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第63話 不安な夜



 あれから……。


 夜も更けて、みんなが私の部屋からいなくなったあと。


 ふかふかのベッドの上に寝転がって、眠りにつこうと何度か試みてみたものの、全く寝付くことが出来ず。


 一人になると、今日、教会にある孤児院で『ルーカスさんと話したこと』を思い出したり、お祖父様と会って、お母様のことを話したことを思い出したりと……。


 本当に、止めどなく、余計とも思えるような要らないことが、どうしても頭の中に浮かんできてしまって、私は、この場で、幾度も寝返りを打つ。


 ……さっきまで、セオドアも、アルも、ローラも、ロイも、みんながこの部屋で私と会話をしてくれていて、どこまでも暖かい温もりに包まれていたからこそ、余計そう感じてしまうのだろうか?


 一人きりになってしまった『この部屋』は、途端に寂しくなっていまい、もの悲しい雰囲気が漂ってきていて、私はその寂しさをなるべく感じないよう、振り払うように上半身を起こした。


 それから、ホッと一息吐くために、さっきの診察でロイに言われて、早速、ローラが出してくれたハーブティーを飲もうと、ベッドの横にあるサイドテーブルの上に置かれているティーカップを持ちあげて、

その縁【ふち】に口をつける。


 静かな部屋の中で……。


 さっきまで、みんなと話していた内容を、反復するように思い出しながら……。


 あのあと、皇女として、皇族の一員として、しっかりと行動に移していかなければいけないだろうからと、これから先のことを考えて、私に、家庭教師やマナー講師を再びつけてもらうように。


『診断書には、もう大丈夫だと書いてほしい』と、お願いをしたら、ロイが困ったような表情を浮かべて、私のことを見てきて。


 ――その意図が、今ひとつよく分からなくて、詳しく事情を聞けば……。


『……実は、皇女様についていたマナー講師なのですが、数日前に解雇されていて……』


 と、言いにくそうにそう言われてしまい、私も驚いたんだよね。


 どうして、そんなことになっているのか、全く分からなくて首を傾げるしか出来なかった私に。


『第一皇子様と、マナー講師の間で、何らかの遣り取りがあったらしいということまでは分かっているのですが、それ以上のことは、私達の耳にまでは、入ってきておらず……』


 と、本当に申し訳なさそうに、そう教えてくれたロイの言葉を聞いて……。


 私は、そこで、はたと思い出した。


(……こんな場所じゃなかったら、今までにも似たようなことがあったのか?)


 そう言われて、エヴァンズ家での御茶会の時に、ウィリアムお兄様に、マナー講師に今まで辛く当たられていたことを伝えたのは私だ。


 もしかしたら、それで……?


 あれだけ私に興味なんて欠片もなさそうだった雰囲気のお兄様が、そんなことで動くともあまり思えないんだけど。


 突然、ウィリアムお兄様の判断で、私についていた『マナー講師が解雇されてしまった』ことに関しては、他に、適切な理由が思いつかなかった。


(だとしたら、私のことを考えてくれたのだろうか……?)


 ――普段から、私とは一切、関わろうともしてこなかったお兄様がっ?


「だめだ……。本当に、分からない」


 みんなが、この部屋からいなくなったあとも、色々と頭を巡らせて、こうして考えてみたけれど。


 ただでさえ、殆ど表情に変化がなくて、その感情については読みに取りにくいお兄様が一体何を考えて動いているのかだなんて、精一杯、私に出来る限り、頭の中で理解しようと思ってみても、結局、その行動に答えは見つけられなかった。


 だけど、もしも、お兄様が『マナー講師』を解雇したのだとしたら、恐らく、家庭教師については、そのまま同じ人が来てくれるだろうから、継続して頼むにしても、マナー講師はお父様に言って、新しく私についてくれる人を探した方がいいんだろうな、ということだけは、少なくとも今の段階ではっきりしていた。


 今日、公爵家に行って、お祖父様とどんな遣り取りをしたのかだとか、マナー講師のこととか。


 私がこれからも、お兄様と敵対するようなつもりは一切なくて、皇女としての立場を弁えて、皇族の役割をきちんと果たせるようにするつもりがある、ということも……。


 お父様には、話しておかなければいけないことが、沢山ある……。


(思えば、巻き戻し前の軸とは、随分、違う道を歩き始めてしまったな)


 だからだろうか?


