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第231話【セオドアSide】



 俺たちを置いて、姫さん達がこのフロアから出て行ったあと。


 洞窟内のこのフロアに続く先の道から『グルルルッッ!』と、鳴き声を出して此方に向かって来た熊たちを見ながら。


 眠り玉を当てたことで興奮していきり立っている様子のその頭数を確認して、俺は今この場に置かれている現状を正確に察して声を出した。


「……っ、一匹、足りやがらねぇっ……!」


 俺のぽつりと呟いたその一言は、そこそこの広さを持っているこのフロアで、存外大きく響いて消えた。


「……どういうことだっ!? 一匹だけ、どこか違う道の方に行ったということかっ……?」


 皇太子が俺に向かって、声をかけてきたのを聞きながら、俺は冷静に『……多分な』と返事を返す。


 眠り玉を4つも投げたんだ。


 その場は、かなり沢山の粉が一斉に巻き上がっていたはずで。


 通路が1つじゃなく、あのフロアで分かれ道が何本かあったように、粉塵が舞う中で視界が悪くなって、一匹はぐれるのも考えられる話ではあった。


【クソっ……! なるべく、今の状況下に置いて出来うる限りの最善を取ったつもりだったが、はぐれた熊が姫さん達と遭遇する可能性は何%だ……?】


 と、俺は内心で考えながら、舌打ちしたくなる。


 正直“”なんざ、俺にとっちゃどうでもいい。


 ハッキリ言って、冒険者を名乗って危険と常に隣り合わせの生活をしている連中にとっては。


 こういう状況に遭遇する可能性についてはそもそも、鉱山に入るその前に、しっかりと自分たちで対策なども含めて考えておかなければならない話だし。


 こういう洞窟みたいな場所で、自分たちの自業自得で野垂れ死のうが何をしようがソイツに関しては、だ。


 ましてや、冬眠している熊を叩き起こすだなんて暴挙を犯しておいて。

 自分だけ、のうのうと助かるだなんて都合が良すぎる話だろう?


 だから……。


 俺があの場で、あの怪我人をダシにして、アルフレッドを6つ目の洞窟小屋に行かせたのは、姫さんを可能な限り、詭弁きべんだった。


 怪我人のことを伝えれば、姫さんは優しいから、今の俺たちの状況と天秤にかけて、怪我人の命を優先する為に動いてくれるだろう。


 アルフレッドがいりゃぁ、もしも万が一、あっちに何かあった時でも、姫さんの守りは充分にしてくれる筈だ。


 戦えそうなヒューゴが、怪我人を運ぶための人員として割かれてしまうのは多少勿体ねぇが。


 そうでも言わなきゃ、姫さんはこの場に残って絶対にまた無理をする。


 そのことに関しては100%断言出来た。


 俺等の命に危険が迫ってしまえば、熊の動きを止めるためとか、過去に戻すためにきっと、その身体を酷使して能力を使おうとするだろう。


【だから、敢えて姫さんを逃がすために、周囲の人間をこの場から退場させたってのに……】


 目の前に涎を垂らしながらやってきた熊たちの数を何度数えても、一匹足りないことに苛立ちが募ってくる。


 ギリッ、と……。


 剣を握る自分の指に、必然的に力が入った。


 アルフレッドが姫さんの傍についているから問題はねぇと思うが……。


 懸念材料は熊だけじゃない。


 あのアンドリューという冒険者、ちょっと言葉を交わしただけでもアイツがどうしようもない屑だってことは理解している。


 ああいう輩には覚えがあるが、今まで生きてきた俺の経験上からも、本当に人の足を引っ張るだけ引っ張って碌なことをしやがらねぇのは感じているし。


 もめ事を起こすと小さな村に一斉にそのことが広まってしまって、皇太子と行動している俺たちの心象が悪くなって、余計警戒心を持たれてしまうんじゃないかと、考慮なんかせずに……。


