


「……ッッ、!」


 姫さんの能力が使われたことを認識出来ない奴は、基本的に俺たちが未来を変えようと行動しない限りは、巻き戻した後もをとる。


 驚いた表情を直ぐには殺しきれずに、目の前の男の方を見る俺に。


「やっぱり、俺の気のせいじゃなかったみたいだな……。お前も感じたんだろう?」


 と、問いかけられて、俺は『……あー、』と少しだけ口ごもった後で、小さく溜息を溢した。


「あぁ。……それに関しては、多分、アンタよりも、俺の方がずっと感じてるよっ。

 クソ……! こうならないように、なるべく気をつけてはいたんだがな」


 そうして、何ともならない状況に苛立ちを感じながら、吐き出すように声をあげる俺に、目の前で皇太子が眉を顰めて首を傾げるのが見えた。


 “熊”か、はたまたはた迷惑な“あの屑みたいな冒険者”か。


 ――それとも、何か他の要因か……。


 【今すぐにこの場を離れられるのなら、何もかもを放りだして、真っ先に姫さんの元に向かうのに……!】


 原因が分かりゃしねぇのがもどかしいが、今の俺に出来ることは一先ず、この熊たちの相手をすることだ。


 その体調も含めて、無事なのかどうかさえ、何もかもを、そばで確認することが出来なくて歯がゆい思いをしている俺を見て。


 意味が分からなかったのだろう。


「オイ、どういう意味なんだっ!? 一体、何が起きている? お前には原因が分かるのか?」


 と、皇太子が声をかけてくる。


「……っ、あぁ、とりあえず、姫さん達の方に、もしかしたらってことだけは確かだ」


「はぁっ!? ……言っている意味が分からないんだが……? どうして、そんなことがお前に分かるっ?」


「……っ、これ以上は、俺の口からは話せねぇよ。一先ず熊の相手に全力を注ごうぜ、お兄さま?」


「……オイ、いい加減にしろよっ! 俺がそれで、誤魔化されてやると思うな、……ッッ」


 何が起きているのか分からなくてこっちを非難するように見てくる目の前の男に。


 真っ直ぐ、視線を向け返す。


 ――ただ、それだけで


 俺が、いつも以上に真剣な表情をしているのが、お互いに交差した視線で判断出来たのだろう。


「……無事にこの洞窟から出ることが出来たなら、全部洗いざらい吐いて貰うからなっ!」


「……ハッ、出来ねぇ約束はしない主義なんだ。……悪いな、お兄さま」


 そうして、小さく吐き出した俺の言葉に『お前、後で覚えておけよっ』と言わんばかりに苛立ったように舌打ちをしながらも。


 今は確かに、俺の言う通り、目の前の熊の相手の方が大事だと思ってはくれたのだろう。


「それでっ? アリスは無事なのか……っ!?」


 それから、問いかけられたその一言に、『んなもんっ、こっちが知りたい……』と声を荒げたい気持ちを抑えながら。


「ああ、多分な。……あっちには、から問題はねぇと思う」


 と、俺は努めて冷静に声を出す。


 アルフレッドが魔法を使えば、余程のことが起きない限りは、姫さんの身の安全は保障されているとは思う。


 時には、姫さん本人の意思よりも……。


 姫さんの身体が最優先で、能力を使うのをやめて欲しいと本人に伝える俺とは違い。


 勿論、心配も俺と同様にするにはするが。


 アルフレッドは、比較的、かなり甘めにを尊重して、優先してしまいがちだ。


 なまじ、精霊として強い魔法が使えるアルフレッドは、殆ど、“危険にその身を晒されてしまうようなこと”がない。


 自分で何でも解決出来るのと、ずっと森に引きこもっていて人間との共同生活に馴染んでいないことが災いして。


 多分、人間に擬態するということをなるべく優先していたのだろう。


 ……この洞窟内で過ごしている間もずっと、極力人間が解決出来る問題にはなるべく介入せずに、自分の魔法を使うということはせず、様子見していたのは分かっているし。


 どこまで魔法を使って良いものなのかと躊躇して、ギリギリになるまで魔法を使わなかった可能性は高い。


【だが、スラムと王都みたいな感じで。

 姫さんとアルフレッドが、物理的にかなり遠く離れた場所にいなければ……。

 アルフレッドも体感で、姫さんが能力を使った瞬間は把握出来るらしいし。

 能力を使用した姫さんの身体に関しても瞬時に癒やしてくれてはいるだろう】


 例え、周囲の人間にその力魔法を見せることになっていたとしても、そうなった以上は姫さんのことを全力で守ってくれるはずだ。


 だからこそ、姫さんの命が誰かにおびやかされてしまうほどの、最悪な状態にはなっていないとは思う。


「……っ、全く、アルフレッドのことも含めて、お前達は本当に秘密ばかりだな……!」


 苦々しい表情で皇太子からそう言われて、俺は小さく口角を吊り上げた。


 アルフレッドの出自に関しても、色々と気になっていることは山のようにあるだろうが。


 言えない物は言えないんだから、仕方がない。


 ――姫さんの能力に関しては、特にだ。


 『はぁ、……、はぁ……っ』と、段々と、疲れが見え隠れしながら、ペースが落ちて、俺たちを威嚇する頻度も、その動きも、ゆったりとした感じになってきて、別の意味で涎を垂らし始めた熊たちに。


 眠り玉が効いてきているんだろうな、と思いつつ……。


 物資や救援が来るまで、あとどれくらい時間を稼げば良いのかと。


 頭の中で、熊たちの様子と、姫さん達が6つ目の洞窟小屋に戻って、帰ってくるまでのおおよその距離を計算しながら。


 俺は、再び、熊たちに対峙するために前を向いた。



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