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第67話 婚約の申し込み


 「……えっ と、婚約、です、か?」


 今、お父様から言われたその言葉が信じられなくて、この場にいる、お兄様とルーカスさんとお父様の表情を何度か往復するように確認してみたけれど。


 みんなが、揃いも揃って、真剣な表情を浮かべていたから……。


 ――これは、突然のドッキリとか、そういう類いのものではないのだろう。


「あぁ、婚約って言ってもさっ、あくまでも形式的なものね?

 ゆるーく、かるーく、簡単に考えてくれて全然いいんだよ。

 大人になったら、皇女様の意思で破棄が出来るくらいのもの、って言ったら分かりやすい?」


 私が一人、突然言われた婚約の話に戸惑ってしまっている間にも、まるでプレゼンをするかの如く、流暢に、ルーカスさんが私の困惑に答えるように声を出してくる。


 お父様の言葉に、動揺しているのは私だけではなく、私と一緒に、この場について来てくれていたセオドアもだったんだけど……。


 何か言いたげな雰囲気ではあったものの、お父様もいる手前、喋ること自体が許可されている訳ではない護衛騎士の立場だからこそ、何も言えない様子で押し黙りつつ。


 多分、私のことを心配してくれながら、ルーカスさんに対して、どこまでも険しい表情を浮かべてくれているのが見えた。


 あまり話したこともない人なのに、いきなり持ち上がってきた突然の婚約の話に驚いたのは勿論のこと。


(婚約するのに、簡単に破棄することが出来るだなんて……)


 ――それは、一体、婚約する意味なんてあるのだろうか?


 と、今、ルーカスさんにかけられた言葉で、余計、意味が分からなくなってしまって、必死に頭の中で、その言葉を噛み砕いて解釈しようと試みてみたけれど、現状の説明だけでは、更に、こんがらがることしか出来ない私に。


「……今、皇女様が自分に足りていないものって、なんだと思う?」


 と、ルーカスさんから、まるで謎掛けのような言葉をかけられて。


「たりない、もの……?」


 と、その言葉を、一生懸命、頭の中で考えながらも……、皇女である私に足りないものは、それこそいっぱいあると思うけど、と感じながら、ルーカスさんが、一体、何のことを言っているのかが分からず、直ぐには答えが出せなかったものの。


 ややあって……。


「皇女として、皇族としての役割をこなすだけの、知識。……とか、でしょうか?」


 と、私は、お父様やウィリアムお兄様の注目も浴びているこの状況下で、ルーカスさんに向かって、その質問に慎重に答えるように、声を出す。


 巻き戻し前の軸の時も含めて、きちんと出来ていなかったという後悔があるから、皇女として、皇族として、どう考えても、勉強不足であるということは何よりも自分が一番分かっていることだし。


 今は、それが、どんなものよりも一番、急務で必要だということは認識している。


 だけど、私のその返答は、今、この場で求められているものとは違ったのか……。


 ――ルーカスさんが苦笑しながら。


「それはこれから先、皇女様自身が頑張れば、どうにでも出来る問題だから不正解かな。

 ……正解は、後ろ盾だよ」


 と、わざわざその答えについて、私に向かって教えてくれた。


「うしろ、だて……ですか?」


 今の今まで、自分では全く予想もしていなかった解答すぎて、思わず懐疑的な声になってしまった。


 だけど、ルーカスさんはそんな私を咎めることもなく、目の前で口元を緩め、ふわりと柔らかな笑みを溢しながら、こくり、と私に向かって一度、頷いてくれたあと、そのことについて説明し始めてくれる。


「そう。

 ……皇族でありながら、レディーの立場は現状、あまりにも弱すぎる。

 皇族として、これから先、ちゃんとした貴族の後ろ盾は持っておいた方がいい。

 じゃないと、直ぐに潰されかねないからねっ……。

 ちゃんと何かあった時に守りますよって、意思表示して、支持してくれる貴族を探しておくべき」


 ……はっきりと告げられたその言葉には、私自身も納得することが出来た。


 そう言われてみれば、私には確かに支持をしてくれるような貴族なんて誰もついていない。


 巻き戻し前の軸でも、碌でもないような人達が私に近寄ってきて、傀儡かいらいにしたいと思われるようなことはあったけど。


 それでも、私の目に見えている範囲で、私のことを本当の意味で支持してくれるような『そういう人達』がついていなかったからこそ。


 ――私が犯罪者として濡れ衣を着せられて檻の中に捕らえられ、冤罪で、殺されてしまっても……。


 多分、誰もそれを不当なことだと、そういう訴えを起こしてくれなかったことから考えても、後ろ盾として『貴族』がついてくれるっていうことは、それだけ大事なことなんだろうなと、今の私でも何とか理解することが出来た。


