「……ごめんなさい、私、お父様からは外に出ることを禁止されていて……」
恐らくだけど……、『私自身が皇族の汚点』だと思われているだろうから、
今までだって『必要以上に、外に出ることは禁じる』と、無機質な口調で、断言するように、キツく言い含められてきたから、これは、私の一存で決められる話ではない。
この間『……ずっと長いこと、お前の置かれている状況を見てやれずにすまなかった』と、謝ってもらったとはいえ、それとこれとは別の話だし。
私が外に出るには、必ず、お父様か、若しくはお父様の代理であるウィリアムお兄様の許可をもらわなければいけないようになっているから。
だからこそ、目の前でデートをしないかと言われても、ルーカスさんの言葉には直ぐに頷くことが出来なかったんだけど。
やんわりとした私のお断りの言葉に、ルーカスさんは、皇宮の内情について熟知しているのか……。
それについては『心得ている』と言わんばかりに、こくりと頷いて。
「……それは、その問題が解決すれば、俺に付き合ってもらえると受け取ってもいいのかな? レディー?」
と、此方に聞いてきた上で。
「え……っ? えっと、はい……そうですね」
「それなら、大丈夫。
その問題なら、秒で解決出来るから心配いらない。
それに、お姫様のその髪色があまり目立たないように、基本的には貸し切りのお店に行くよう、最大限の手配はするつもりだしね。
適当に俺に対して、要所要所で、笑顔さえ向けてくれれば、エスコートは完璧にこなしてみせるから」
と、戸惑う私を置いてけぼりにして、押し切るようにそう言ってくる。
その言葉に……。
(お父様を説得することが出来るんだろうか……?)
と、私は更に混乱してしまったんだけど、ルーカスさんは未来では、戴冠式を終えて皇帝に即位したお兄様の側近になる人だし、交渉術とかに長けているのかもしれないと考え直すことにした。
(よく分からないけど、嘘を言っているようにも見えないし、一度助けてもらったお礼をそれで返せるのなら……)
――こういうのは、一回きりだろうし、付き合うのも仕方がない、かな。
何より、御茶会を主催した側だとはいえ、まさか招待客の一人が皇女である私に対して無礼を働くだなんて、予想も出来なかっただろうし。
対策も立てようがなかったと思えば、今回の件はとばっちりみたいなもので、エヴァンズ家がそこまで悪い訳じゃないから……、それで悪い噂が広まってしまっていると聞いて、ちょっとした罪悪感みたいなものが自分の中にあった。
あの日、エヴァンズ夫人には、誠心誠意、謝ってもらえていたというのも、その思いに拍車をかける要因になっていた。
――それがどんなに嘘であったとしても、事実として広まってしまう。
その怖さは、今まで紅を持っていることにより、色んな人達から貶められてきた私自身が、誰よりも一番、分かってるから。
「……断られたらどうしようかなって思ってたけど、皇女様なら、そう言ってくれるんじゃないかなって期待してたから、本当に有り難いよ」
私の対応を受けて、ホッと一安心したようなルーカスさんに、セオドアと、アルと、ローラの冷たい視線が向いていく。
「……だいじょうぶだよっ」
その視線に……。
(私の事を心配してくれているのかな)
と、三人の様子から察して、声をかければ……。
「……姫さんが優しいからって、わざわざ悪意しかねぇ外に。
まるでアクセサリーかなんかのように、見せびらかすように姫さんのことを連れて出るのが、許せねぇ……っ」
