エヴァンズ家で開かれた御茶会に誘われて、ボートン夫人との事件があってから数日が経ったあと。
日常生活の落ち着きを取り戻し、大分回復した私は、突然の来客の知らせに、『本当に私に用事があるのだろうか?』 と訝しげに思いながらも、心配してくれたセオドアとアルとローラについてきてもらいながら、自室から出て、どこまでも珍しいお客様を出迎えるために、皇宮のメインホールまでパタパタと足を運んでいた。
「帝国の可憐な花に、ご挨拶を。
わざわざ、出迎えていただきありがとうございます。……数日ぶりですね? 皇女様」
私の姿を、その目に入れた瞬間、メインホールの大きな柱の前で、ふわり、と、穏やかな笑みを溢しつつ、貴族らしく此方へと一礼してくるその人に、私は『どうして?』と、頭の中をはてなマークでいっぱいにしながらも……。
「え、っと……ルーカス、さん……?」
と、目の前で、柔和な雰囲気を醸し出しながら、凛と立っているその人の名前を呼び、どうして彼がここにいるのか、という意味合いを言外に含ませたあとで問いかける。
この間の御茶会で初めて会った銀色の長い髪を無造作に束ねているその人は、エヴァンズ家の
この間、少し会話をしたというだけで、今の軸でも、巻き戻し前の軸でも、私とは本当に、殆ど、何の関わりもない人なのに。
「先日の件で謝罪に参りました、
そのまま、真っ直ぐに私の目を見た彼は、仰々しく頭を下げて私に向かって謝罪をしてくる。
そこで、ようやく、この人がわざわざ私に会いに来た理由に合点がいったものの。
けれど、それでも、ここに『彼』が来ている理由が見つからなくて。
「……あのっ、侯爵夫人がっ、来られるのでは?」
と、私は、困惑しながら声を出した。
先日の御茶会を主催した側の不手際として、あの時、招待したボートン夫人が皇女である私を
(何故、エヴァンズ侯爵の嫡男でもあるこの人が、わざわざ、私に謝りに来たのだろう?)
と、疑問に思っていたら……。
「本当なら、それがマナーなんですけど。うちの母親が、このタイミングで、どうしても外せない用事が出来てしまって……。代理の俺で申し訳ないんですが、こうして馳せ参じた次第です」
と、小さく唇を噛みしめながら、本当にタイミング的に外せない用事があったといった様子で、申し訳なさそうにそう言われてしまって。
『よく分からないけど、用事があったんなら仕方がないかな?』と、私が、こくりと、頷こうとした瞬間……。
「一介の侍女である私が、ここで、口を挟むのをお許しください、アリス様。
……けれど、こういう時、主催者であった夫人が謝罪に来られるのは最低限のマナーです。
皇女様に謝罪するという言葉の意味を、エヴァンズ家はどういうふうにお考えなのですか?
今、ルーカス様は、その口で、皇女様に謝罪する以上に大切な用事があった、と。
……そう言っているのですよね? 私の主人であるアリス様のことを、侮辱しているのですか?」
と、後ろで控えてくれていたローラが、キツく咎めるような口調でそう言ってくれたことで、思わぬ展開になってしまった。
驚いて、振り返れば、真っ直ぐにルーカスさんの方へと視線を向けながら、普段、優しいローラが怒ったような瞳でルーカスさんに抗議してくれていて、この間も、私が、あんなことに巻き込まれてしまったと聞いて、私以上に
だけど、正直に言うと……。
(私自身は、感覚が、もう、麻痺しちゃってるかも……)
巻き戻し前の軸の時も含めて……。
皇女でありながら、貴族の間で軽視され、下に見られてしまうということ自体に、私自身が慣れてしまっているせいで、ルーカスさんの対応になんとも思わなかった。
寧ろ、謝ってくれるだけマシだとさえ思うのは、私自身、本当に今までに、こういう時、嫌な思いしかしてこなかったからなんだけど。
「……そう言われると、本当に申し訳ないんだけど、弁解の余地もない」
ローラの追及に、特に言い訳をすることもなく、はっきりと、目の前で、そう言って、私に向かって頭を下げ続けるルーカスさんに、ローラの気持ちは勿論、嬉しく思いながらも、目の前のこの人が嘘を言っているようには、どうしても見えなくて。
「……顔を上げてください」
と、声をかければ、私の、その一言にルーカスさんの顔が上がる。
どこまでも、真剣な表情をしていることを思えば、私に対して心から謝罪をしようとしてくれている気持ちはあるみたい。
それに、本当にエヴァンズ家が私のことを『軽視』しているのだとしたら、あの時、兄であるウィリアムお兄様が傍にいようとも、私のことを助けたりなんてしなかっただろうと思えるから。
「そもそも、あの御茶会の場であんなことが起きるとは、誰も想像もつかなかったことだと思います。……それに、あの時、ルーカスさんと、お兄様……、が来てくださったから、私自身なんともなかったというのも、事実ですし。その謝罪を正当なものとして、お受けしますね」
と、ほんの少しだけ微笑んで……。
『何の遺恨もなくその言葉を受け取るので、気にしないでください』という意味合いを含ませて、かけた私の言葉に、けれど、ルーカスさんの表情は、どこか浮かないままで……。
「それはもの凄く有り難いんですけど。
皇女様、ちょっとばかしどころか、色々と、やむを得ない問題がありまして……。
重ね重ね、本当に、
と、私に向かって声を出してくる。
その言葉は、どこまでも切羽詰まっているような雰囲気で。
「……えっと、はい? でーと、ですか?」
――でーと、って何だろう?