【やっぱり酒場あの場所で、手加減なんかせずに、二度と此方に刃向かうようなことが出来ない程、完膚なきまでに叩きのめしておくんだった】


 俺と戦った時に恨みを持って、俺たちに怪我をさせたいだとかそういうことを思って行動していたのだとしたら……。


 直接、俺に対しては敵わないということで、子供で狙いやすいという理由で、姫さんやアルフレッドの方を狙ってくるかもしれない。


 そういう卑劣なことは平気でやるような、質の悪い人間だろう、アレは。


 アイツの目的が何なのかも判明していない以上、どうしても拭い去れない心配はつきまとう。


 姫さん達と行動することで、何か変な事を企んでなければいいが……っ。


「……オイっ、来るぞっ!」


「あぁ、分かってる……っ!」


 ほんの少し、思考に時間を取られていたら、間合いを詰めて、もう、すぐそこまで熊たちが迫ってきていた。


 『グルァァァァァっっ!』と、俺たちの姿を明確にとらえ、怒ったように、此方に向かって走ってくるその姿を擦れ擦れのところで、ひらりと身を躱しながら。


 城下で姫さんから贈って貰った剣を、俺は“逆手”に持ち替える。


 両刃りょうばになっていない俺の剣は、相手に明確に傷を与えないようにするには向いているだろう。


 と言われればそれまでだが。


 ――こっちの方が殺傷能力がないんだから仕方がない。


 東方にある、どこかの国では『峰打ち』という技術があるらしいが、あれはあくまでも“真剣”で斬られたと相手に錯覚させて、気絶させることを狙ったような高等技術だ。


 俺のコレとは、また話が違う。


 普段から騎士という職務上、剣は2本ほど腰に提げて携帯しているが、姫さんから贈って貰った剣を使うのは、そう言えば実践においては初めてのことかもしれない。


 いつもは、適当に皇宮で働く役職も何もない一般兵の騎士用に用意されている、どこにでもある普通の量産された剣を使っていて。


 何か特別なことでも無い限り、なるべくこの剣は使用しないようにしていた。


 折角姫さんから貰ったんだから、使ってやらない方が、剣としてはその本分を全う出来ずに泣くだろうが。


 どうしても、この剣を普段使いで使用するには、勿体ないような気がして、いままで出し惜しみしていた。


【まぁ、そのお蔭で一応姫さんから贈られたこの剣を携帯してはいたが。

 スラムで第二皇子と会った時も、普通の剣を使用してたから俺だとバレなかった訳だけど……】


 キラキラと輝きを纏っている赤と金の装飾が施されたその剣は、やっぱりどうやっても目立ってしまう。


 一般の何の変哲も無い量産された剣と比べれば、その意匠いしょうも何もかもが、雲泥の差とも思えるほどに神々しい。


 普段は忌々しいと感じてしまうような“赤”も、姫さんが贈ってくれたものだと思うとそれだけで何よりも大切に思えてくるから不思議だ。


「お前、その剣っ……!」


「あぁ、姫さんが俺に贈ってくれたんだ。……とんでもなくお洒落だろっ?」


 びっくりするように、此方を見てくる目の前の男に俺は口の端を吊り上げて笑う。


 そう言えば、一度だけ、毒の入ったクッキーが姫さんに贈られた時、姫さんの言葉を疑って信じなかったこの男に。


 この剣を向けたことがあったな。


 あの頃は、まさか自分が剣を向けていた相手とこうして共闘するようなことがあるなんて、欠片も思っていなかったが。


 俺とは違い、目の前の皇太子様が持っている剣も、金の装飾が施されたような代物で、一目で見て良い剣だと分かるものだった。


 確か、皇族のデビューの時に、皇帝から。


 女の皇族は装身具そうしんぐたまわり、男の皇族は剣を賜るんだったか……。


 もしかしたら、この男の持っている剣は、その時、皇帝から贈られたものなのかもしれない。


 内心でそう思いながら、俺は此方に向かって再び突進するようにやってきた4匹いるうちの一体の熊を横に避けることでかわし。


 その後ろからやってきた熊の親玉が俺に向かって『グァァァァァっ!』と、飛びかかってきた瞬間、その前足に合わせて逆手に持った剣を打ち合わせる。


「……っ、熊と、まともな戦闘をしたのは、俺も人生で初めてのことだなっ」


 ガキンッ、という音がして……。


 此方に向かって振り下ろされる熊の爪に合わせ、剣で真っ向からそれを受けながら、押し合いのような形になれば。


 幾ら普通の人間より身体能力の高い俺とはいえ、野生動物の力には敵う訳がない。


 ――このまま押し切られるのは目に見えていた。


 瞬時に自分の持っていた剣を斜め下へとスライドさせ、その力を抜いて受け流し、後ろへと飛ぶことで、俺の身体に全体重を乗せようとしていた熊が、そのバランスを失って。


 自身がかけた力が大きければ大きいほどに、前にかかる力を相殺しきれずに『どしゃっ!』という大きな音を立てて目の前に転んでいく。


「……っ、お前っ、見れば見る程にっ、本当に人間、辞めているなっ!」


「……ハッ、ソイツは最高の褒め言葉だな……っ!」


 目の前で一匹、小さい方の熊を、俺と同じく両刃じゃない剣の峰の部分でやり過ごしながら、此方に向かって声を上げてくる皇太子に、俺は再び口の端を吊り上げる。


 俺の方が、一度に相手にしている頭数は多いとはいえ。


 言葉が通じない上に、怒り狂った様子で狂暴化した熊が。


 その巨体からは考えられないほど早いスピードで突進してくるのを、その目で見てから正確な状況判断をして、しっかりと距離を取って受け流しているこの男も。


 と思うが……。


 10歳の時にシュタインベルクの騎士団に合格出来ると言われたその実力は折り紙付きらしい。


 ――これなら、心配する必要も無かったな。


 それから俺は、なるべく皇太子の方に、複数いる熊たちが何匹も行かないよう……。


 必要があれば目の前にいる熊たちを挑発し、その意識を俺に向けさせ、し、此方に向かって突進してくる熊を、自分の身を躱して避けていく。


 そうして、どうしても、熊たちが連続して襲いかかってくるような時で、自分の身体を躱すことが出来ない緊急の時は、逆手に持った剣でその巨体に真っ向から受けて立って、かかった力ごと受け流す。