「うむ、ただでさえ数日前……、その髪色のことで、お前が傷つけられたばかりだというのを、この男も知っているだろうにっ」
と、セオドアとアルが、私のために憤ってくれるのが見えた。
――私にとって、外は、決して安心出来るような場所じゃない。
前回、セオドアとアルと一緒に外に出た時とは違って、今回はルーカスさんの意図を汲み取って動くなら、私が『皇女である』と、明確に周囲に分かってもらう必要がある。
表立って、この
そのことを、いち早く考えてくれて、私のために怒ってくれているセオドアとアルに嬉しくなりながらも、二人にお礼を言ったあとで。
「でも、あの日、ルーカスさんがボートン夫人と私の間に割って入って助けてくれたのは事実だし。このまま、侯爵家と遺恨【いこん】をつくるよりは、ずっといいと思うんだ」
と声を上げれば……。
私の一言に、セオドアもアルも、ローラも『私が決めたことなら……』と渋々ながら、最終的には頷いてくれた。
それから……。
「……急に呼び出してきたかと思えば、此れは、なんだ? 一体、何を考えている?」
今思えば、ルーカスさんを、皇宮の中にある
私にお客さんが来ることって、本当に滅多にないことだから、動転していたこともあり、そこまで気が回らなくて、皇宮のメインホールで立ったまま、私達がそんな遣り取りをしていると。
……急に降ってきた第三者の、底冷えするような一言に、振り向きたくなかったけど、壊れた玩具のように、首を、ぎぎっと、恐る恐る後ろへと向ければ。
――いつもと全く変わらない冷たさしかない金色のその瞳とかちりと視線が合ってしまった。
瞬間、セオドアが目の前にやって来た人物のことを警戒したように、咄嗟に、私を自分の方へと引き寄せてくれる。
「……っ、ウィリアムおにいさまっ……」
私の呼びかけには、一切、目もくれず。
目の前で……。
「やぁやぁ、お待ちしておりましたよ、殿下っ!」
と、にこやかに、おどけて声を上げるルーカスさんに視線を向けた第一皇子である兄の唇が、少しだけ歪んだのが見てとれる。
「どういう状況だと、聞いているんだが、ルーカス?」
――説明しろ。
と、何も言わなくても、私にも分かるくらい『視線』だけでそう訴えて、ルーカスさんに向かって冷たい視線を向ける兄に。
いつもそうなのか……、驚くことも、謝ることもなく、平然としたままのルーカスさんが。
「エヴァンズ家が、今、在りもしない噂で苦しんでいるのは殿下もご存知のこと……。
つぅか、大体が、殿下が元凶でしょうが……っ?」
と、ほんの僅かばかり、怒気の含まれた声を上げるのが聞こえてきた。
「俺は、事実を言ったまでだ」
それに対して、兄の無機質で無表情な顔は一切変わることがなく。
お兄様相手に、日常会話を殺伐とこなしているようにも見えるその遣り取りに、聞いているこっちの方が、冷や冷やしてしまいそうになる。
「はいはい、その事実のせいで、社交界で今、あることないこと噂に尾ひれがつきまくってんだよ、こんにゃろうっ!
陛下に伝えるにしても、もうちょっと、他に言い方ってものがあったでしょうよっ!
……という訳で、皇女様をこうして、デートにお誘いした次第でございます」
そうして、ルーカスさんが先ほどとは打って変わって、からっと明るく今の状況について説明すれば。
お兄様が、一度だけ、無表情のままでも分かるような冷たい視線を私に向けたあとで、ルーカスさんに視線を戻すのが見えた。
「……はぁ?