 一番、今の私の後ろ盾について くれる可能性があるのは、公爵家として、お母様の実家である、お祖父さまの存在だけど。


 お祖父さまはその立場から、一言、何かを発しただけで、あまりにも今、平穏を保っている皇宮のバランスを崩しかねないほどの強大な影響力を持っているからこそ、常に公正であることが求められ、私の後ろ盾になろうと思ってくれても、表立っては動けないというか……。


 それこそ、お祖父さまが本気で私の後ろ盾になってしまうと、身内への贔屓だとも取られかねなくて、不用意に、周囲の貴族の反発も招いてしまう恐れがあるから、難しいんじゃないかな。


 それでも、私に、何かあった時には力を貸してくれそうな雰囲気だったけど……。


 たとえ、孫の立場であろうとも、この間、お会いした時、お祖父さま本人が、そういった政治や皇宮のことについては、あまりにもシビアな目線を持っていたから、きっとお祖父さまは、私だけではなく、皇宮のことも、国のことも加味した上で、その辺りの判断を下すだろう。


 でも、だからといって、ルーカスさんが……っ。


 この国の貴族の中でも、特に『有力な家柄』だと名高いエヴァンズ家が、私についてくれる理由ってなんだろう?


「あのっ、でも、それで……。なぜ、普段、お兄様の傍についているはずのルーカスさん、が……私を?」


 困惑しながらも、その理由に関しては一切、心当たりがなくて、問いかけるように質問すれば……。


「だからこそだよ。俺が、普段、殿下の傍についているからこそ、皇女様の婚約者になるのが一番適任なんだ」


 と、真面目な表情を浮かべたまま、ルーカスさんがしっかりとした口調でそう言ってくる。


「……え、?」


 その言葉に、一体、どういう意味なのかと首を傾げるしかない私に……。


「普段、殿下の傍についている俺が、皇女様の婚約者になることで。対外的に、殿下と、皇女様は仲がいいって、思わせられるでしょ?

 ……で。それは、皇女様自身が、殿下がこの先、皇帝陛下になるということを、実質的に認めているってことのアピールにもなる。それこそ誰かが、二人を敵対させることも出来ないくらいにね?

 それは、レディーの今後を守るためにも必要なことだ」


 その上で、まるで、芝居染みたような雰囲気で力説してくるルーカスさんのその言葉に、びっくりして、私は思わず言葉を失ってしまった。


「……っ、」


 今まで、そんなことは、思いつきもしなかったんだけど。


 確かにその方法なら……。


 ――必然、私の意図も周囲に汲んでもらいやすくなるのだろうか……?


 そう考えたら、確かに私にとっても悪い話ではないのかもしれない。


 お兄様と敵対する意志はないけれど、みんなのことも守りたいと思っている私にとっては、寧ろ、有り難い申し出のような気もする。


(あ、れ……?)


 そこで、不意に、違和感に行き当たった。


「……じゃあ、さっき、お兄様が怒っていた理由、って……?」


 この話で、ウィリアムお兄様自身は何も失わないどころか、私が明確に公の場で、お兄様と敵対する意志はないとアピールをすることで、得にもなると思うんだけど。


 どうしてさっき、あんなにも珍しく、普段、無表情であることが多いその瞳を吊り上げてまで、ルーカスさんに対して怒っていたのだろうか?


(もしかして、私が将来、ルーカスさんと結婚するのが耐えられないからとか?)


 ルーカスさんは、お兄様にとっては一番の側近だから、私みたいな人間とルーカスさんが形だけでも婚約するのが嫌だったとか、そういう理由なんだろうか……?


 思わず、問いかけるように出した私の言葉を聞いて、お兄様がどこか、ばつの悪そうな表情を浮かべて、ふいっと、私から視線を逸らしたのが見えた。


「……勘違いするなよ。

 こうやって、だまし討ちみたいなことをしているルーカスが気に食わなかっただけだ」


「……??」


 そうして、お兄様から降ってきた言葉は、私の予想していた内容よりもずっと斜め上のもので、ますます混乱してきてしまう。


「……お前と事前に話をした上で、婚約の話を断りにくくさせているコイツのやり口が好きじゃない」


 そのことに、一人、戸惑って、混乱したままの私を見て、不憫に思ったのか、補足するように、お兄様からそんな言葉が返ってきた。


 その言葉に、私は思わず目を丸くしてしまった。


(私が、婚約を断りにくくなるから、ルーカスさんのやり口が好きじゃない、?)


 それって、まるで、何だか、お兄様が、私のことを思って、そう言ってくれているようにも聞こえてしまうよね?


(ううん、流石に、そんな訳はないかな……。

 まさか、お兄様が私のことを思って、そんなことを言ってくれるはずがないがないんだから、きっと、私の勘違いだよねっ!)