 ――こんなにも、今、焦燥感にも似たような、不安に襲われているのは……。


 ローラが早速、今日から持ってきてくれていたホットのハーブティーは、どこまでも優しく温かい状態を保っていて。


 紅茶と一緒に中に入れてくれているのは、カモミールの皮を刻んでくれたもので、それで、紅茶に風味付けをしてくれているのは、私にも分かった。


 そこに、さっきと同じように、ほんの少しだけ口をつけたものの。


 考えることがあまりにも多すぎて、なんとなく、このまま眠れるような気分ではなくて、ベッドの上からそっと降りた私は、夜風に当たりたくて、ちょっとだけ部屋の外に出ようと、そのまま、ティーカップを手に取り、ぺたぺた、と床に足をつけ……。


 廊下に繋がる自室の重たい扉を、キィ……っ、と開けた。


 その先、で……。


 私の部屋の前に、ずっと控えていてくれていたのだろうか、大きな身体が見えたかと思ったら、ぱちりと、セオドアと視線が合ってびっくりする。


(一体、いつから、こうして、夜の間も傍にいてくれたのだろう?)


 ――多分だけど、この雰囲気からいったら、今日だけじゃないよね?


「……セオドア?」


 自室の扉を、パタンと閉めてから、完全に廊下へと出たあとで、動揺しながら、その顔色を窺いつつ、その名前を呼んだ私に、セオドアがどこまでも優しくて柔らかい表情を浮かべながら、此方に視線を向けてくる。


「……珍しいな。姫さんが夜、部屋の外に出てくるだなんて」


「セオドアもっ。……もしかしてだけど、私のために、いつも夜にこうして、扉の外で警護をするために待機してくれていたりする?」


 ……いつも、一体、どれくらいこうして、夜の間『この場所』に、立ってくれているのだろう?


 今まで、一切、知らなかった状況に、一人、オロオロと慌ててしまって声をかければ、私の問いかけに、セオドアが苦笑しながらも、肯定するように頷いたのが見えた。


「……ご、ごめんね。これじゃ、私のせいで、セオドアが夜、眠れないよねっ?」


 その姿に、思わずしょんぼりしながら、肩を落とし、落ち込んでしまう。


 ローラやセオドアの優しさに甘えているだけじゃだめだって思って、自分も『頑張らないといけないな』と、決意を固めたばかりだったのに。


 こんなふうに、毎日、夜の間、セオドアが私のことを護ってくれるつもりで、傍にいてくれただなんて予想もしてなくて、申し訳ない気持ちが湧き上がってきてしまった。


「俺が好きでやってるだけで、姫さんが謝ることでもねぇから、ごめんね、は禁止な? それに、俺の場合、眠れないっつぅか、寝る必要がないだけだから」


 ……そのあとで、苦笑したままのセオドアの口から続けて、そう言葉が返ってきたことに、私は目を瞬かせ、今、言われた言葉をなぞるように、問いかける。


「……寝る必要……?」


「……あぁ。餓鬼の頃から、スラムみたいな汚いとこで暮らしてきて野宿が当たり前の生活だったからな。周囲の音とかで、必然、起きなきゃいけない状態に追い込まれることも日常茶飯だったし。そのおかげで、物音が聞こえたら直ぐに目が覚める体質で、ちょっとの睡眠さえ出来りゃぁ、大丈夫な身体になってんだよ」


 私の質問に、まるで、それが当たり前になっているのだと……。


 何でもないように、吐き出されたセオドアの言葉で、今までセオドアが、どれほど、苦労して生活してきたのかということが、私にも手に取るように伝わってくる。


 そして、その言葉の通り、きっと……。


 本当にセオドアにとっては、それが当たり前の日常であり、もう、何でもないようなものになってしまっているのだろう。


 ――何でもないと思えるようになるまで、一体どれくらいの時間がかかったのだろうかっ?


 痛みも、 苦しみも、時が過ぎれば、忘れられるだなんて、嘘だ。


 いつまでも、しこりになって、残り続けるものにそっと蓋をして……。


(これから、先……。出てこないように、ただ願うだけ)


 こういう時、どんな言葉をかけたらいいのか、私には分からない。


 私だったら、こういう時、何も言葉なんてかけなくてもいいから、ただ、誰かに傍にいて欲しい。


 それから……。


 私とセオドアの間に、何も言葉などはなく、静かになった空間で、ゆっくりと、時間が流れていくのを苦には思わなかった。


 セオドアと二人きりで、静かな空間で過ごすことは、全然、嫌じゃない……。


 ローラが淹れてくれたハーブティーを飲むため、持ってきたティーカップにそっと口をつける。


 温かいままのハーブティーが、そっと胸の中に優しく流れ込んでくるのを感じながら、ホッと一息、自分の口から吐息が溢れ落ちた。


 ――だからかな……っ?


