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第42話【ウィリアムSide】


「……それで? 一体、俺に何の用だ?」


「最近の父上がおかしいことは、兄上も気付いているのでは……?」


 自室の扉がコンコンとノックされ、勢いよく突然、押しかけてきた弟に一度ちらりと、視線を向けたあと、俺はデスクの前に置かれている椅子に座ったまま、持っていた書類の一つ一つに目を通していく。


 ……父上の仕事のほんの一端を、ようやく最近になって任されるようになってきた俺が忙しいことくらい、コイツも知っているはずだ。


(何か、よほど、重要なことでも言いに来たかと思えば、そんなことか)


 と、弟の一言に呆れながら、眉間に一度皺を寄せれば……、弟は、そんな俺に構わず、子どものように苦虫を噛み潰したような顔で、堰を切ったように喋り始めた。


「……兄上、アイツの騎士を見ましたかっ?

 あの赤目っ……!

 ノクスの民を騎士にするだなんて、幾らなんでも皇族としての恥ですっ!」


 そうして、まるで苦言を呈すかのように苦々しく吐き出された言葉に、俺は口角を上げ、小さく笑みを溢して、手に持っていた書類をパサッと机の上に置いた。


『ノクスの民』


 アリスがその男を、自分の騎士にしたということは、噂で聞いてはいた。


 ――そうして、そのことに好意的な意見が全くないことも。


(皇女様はとうとう、とち狂ったのか……!?⁉︎)


 なんていう噂が、特別アイツの状況を知ろうとしなくとも、勝手に俺の耳にも入ってきたほどだ。


 その話を聞いたとき、アリスの騎士だからというよりも、『ノクスの民』が一体どんな人間なのかに関しては興味があった。


 は、黒髪、『赤い瞳』を持ち、その身体能力は計り知れないという。


(なるほど、どうやらその情報に嘘偽りなどないらしい)


 ……実際にこの目で見てみると、よく分かる。


 ――あの男は、化け物と呼ばれる類いの人間だろう。


 俺と対峙していても、アリスに後ろからその服を掴まれていようとも。


(そのどこにも、隙が見あたらなかった))


 あの日、あの時、あの瞬間。


 確かに、あの犬は牙を剥いて、いつでも俺を喰い殺せる状態にあった。


 ――俺だとて、剣の腕には全く自信がない訳じゃない。


 なんなら、アリスと同じ歳の頃、最年少で騎士の入団試験に合格出来るほどだと、世辞などではなく言われたこともある。


 だが、あれと対峙したからこそ分かる。


 ぶわり、と、身の毛がよだつような、その感覚。


 向けられた殺気は、どこまでも研ぎ澄まされて、どこまでも鋭利だった。


(それが、どうだ? ……恐らくだが、あれ程の化け物をアリスは、飼い慣らしている)


 俺に剣を向けてはいても、いつでも食い殺せると殺気を向けていても、それでも決して、最後まで、俺に噛みつかなかったのが、何よりの証拠だ。


 もしも、あのタイミングで父上が来なかったら、アレは俺に噛みついたか? と言われれば、疑問がのこる。


 ……何故なら、あの瞬間のあの騎士は。


 一見、俺に対してわれを失った様に怒りを向けているように見えて、自体は、決して見失ってなどいなかった。


 怒りも殺気も明確に此方へと向けていながらも、実際には恐ろしいほどに冷静に周囲の状況を見ることも出来ていた……。


(アリスが、必死でその身体を止めたのが、最後のストッパーだったとしたら……?)


 ――いったい、どうやってあんな化け物を手懐けたのか


 ……しかも、妹自体は、あの騎士がどれほどの化け物なのか全く理解していない。


 躊躇なく、その身体を後ろからひき止めることが出来るのが、その証拠だ。


 ……それとも、あんなにも殺気立っている人間を、迷うことなく止められることが出来るほどの信頼関係だとでもいうのか?


 止まることなく、とめどなく、思考がくるくると巡っていく。


「……っ、兄上、どうして何も言って下さらないのですか?

 アイツは、兄上が貰えるはず筈だった砦まで貰ってっ!

 甘やかされて、どこまでもつけあがってるんだっ! 忌々しい、忌み子の分際でっ」


 不意に、声をかけられてそちらに視線を向けた。


 嗚呼、そう言えば、今は弟が俺に話しかけてきていたんだったな。


 短絡的すぎるその思考を隠すこともない弟に、俺は一つ、呆れたようにため息を溢した。


「……っ、あにう、えっ」


 そんな俺の表情を間近で見て、びくり、と、強ばるように弟の身体が硬くなる。


 俺と三歳しか違わないというのに、こういう所ではまだ、幼稚さが際立つ弟に俺は無表情のまま、普段に増して何の感情も抱いていない視線を向けた。


「……今、その口で、……と言ったのか?」


「……っ! も、申し訳ありません、兄上……っ」


 俺の冷たい視線に、耐えきれなくなったのか、弟はその瞳を俺から逸らして、口先だけの謝罪を口にする。


「まぁ、いい。……だが、アリスに砦を与えたのは、他の誰でも無い父上だ」


「それが、おかしいことだと、俺はっ……」


「だとして、どうする?

