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第223話【セオドアSide】



 ふわりと、姫さんが俺の腕の中で笑う。


 その肩に顔を埋めて、祈るように声を出す俺に。


 ただ、願うように、目の前にいる小さな主人が傷つかないようにと、自分を傷つけないで欲しいと乞う俺に。


 少しだけ困ったように、何て言ったらいいのか、分からないように。


 だけど、口元を緩めた姫さんから……。


 ――ついぞ、は、返ってくる事はなかった。


 そもそも今回、俺は姫さんが洞窟に行くのは反対だった。


 そういう意味では、殆ど初めてに近いかもしれないがこの国の第一皇子である金髪野郎と意見が合致した。


 姫さんが


【自分にも何か出来ることがあるかもしれない。……少しでもみんなの役に立ちたい】


 と、俺たちに付いて洞窟に行きたいと言ったとき、俺の頭の中を一番によぎったのは。


 姫さんが“自分の魔女の能力”を。


 黄金の薔薇を探しているという、今日初めて会ったばかりの男のために、使用するとかそういうことを考えているんじゃないか、って言うことだった。


 ――姫さんは、“自分の能力”を使うということに驚くほど躊躇ためらいがない。


 それは一緒に過ごす日々が増えれば増えるほどに、俺が感じていたことでもあった。


 第二皇子のためにその能力を使った時もそうだが。


 能力のコントロールを一生懸命練習しようとしてんのも、そうだ。


 アルフレッドに


【能力をコントロール出来れば、お前の身体のためにもなる】


 と言われたから、頑張っている訳じゃなく……。


 傍からみてりゃ、姫さんの中ではあくまで、自分の身体に関することに対しては優先度が低めで。


 能力をコントロール出来れば何かの折に“”から、頑張っているような気がしてならない。


 能力を使用すれば、自分の命が削られるということは、分かっているのに……。


 その反動で、立っていられない程に辛い思いをして。


 あんなにも顔面蒼白になって、身体を震わせながら荒い吐息を繰り返してその苦痛に耐えなければいけないほど。

自分の身体が苦しむことになるというのは、分かりきっているのに……。


 それでも、誰かのために、“自分に出来ること”なら、あっさりとその命を削ろうとする……。


 ――その理由を。


 俺は最初、皇帝からの命令もあって、能力を使えば少しでも『家族の役に立てる』と思っているのだと認識していた。


 今では大分その印象も変わってはいるが。

 今まで姫さんのことを見向きもしてくれなかったような自分の父親のために、必死で役に立とうと努力しているのだと。


 でも、いつ頃か……。


 俺のその仮説は、いとも簡単に崩れ去っていった。


 この年齢になるまで、誰にも愛されてこなかった姫さんが。

 “父親”に認められる為に頑張るってのはあまりにも健気に思えるが、まだ分かる。


 でも、姫さんの『自分の能力を使おうとする範囲』への“対象”は、家族や、身の回りにいる自分の大切な人間だけじゃなく、もっと、だ。


 俺たちが普段から目を光らせている分、姫さんが能力を使用する機会は確かに少ないが。


 基本的に、


 誰に対しても……。


 目の前の困っている人間をそれで助けられるのなら。

 別に自分の身体を酷使してもいいと思ってる節があるということを、俺は常日頃から、その傍にいて感じとっていた。


 ――そこに、自分に対しての欲なんかは、一切見えてこない。


 根本的な部分で、姫さんの行動動機などの“主軸”に自分自身という存在は入っておらず。


 どちらかというなら姫さんの大事なものの割合を考えても、圧倒的に自分という存在をないがしろにして。


 その大半が、常に自分ではなく“他者”で埋められてしまっている。


 生まれてからずっと。


 10年の歳月が、姫さんの自分に対する願望も『ああしたい、こうしたい』っていう“普通の人間”にあってしかるべき当たり前の感情も。


 全部、何もかもを奥に奥に追いやって……。


 文句も言わず、何も願わず。