 一度でも、判断が遅れ、手元が狂ってしまえば……。


 目の前で狂暴化したこの熊から繰り出される、とがった爪に身体をえぐられ、容赦なく、深手を負わされてしまうだろう。


「……っ! これはっ、想像以上にキツイ、……なっ。

 普段は早い時間の流れが、今はあり得ないほどにゆっくりとした物に感じる」


「あぁ? 泣き言か……!? こんなもん、準備運動の範疇はんちゅうだろうっ!」


「ぬかせ……っ! こんな、準備運動があってたまるか……っ!」


「それだけ、吠える余裕があるんなら、充分だろうが」


「お前と一緒にするんじゃない……っ!」


 バッと飛びかかってきては、ひらりと躱されて。


 攻撃もしてこない俺たちのことを、冷静な判断が出来ない頭では、遊ばれているとか、おちょくられているとでも認識したのだろう。


 段々と、熊たちの方に余裕が無くなってきて。


 怒り心頭の様子で手当たり次第に突進して此方に向かってくる回数が増えたのを感じて、俺は小さく舌打ちをする。


 俺たちにとっては広く感じるこのフロアも、熊たちにとっては、そこまで広いものじゃないだろう。


 俺たちとの遣り取りで、少しでも疲れてくれればいいが。


 その兆しすら見せない、元気がありあまっている熊たちに『……これは骨が折れるな』と、俺は内心で愚痴をこぼした。


【……たくっ、アルフレッドも、とんでもねぇ無茶ブリをしてきやがるっ!】


 攻撃出来ない以上、その体力が尽きるのは熊よりも俺たちの方が早いだろう。


 そうなったら、じり貧だ。


 どこかでは、絶対に休めるよう休憩を入れなければいけないが。


 そんな悠長な時間を与えてくれるような隙は今の所、どこにも見当たらない。


「オイ、アンタ、大丈夫かっ!」


「あぁ……、っ、お前ほどじゃないが、まだ何とかなっ!」


 声をかければ、熊の猛攻を何とか受け流した皇太子が、此方に向かって声を出してくる。


 そうして、それからどれくらい経っただろうか。


 時間にしては、それほど、経っていないとは思うけど……。


 俺たちに猪突猛進という感じで、無差別に突進を繰り返していた熊の動きが止まり。


 少しだけ、此方の様子を全員が窺うようなものになっているのを感じて、俺はその場で熊たちから距離を取る。


 じりじりと、間合いを取れば、丁度フロアの真ん中で。


 ――皇太子の背中と俺の背中が、がちり、とぶつかった。


「……奴ら、突進だけじゃ敵わないと思って、動きを変えてきやがったな」


「オイ、楽しそうに喋るなっ! ……か、お前は」


「ぐるりと、俺等を囲う作戦か……。なかなか、どうして考えられてるな」


「……その分、こっちは全方位を気に掛けなければならないし。

 どこから飛びかかられるか判断がつきにくい上に、一斉に飛びかかられでもしたら、かなり拙い状況に追い込まれているけどな」


 誰が合図を出した訳でも無く、俺たちを真ん中に置いて。


 その外側で此方の様子を警戒して窺いながら、ぐるぐると、回るように、円を描いているその姿を見て。


 突如として統率の取れたような熊たちの動きに……。


 肉食であるコイツらが狩りをする時には、普段からそういうことに対しても気に掛けているのかもしれないと、野生生物として元々備わっている本能をと思う。


 まぁ、その分……。


 俺等は、今現在、こうしてコイツらに袋小路にされてるって訳だけど。


 皇太子と背中合わせになりながら、目の前の熊たちに剣を向ければ。


 じりじりと此方の様子を窺いながらも間合いを取って。


 今にも飛びかかってきそうなコイツらの、誰がどんな動きを取ってくるのかについては、皇太子の言うように確かに把握しずらい。


【だが、なりふり構わずに突進してくるのを辞めてくれたお蔭で、多少休憩するような時間はとれた】


「オイ、どうすればいい? こういう時は、どう動くのが正解だ?」


「こっちの3体は俺が相手にするから、そっちの2体はアンタ、お願い出来るか?」


