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第60話 防波堤



 ――その言葉が一体どういう意味なのか、よく分からなくて、一人困惑する私を置いて。


 二人は、何の話をしているのか、まるで分かっているみたいだった。


 私を護るように一歩前に出てくれて、ルーカスさんに向き合ってくれているセオドアが、その言葉に眉を顰めて、険しい表情を浮かべてくれていて……。


「やっぱりねぇ。……だと思ったよ。

 今の情勢がきっちりと理解出来ていたならば、お姫様がだなんて言うはずがないもんなァ?

 一方で、お兄さんは、騎士なんてやってんだから、この国の情勢なんて幾らでも入ってくる。

 ……あぁ、それは、騎士のお兄さんだけじゃなくて、そこにいる侍女もそうだ。お姫様に関する噂みたいなものも、なるべく耳に入らないよう退しりぞけてるんでしょ?

 悪い噂も、良い噂も含めて、ね?」


 一方、セオドアのその態度に、一人、納得したようにそう言ったルーカスさんは、次いで私の隣で、セオドアと同じく、ルーカスさんに向かって厳しい表情を浮かべていたローラに視線を向けて、そんな言葉を出してくる。


 ……ローラも、セオドアも、ルーカスさんがどういう意図で、そんな言葉を出してきているのか、分かっている様子なことに驚きながらも、今の情勢がきちんと理解出来ていたなら、私が自分のことをお飾りだと言うはずがないだとか。


 ローラやセオドアが、私に対して、何か隠し事をしているだなんてことも、絶対にないと思うと、未だ、何の話をしているのか今ひとつ掴み切れていない私は、頭の中をはてなでいっぱいにしながらも、みんなの遣り取りを遮るようにルーカスさんに声をかけた。


「……あの、ルーカスさん……。

 セオドアや、ローラが私に何かを隠したりするようなことは、絶対にないと思います。

 っ、きっと、何かの勘違い、では……?」


 どういう意図で、ルーカスさんがそう言ってきたにせよ、日頃から私のことを思いやってくれているローラやセオドアがそんなことをする訳がないと思って、おずおずと問いかけた私の言葉に、にこりと笑みを溢しながら。


「うん、そうだね? 隠してはいない。

 でも、積極的に教えてもいない。……違う?」


 と、彼が声をかけてくる。


「えっ、と……」


 その言葉に対して、返せる言葉が直ぐに見つからず、戸惑うことしか出来ない私に……。


「……じゃぁ、言葉を変えようか。

 お姫様がドロドロとした世界を見なくてもいいように防波堤になってるって言った方が分かりやすいかな?

 それも多分、過剰なまでに、だ」


 と、ルーカスさんが、分かりやすく言葉を噛み砕いて伝えてきてくれる。


 その言葉に、思いっきり驚いて、ルーカスさんの言ってることが本当なのか、ローラとセオドアの顔色を窺うように視線を向ければ……。


「……僭越ながら、申し上げますが、アリス様のこれまでのことを考えたならば、その心が追いついていかないほどに、今の世間の流れは驚くほど急激に、めまぐるしく変化しすぎています。

 だからこそ、慎重になるのは当然のことではありませんか?」


 と、背筋をピンと伸ばして、ローラが毅然とした態度で、私のためを思って、ルーカスさんに声を出してくれるのが聞こえてきた。


 その表情と言葉から、ルーカスさんが、今、私に言ってきている言葉は、全て本当のことで、私が知らない間にもずっと、今まで、二人が私のことを思って立ち回ってくれていたことを知る。


「……だから、余計な噂はなるべく耳に入れないようにしてるって?

 それに対応するのは、お姫様自身であって、君達、従者の役割じゃないでしょ?

 お飾りじゃなくなっているんじゃなくて、その立場が、最早、お飾りではいられないということに気づいていながら、本人に伝えていないのはおかしいんじゃない?」


 私が今まで見えていなかった『二人の優しさ』に驚いている間にも、目の前で、ルーカスさんは口元を緩めながら笑みを浮かべ。


 次いで、何か言葉を続けようとして……。


「……っ、何も知らないくせに、勝手なことを言うなよ?」


 と、私のことを一番に考えて怒ってくれたセオドアのその視線に、怯んだように、その口を閉じた。


「……姫さんが今までどれだけっ、紅色を持っていることで傷ついてきたと思っていやがるっ。

 本当のことを言ってても、信じてもらえない気持ちがアンタに分かるかっ?