 ことすら出来ず。

 感情を殺し、自分の為に何かを選び取ることすら叶わずに、周囲から奪われていくだけ、奪われて、生きてきたのだということは明白だった。


 その様子は。


 濁った瞳で、汚泥おでいの中を生きて行くしかなかった


 ――、あの頃の俺によく似ていた


 だが、俺と姫さんとでは、圧倒的に違う部分があって。


 そこには決して埋められないようなみぞがあり。


 俺たちは、似て非なるものなのだということが、近しい感覚を持っている俺だからこそ分かってしまう。


 今まで俺は、“”を“”に奮ってきた。


 『世の中の全て』が敵だというのなら。


 周囲が俺に、牙を剥こうとしてくるのなら……。


 俺はを、問答無用で敵と見なし、自分の実力で黙らせてきた。


 負けることも、惨めに逃げて隠れるようなことも、幾度もあった。


 掃き溜めのような場所で、だけど、俺には確実にそれらに対して、“抗う術”が用意されていた。


 嫌なことがありゃ、いつだって、その場から離れて逃げることだって出来た。


 どんなにこの身体が傷つこうとも……。


 自分にとって優しくない世界を生き抜くために、まるで“呪い”のような、生まれ持った自身の身体能力を存分に活かすことになる、というで。


 ――でも、姫さんは違う。


 姫さんが“自分の力を、自分の為”に使うようになるには、あまりにも魔女としての


 傍から見た時に、“我が儘な皇女”だと見えるように。


 周囲が意図した上で、なおかつ悪意を持って。

 ただ利己的に、時に暴力的に、本来なら自分たちより“身分の高い存在”をさげすむということは一種の悦楽だったのだろうか……。


 体裁を整えるためだけに、綺麗に“見た目だけ着飾られた”、空っぽの人形のまま。


 “皇女”という立場上、どこかに逃げるようなこともままならず、飼い殺しにされて。


 ずっと誰かに奪われて、搾取されるだけの生活……。


 四面楚歌の状況で、誰かに助けを求めようにも“あることないこと”言いふらされて、上から無慈悲にぐしゃぐしゃに踏み潰されて。


 自分の言っていることは一つも信じて貰えず、それに抗うための力さえ持てず、生き地獄のような日々の中で。


 疲弊した心は、多分、自分自身のことを守るために防御本能で、色々な感覚を麻痺させたんだろう。


【……セオドア、私ね、本当なら、、もしくはかもしれない、の】


 ふわりと、何でもないように、吐き出されたその言葉を思い出して、ぎりっと、唇を噛みしめる。


 “死んでいる”という言葉は、今までに自身が殺されていたかもしれない可能性があったということを指し示しているんだろう。


 その後の『悪運が強くて、生き残っちゃっただけ、で』と言う言葉からも。


 姫さんが自分が死にかけた時の経験のことを、話しているんだということは俺にも分かった。


 1つ目は、皇后と一緒に誘拐された時のことだろうか……?


 2つ目は、ミュラトールっていう貴族から、毒殺されそうになったことを話してるっ……?


 いや、あの時姫さんは、侍女さんに向かって大慌てで取り繕っていたが。

 それ以前にも、毒が贈られたようなことを話していたから、もしかしたらその時のことを言っているのかもしれない。


 クッキーの贈り物が来た時は、姫さん自身がそれに警戒して事前にそれを防げた筈だから、あの時は“死にかけた”と呼べるほどの害はなかった筈だし……。


 ……嗚呼。


 だけど、“もしくは”と前置きしてから俺にその言葉を伝えて来たってことは、“食べなくて済んだ”という意味でも、あの貴族から送られてきたクッキーに入った毒のことを示している可能性が無い訳じゃない、な……。


 どちらにせよ、毒のことを言っているんじゃないかとは、思う。


 ――じゃぁ、姫さんの言うってのは、一体何だ?


 今まで、侍女さんに聞いてきた姫さんの生い立ちや事情と照らし合わせても。


 他に姫さんが何か死にそうになってしまったという事件については全く思い当たらない。


 俺が知らないだけで、まだ他にも殺されそうになってしまったことがあるんだろう、か……?


