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第75話 出処不明の噂



 そうして……。


 暫くの間、応接室の一角で、私のデビュタントについて、『ダンスのパートナー』になってくれてると言ってくれたお兄様と遣り取りをしていると。


「……お姫様とのダンスは一応、婚約者候補の俺でも踊ることは出来るはずなんだけど?」


 と、側に立って、私とお兄様の遣り取りを、ジィっと見つめてきたあとで、ルーカスさんが苦笑するように声をあげるのが聞こえてきた。


「……何が言いたい?」


「やっ、別に?

 ただ、必ずしも、殿下が踊る必要性があるのかなって思いまして。

 寧ろ、婚約するのなら、俺と踊った方が、丁度、パーティーでの発表も出来て二倍お得かな、って……っ。

 まぁ、ほら。そこはお姫様次第なんだけど、一応、立候補だけでもしておくのはタダじゃん?」


 そうして、提案するように吐き出されたルーカスさんの言葉に、私自身、目から鱗が落ちるような思いだったけど、確かに、デビュタントのダンスを必ずしも皇族の兄弟が行わなければいけない理由はなく。


 過去にも何度か、婚約が決まっている皇女が行うダンスの時は、その相手がパートナーになっていた場合もあったみたいだし。


 その時点で、仲のいい子がもしもいたならば、極論、幼なじみみたいな関係性の貴族の子息に白羽の矢が立って『踊る』ようなことだって前例としてはあったみたいだから、そこの基準は、結構ゆるゆるだ。

 私に関しては、今までそういった人もいないという思い込みがあったから、当然、お兄様以外に相手はいないだろうと勝手に思っていたんだけど……。


 考えてみれば、ルーカスさんが言っていることは、理に適っているとは思う。


 ――本当に、ルーカスさんとの婚約が結ばれれば、という話ではあるけれど……。


 ただ、今は、婚約自体をどうするか、待ってもらっている状態だから、突然のルーカスさんのその申し出に咄嗟に上手い言葉が出てこずに、何て返せばいいのか困ってしまっていたら。


「うむ、デビュタントや、ダンスの相手の基準とやらはよく分からぬが、アリスと踊るだけでいいのなら、別に、僕でも構わぬのではないか? 皇帝さえ、認めればいいものであるのならば、この中で、アリスとの身長的な釣り合いが一番取れているのは僕だ」


 と、私が困っているのを察して、ルーカスさんとお兄様の間に挟まれていた私の手をとって、私達の会話に割って入ってくれたのはアルだった。


「……あれ? もしかして、アルフレッド君も参戦してくる感じ? これは手強くなりそうで、困ったなァ……」


 ルーカスさんとの出会いや、教会で会った時のことなども含めて、未だに警戒してくれている様子のセオドアやアルもそうなんだけど。


 何故か、お兄様も、ルーカスさんに対して警戒したような様子で、ほんの少しだけ、ルーカスさんの方に視線を向けて厳しい表情になったのを、私と同様に、ルーカスさん自身、感じているだろうに……。


 全く困ってもなさそうな言い方をしながら、次いで何かを期待するような目つきで、さっき、ダンスを一緒に踊ってくれてから、私の側で護るように立ってくれていたセオドアに視線を向けたのが見えた。


「……何を企んでんのか分からねぇけど、俺は、姫さんの護衛騎士だから、そもそも参加出来る立場にねぇよ。姫さんが困らないなら、それでいいって思ったけど

 。……アンタは論外だ、信用出来ない」


 それから、ルーカスさんのその視線を受けて、小さくため息を溢したあと、呆れたようにセオドアがルーカスさんに向かって思いっきり嫌そうな表情を浮かべて眉を寄せ、そう伝えたのが聞こえてくると。


「……えぇっ、それ、本気で言ってる?

 俺ほど信用出来る人間なんて、他にいないでしょっ⁉

 騎士のお兄さんだったら、殿下じゃなくて、俺の方がいいかもってお姫様に進言してくれるかと思ったんだけどなぁっ!」


 と、まるで心外だとでも言わんばかりに、ルーカスさんがおどけた様子で、オーバー気味に表情を変化させて、セオドアに向かって声を上げたのが、私の耳にも入ってきた。


「逆になんで、俺が第一皇子より、あんたの方を信用出来るって思えるんだよ?」


 それに対して、セオドアが更に『不機嫌な様子』を隠そうともせずに、ルーカスさんのことが一切、信用出来ないと思っているような口ぶりで声を出せば……。


「だって、殿下とのファーストコンタクト、最悪だったらしいじゃん? 殿下に、剣の切っ先を向けて、殺してやるって、言ったんだとか?」


 と、ルーカスさんがこの場で出してきた一言で、私を中心にして、一気に応接室の中の空気が凍ってしまい。


「……オイ。なんでアンタが、そのことを知ってやがる?」


「……それは、俺も聞きたいところだが。ルーカス、お前、一体どこで、そのことを知ったんだ?」


 と、ルーカスさんに向けて、問いかけるように質問するセオドアの声色が一気に低くなったあと、次いで、お兄様の視線が、どこまでも険のあるものに変わって、ルーカスさんの方へと向いたのが見えた。