 勝手に失望して、勝手に嫌っておいてっ、皇帝からの評価が良くなったら一転、いきなり持ち上げ始めて! ……そんなもので、心変わりするような奴らだぞっ?

 また、何か悪い噂が広まれば、無責任にも手のひらを返してくるかもしれねぇ。

 慎重になって、何が悪いんだよ! その時、傷つくのは姫さんなんだっ!」


 目の前で、ルーカスさんの襟元を掴んで食ってかかるように、一歩踏み出してくれたあとで、真剣に私のためを思って、吠えるように言葉を出してくれるセオドアに……。


「……っ、セオドアっ、ローラ、あの、ありがとうっ。……ごめん、ねっ!」


 と、私のことを考えてそう言ってくれているのは、二人の姿から痛いほどに伝わってきたから、私を庇うように前に出てくれているセオドアの隊服の裾をぎゅっと握って『私は、だいじょうぶだよ』とおずおずと、その顔を見上げて伝えれば……。


 セオドアは、今、ルーカスさんに向けてくれていた『鋭い視線』を、幾分も柔らかなものに変化させて、私の方をちらりと見やってくれたあと、ルーカスさんの襟元を掴んでいたその手をパッと離してくれた。


 そんな、セオドアの姿に……。


 私のことをいつも考えてくれている二人のことを、自分が怒らせたことには気づいてくれたのだと思う。


 ……その意図がどこにあるのか分からない以上は、もしかしたら、敢えて怒らすようなことを言ってきたのかもしれないなというのも、疑惑としてはまだ残っているんだけど、セオドアに開放されて、少しだけ皺が寄った襟元を正しながら、ルーカスさんが……。


「……まァ、確かに。お姫様の今までを考えたなら、俺自身、軽率な発言だったことは認めるし、その点については謝るよ。

 余計な噂に振り回されてしまうかもしれない可能性を考えれば、過剰に守りたくなる気持ちも分からなくはない」


 と、此方に向かって、さっきとは打って変わり、どこまでも真剣な声色で言葉を出してくる。


「でも、世間で噂されていたような、我が儘な皇女様っていう噂自体が違うものだと。今のお姫様を見れば、賢い人間ほど気づくだろうねっ?

 お姫様に、尊い血筋として、二代遡れば皇族に繋がる大公爵の血も流れている以上、君主に相応しいのはお姫様の方なんじゃないかって言ってくる奴は、これから先、絶対に出てくるだろう。

 ……そうなったら、近い将来、殿下との対立は決定的になって、避けられないものになる。今、お姫様に必要なのはそうなった時、戦えるだけの力を身につけることなんじゃない?」


 そうして、私のことを考えてくれているような素振りでそう言われたことに、私はふるり、と首を横に振った。


「……あの、ありがとうございます。

 お兄様についているはずの、ルーカスさんがどうして、そこまで親切に、私にそのことを伝えてくれているのかは分かりませんが……。

 私は、お兄様以上に、君主として相応しい方はいないと思っています」


 そもそも、セオドアやローラが怒ってくれる前に、一番、最初に、ルーカスさんにそう言われた時、ちゃんと、私自身の意志で、そのことを否定出来ていれば良かったなと思う。


 まさか、未来では、お兄様の側近だったルーカスさんに、私が君主になる可能性を示唆されるだなんて思ってもなかったから、動揺していて、ちゃんと自分の気持ちを伝えられていなかった。


 世間がどう言ってこようが、この国に暮らしている貴族達から何を思われようが、いつ、どんなふうに、私を見てくるその視線が変わってしまおうが、正直に言って、私にとってはどうでもいいことだ。


 『君主』の冠なんて、欲しいと思ったことも、今までに一度もない。


 ただ、ずっと……。


(誰かに、心の底から愛して欲しいと思っていた、だけで)


 ――そんな夢、今は叶わないと知っているから……。


 それに、ずっと、小さな頃から見てきたお兄様の苦労みたいなものは、ウィリアムお兄様ではない以上、私にも分からないけど。


 それでも、いつも全てのことを簡単そうにやってのける、その姿が、全部、丸ごと、とも、思わない……。


「……先ほど、私に君主の器がないといったのは、そういう意味も含まれています。

 お兄様は、小さな頃から、誰よりもずっと、努力をしてきた方なので……。

 今になって皇族として、ちゃんとし始めた私と、お兄様とでは比較対象にもなりません」


 しっかりと自分の軸を持って、ルーカスさんにそう答えれば、ルーカスさんは、ここに来て今までで一番驚いたような表情を浮かべて私の方を見てきた。


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