 父上に言うのか? アリスに砦を与えるのはおかしいから考え直して下さい、とでも?」


「……私が決めたことだ、決定は覆らない、と……」


「なんだ、もう伝えたあとだったのか」


 弟の発言に呆れたように声を溢せば、弟は俺に見捨てられてしまったかのように、迷子の子供みたいな表情を見せたあと、目の前で悔しそうにその唇を噛んだ。


 ……全く本質を見極めることが出来ていない弟に、もう十三歳にもなっているのだから、もう少し物事をきちんと捉える術を身につけてほ欲しいものだと、思うものの。


 いつまでもこの調子で、アリスに対して敵対し、一方的に悪感情からくる思いをぶつけていては、それも無理だろう。


(実際、砦くらいは本当に何でも無い)


 あそこの砦は、別に要所にあるものでもないし。


 父上がアリスにそれを与えたところで、影響などは全くない。


 だが……。


(あの、騎士……)


 あれが、アリスの傍にいる限り……。


 この先、アリスに何かあれば、一番にあれが動くであろうことは想像がつく。


(それから、あの茶色の髪の子ども)


 ――あれは、


 弟よりもよほど、成熟しているようなそんな素振りであり……。


 しかも、恐らくだが、父上からの信用を勝ち得ているのだろう。


 毒を盛られたという話をした時に、あの子どもの愛称を出しただけで、丸ごと父上がアリスのことを信用したということは隠しようも無い事実だ。


 実際に俺がこの目で、見たのだから。


(毒の種類や、薬学にもかなり精通している人間か?)


 クッキーを一目見ただけで、それが直ぐに分かったとでもいうのだろうか。


 だとしたら、あの歳で……、あり得ないほど膨大な、知識を覚えられるだけの才能をその身に秘めていることになる。


 ――缶に貼られていたラベルには見覚えがあった。


 見たところ、アレは確か……。今、市井で流行っている店舗のクッキーだろう。


 当然、市販されていたそのクッキーに、最初から毒が混入していることなどはあり得ない。

 万が一、そのことが知られれば、店自体が潰れるのだから、店舗の人間が関与しているとは到底思えない。


 ならば、恐らく、誰かがそのクッキーに、後から毒の入った香料を使用したということになる。


(驚くべきは、その知識もだが、その嗅覚だ)


 市販されていて、王都でも人気の店のクッキーである以上、見た目では分別出来ないようになっているはずなのは勿論のこと。


 俺がもしも、誰かに毒を盛るならば、『その匂い』も、元々のクッキーの匂いに近い香料でごまかして、直ぐには分別など出来ないようにするだろう。


 それが、毒であるとちゃんと判別出来るということは、当然その毒が何であるか知っておかねばならないのに加えて、あの子どもは、ほんの僅かなその毒の匂いを正確に嗅ぎ取ったということだ。


 そうして、事実、あの子どもの見立ては確かに正しかったということが証明された。


 ――その日のうちに、父上が、皇族の検閲係を罰したのだ。


(アリスの検閲に関して、きちんと行っていなかった挙げ句、今まで宝石などを盗んで不正を働いていた、と)


 しかも、わざわざ……。


 かなり強い罰則を制定し、父上が、今後一切、そのようなことがないようにと命じられたということは、俺の耳にも直ぐに届いた。


 毒の話はまだ、俺達の耳には入ってきていないが、それが、どこまでも慎重に精査しなければならないものだから、直ぐに発表は出来なかったのだと容易に想像がつく。


(そのような天才が、まだアリスと同じ年頃の子どもとは。成長すればその知識がどれほどの物になるのか計り知れない)


 ……そして、その化け物染みた存在が、二人も、腹違いの妹についているという事実。


 あの騎士を選んだのは、アリス本人だとしても、あの子どもは父上の紹介だったというから、父上がアリスのことを気にかけているということは、最早、誰の目から見ても明らかだ。


(……嘘など、欠片もついていなかった、か……)


 アレの話を碌に聞きもせず、一方的に嘘だと断じたが、今まであいつが言っていたことは、本当のことばかりだったのかもしれない。


 腹違いの妹は、いつだって、自分の気に入らないことがあればわめいていたように思う。

 だからこそ、誰も妹のことを信じなかった……。


 だが、久しぶりに会った妹は。……どこまでも、変わっていた。


 前までの妹の姿は、そこに無く。


 落ち着いた様子で、きっちりと順序立って物事を説明することも出来るようになっていた。


 そして、いつの間に覚えたのか、礼儀作法もしっかりしてきたように思う。


 ……それにしても。


(……あの騎士のことが、そこまで大事なのか?)


 ――父上に許しを嘆願し、俺にわざわざ謝罪してまで、守りたいと?


 そこまで考えて俺は、浮かんできた自分の考えを、嗤った。


(だから、どうした……?)


 アレは、今も、昔も、俺にとっては不要なもの……。


 興味すら持つ必要がない……。


 


 ――俺と、アレは映し鏡にはならない。


 浮かんできた、もう一つの可能性を、頭の中で否定する。


 多少、アイツが変わったからと言って、これから先、俺がアレに、妹に関わらなければいけない理由など、どこにもない。


「……ギゼル、話はそれだけか?」


 机の上に溜まっている書類に視線を落とし、言外に、忙しいことを滲ませながら弟に告げれば、まだ、納得の出来ていなさそうな弟は。……けれど、それ以上俺に対して何も言えることがなかったのか。


 ほんの少し言いよどんだあと……。


「……っ、お忙しいところ、申し訳ありませんでした、兄上……」


 と言って、部屋から出て言った。



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