 お兄様がそんな目線を『ルーカスさんに向けている』っていうことは、お兄様からこの話が漏れた訳じゃないのは明らかで……。


 ミュラトール伯爵からの贈り物で、クッキーに入れられた毒の件でお父様の下へ向かう途中『ウィリアムお兄様と一悶着あった』話を、何故、ルーカスさんが知っているのかと、私は、内心ではらはらしながらも、この話をもっと聞いた方がいいのか、それとも今すぐに、一気に温度の下がったような、この場の空気を何とかして止めた方がいいのかと迷いつつ……。


 結局、どういうことなのか教えてほしい、と、話の続きを促すように、ルーカスさんの方へと視線を向けた。


「……おしゃべりな侍女が、どこかで、その噂を聞いたんだろうね。

 皇宮に来た時に、俺にわざわざ、教えてくれたんだよ。出所不明な噂が出回っているみたいだけど、信憑性の高いものらしいから、皇女様の野蛮な騎士に噛みつかれるかもしれないので気をつけてください、ってね。

 親切心のつもりなんだろうけど、明らかに殿下側の俺に言ってきてるんだから、お姫様の状況を、快く思っていない人間がべらべらと言いふらしているんだろうってことは想像に難くない」


 私達の視線を受けて、ルーカスさんがさっきまで、にこにこと浮かべていた表情を、顔から一切、消し去ったあと……。


 はっきりと、そう口に出して、この場にいる全員の顔を見渡すようにして、私達の方を真面目な表情で見つめてくる。


「お前に、そのことを言ってきた侍女の名前は……?」


「俺も全員が全員、宮で働く使用人の顔と名前を覚えてる訳じゃないから流石にそこまでは……。

 ただ、俺の見慣れない子だったのだけは確かだから、少なくとも殿下の近くにいる侍女じゃないよ。

 ……っていうか、俺は今、この話をここでするまでは、この噂が面白半分で作られた嘘なのかなって、思ってたんだけど。

 ……お兄さん、本当に殿下に、殺してやるだなんて言った訳?」


「……容赦しねぇ、って言っただけだ」


「……わーお。それは、また……。

 お姫様を守るために、普段、俺に向けてお兄さんが見せてくる本気じゃないじゃれ合いの延長みたいな威嚇とは、また、違う訳でしょ?

 殿下に剣の切っ先を向けた上で、そんなことを言った人間が、まだここに、こうして普通に過ごしていられること自体が、俺には、凄く不思議なんだけど……」


「……っ、あの、違うんですっ! セオドアはその時、私のことを守ろうとしてくれただけでっ……!」


 セオドアとお兄様とルーカスさんの三人で、みんなが一様にこの場で声を出し、特にルーカスさんの『当時の状況について詮索してくるような、一言、一言』で、セオドアとお兄様の気が張り詰めて、緊迫したような、ピリッとした緊張感のようなものが、辺り一帯を支配してしまい。


 ……どこまでも剣呑な雰囲気になってしまったことで、一人、オロオロしながらも、この場の状況を何とかしなければと、制止するように声を出した私の言葉に、みんなが、一斉に私の方を見つめてくる。

 その視線に、ほんの少しだけ、たじろぎながらも……。


(どうして、皇宮で、そんな話が広まってしまったのかは分からないけど……)


 あの時、お父様の執務室に近い場所で話していて、皇宮の廊下で話していたのは確かだったから、誰かが通りかかった時に、偶然、聞いていたとしても何ら不思議じゃないなぁと思う。


 それでも、この話でセオドアが、『野蛮な騎士』だなんて言われる筋合いはどこにもないはずで、寧ろ、私がしっかりしていなかったせいで、たとえ噂話であろうとも、セオドアに非難の目がいってしまったことに、自分自身が情けなくなってきてしまった。


「私が、もっと。ちゃんとはっきりと言葉を出して、お兄様の問いかけに答えられていたら、セオドアがそんな対応をしなくてすんだので、悪いのは、私なんです」


「……っ、いや。

 ……お前が悪い訳じゃない。

 お前の話をきちんと信じられなかった俺に非がある話だ。

 だからといって、剣の切っ先を俺に向けて来たこの犬が、悪くない訳でもないが……」


「ハッ! その節は、俺の短気で突っ走って悪かったな。

 俺はまだ、あの時のアンタの姫さんへの発言を許してはねぇけど。

 ……それでも、姫さんに迷惑がかかるなら、謝罪なんざ、幾らでも安いものだ」


 私の言葉に意外にも、一番、最初に反応して声を上げてくれたのはお兄様だった。


 そのあと、続けてセオドアが、私のためを思って、お兄様に謝ってくれたことに、びっくりしていたら。


「……うん? あれ、もしかしてこの話って殿下が悪いの?

