「……はぁ……」
小さく、疲れたようなため息にも似た声が、自分の口から溢れ落ちた。
ここ最近、エヴァンズ家の御茶会に行ったり、ルーカスさんとお出かけをしたりで、かつてないほどに、かなりの頻度で動き回っている気がするのは私の気のせいなんかじゃないだろう。
直近で良かったなと思えることは、この間、セオドアとアルのために仕立てた洋服が無事に届けられて 、私の前で着用して見せてくれたセオドアとアルが、自分達の洋服について、凄く喜んでくれたことくらいだろうか。
朝、起きて、自室でドレスに着替えさせてもらって、ローラが私の髪の毛を結わえてくれている間。
昨日、全然寝付けなくて、変な疲れが抜けきれずにいる私を見て、継母であるテレーゼ様の推薦で、新しくやってきてくれたばかりの侍女のエリスが……。
「大丈夫ですかっ? 皇女様」
と、心配そうな表情を浮かべて此方を気遣ってくれた。
「うん……だいじょう、ぶっ」
へらり、とエリスに対して、無理をするように笑顔を溢せば……。
「……今日は、公爵家に行かれるんでしたよね?」
と、声をかけてくれる。
(そう、そうなのだ……。)
――今日、私は生まれて初めて、お祖父様に会いに行く。
いつもと違う意味でドキドキしていて、昨日寝付けなかったのはこれが理由だ。
おかげで、朝からもの凄く頭が重い。
(お祖父様から手紙が来て会いたいと言われたことについて、事前に許可をもらおうと、お父様に事情を話したら、公爵家からの誘いがあったことに関して驚きはされたけど。……拒否はされなかったなぁ)
私が公爵家のお誘いを受けたことも、お祖父様が私に会いたいと思ってくれていることも、お父様は私の話を聞いて……。
『お前には会う権利があるのだから、好きにしなさい』
と、一言そう言っただけだった。
まぁ、好きにしなさいとお父様に言われたところで、お父様が許可を出した以上は、先代の皇帝と兄弟関係で、『正当なる皇家の血筋』を有していて 、未だに、皇帝陛下のお父様と同等にも近いくらいに権力を持っているお祖父様の要望を無下になんて出来る訳もなく、会わないなんて選択肢が私に取れるはずもないんだけど……。
元々、お母様とお父様は、従兄妹同士の政略結婚であり……。
先代の皇帝が戴冠式を終えて、君主の座に就いたタイミングで、お祖父さまは
代替わりをして、お父様が皇帝になったあとは、すっかり自領にこもってしまって久しく、社交界という公の場にすらあまり出てこないみたいだけど、その影響力は、今でも健在だ。
「アリス様、あちらはどうしましょうか?」
それから、いつも通り、私の髪の毛をリボンを使って結わえてくれていたローラが、全ての支度を終わらせてくれたあと、部屋の片隅に置かれた巨大な兎のぬいぐるみに視線を向けてくれた。
私は、その言葉に対して、ふるり、と首を横に一度振って否定する。
「……流石に、アレを持って行くのは……」
幾ら、お祖父様からのプレゼントだとはいえ、お礼のために、あの大きなぬいぐるみを持っていくには大変すぎる。
お祖父様の意図がどんなものであれ、巻き戻し前の軸では一度も目にしたことがなかった手紙を送ってくれたばかりか、こうして子供が喜びそうなプレゼントまで一緒に贈ってくれたということが、嬉しくなかった訳じゃなくて。
血の繋がっている人から、そんなことをされた経験もあまりない私は、有り難い限りだったのだけど。
どうしても、私があれを持ってお礼に公爵家へ向かったら、それだけで、見た目からして幼く見えてしまうだろうし、流石に、中身は、既にいい大人だから、ぎゅっと大きな兎のぬいぐるみを抱きしめて、初めて会うお祖父様の元へ向かう勇気は出なかった。
……もらったことへのお礼は、絶対に言うとしても、プレゼントのことについては、特に触れられないかもしれないけれど、お祖父様にもしも万が一、聞かれてしまった時には、重たくて持ち運べなかったということにさせてもらおう。
「……そうですよね。
確かにアリス様が、あの大きなぬいぐるみを抱えていたら、目の前が見えなくなって、危ないかもしれませんし……」
「アレを持っていくのは止めよう」
という、私の言葉に真剣な表情を浮かべてローラがそう言ってくれたから、私は、ローラのその勘違いに全力で乗っかることにして、頷き返した。
「うん、お礼だけはきちんと言うつもりだよっ!」
「それがいいかと思います」
鏡台の前に置かれている椅子に座って、『初めて会うお祖父様』というシチュエーションにドキドキしながら、公爵家で何か粗相などもする訳にはいかないからと……。
あれこれと相談に乗ってもらいながら、ローラと二人きりで、そんな遣り取りをしていると。
「……皇女様、今日は公爵家にアルフレッド様もお連れになられるのですか?」
と、エリスが私達の会話が途切れたタイミングで、おずおずと声をかけてきた。
「……?」
セオドアとアルのことを、両方聞かれるのなら、まだ分かるんだけど……。
(なんで、そこで、アルだけ……?)