 そう思うと胸糞が悪くなってくる。


【何度も、何度も、死ぬはずだったのに、その度に、、生きるしかなくて。

 元々、本来なら失われている筈の自分の命のこと、の】


 本来なら死ぬ筈だった、と……。


 ――それがまるで、当然かのように。


 その度に、死ねなくて生きるしか、なかったと。


 ――それがまるで、自分自身の大罪かのように。


 元々、本来なら失われている筈の、と……。


 大切にされてこなかったから。


 ずっと、蔑ろにされてしか生きてこれなかったから、姫さんの自分自身に向ける感情はあまりにも希薄きはくすぎる。


【私、今、充分幸せだよ】


 今、自分の傍にあるものだけを見て、姫さんは笑う。


 まるで、それが宝物であるかのように大事そうに、本心からそう言っているのは分かった。


 ――それと同時に目の前の主人は“それ以上”を決して望んではいない。


 人には優しくて、自分が酷い痛みを知っている分だけ、誰かの辛さとか苦しみにそっと寄り添うようなことが出来るのに。


 自分の存在を周囲から、ただ“否定”されながら、生きてきた姫さんにとって。


 自分のことは、他の誰よりも“一番格下”という立ち位置にランク付けされていて。


 誰より姫さん本人が、自分自身のことを一番大切にしていない。


 ぎゅっと、その腰を抱く自分の指に、必然力がこもった。


 もっと、姫さん自身がやりたいこととか、本当に自分のためになる願いごととか言ってくれていい。


 それこそ、今がんだから、もっと我が儘になってくれたらいい。


【そうすりゃ、叶えられることなら全て、どんなことをしてでも俺が叶えてやるのに】


 俺がいつまでも顔を上げないでいることに、姫さんが戸惑っているのが顔を見なくても分かった。


 ちょっとでも力を入れりゃ、直ぐに折れてしまいそうな程に細っこくて、こんなにも小さくて脆い身体で……。


 本来ならこうして、俺たちのペースで洞窟内に付いて来ているだけでも本人にとってはかなり大変な筈なのに、泣き言ひとつ言うこともなく。


 自分のことは二の次で。


 今も、周囲の状況を見渡して、自分に出来ることが無いかと、考えを巡らせている主人に、俺は小さく溜息を溢した。


 あまり、こうしてこの場に留まって長居している訳にはいかない。


 そんなことは、俺が誰よりも一番分かってる。


「……行こう」


 顔を上げて、小さく簡潔にそれだけを伝えれば、姫さんがこくりと頷くのが目に入ってくる。


 ここから先は、本当に何があるか分からない。


 洞窟の中じゃ、人の気配が多くて、普段自分が当たり前のように使っている周囲の気配を探るという能力もまるで役に立たないし。


 近接よりも遠距離攻撃で、見境なく閃光玉や痺れ玉みたいな代物を使ってくるような連中だ。


 一体何が目的で、誰を狙っているのかは分からねぇが。

 出来るなら、姫さんだけを今すぐここから連れて、洞窟から出た方が安全だろう。


 姫さんが、誰かに向けるその優しさなんかも全て、、自分の身体だけを一番に考えて、大切にしてくれれば、……それだけでいい。


 そうしたら、今すぐにでも俺は姫さんのその手を取って、この場から脱出することだけに全力を注ぐのに。


 姫さん自身が、それを望んでいないってことが分かるから……。


 ――本当に、どうしようもない


 結局俺は、自分のためじゃなくて、“誰かのためにしか動かない”この小さな主人の願いを叶えてやることしか、出来ないんだ。


 顔を上げて、そのことが不満だと言わんばかりに、眉を顰めた俺に。


 目の良い俺とは違い……。

 暗い洞窟内じゃこれだけ至近距離にいても俺の顔なんて見えないだろうに、姫さんから


「ごめんね、セオドア、私のことを心配してくれて本当にありがとう」


 と、柔らかな口調で言葉が降ってきた。