と、頭の中でそんなことを考えるくらいには、まるで突拍子もない一言に、呆然と固まっていると……。
「わわわっ、そこの、騎士さん、ステイっ! ステイっ!
無言で、剣を抜こうとするのは、やめてくれって!」
と、必死な形相をしながら、慌てた様子のルーカスさんが見えて、その視線に釣られるようにして、ローラと同じく私の後ろに控えてくれていたセオドアの方へと視線を向けると。
その瞳を吊り上げて怒った表情を一切、隠すこともせずに、殺気立ったセオドアが、ルーカスさんの方を真っ直ぐに見つめながら、無言で剣の柄を掴んでいた。
それに対して、目の前にいるルーカスさんが緊迫した表情を浮かべて、じりじりと後ずさっていく。
「……謝罪に来たその口で、今度はデートの誘いか?
舐めてるとしか思えねぇ。
姫さん、この男百回ほど、斬ってもいいか? 頼む、うん、って言ってくれ」
「ちょっと……! 百回も斬られたら、死んじゃうでしょうが!」
焦ったような表情を隠すこともなく、わたわたしながら、セオドアに向かってそう言ったルーカスさんは、……次いで、助けを求めるように私に視線を向けてきた。
「……やむを得ない事情、ですか……?」
二人のそんな様子を間近で見ながらも、ぽつり、と、さっきのルーカスさんの言葉を復唱するように出した私の言葉に。
『よくぞ、聞いてくれましたっ!』という顔をしたルーカスさんが……。
「……それがねぇ、君のお兄さん。
第一皇子の、クソ野郎がっ、ありのままを陛下に話したせいで。
それが陛下の逆鱗に触れて、カンッカンに怒らしちゃったみたいで……。
ただ、謝罪をして、皇女様がその事実を受け入れてくれるだけじゃ、もうっ、この話自体、収拾がつかなくなってしまってて……」
と、引きつったような声色で、どこか疲れたように深いため息を溢しながら、私に向かってそう言ってくる。
この場にいないとはいえ、ウィリアムお兄様に対して、はっきりと『クソ野郎』と表現してしまえること自体が本当に凄いなぁと思いながらも……。
それだけルーカスさんが、ウィリアムお兄様と親しい証拠だと思うんだけど。
「……えっと、そう、なのですか……?」
と、私はルーカスさんの言葉を聞きながら、きょとんと、首を横に傾けた。
(そんな話は初耳だったけど、お兄様がお父様にあの時の状況をありのまま、話した、のっ……?)
確かに、ボートン夫人に私が貶されてしまったことについては、あの場で抗議すると言っていたけれど。
――でも、まさか、私が貶されたというだけで、お父様もそんなにも直ぐに動いてくれたのだろうか?
私の耳には何一つ、届いていないその状況に、それが本当に事実なのかどうかすら疑わしくて、どうしても信じられなくて、ルーカスさんに不審な瞳を向ければ……。
「この事実を知っている人間はそう多くないんだけど、元凶である、ボートン伯爵夫人には、
それで、うちの家名は表には出てないんだけど、ボートン夫人がそんなことになったっていうのは、どう足掻いても隠せるようなものじゃないからさ。
真実までは知らないまでも、エヴァンズ家も、じわじわと、真綿で首を絞められるように、陛下直々の怒りを買っちゃったってのが、
と、心底、疲れ切った声色で、ルーカスさんがそう言ってくる。
「そ、そんな、ことが……っ」
「うん、だからね?
皇女様と俺が仲睦まじく、一日一緒に外でデートをしてるでしょ?
そしたら、噂しか知らない貴族達は、ボートン伯爵夫人はあんなことになってるし。
どうやらそれに、エヴァンズ家も関わっているらしいっていう話の
――打算で申し訳ないんだけど、俺が今日、ここにこうして謝罪に来た理由の一つには、皇女様なら、俺のことを助けてくれそうっていうのも計算のうちに入ってたんだよ。
と、全く隠そうともせず、明け透けに本音を言ってくるルーカスさんに、助けてあげたいのは山々だったのだけど、彼のそのお願いに、私は直ぐに頷くことが出来なかった。