と、私は不思議に思いながら、まだ仕事に慣れてなくて何をすればいいのかもよく分かっていない様子で、ローラから指示を受けていない時は、邪魔にならない範囲で、私の後ろに控えるように立ってくれていることが多いエリスにそう問いかけられて、首を傾げた。
私がベッドの枕元に置いてあるベルを鳴らして呼ばない時は、いつだって、別室で待機してくれていたらいいんだけど。
ローラが、仕事がない時は、私の部屋で会話をしてくれたりと、一緒に過ごしてくれていることの方が多いから、一人だけ別室で待機する訳にもいかないと考えてくれているのかもしれない。
それよりも、今、エリスに問いかけられたアルのことについてだけど、確か、今日、アルは……。
『僕は、やりたいことがあるのでな、城に残る』
と、言っていたから、私と一緒に公爵家まではついてこないことになっていて、その質問に対する答えには、直ぐに返事を戻すことは出来るものの。
(アルのことが、そんなにも気になることだったのかな?)
と、珍しく、急にそんなことを言ってきたエリスに対して違和感を覚えながら、『どうして……?』と、問いかけるような視線を向けると……。
「あぁ、いえ、そのっ、陛下からの紹介だとはいえ。
アルフレッド様は、日頃から皇女様と、本当に親しくしてらっしゃるので、実は公爵家の方なのではないかという噂がありましてっ。アルフレッド様にも、尊い皇族の血が流れているのではないかと」
と、恐縮したような雰囲気で、エリスが私に向かってその理由について説明してくれる。
その言葉に……。
(……そ、そんな、うわさがっ!)
と、初めて知った『皇宮内で独り歩きしている』その情報に、胸がどきっと一度、高鳴りながらも、私はふるり、と首を横に振った。
「アルの素性は、お父様が隠しているから、私からはなんとも……。ごめんね、エリス」
その上で、難しい表情を浮かべながら、決まり文句のようにそう伝えれば……。
「……いえっ、此方こそ不躾な詮索をしてしまい、本当に申し訳ありません」
と、エリスが頭を何度も下げて、ぎこちなく強ばったような表情のまま、私に謝ってくる。
精霊であるアルの素性に関しては、お父様が段階的にわざわざ『設定』を用意してくれているから、万が一、機密である情報が漏れたとしても、私達が真実を話さない限り、絶対にダミーの情報にしかたどり着けないようになっているんだけど。
(公爵家で、皇族の血が流れている、かぁ……)
今、私に向かってしてきた『エリスの質問』は、そのダミーの設定においては、当たらずといえども遠からずのことだった。
アルが精霊であることが絶対にバレないようにと、お父様が用意してくれたその最終的な、嘘の設定が。
(お父様の親交が深かったとある没落した国で最後に生き残った王子)
というものだから……。
由緒正しい家柄の『やんごとない身分』でありながら、帰る国も、もうどこにもなく、お父様が極秘裏に預かることになった少年。
ありもしないアルの、人間【・・】としての生まれや生い立ちなどの情報を細部までしっかりと作り込んで、わざわざ資料にするというお父様の徹底ぶりには、本当に驚かされるけれど。
――それだけこの情報に関しては、慎重にならざるを得ないということを、勿論、私だって分かっている。
「お父様は多分、公爵家にアルを連れて行っても何も言わないと思うけど。アル自身、今日は、やりたいことがあるから、宮に残るって言ってたよ」
アルの情報については、私からは何も言えないけど、それとは関係なく『今日はやりたいことがあるから、宮に残る』とアルが言っていたことを告げれば……。
「やりたいこと、ですか?」
と、きょとんとしながら、エリスが私に向かって質問してくるのが聞こえてきた。
「うん。多分、一人になりたいんじゃないかな?」
……最近、何をするのにも、ずっと私と一緒に行動してくれていたから、久しぶりに部屋で精霊の子達とも会話をしたいのかもしれない。