「……飛びかかってきたのに合わせて剣で受けても、一匹どうにもならないぞ」


「あぁ、悪いが、この状況じゃ、……としか、言えねぇな」


 皇太子に聞かれて、俺は苦笑しながら声を溢す。


 この状況下で、どう動くのがベストか、教えてやりたいのは山々だったが。


 自分の身体能力なら簡単にかわせるものも、この男の身体能力じゃ、俺とまるっきり同等の動きを取ることは不可能だろう。


「あまり現実的じゃねぇが、一匹、熊が飛びかかってくるのに賭けて、その下をスライディングして潜るとか、そういう案しか思い浮かばねぇ」


 はっきりと、そう言って声を出す俺に。


「……はぁ……っ、あまりこの手は使いたくなかったが仕方が無いな」


 と、皇太子が此方に向かって声を出してきたのが聞こえて来た。


 それに対して……


「……? 何か策でもあるのかっ?」


 と、問いかければ。


「あぁ、こっちのことは気にするな。……お前はお前の目の前に居る奴らに集中しろ」


 と、返答が戻ってくる。


 そのことに、後ろで戦いの構えを取っているであろうこの男の方が気にかかったものの。


 俺も、人の事を気にしているだけの余裕はそこまで無い。


 興奮しながらも冷静に、状況を見極めつつ、隙を見せれば今にも此方へと向かって飛びかかってくるであろう、3匹の熊たちを相手にしながら……。


 俺は視線を逸らさずに。


 敢えて、自分の持っている剣の矛先をそっとずらして、熊たちのいる前方へと一歩、地面を蹴って飛ぶように前進した。


んだっていうんなら、こっちから向かっていけば、アイツ等も動かざるを得ない】


 それに、俺の持っている剣の矛先が自分たちの方へと向いていないことを見れば、好機と見てくれる可能性はあった。


「ほら、来いよっ!」


 にやり、と口角を吊り上げて笑みを溢す。


 ――ビリビリとした、緊迫感


 久しぶりの命を賭けた遣り取りに、身体が沸騰するような感覚になる。


 俺の挑発に乗って……。


『グラァァァァァァ!』


 と、その場で吠えるような声を出し、ぐわッッ! と、口を向け、此方に襲いかかってくる親分の……。


 大ぶりになってがら空きになったその腹へと、を叩き込む。


 ふらっと、ちょっとでもよろけてくれれば、今はそれだけで充分だ。


「ッ……! ハァっ!」


 瞬間、僅かに遅れて、自分の横から此方に向かって突進しようとやってくる二頭の熊に狙いを定め、その場にくるっと身体をひねらせるようにしゃがんで、回転斬りのように持っていた剣をぶん回し……。


 当たればどこにでも良かったが、『グルァァ……っ!』と鳴き声をあげて隙を見せてくれた熊に。


 どちらも上手いこと、に成功したみたいだと、自分の目でしっかりと確認する間もなく、俺は後方へと飛び退いた。


「オイ、アンタの方は大丈夫、かっ……?」


 そうして、さっと確認するように、後ろを見て、俺は息を呑む。


 ――ボタッ、……ボタッ、……と。


 ……。


 いや、襲いかかってきた熊に、自分の利き腕じゃない方を一本、わざと犠牲として捧げて。


 その隙を突いて、向かってくる熊に対して自分の持っている剣を叩き込んだということが理解出来て。


 まさにような、そんな遣り方で、この男がこの場を凌いだということが分かって、俺は慌てて皇太子に向かって声をかける。


「お、オイ……! アンタ、その傷……っ!」


 ゆらりと、此方を見てくるその姿は、いつも通り、何を考えているのか分かりゃしねぇような、無表情で。


 熊に牙を突き立てられて、べっとりと、血に塗られた左腕をそのままに。


「……これくらい、問題ない。

 それに、お前が言ったんだろう? だってな」


 ……目の前の男は、俺に向かって声を出したあとで。


 もう既にその瞳は、打撃という攻撃を食らわされたことで、俺たちから間合いを取るために距離を取って離れた、目の前の熊たちの方へと真っ直ぐに向けられていた。



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