「そう思うなら、本当に少しでもいい、もっと自分の身体のことを大事にしてくれ」


「……うぅっ、ぜ、善処しま……」


「“善処”じゃダメだ」


 バッサリと姫さんの逃げ道を塞いで声を出す俺に、あぅあぅ、と困りきって言葉を続けられなくなってしまった姫さんを見ながら。


【嗚呼、本当に……。適当に流して、嘘でも“うん”って頷けば、それだけで良いのに】


 何に対しても誠実だから、こんな時、嘘がつけなくて、ただ頷くことすら出来ない主人に。


 内心で溜息を吐きたい心境を堪えて、その身体を抱きかかえたまま、俺は立ち上がった。


「……わっ、セオドア……っ?」


「とりあえず、時間が経てば経つほどにアイツ等が戻ってくる可能性も高いしな。

 真ん中の分かれ道に行って、アルフレッド達と合流したあと、全員でマスクを付けてこっちの道に戻ってくる。

 ……オーケー? 今から、来た道を戻るから、呼吸を止めて貰うことになる」


「うん、分かった。……ありがとう、っ!」


 本当に俺の言いたいことがちゃんと分かっているのかと、問いただしたくなりながら。


 俺は来た道をなるべく姫さんの身体に負担をかけないよう最短の距離とタイムで戻ることに決めた。


 本当なら、この場所に姫さんを置いて、俺だけアルフレッド達のいる方へ行って合流するという案も頭の中にはあったんだが。


 流石に何が出てくるかも分からねぇ、こんなにも暗い洞窟内でほんの少しの時間とはいえ、姫さんを一人この場所に置いていくというということの方がリスクがある。


「ねぇ、セオドア。……これって、今から、息を止めていた方がいいんだよね?」


 んっ、と何故か息を止めるためだけに目を瞑って、力が入ったように口をぎゅっと閉じる姫さんのその鼻を俺はむぎゅっと摘まんだ。


「……わっ、!」


「そんな、力が入ってたら多分、一分も持たねぇと思うぞ」


「……あぁっ、や、やっぱり?

 なんか、自分でも無理があるかもしれないなって薄々、思ってはいたんだけど」


「とりあえず、今はそこまでしなくても大丈夫だ。

 俺が手で覆ってるだけで問題ないし、必要になった時に息を止めるように俺が合図してからで充分間に合う」


「……わ、分かった!

 あぁっ、でも、やっぱり本番で上手く出来るか分からないし、もうちょっとだけ練習しておくねっ」


 そうして、一生懸命になって、目の前で何度か息を止める練習をする姫さんに一気に毒気を抜かれた俺は。


 姫さんを抱えたまま、姫さんの小せぇ顔の下半分を自分の手のひらで覆ったあとで。


 俺たちが来た道を、粉塵が本格的に舞っていそうな場所までは、歩いて戻った。


 アルフレッドがいるし、スラムで第二皇子に会った時のことを思い出すに。

 話に聞いただけではあるものの、皇太子もその腕には特に問題が無さそうだし。


 あの男、ヒューゴだって一度だけとは言え、6つ目の洞窟小屋に行けるだけの冒険者としてのキャリアは積んできていることを思えば。


 あっちは、そこまで心配する必要もないだろう。


 俺たちと合流するために、アイツ等も作戦を練って色々と考えて動いているかもしれねぇが。


 そっちと、今は意思疎通が図れないってのが問題だな。


「姫さん、そろそろ粉がかなり舞っている付近に到達しそうだから、本格的に息を止めてもらうことになる。

 なるべく、最短のスピードで駆け抜けるつもりだから、舌だけ噛まないようにな?」


 そうして、俺が姫さんに向かって、そう声をかければ。


「う、うん、分かった。……どーんと、来いっ!」


 と、ぶっつけ本番で、一発勝負をすることが不安だったのか……。


 それともあまりにも緊張しすぎてなのか、よく分からない変な意気込みが、姫さんの口から返ってきた。


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