前までは、自由に、私の部屋でも、古の森の泉にいる精霊の子達と魔法で通信し、頻繁にコンタクトを取り合っていたのだけど。
アルの事情を知らないエリスが、侍女として私の下へやって来てからは『当然、隠した方がいいだろう』という話になって、アルが精霊の子達と会話をする頻度も必然的に減っていた。
――どんな時も味方でいてくれて、いつでも私の傍に控えてくれているローラとは違って。
あくまでも、ローラの『補助的』な役割を担いながら、仕事をしてくれているエリスには、私の能力も、アルの事情も、やっぱり話す訳にはいかなくて……。
私達の中で、一人だけ『事情を知らない』から、みんなで会話をする時にも、少しだけ注意を払わないといけない。
そういう時は、ローラが気を遣って、エリスにシーツの交換とかで仕事をお願いしてくれて、人払いみたいなことをしてくれているから、今はそれで何とかなっている。
エリス自身は、ここに来てまだまだ日が浅く、少しでも、私のことや、私の周りにいるセオドアやアルのことなどを、もっと詳しく知りたいと思ってくれているのか、今日みたいに、あれこれと色々なことを、それとなく、確認するように聞いてきてくれたりもしているんだけど……。
エリスに対して、言えないことが多すぎて、本当にもどかしい。
(アルのことはまだしも。
いずれ、エリスにも、私が魔女であり能力を持っているということを伝えることが出来たなら、みんなが気を遣ってくれているこの状況も、少しは改善するだろうけど……)
エリスが朝食の席で、お父様とテレーゼ様に任命されて、断れない状況で『私の元へ来た』というのは全員が知っているから……。
――アルのことも含めて、私が魔女であることを、エリスに話すのは、みんなから反対されてしまった。
特に、ミュラトール伯爵から、クッキーの中へ毒が入れられていた事件があってから、セオドアもアルもローラも、みんなが、私の周辺については警戒してくれていて、何かあったらいけないからと……。
私が飲む物などや口に入れたりするものは、エリスじゃなくて、ローラが持ってきてくれたものの方が良いんじゃないかと、知らないうちに、みんなで取り決めてくれていたみたいで、そういう意味でも信頼が薄く、まだまだ、私達とエリスの間には、どうしても、見えない壁のようなものがあるといってもいいだろう、な。
(私が接している限りでは、そこまで、悪い子には見えないんだけど。エリスは、やっぱり、私なんかに仕えるのは嫌だと思ってるよね……)
何せ、みんなから凄く慕われていて、『そのお側につきたい』と思われているであろうテレーゼ様の侍女を、私の所為で降格されてしまったようなものなんだから。
……それでも、今まで私に仕えていたローラ以外の侍女とか騎士みたいに、私に向けて、明確な悪意や敵意みたいなものを、表情や言葉に出さないようにしてくれている分だけ、充分、有り難い方だと思う。
だから、なるべく当たり障りなく、極力、セオドアやローラといった私の身近な人達と同じような態度で接することを心がけて、優しくしているつもりなんだけど……。
(……人に、心がけて優しくするのって、意外とむずかしい……)
……私が、「仲良くしたい」と柔らかい口調で、エリスに向かって頑張って話しかけてみる度に、何故だか分からないけど、エリスの表情が、なんだか落ち込んだような様子で、強ばっていっているような気がするのは、きっと気のせいじゃないと思う。
私の身近にいる人達が、特別なだけだから……。
多くを望むつもりはないんだけど、それでも一緒に過ごす間は、ちょっとでも仲良くなれたらいいなぁ……とは思っているものの。
(……愛嬌なんてどうやって振りまけばいいのか分からないし。やっぱり、私には、ローラみたいに、人から好かれるような親しみやすさなんて欠片もないのだろう)
と、再度認識させられただけだった……。