 私が一人、もしかして私のことを考えてくれて『ルーカスさんに対して怒ってくれたのかな?』と、お兄様の行動について、そうなのかもしれないと感じつつも、ぶんぶんと首を横に振り『セオドアやアルみたいに、私のことをお兄様が考えてくれている訳がないんだから、きっと勘違いだ』と直ぐさま、浮かんできた自分の考えを、真っ向から否定している間にも……。


「やだなぁ、殿下。

 俺は皇女様の意見も聞いた上で、誰にとっても一番いい方法を模索したつもりだよ?」


と、ルーカスさんとお兄様の会話の遣り取りは続いていて……。


「……嘘をつくな。

 この間、アリスをデートだと言って外に連れて行った時に、もう暫くしたら、アリスの意思に関係なく会えると思うとかほざいていたのはどの口だ?

 あの時からもう既に、頭の中ではこうなる未来を、はっきりと描いていたんだろう?」


「……別に、嘘はついてないよ。

 実際問題、最終的に判断するのは俺じゃなくて、皇女様自身だからね……っ。

 頭の中に、そのプランがあるだけじゃァ、ただの空想にすぎないでしょっ?

 事前に教会で偶然出会ったことで、皇女様の意見も聞けた上で、やっぱり俺の考えていたプランがベストなんじゃないかなって、思っただけで」


「……はっ、よくも、そんなにもつらつらと、舌が回るな?」


「お褒めいただき光栄です、殿下」


 ポンポンと、軽快な遣り取りをしながらも、一応、皇太子という立場であるはずのお兄様に対しても一切、臆することなく、その遣り取り自体も、普段から、そうしているのだと分かる態度で、眉を寄せて怒ったままのお兄様の言葉を軽くあしらって、ルーカスさんの瞳がお兄様から、私の方へと向いたのが見えて……。


 急に視線を向けられたことと、穏やかな表情ながらも、ジッと、まるで見透かすかのように私の方を見つめてこられたことで、なぜだか分からないけれど、思わず、その視線にドキリとしてしまう。


「まぁ、俺がこうして皇女様の婚約者にならなくても、今後、皇女様を支持したいっていう、貴族は、きっと沢山出てくるとは思うよ。……婚約者候補もね?

 でも、デメリットで言うなら、その全てから、皇女様自身が、自分にとって最良の後ろ盾や婚約者候補を選ばなければいけなくなるってことと。

 第一皇子殿下と争うつもりがないっていうその意思があるのなら、俺以上の適任者は、自分で言うのもあれだけど、これから先、いないだろうってことだ」


 ――今、この場所で、ルーカスさんのその話を聞けば聞くほどに、よく出来ているなぁ、と感じてしまった。


 目の前で、傍から見れば十歳にしか見えない私にも分かりやすく説明してくれる『ルーカスさんのその話』の内容に、どこにも、問題視するような要素は存在しない。


 文字通り、私のことも、お兄様のことも考えて持ってきてくれた話なのだろう……。


「……はい、そうですね……」


 こくりと頷いた私に向かって、ルーカスさんが、柔らかい笑みを浮かべてくる。


 そうして……。


「……うーん、そうだなぁ、六年。お姫様が、成人になる年の十六歳になるまでは、俺と婚約しておく。

 その先の未来はまた、お姫様自身が考えればいいとは思うんだけど……、それまでに好きな人でも出来たら、別に破棄してくれてもいいしね?

 どう? 悪い話じゃないと思うんだけど」


「……っ、」


 言われたその言葉に、思わず、びくり、と身体が震えてしまった。


……」


 震える声色で、その言葉を復唱するように声をあげれば。


「うん? どうかした?」


 と、ルーカスさんが私に向かって首を傾げながら、問いかけてくる。


(……おちつけ……っ)


 ――十六歳になるまで……。


 だなんて、当然、ここにいる全ての人間の中で、私しか知らないことだ。


 六年後の未来、私は二番目の兄に殺される。


 その未来が、今の段階で、回避出来ているのかどうかもよく分からない。


 フラッシュバックをするかのように、あの日の情景が目の前に、あたかも今起きていることかのように、生々しく浮かんでくる。


 ありもしない罪をでっち上げられて、自室に重々しくガチャガチャと鎧を鳴らしながらやってきた騎士達。


 ウィリアムお兄様が戴冠式を行って、お祭りムードだった世間の波に逆らうかのように、暫くの間、暗い牢屋に捉えられた私……


 そうして、ローラがどこから手に入れてきたのか、きっと命がけだったと思うんだけど、鍵を持って、鉄格子で覆われた私の牢屋の扉についていた錠を開けてくれて、それに気づいた騎士に刺し殺されてしまったこと。


 必死で、逃げている状況下で、二番目の兄であるギゼルお兄様に見つかり、そうして胸を刺されてしまったこと。


 あんな思いはもう、二度と味わいたくないし。


 何としても、少なくとも、ローラが殺されてしまう未来については、絶対に回避しなければいけない。


「いえ。ごめんなさい、なんでもありません。……あの、幾つか、聞いてもいいですか?」


 ……私は、目の前に浮かんできた六年後の、その嫌な映像を振り払うかのように、ルーカスさんの顔を真っ直ぐに見つめて声をあげた。


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