とうとうその頭がおかしくなったのか? なぜ、アリスをわざわざ、誘う必要がある?」
「……やだなぁ、お兄様っ! 見て分からないかしら? こうやって、レディーと俺が仲良しであることを、対外的に知らしめるために決まっているからですってば」
……お兄様の冷たい視線もどこ吹く風で、おどけて、にぱっと
此方へと笑顔を向けてくるルーカスさんが、仰々しい仕草で私の手を取ってくれながら、手の甲に一度だけ、その唇を落としてくると、無表情のままの兄の表情が、僅かばかり、いつもよりも不愉快そうなものを見るような目つきでその眉間にも皺が寄ったような気がした。
その上、私の傍に立ってくれていたセオドアも、私に向かってどこまでも気安い態度で接してくるルーカスさんに対して、その失礼とも思える態度に苛立ちを覚えた様子で、「オイ……っ!」と、咎めるように声を出してくれながら、目に見えて怒ってくれているのが分かって。
一気に、この場に充満し始めてしまった
「……気持ちの悪い言葉遣いをするな。
妹を政治的に利用すると、今、その口で言っているのか、お前は?」
「うん? そういうのは、殿下の方が得意だろうっ? それに、俺はちゃんと皇女様から了承は得てやってるんだよ。どこかの誰かと違って、レディーはお優しいから、
……本当、無慈悲で、情の欠片もないどこかの誰かさんとは大違いだよねぇっ?」
「……
「……どこへ、行くんだろうねっ?」
まるで、ゆらゆらと漂う雲みたいに、ふわふわと、あっちこっち要領を得ない説明をして、とぼけながら、ルーカスさんがウィリアムお兄様の目の前で笑う。
(あんなことを、お兄様に言って大丈夫なのかな?)
と、傍から見ている私は、勝手に、一人、冷や冷や、ハラハラしてしまったんだけど、ルーカスさんの言葉に、少しだけ考えこんだ様子の兄は、この状況のルーカスさんに何を言っても無駄だと思ったのか。
暫くしてから、どこまでも呆れたように『ため息』を一つ溢し、険しい表情を浮かべながらルーカスさんの方を真っ直ぐに見つめて、「……連れていけ」と、声を出してくる。
そこまで、大きな声じゃなかったんだけど、静かな空間に、兄の声だけが響いたせいで、それは当然、私の耳に入ってきた。
一瞬、聞き間違えなのかと思ったものの、対峙するようにお互いがお互いに向き合っているルーカスさんとお兄様の表情を見れば、その言葉が決して、私の聞き間違えではなかったのだと悟るのに、そう時間はかからなかった。
まさか、お兄様からそんな言葉が降ってくるだなんて……。
たとえ、天変地異が起きたとしてもあり得ないことだと、今、この場においても、全く、予想だにしていなかっただけに。
――今、ウィリアムお兄様の口から、「私と一緒に城下に行ってくれる」という発言が出たこと自体が信じられなくて。
訝しげに二人の会話を見守るしか出来ない私に構うことなく、ルーカスさんが、まるで面白い物を見るような目つきで、兄を見つめながら、声を上げるのが聞こえてきた。
「うん? 殿下、よく聞こえなかったんだけど、もう一回言ってもらってもいい? 今、何て?」
「二度は言わない。……俺も連れて行けと言ったんだ」
「……はいはい、皇太子殿下一名様、ご案内っ。そう来なくっちゃなっ!」
そうして、まるで、こうなることが最初から分かっていたかのように、全てが『自分の思いのまま、事 が運んでいる』といった様子で、嬉しそうに笑うルーカスさんに。
「ね? レディー。……
と、子供だから、まだまだ背の低い私に合わせてくれたのか、身を屈めたあとで、内緒話をするみたいに耳元で、そう、言われて……。
私は、お兄様がついて来るのなら、今からでも『行きたくないです』と伝えたい気持ちでいっぱいになりながら。
……必死で、ルーカスさんに『本当は、お断りしたい』という視線を向けたけど……。
当然ながら、そんなアイコンタクトに、ルーカスさんが気づいてくれる訳もなく。
――それでも、お兄様の手前、直接、嫌だとは言えなくて……。
(お兄様がついてくるって事前に知っていたら、絶対に行かなかったのに)
と、内心で、勝手にお兄様とルーカスさんの間で『決まってしまったこと』に、恨めしい気持ちを抱きながらも……。
どうして、お兄様はお兄様で『私についてくる』って言ったんだろうと、ビクビクしてしまう。
そろり、と視線をお兄様の方に向ければ、無表情のままの顔色から、その意図を
諦めた私は、結局、どうしようも出来なくて、その場で一人、引きつった笑みを浮かべた。