 俺はてっきり、お兄さんが十対零の割合で悪いのかなって思ったんだけど」


「……九対一で俺が悪い話だ」


 と、ルーカスさんの問いかけに、お兄様がはっきりと、自分の方に『非があることなのだ』と認めてくれた。


 ――その上で……。


「お前のことを信じてやれなくて、悪かった」


 と、私に向かって、真っ直ぐに視線を向けてくれたあと、頭を下げて真摯に謝罪してくれるお兄様の姿に、思わず、目をぱちぱちと瞬かせて、私が驚いてしまっていると……。


「……うわ、珍しい……。

 殿下が間違ったことをするだなんてっ。一体、何をやらかしたの?」


 と、純粋な驚きに満ちたような声色で、ルーカスさんが此方に向かって言葉を発してくる。


 いつだって、清廉潔白と言ってもいいほどに、周囲からの評判が高いウィリアムお兄様が何かの間違いを犯すだなんて、到底、信じられないと思っているようだった。


 ルーカスさんの反応に関しては、私自身も分からなくはないと思う。


 だからこそ、その驚きだったのだろうと、理解することも出来た。


 ……それから、ほんの少しだけ、普段、あまり表情に変化のないウィリアムお兄様の表情が、どことなく後悔するようなものになったのを感じながらも。


「アリスが毒が入ったクッキーのことを皇帝に話すその前に 、この男が嘘だと断じたのだ」


 と、私達が何も喋らなくなってしまったことで、フォローしてくれるように出してくれたアルのその一言で、ぴたり、とルーカスさんの動きが、その場で固まって、驚いたような表情を浮かべて此方を、マジマジと見つめてくるのが見えた。


「……?」


 ミュラトール伯爵が、私に毒のクッキーを贈ってきて断罪されたことは、社交界でも広まっていると、ローラの口から聞いていたから、広く一般的にも知られているし。


 この間、洋服を作りにジェルメールへと行った時、ルーカスさんも『お土産』を渡してくれる際に、かけてくれた言葉で配慮してくれていたはずだから、知らない訳がないと思うんだけど。


 どうして、そんな表情をしているのか分からなくて首を傾げた私は……。


「……お姫様。

 それって、一欠片でも、口に入れて食べたから、毒のことが分かったの?」


 と、次いで、此方に向かって、詳しい事情を聞きたいと言わんばかりに、どことなく心配そうな表情を浮かべながら出されたルーカスさんの言葉に、私は『あぁ……っ』と、思い当たった。


 表向きに、お父様が発表してくれたらしい内容は、ローラが教えてくれた話の内容を聞いた限りでは『皇女の贈り物』に毒が混じっていて、ミュラトール伯爵を断罪したという内容のみだったはずだから……。


 ――私自身がクッキーを食べたかどうかは、世間では広まっていなかった気がする。


 普通なら、皇族の検閲係が、贈られてきた物に毒が入っていることを見破ったと考えるのが妥当だろうから、お父様に、わざわざ『私が毒の入ったクッキー』の話をしに行くこと自体が、ルーカスさんからしたら、違和感のあることだったのだろう。


 貴族が処罰されれば、当然、そのことは広く世間一般にも知れ渡ることになるけれど。


 皇宮で仕えている者の処罰は『皇宮内で完結してしまう』ことも多いから、検閲係が自分達の仕事をきちんとしていなくて処分されてしまった話は、ルーカスさんの耳には届いていなかったのかもしれない。


「アルが気づいてくれたので、一口も食べることなく大丈夫でした」


 私のことを心配してくれているセオドアやアルは勿論のこと、何故か、ウィリアムお兄様まで、クッキーの中に毒が入っていた話で、どことなく暗い表情のまま沈黙してしまい。


 その上、ルーカスさんまで、微妙な感じの雰囲気を纏い始めたことで、このままでは良くないと感じながら、ほんの少しだけ、暗くなりかけてしまった部屋の雰囲気を少しでも明るくしようと思って、にこりと笑顔を向けた私に、ルーカスさんの驚いたような表情は、僅かばかり、ホッとしたような顔つきに変わったあとで。


 次いで、一瞬躊躇ったような表情を見せ、そこから何かを振り切るように、混じりけのない興味のようなものへと変化して、アルへと向いた。


「……アルフレッド君ってさ、毒のこととかも見破れるほど、そういう知識に精通しているの? もしかしたら、医学とか、そういうものに、詳しかったりする?」


「えっと、アルは、特殊な環境で育ったので、葉っぱの効能とかの知識があるんです」


 ルーカスさんからの問いかけるようなその言葉に、アルが精霊だということは言う訳にはいかないものの、特に隠している訳でもない情報を私が伝えれば……。


「……あぁ、なるほどね。そっか、そういう知識、か……」


「……ルーカスさん?」


「いや、ごめん、何でもないよ」


 と、言葉を濁したあとで、少しだけ『残念そうな表情を浮かべた』んだと思う。


 ――一瞬のことだったから、私の見間違いだっただろうか、と。


 私がそう思った時には、もう、ふわりと笑みを浮かべたルーカスさんの表情はいつも通りに戻っていた。




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