「……私は、眠るのが、恐いなって思う時があるよ。深夜に一人で、冷や汗をかいて目が覚めて……。そこで、あぁ……、夢だったんだって、ホッと安堵するの」


 今まで、一度も、誰にも言えなかった自分のことを、こうしてセオドアに向かって、素直に話すことが出来たのは……。


 独り言のように、そっと出した私のその言葉に、セオドアもまた、私の隣にただ立って話を聞いてくれていた。


「……でもね、最近はそういうことが本当に減ってきているの。

 今日、倒れちゃった私が言うのも説得力がないかもしれないけど」


 ――巻き戻し前の軸の時は、独りぼっちの部屋を寂しいと感じていた。


 今も、そう思う時は、完全になくなっている訳ではなく、こんなふうに眠れない夜に感じることもあるけれど。


 それでも、随分、寂しかった部屋の中に温もりを感じられるようになったのは、いつも、私の傍にいてくれる、セオドアやみんなのおかげだから……。


「多分ね、みんなが傍にいてくれるおかげだなぁって、思うんだ……」


 ……精一杯、手のひらを伸ばしても、誰にも、その手を握ってはもらえなかった。


 その寂しさを知っているからこそ、誰かが傍にいてくれるこの暖かな場所を、ただ、守りたい。


 いつだって、私に向けられてくる、その『手のひら』が良くないもので、たとえ、私を殺そうと狙ってくるものであったとしても、それでも、きっと、前に進んでいかなきゃいけないし、立ち止まってばかりもいられない。


 だからこそ、今、『恐い』のだと、セオドアに話を聞いてもらいながら、気づいた。


 ……巻き戻し前の軸の時、独りぼっちだった時には、一度も感じなかったこと。


 ――私の周りにいてくれる人達が大切だからこそ、失うのが恐いだなんてこと。


 これから先の未来が『巻き戻し前の軸』とは、あまりにも変わりすぎて、不透明だからこそ。


 今、どうしようもなく、不安な気持ちに襲われてしまっていること……。


 巻き戻し前の軸の時には、一度もなかった状況が訪れていて、私が進もうとしているこの道が正しいのかどうかなんて、誰も教えてはくれないから……。


「……姫さんがそう思ってる以上に、俺等も、姫さんが自分の主人で良かったって、心の底から思ってるよ。仕えるべき主人が、従者のことを一番に考えてくれるような人で良かったって」


 言い知れないくらいの漠然とした私の不安を、まるで感じ取ってくれたかのように、ぴったしなタイミングで、セオドアからそう声をかけられて、私は目を瞬かせながら、セオドアの方を見上げた。


「……っ、セオ……?」


 私に対して向けてくれる、セオドアの瞳には優しさしか込められてなくて、まるで、内緒話をするかのような声量で、穏やかに笑ってくれるセオドアのその表情に、私は思わず見入ってしまった。


「……だから、俺等が、……俺がっ。いつだって望んで、姫さんの傍にいるんだってことは、決して忘れないで欲しい。姫さんは一人じゃないんだし、俺のことを頼ってくれればいいから。今日みたいに言いにくいことでも、こうやって、俺の耳くらいなら幾らでも貸すことが出来るんだからな?」


 ――どうか、一人で抱え込まないでくれ。


 と、柔らかくかけられたその言葉に、思わず、感極まって、泣き出してしまいそうになってしまった。


「……っ、うん、ありがとう。

 じゃあ、お言葉に甘えて、もうちょっとだけ。このまま、傍にいててもらってもいいかな……?」


 そっと、セオドアから顔を背けたのは、嫌だったからという理由ではなくて、うるうるとしたこの瞳を見ないで欲しかったからで……。


 照れ隠しのように、こんなふうに、不安に感じた夜に……。


 いつだって、独りぼっちだった夜に……。


 本当は『誰かに傍にいてほしかった』のだと、今まで言えなかったことを、我が儘を言うつもりで、ドキドキしながら、お願いすれば。


「……そんな、可愛い願いごとくらい、お安いご用だ、ご主人。たまには、もっと甘えても、我が儘を言ってきても、誰も文句なんて言わねぇよ」


 と、苦笑しながら、セオドアが柔らかい口調で私に向かって、そう言葉をかけてくれた。


 ――なんとも言えない、不思議な居心地の良さと、二人だけのこの空間に充満していく空気感が、あまりにも優しくて、離れがたくって。


 自分の中では、結構、我が儘を言ったつもりだったのだけど。


 セオドアにはあまり我が儘だとは思われなかったみたいで、ホッと胸を撫で下ろした私は、もう少しだけ、あと少しだけ、と、セオドアと一緒に過ごす『この時間』を引き延ばしたい気持ちになりながら……。


 セオドアにかけてもらった言葉に甘えて、特に、それ以上、特別な会話を交わす訳でもなく、静かで温かいこの時間が、ゆっくりと流れていくのを、ただ楽しむことにした。





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